東方水銀録   作:文房具屋さん

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00.水銀の蛇

気が付けば白い部屋にいた。ある意味テンプレな展開に遭遇している私は、一言で言うと事故に遭って死んだ。

 

何の感動もへったくれもない死に方である。積もりに積もった仕事をぶっ続けの三日徹夜で終わらせ、ふらふらした頭と体でアパートまでの帰り道を歩いていたところで限界がきた。

よろめき車道に飛び出してしまい、脇見運転していたトラックと衝突。痛みも何も感じなかったところからして即死だろう。

天涯孤独の身であったし、私が死んでも会社以外に不利益を被る者がいなかっただけ幸いか。いや、心残りは勿論ある。人並みに恋愛して結婚をしてみたかったとか、溜めこんでいた貯金で旅行に行きたかったとか。

もっと早く有給を使っておけばよかった。死ぬ直前まで会社のために身を粉にして働いていたとか、立派な社畜である。

 

「そろそろいいかね」

 

「あ、はい」

 

そんで、今目の前に居る男……死後の世界、白い部屋。普通なら神様が出てくる場面だろう。いや、あながち神様で間違いでもないのだが、まさかこの男が出てくるとは思わなかった。

 

「私のことは今更説明する必要はないだろう? 私や、私の世界を知っている君をわざわざ選んだのだからね」

 

ボロボロのローブに身を包んだ影のような男。なびくような長髪に、口元に貼りつけられた胡散臭い笑み。そして、蛇のような眼。

サン・ジェルマン、パラケルスス、トリスメギストス、カリオストロ。彼を呼ぶ名前はいくらでもあるが、一番知られた名前はこれであろう。

水銀の蛇、メルクリウス。

Dies ireaという作品に登場する人物で、聖槍十三騎士団とかいうキ〇ガイ集団の副首領。エイヴィヒカイトという魂を糧に成長する魔道具を完成させ、その他にも様々な魔術に精通している男。更にいうなら、あの世界の神様。

 

「あなたは創作物のキャラクターではなかったのですか」

 

「勿論、君の世界から見ると私は物語に登場する演者という存在でしかない。だが、それは君の世界がそういう存在であるというだけだ。

数多の世界を観測し、それを人は無意識に、あたかも自分が作り上げた物語であると錯覚してしまう世界」

 

成程。つまり他のアニメやら漫画の世界も実は本当に存在していると。

 

「いかにも」

 

そういうカルチャーが大好きな友人に話してあげたいものである。きっと狂喜乱舞の末、駅前の橋の上から裸で飛び降りるに違いない。

 

「それで、私にどんな用なのですか」

 

「一つ頼みごとがあってね」

 

……嫌な予感しかしない。というのも、彼は数えるのが億劫になるほどの人間から恨まれている詐欺師だ。いや、私自身彼という人物はそこまで嫌いではないのだが、だからといって酷い目に遭わされるのも嫌である。

 

「そう警戒する必要はないよ。私の遣いを頼まれて欲しいのだ」

 

「なぜ、私に?」

 

「魂だよ。分かるかね」

 

いや、まったく。

 

「人はそもそも、自分の魂の定めた要領以上のことをこなすことは出来ない。運命という言葉を信じるかね。人は生まれながらにしてその行く末が決まっている。

しかし中には、自分の魂の限界を突破してみせる者もいる。私の息子のようにね」

 

彼の言う息子とは、Dies ireaの主人公である藤井蓮のことであろう。たしかに、彼の前世はただの処刑人であった。それが来世では神を打ち倒すほどの偉業を為し得たのだから、メルクリウスが感慨深そうに呟くのも頷ける。

 

「だが、それはほんの一握りの者だ。数多の人間は自分の魂の限界に気付く間もなく生を終える。

そして、君の魂の質は私の息子によく似ている」

 

私の魂が? そうだろうか。自分自身、一生会社の平社員で終わると思っていたのだから、そう言われてもなんだか納得がいかないというか、信じられない気持ちはある。

まぁ、仮にも神様の言うことだ。そういうものだと思っておこう。

 

「それで、遣いの件だがね。私の女神に少しばかりお小言を言われてしまってね。

『いつも人様に迷惑をかけているのだから、たまには人助けでもしなさい』だそうだよ。ふふふ、私が人助けとは、幾億の時を生きてきたが初めての経験かもしれない」

 

