鷹が如く   作:天狗

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 遅くなったので前回のあらすじ

 服部半蔵を追い、服部正重は巌流島に潜入した。
 そこで彼は兄と一戦を交え、半蔵は現在、秘宝の力によって不死の身に変貌していることを知る。口の端から左耳まで裂ける、という深手を負いながらも正重は生還した。
 千六百五年、江戸時代の少女、遥の進路を見極め、その先で柳生石舟斎と出会えるように誘導し、石舟斎は彼女に「祇園で桐生一馬之介という男に会え」と言った。
 正重も遥と桐生の行く末を見守るために祇園へ移動する。


11.桐生一馬之介

 澤村遥が桐生一馬と共に鷹村啓介に拉致され、アサシン教団のアジトへ移動してから三日目の朝が訪れた。と言いはしても、地下にあるこの空間には日が差さない為、時計を確認しないと時間の感覚が狂ってしまう。

 遥がこの日作った朝食はハムエッグと味噌汁だけだ。それにご飯と納豆、サラダである。質素な物だが、手料理に飢えているアサシン教団のメンバーは美味そうにそれを平らげていた。今日の予定を考えてそわそわしていたせいか、一つだけ黄身を潰してしまった。

 朝食を食べ終えれば、いよいよ桐生一馬の治療が始まる。

 

 

 

「これから桐生さんの治療を始めるわ。 澤村さん、準備は良い?」

「はい! 大丈夫です!」

 

 気合が入っているせいか、女医である吉川優子への答えが大声になってしまった。遥の返事を聞いて、優子はくすくすと笑う。

 

「もっとリラックスして大丈夫よ。 私もサポートするから、頑張って」

「はい! ありがとうございます!」

 

 相変わらず遥の声は大きい。優子は微笑んだまま、後方にあるモニターに向かってキーボードを叩いているドクター南田へ顔を向けた。

 

「ドクター、檻の準備は?」

「バッチリだ」

 

 南田は不敵に笑ってそう答えた。遥は隣のアニムスで仰向けに寝ている桐生へ顔を向ける。彼はやはりいつも通り穏やかに眠っている。

 遥が待ち望んでいた桐生の治療が始まる。

 彼女のデータに桐生をアクセスさせ、現代の遥が憑依している江戸時代の少女、遥と交流することにより、彼の意識の活性化を促す。

 さらに、アサシン教団の目的である秘宝「草薙剣」の在り処を知る桐生の先祖、宮本武蔵のデータを追うことによって、その在り処を探る。

 その二つを達成してようやく、この場にいる者たちの目的を果たすことができる。

 エレベーターの音が広間に響き渡った。外の様子を探っていた鷹村啓介が帰って来たのだろう。

 彼は弁当を買いに行く必要がなくなった今日も変わらずに偵察に出かけている。昨夜、深夜までアニムスに接続していた疲れを全く感じさせない。朝食の席で聞いた話だと、順調にアニムスデータのシンクロ率百パーセントを達成しているらしい。

 入口の鉄扉が開き、啓介が姿を現す。

 

「おかえりなさい、啓介」

「ああ。 もう始めるのか?」

 

 優子の挨拶に返事をし、彼は整っている場を見て問う。

 

「早い方がいいからな。 君も会いたいだろう? 意識を取り戻した桐生一馬に」

 

 啓介の質問に答えたのは南田だ。彼は楽しそうにキーボードを叩きながら笑った。南田と桐生の付き合いはもう四年近くになる。インナーファイターシリーズのテストプレイに加え、改良するために惜しみなく投資してくれた桐生に恩を感じている。

 彼も桐生の復活を願う者の一人だ。

 

「……俺は秘宝の在り処を見つけられればそれで良い」

 

 それを聞いた遥が、桐生に向けていた顔を啓介に向け、むっとした表情を見せる。文句を言おうと口を開けるが、言葉にせず、結局閉じた。今は啓介と喧嘩している場合ではない。

 

「それじゃあ、澤村さん。 眼を閉じて」

 

 指示に従い、眼を閉じる。耳元でアニムスの起動音がし、遥の意識は数秒後に白く染まる。未だに慣れない感覚だが、気持ちが(たか)ぶっているせいか、不快ではなかった。

 

 

※   ※   ※

 

 

 遥が眼を開けると、碁盤の目のような線が波打っている空間であった。彼女の服装は桃色の着物。江戸時代の遥のものだ。身長も縮んでいる。

 彼女の隣に発光する粒子が集まる。以前、アニムストレーニングを受けた際に啓介が現れたのと同じ現象だ。徐々に輪郭を成し、現れた人物は桐生一馬であった。

 彼は眼を閉じたまま、直立不動である。

 

