「おぉッコラ,テメェか? テメェのせいでんなクソめんどくせぇことになってんのか?」
睨まれながら,悪態をつかれながら,面倒くさい状況に意識を向けるのはそれこそ七面倒くさかった。別段この状況から逃げ出したいわけではない。かといって猛禽類でも連想させる鋭い眼光と,他人を威嚇するのに慣れ切ったドスの利く声に恐れをなしたわけでもない。ただどうしてこのような状況に至ったか――その結論を予測することが面倒くさいのだ。
「あァっ,テメェ聞いてんのか?」
とはいえ寄りかかっていた壁にかすかに体重を預けてわずかに目を細めてみる――そんな態度にさえ敏感に反応する目の前の男を放置しておくわけにもいかない。軽く咳払いをしてから通る声で面倒を解消し始めた。
「まずはすまなかった。私の不注意で貴方をこんなところまで招いてしまって」
頭を下げる。それだけで震えだしそうに熱くなっていた男の周りの温度が下がっていくのを感じた。成程,どうやら女をやり込めたいわけではないらしい。いまだピリつく空気を保ったままに一歩下がる彼を見て,
「ありがとう」
真面目な顔で龍宮真名は,先ほどより深く頭を下げた。自らのまとう女生徒の象徴である制服の胸元に,敬礼するように手を当てながら。その姿は傍から見ればアンバランスだったことだろう。守られる側と守る側,二律背反が同居していた。
とはいえこの空間にそれを指摘する人物はいなかった。というよりむしろ,相反する要素を兼ね備えた者ばかりのようだ。くつくつと老練な笑みを浮かべる幼女然り,暴力的な雰囲気を保つ牧師も然りに。唯一に順当なのは仙人髭をたくわえて学園長と銘打たれた席に座る老人くらいのものだった。
「ふむ,では説明してくれるかいの。何故に君が,彼を彼女がここに連れてくる状況を作り出したのか」
話を促したのは老人で,牧師,幼女と視線を移しながら,やがてそれは真名で止まった。
六つ三対の視線が集まってくる。緊張したわけではないが,ひとつ深呼吸をしてから真名は口を開いた。それが面倒に思えたのは自分が少し嫌になるからだった――いっぱしだと思っていたからだった。
◆◇◆◇◆
隆々一対の角があった。腐臭にまみれた牙もあった。身体を覆う皮膚は灰色で,太い骨格に筋肉が張り付いていた。大きく広げられたそれは翼竜のような大きさの,蝙蝠のような形の翼だった。
月光に照らされたその姿は悪魔そのものだった。
「世界にはこのような存在がいて,仇為すこれを処分するのが私の仕事なのさ」
横目で見た男に違和感を覚えたのは,やはり矛盾していたからだろう。首からかけたロザリオを握りしめるでもなく,その手で十字を切るでもなく,教義に登場する悪の存在をただ彼は見つめていた。
(怯えて声も出ない……というわけではなさそうだ)
男と真名とが顔を合わせてからまだ数時間とたっていない。その中で見せた不遜な態度――おおよそ神父には似つかわしくないその振る舞いが,決してちっぽけな自分自身を覆い隠すための演技には感じられなかった。
「貴方を現状に巻き込んだのは私だ。それと,報酬もすでに受け取っている」
小声で呟いた。きっと聞こえているだろうが,どちらでも構わなかった。それが言い訳にしかならないというのは自覚していたからだろうか,気づけば真名は苦笑していた。
「私は貴方にこの世界を教える道先案内人となろう」
瞳は苛烈に燃えていた。しかし男からの返事はなかったが,聞こえているだろう。あるいは彼が口を閉ざしたままにしているからそう感じたのかもしれないが。
なんにしろ真名は視線を上げた。今集中すべきなのは隣の男ではなく目の前の異形だ。
さっと,身構える――大げさに何かをするわけではないが自分の中で気持ちを整えて,両腕をうなり声上げる悪魔へと向けた。
ひとつ,ふたつ,続けて幾度も。炸裂音の出元は真名の両手の中からで,そこにはおおよそ彼女の性別と年齢と隔絶した鉄の筒があった。武骨ながら洗礼された自動拳銃――デザートイーグル。撃ち出された弾丸は吸い込まれるように,悪魔の脳天へいくつも風穴を開けていた。