おお、女神さま、良いことを言うじゃないか。だが何故だろう。この男が人助けをしたら、ロクでもないことになりそうな気がする。

 

「彼女が言うならばやぶさかではないが、私は彼女を守護せねばならん役目があるのだよ。

影を遣わせてもよいのだが、私はそもそも人に好かれる体質ではないようなのでね」

 

うん、それはすごく分かる。こんな詐欺師面したやつから人助けを受けたなら、見返りにどんなものを要求されるかと誰でも肝を冷やすことであろう。

 

「それで私に貴方の代わりに人助けをしてこい、と?」

 

「話が早くて助かるよ。なに、心配せずとも私が出来うる限りのサポートをしよう」

 

彼は自分の右腕を引きちぎると(不思議なことに血は出ていなかった。神様だからだろうか)、それを私に投げて寄越した。

正直、受け取りたくはなかったのだが、自分の意志とは裏腹に、私の手は彼の右腕を見事にキャッチしていた。

 

「うわっ!」

 

彼の右腕は私の手の中で姿を変え、真っ白な蛇へと変貌していた。思わず放り投げそうになるが、蛇は私の首に素早く巻きつくと、喉元に勢いよく噛み付いた。

あわや死後の世界で二度目の死を迎えるのかと思ったが、痛みはなく、蛇は私の体に吸い込まれるように消えてしまった。

それと同時に、彼、メルクリウスの知識が私の脳味噌に刷り込まれていくのが分かる。彼の魔術の理論、星の生まれから死までの記憶、“座”という神座の知識……。

自分のものではないものに対し、身体が拒絶反応を起こす。しかし、それは蛇の毒のように、確実に私を蝕んでいく。

 

「気が付いたかね?」

 

「うっ……」

 

見ると、彼が私を覗き込んでいた。彼の記憶と知識を得たからこそ、目の前の男がどれだけ規格外な人物なのかを改めて実感した。

ふらふらと立ち上がると、先ほどよりもやや視界の位置が低かった。体が縮んでしまったのだろうか。

 

「ふむ、魂の統合に問題はないようだね。それにしても、まさかこの結果になるとは正直私も予想していなかったよ」

 

「なにを……」

 

言いかけて、私は自分の声がやけに甲高いことに気が付いた。

まるで少女のような、鈴を鳴らしたかのような声。ぺたぺたと自分の体を触ると、ところどころ丸みを帯びていて柔らかい。

メルクリウスがどこからか手鏡を取り出すと、私はそれを奪い取るようにして見た。

そこには、やや目つきの悪い少女の姿があった。歳の頃は一〇を超えた辺りであろうか。また幼子とも呼べる、蛇のような眼をした少女は、目の前の男、メリクリウスによく似ていて───

 

「息子の次は娘かね。いやはや、これで私も二児の父親というわけか」

 

「ど、どういうことですか。私の前世は確かに男だったはずなのに」

 

私はこの上なく狼狽した。自分が死んだことに気が付いた時の方がまだ落ち着きがあったものだ。

すると彼は考え込むように顎に手をあて、ふむ、と唸った。

 

「魂の統合の際の拒絶反応で、性別が変わってしまったようだね」

 

「変わってしまったようだね、って、あんたそりゃあないでしょう」

 

あんた人助けをするって言って、早速私に迷惑をかけているじゃないか。

 

「だが、人助けには丁度良い姿ではないかね? 男に助けてもらうよりも、誰だって気分はよいだろう」

 

私の気分はよくないのだが、そう言いかけたところで、彼は私の首元を後ろから掴み、持ち上げた。

 

「さて、そろそろ行くがいい。いつまでも父との会話に浸っていたい気持ちは分かるが、私は一刻も早くマルグリッドの元へ帰りたい」

 

知らんがな。

罵倒の言葉を浴びせる間もなく、私は淡い光を放つ真っ白な扉へと投げ捨てるかのように放り込まれた。

落ちていく、落ちていく、真っ白な空間をどこまでも落ちていく。

ふと頭上から、蛇の声が私の耳に届いた。

 

「それでは頑張りたまえ。君の行く末に勝利があらんことを。

Sieg Heil , Viktoria」

 

……覚えておきたまえよ、父上。

 

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