霧のように異なるものはその形を消して,残したのは慣れた静寂。月明かりが照らし出す麻帆良の森の中で,ふぅと小さく息を吐いた。もうそこに悪魔――低級の使い魔ではあったが存在した痕跡はない。日常から外れるのは腰のホルスターに収めた真名の愛銃と漂う硝煙の香りくらいのものだった。
「あんなのが毎日か」
「いや,毎日じゃないよ。もちろん警戒は毎日しているみたいだけれど,いつもいつも現れるわけじゃない」
「何のために,くるんだ」
「麻帆良学園はこの国で最も,といっても良いほどこちらの世界――つまり魔法分野が発展している場所だからね。よからぬことをたくらむ人もいるのさ」
「……そうか,なるほどな」
「なるほど?」
何となく,真名は男に問い返してみた。考えることが分からないでもなかったが。
この場所,麻帆良学園都市というものは冷静に考えてみれば実に不可思議な事柄であふれかえっている。
「空,飛ぶ男を見たことがあると聞いたことがある」
「関係者だろうね」
「箒にまたがる少女を見たとも」
「間違いなく,お手本のような姿じゃないか」
「……世界樹もか」
男の視線の先には荘厳とそびえたつ巨木があった。この地に来て何百回と目にした,そして目にするたびに感じる,まるで傍観者のようなその姿に底寒いものを振り払って,
「あれがあるから麻帆良は出来たのさ」
返答はなかった。ただじっと視界に広がる森より,石畳敷き詰められた麻帆良の街並みより,ずっと長い年月を刻んできたそれを刻み込んでいるように真名には見えた。磁石が引きつけられるように男は世界樹に意識を注いでいた。
気持ちはわからないでもない――が,自らをちっぽけに感じさせるその気持ちは嫌いで,雄大すぎる世界樹が好きなわけではなかった。とはいえ男のような行動は何度も見たことがある。同居人も初めて麻帆良に来た時はそうだったと聞いていた。
そんな彼から踵を返し,真名は人口の明かり照らす方向へと歩いて行く。
「明日も同じ時間,同じ場所で待ち合わせにしよう」
「昼間じゃマズいのか」
返事があった。まだきっと世界樹の方を見ている。なんとなくそんな気がして,だからという訳ではないが歩みを止めずに口を開く。
「私はこれでも中学生だからね」
満月が顔をのぞける深い闇夜でのことだった。
龍宮真名には二つの顔がある。
ひとつは麻帆良学園女子中等部にこの春入学したばかりの,ピカピカの一年生という顔。浅黒い肌に夜を思い起こさせる黒髪,整った要望はエキゾチックな雰囲気を醸しだす美女だった。美少女ではない,美女だ。昨年までランドセルを背負っていたとは思えない身の丈と女性的な肉感を兼ね備えているのだが――それももうひとつの顔を聞けば納得できるだろう。
龍宮真名――もといマナ・アルカナは魔法が根幹をなす世界では名の通った銃使いである。戦火を駆ける傭兵というのが真名もうひとつの顔だった。
そもそも,安穏と中学生を楽しんでいるのも以前所属していたNGO団体の知り合いから養子に迎え入れられたから,という理由もあるが,麻帆良を取り仕切る学園長から専属で雇われたからとの理由の方が大きい。
「きっとサバをよんでいるんだ」
と,呼びかけられて真名は自分の頬がヒクつくのを感じた。皮肉を隠そうともしない言葉に動揺したのはやはりまだ心に幼さを残すからだろう。咳払いで振り払い,手に持っていたティーカップの紅茶を口に含んだ。
出元は真名と同じ麻帆良女子中等部の制服を着た女だった。昨夜,男に指定した森の中で,昨夜と同じように月明かりに照らされたそこで,なぜだか当然のようにある丸テーブル。それを囲むように配置された椅子に座った真名の真向かいにいる彼女をのぞき込むようにして,答えた。
「羨んでいるのかい,エヴァンジェリン」
香りが鼻から抜けていく。白磁色のカップをソーサーに置いて彼女――エヴァンジェリンと呼んだ――に微笑みかけた。
反応は薄かった。むしろ突っかかってきた真名の反応を楽しむように微笑み返してくると,まるで裂けたかと錯覚させるほど口を開いて笑い出した。
「ハッハハ,まだまだガキ丸出しだな」
開こうとして,黒い夜のその中の,赤い舌が舐めとるように真名の言葉を制止させた。
「そうやって言い返そうとするところさ,龍宮真名。自分の実績をひけらかして相手より上に立とうとするその姿――強者は黙って笑うものさ」
「『闇の福音《ダーク・エヴァンジェル》』と呼ばれて喜ぶ貴女が言うのか」
「畏怖は喜ぶべきだろう?」
白魚を連想させる細く、美しい指が子供をあやすように円を描いた。あくまでも柔和に、しかしながら巨大な腕で押さえつけられるような感覚を真名は覚えた。彼女は真名の瞳を射抜くように見つめている――再びくつくつと喉を鳴らすと、違う方へと向き直っていた。
「とはいえ今宵の茶会はお前のためではない」
真名とエヴァとその間に挟まれるように――エヴァの正面で眉をひそめた男は乱雑に頭をかきながら口を開いた。
「仲良しか」
「クラスメイトだからな」
笑みを一層深めたエヴァを見て、都合のいいことを言う、そう真名は思った。本当に言葉通り、クラスが同じなだけではないか。桜はとっくに洗い流され、汗が煩わしくなりだしたこの七月。思い返してみるが数えるほどしかエヴァと話した記憶はなかった。
「ところで……なんといったか」
「オーガン・ロメロだ。オーガンでいいぜ」
「ではオーガン。貴様これまでの話を聞いて何か思うところはあるか」
「いーや、まったく」
お手上げのポーズをしながらオーガンは続けた。
「魔法があるのはわかった。化け物が実際にいるのも分かった。そいつらからあんたらが何もしらねぇ俺たちを守ってくれていたのも分かった」
「ずいぶん物わかりがいいじゃないか」
「見ちまったからな。自分のめんたま疑うほど賢いつもりはねぇよ」
にやり。口元を引き上げる仕草は大型の獣を真名に思い起こさせた。太く、大きな笑い顔だった。
「それとパニックになっちまうから魔法とか化け物は隠されてて、俺が見ちまってたから――龍宮に記憶消されて森の中で寝ちまってた、と」
「そうだね」
と、一瞬どきりと心臓がしたのを真名は感じた。言葉の通りなのではあるが――そう。一人前の、いっぱしの、自他に誇れる力量となったと勘違いしていた。その事実を突き付けられたようだったと思ったのだ。
「で、実際は記憶が消えてなくて、マクダウェルに助けられたと」
「その通りだ。そちらもエヴァで構わんよ」
「ははっ、了解」
「くくくっ――ところで」
深く、深く。三日月のように口を裂いて、エヴァは黒い声で尋ねた。声量が今までと変わっているわけではない。ただ、ほの暗い、闇の窯を開けたような、そんな怨嗟を伴うかのごとき声だった。
「化け物を見て、私を見て、貴様はどう思う?」
「エヴァを見て、か」
「私は――少々鉄火場を潜り抜けたこの小娘とは違って見た目通りの年齢ではない――齢六百歳の吸血鬼」
風が変わった。呟くだけで空気が凍り、全身を握りしめられているような感覚。雪が降り、霜が降りる。ふわり、エヴァの身体が中空に舞い、先と同じように彼女は微笑んだ。
懐に忍ばせていた相棒たる銃に手がかかったのはとっさのことだった。転げるように椅子から飛び出し、その照準をエヴァ――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルに向ける。眼前の彼女には鼻で笑われた鉄火場での経験。それが真名の身体を動かしていた。
「教義の中の悪に対して、さてどうする牧師様?」
そう、彼女の対敵である男――黒いガウンをまとい首から十字架を垂らした牧師姿のオーガンへと問いかけた。
沈黙は長かったのかもしれないし、短かったのかもしれない。だが喉を凍らせ平静に呼吸するのを阻む目の前の強大な存在を前に、長い長い時間の無常さを真名は感じさせられていた。
しかして、時間というものは必ず過ぎていくもの。
「……助けてもらった相手に拳を振り上げるほど、俺は不義理なつもりはねぇ」
立ち上がり、腕を広げて体の正面を見せる。無抵抗を示すオーガンにエヴァは指を鳴らす。と、冷たさは消え、寒さは感じなくなり、夏を体現させる蒸し暑い風が吹き込んできた。
「龍宮真名、お前のようにさかしいことは正しいことだ。しかし時にそれこそが足を引くことを覚えておくべきだな」
◆◇◆◇◆
「最近よく仕事が入るのだな」
同室の住人の、そんな言葉を背中に受けながら、龍宮真名は今日も夜がつつむ麻帆良の地を歩いていた。いつも通りに朝起きて、中等部での生活を思っていた以上に楽しんで、誘われて入ったバイアスロン部で周りの部員たちを驚嘆させ部屋に帰る。いつもの日常に最近加わったことがあった。
ギターケースを背負い、さっそうと歩く姿が人目を集めるのを真名は知っていた。自分の身長が歳不相応で、出るところは出て引っ込むところは引っ込んだこのスタイルが異性の目ならず同性の目も惹き、しかして凛とした佇まいから遠巻きから視線が集まっていることを無視できない。少し感情が揺れたつのを感じるがそれを認める。結局のところ自分を認めることでしか成長できないのだ。
(何故、私はこんなことを)
明りのともったコンビニに入り、飲み物の陳列された棚に映る自分の顔を見てそう思った。トマトジュースと適当に数本カゴに放り込むと、ここ毎日思い返している言葉を頭の中に浮かべた。
――龍宮真名、お前のようにさかしいことは正しいことだ。しかし時にそれこそが足を引くことを覚えておくべきだな。
あの日、いくつもの夜をさかのぼった日、エヴァに言われた言葉が真名を悩ませていた。
真名は戦場帰りだ。普通の人間では、こと日本人の大半が一生味わうことのない場所から真名は来ている。そこでは馬鹿であるが故に死んだ人間を幾人と見てきた。幼かったが賢くなければ生き残れなかったのだ。
もちろん、自分を導いてくれた彼らのおかげで今日があることは自覚している。
(それでも)
それでも、と思ってしまう。文字通り血の滲むような努力をしてきた。幾度となく頭を焦がし胃を逆流させる事態にも直面してきた。だからこそ歳不相応な落ち着きを今の真名は持っているのだ。
それでいいと思ってきた。冷静に、合理的に、そうあるべきだと思っていた。だというのにエヴァの言葉が真名をさいなむのは――真名自身が知っているからなのだろう。
「今日も来たのか? 暇な奴だな」
いつも通りの言葉に真名はどこか安心しながらうなずく。
「いろいろ教えてやってくれと学園長から頼まれているのは私だからね」
星が照らす森の中、知る限り毎日のように彼はそこにいた。気づいて顔を向けたオーガンの視線は長身の真名よりもいくらか高いところからやさしく注いできた。短く刈りそろえられた白髪は汗に濡れて砂にまみれており、表情には疲労感が見て取れる。そして鋭い顔つきのオーガンには似合わぬかわいらしい杖が彼の手に握られていた。
「おい、気を取られず集中しろ」
金糸の髪を揺らす少女が目に入る。闇夜に映えるその姿はまるで自分がこの場の支配者だといわんばかりに傲慢で、だが幼子が玩具で遊ぶように無邪気だった。
エヴァのいつもと――暇そうにあくびを続けるクラスでの姿と違う様子に、しかしいつもと同じ様子を横目に、いつの間にか定位置となるよう置かれた丸テーブルの上に買ってきた飲み物を置いた。
エヴァの叱咤する声が聞こえる。
「いいかオーガン、貴様にはそもそもと魔法の適性がない」
「小難しい理論はよくわからねぇからな」
「そうだ、もともと適性があるのはでかい図体に似合った気のほうだ。しかし――」
ちらりと一瞬、意識を向けられた気がしたが、視線を移さずオーガンを見ながらエヴァは続ける。
「魔法を最初に受けたためか気の入り口が閉じ、代わりに魔力を通す回路が開いてしまった。つまりこちらの世界に踏み入れるには魔力を扱う必要があるわけだ」
「なるほどな」
「なんども言ったが気は内側より爆発する生命の力、そして魔力は森羅万象――自然の力だ」
「おうっ」
「故に魔力を扱う際に大切となるのは自身を通すというイメージだ。日々の生活の中で我々魔法使いはタンクのように魔力を取り込み魔法という形で輩出している――使わなくとも許容を超えた量は素通りしていくがな」
「なるほどな」
神妙な顔のオーガンにエヴァは溜息を吐いた。その理由を真名は知っている。
「このやり取り……何度目か覚えているか」
「何度目かは覚えてねぇが、何度も聞いた覚えはあるぜ」
告げるが先か、彼の巨躯は小さなエヴァの拳によってふっとばされていた。
つまるところ、オーガンにはセンスがないのだ。何度と聞いたエヴァの言葉通り彼自身には魔法より気が合っていて、本来まるで芽のなかった分野の開拓を始めようとしている――時間がかかるのは当然であった。
気にしても魔法にしても一朝一夕で身に着けられるものではない。気は激しい鍛錬の中に身を置き、それこそ人類の到達点と呼ばれるほどにならなければその扉の前にすら立てない。魔法は血筋と幼い頃からの教育の賜物だ。少なくとも真名の知る限りの魔法使いはイギリスのウェールズ等にあるという魔法学校に通うか師匠につき学び長い年月をかけて仕上げていく。そう考えれば魔法使いとして並び立つもののない『闇の福音≪ダーク・エヴァンジェル≫』の指導を受けるオーガンは恵まれているのだが、
「いい加減覚えろ! そこらのガキでももう少し見込みがあるぞ!」
「おう、頑張るぜ」
大柄なオーガンにまたがり耳を引っ張りながら声を荒げる小柄なエヴァの姿は、はた目から見る真名から見ても滑稽だった。
「ほれ、じゃあいつものように手を握れ」
そして意外でもあった。魔法使いの世界ではなまはげ扱いされ恐れられている彼女が、覚えの悪い彼に対して面倒見よく魔法を教えている。エヴァを快く思っていない麻帆良の魔法使いからはこき下ろす罵詈雑言を――悪の手先を増やすためらしい――耳にしたことがあるが、真名にはその言葉が路傍の草のようにしか聞こえなかった。
――差し出した吸血鬼の手を立ち上がった神父が握る。
その姿がどうも真名は好きなようで、だからこそ毎日様子を見に来る必要などないのにここに来る理由な気がしていた。
「いいか、次は覚えろ――これが魔力だ」
エヴァはそういうと呼吸でもするように魔力をオーガンの身体を通すと、
「唱えろ」
「プラクテビギ・ナル氷よ、冷せ」
ごつい手に握られた星付きの杖。その先端からひしりと氷が生まれて地面に落ちる。エヴァに誘われ精霊に呼びかけ,魔法となり世界に体現した証だった。
「唱えろ」
「プラクテビギ・ナル 土よ、出よ」
「唱えろ」
「プラクテビギ・ナル 闇よ、覆え」
次はぼろぼろと土が落ち、次は夜より暗い闇が生まれた。
そういえば、と、真名は以前エヴァに尋ねていたことを思い出した。何故、偶然記憶を消されず森の中をさまよっていたオーガンに出会った――それだけの縁の彼にここまで真面目に魔法を教えるのかと。
「私と同じ属性が得意なのだからな、みっともない醜態はさらしてくれるなよ」
光に使える神父と闇に生きる吸血鬼。悠久の時を生きてきたエヴァにはきっと、複雑怪奇な感情が眠っているのだろう――気づかず胸に手を当てて、真名は再びふっとばした吸血鬼とふっとばされた神父を見ていた。
隆々一対の角があった。腐臭にまみれた牙もあった。身体を覆う皮膚は灰色で,太い骨格に筋肉が張り付いていた。大きく広げられたそれは翼竜のような大きさの,蝙蝠のような形の翼だった。
月光に照らされたその姿はやはり悪魔そのものだった。
「オーガン、ひとつめの関門だ」
胸元で祈るように拳を握りこむ。その姿は正しく牧師らしく、
「目の前のヤツを打倒して見せろっ!」
「おおッ!」
吼える姿は牧師にはまるで似つかわしくなかった。
いつもの闇夜、いつもの時間、いつもの森の中でオーガンは悪魔と相対していた。
「大丈夫なのかい?」
ペットボトルが並ぶ丸テーブルの上に無骨な銃を置き、意識を肩越しに見えるそれから離さないように真名は口を開いた。
「アレのことか? だとすれば無用な心配だな」
「……魔力が扱えるようになったとは思わないが」
「龍宮真名――貴様はいくらか戦場を経験し、いくらか戦う者を見てきたのだろう。だが私に言わせればまだまだ経験が足りん」
まるでそれが日常のように、エヴァはにやりと口を歪めた。
耳をつんざくのは咆哮。それは誇示か、躊躇うことなく正面から向かっていくオーガンへの威嚇からか、あるいは目の前の吸血鬼への本能的恐怖からか。悪魔の――下級魔族の心中などわかるはずもないが――わかるはずもないが、真名は溜息をひとつ落としていた。
「おるあっ!」
悪魔と牧師の交錯。まるで中世の絵画のようなその交わりは牧師の拳によって始まった。だが、悪魔の身体は揺らがない。大きく、力強く、振るわれた悪の腕は軽々しくオーガンを吹き飛ばした。まるでゴム鞠のように飛んでゆく。
「貴様のその銃器の扱い――それがどのようにして手に入れたかは想像に難くない」
数ヶ月、教え学ばせた弟子に目もくれずにエヴァはそう告げた。
「幾つもの異形を撃ち抜き、幾つもの人間を撃ち払い、幾つもの戦場を走破してきたのだろう。才能と、努力と、経験と、生まれ持った性質と、すべてを手繰り寄せその場に立ったのだろう」
振り向き、こちらに向かってくる悪魔へと正確に、明確な意思もないままに向けた銃口はエヴァの手によって制された。荒い鼻息も、再びの咆哮も、意識を向けることが無駄なのだといわんばかりのエヴァの行動への答えが晴れたのは、
「しかし世界は広い。世の中にはいるのだ――アレのように、アイツのように」
「調子こいてんじゃねぇ!」
鼓膜が震え脳がそれを拒絶するような、人とは思えない叫びだった。びりびりと銃を持つ手が揺れていた。闇夜の中、月の光を浴びながら、両の拳を握りしめて悪魔を見据える彼はやはり、牧師という職業が不釣り合いだった。
「無論アレは、オーガンは人間の範疇だ。気が扱えればどうだったのかはわからないが、それを絶たれたオーガンは魔法使いとしては一流にはなれないだろう」
首にかけた十字架が音を立てたように聞こえたのは気のせいか。地面を踏みつけるように走り出したオーガンはまた真正面から悪魔へと向い、
「だが間違いなく……」
一瞥もかけていなかったオーガンの拳によって悪魔は吹き飛ばされた。
「拳で来いや! ド三下がッ!」
白目と黒目がもし悪魔にあれば、目を白黒させていたところだろうが、あいにくと小汚い黄色に塗りつぶされた悪魔の目にそれはかなわず、例えばもしそうだったとしてもその暇もない間にまたがったオーガンの拳が再びその顔面に吸い込まれていた。
「稀に居るんだよ。訓練を受けたわけでもない、とり立てて何かあったわけでもない。勝手に自分で身勝手に扉を開く、生まれながらの強者というやつがな」
形容するなら暴風だった。弾幕のように張られた拳の雨が歪ませ、へし曲げ、悪魔の身体を変形させてゆく。武術など洗礼されたそれとは違う暴力の顕現。絶え間なく続くそれが終わったとき、真名はかすかにオーガンから魔力の残照を見た。
「あー、すっきりすっきり。最近こんな機会ねぇしな、ふらとすれーん、発散できたぜ」
ごきりと首を鳴らしながらこちらに歩いてきたオーガンを見て、いかにも楽しげにエヴァは笑った。
「だからこそ、ああいう馬鹿は面白いんだ――オーガン!」
「おう、余裕だったぜ」
「それはどっちでも構わん。それよりも」
いつもの不釣り合いな杖をオーガンに手渡すと、
「よしっ、唱えろ」
「うっしゃ。プラクテビギ・ナル氷よ、冷せ」
反応はなかった。うんともすんともいわない。やはりこれもいつもの光景で、
「なんでだーっ!」
「知るかっ」
今夜も買ってきたジュースを口に含む。それが龍宮真名の最近の日常だった。
ネギまも終わって久しいので自分なりの結末をオリ主ひとり加えて新たな結末を考えてみる妄想です。