「おじさん……」

 

 今、声をかけても意味がないのはわかっている。しかし、遥は思わず呟いてしまった。

 彼は江戸時代の桐生一馬之介のデータをトレースすることによって、ようやく声を発し、物事を考えることができるのだ。

 遥は右手を伸ばし、桐生の左手を握った。幼い頃から何度もそうしてきたように、手をつなぐ。仮想空間であっても、彼の体温を感じた。久々に安心感に包まれる。思えば、彼とこうして手をつないだのはいつ以来だろうか。

 遠くの方から白い光がこちらへ向かってくるのが見える。

 これから江戸時代の遥の人生を追うのだ、と覚悟して眼を閉じる。

 遥の意識が再びブラックアウトする瞬間、右手を強く握られたような気がした。

 

 

 

「宮本武蔵を、殺してください」

 

 幼い少女から依頼の内容を聞いた桐生一馬之介は、目を見開いた。

 桐生の「金さえ払えば何でもやる」という台詞を聞いた少女は、意を決したようにそう依頼した。少女の目には憎しみの色が宿っている。

 少女から聞いた話では、彼女は家族を殺害され、下手人の脇差を奪い、その者の名を知ったようだ。

 「宮本武蔵」それが下手人の名だ。

 当てもなく彷徨(さまよ)っていたところを胸に大きな傷のある“おじさん”に助けられ、「桐生一馬之介を頼れば大丈夫」だと言われ、祇園を訪れた。

 

「いや、駄目だ」

 

 脇差を桐生に渡し、懇願する少女の依頼を彼は断った。

 理由の一つは「人殺しなんてするもんじゃない」ということ。

 二つ目は「払えるだけの金がない」ということ。

 もちろん、本当の理由は別にあるが、それを告げるわけにはいかない。何よりも、金がないと告げれば、それだけで少女は諦めると思っていた。

 ところが、少女は思いがけない行動をとる。

 たまたま通りがかった揚屋「鶴屋」の女将に己を売ったのだ。

 鶴屋の女将は彼女の頼みを快く受け入れ、連れて行った。

 龍屋から少し離れてから振り返った少女の瞳に、何が映っているのか、桐生にはわからなかった。

 しばらくして少女のことが心配になった桐生は鶴屋へ向かう。

 その裏口で鶴屋の掛回りをしている伊東と、祇園で唯一の太夫を務める吉野に出会った。

 彼らとの会話によって初めて少女の名前が「遥」であると桐生は知った。そして、遥は「お遥」という源氏名を与えられ、一両を与えられたらしい。

 再び龍屋へと戻り、夜になると祇園では禿(かむろ)であることを示す赤い着物に着替え、綺麗に汚れを落とされた遥が訪ねて来た。

 「お金を持ってきました」そう言って遥が桐生に差し出したのは、たったの一両であった。自身を一両で揚屋に売り、それをそのまま桐生に渡す。この少女は金の価値を知らない。

 渡された一両を見つめ、何も言わない桐生の様子に不安になったのか、遥は「足りませんか」と問う。金の問題ではない。人殺しとはお前の想像以上に重いものだ。自分の人生を棒に振るな。復讐しても死んでいった奴らは報われない。

 そう説得する桐生に、遥は険しい表情で叫んだ。そんなことは分かっている。でも許せない。

 桐生は話を打ち切り、遥に祇園を出るよう命令した。

 すると、彼女は言う。もうここしかない。私は一人ぼっちだ。

 その台詞を聞いた桐生は過去を想起する。彼がかつて愛した女「浮世(うきよ)」も同じことを言っていた。

 涙を流し、嗚咽を零す遥に、桐生は声をかける。本当に後悔しないのか。復讐をやり遂げてもお前はこの地に一生縛られることになるかもしれない。

 遥は涙を拭うと覚悟を決めて答える。

 

「はい!」

 

 彼女の意思の固さ、覚悟の程を理解し、桐生は答えた。

 

「この依頼、引き受けよう」

 

 涙声で礼を言い、深く頭を下げた遥は鶴屋へ帰ろうと踵を返す。

 

『澤村さん。 今よ』

 

 彼女を呼び止める声があった。この場にいない女性の声だ。

足を止めた遥を疑問に思ったのか、桐生は首を傾げる。もう話は終わったはずだ。いくら許可されているとは言え、遅くなると叱責される可能性がある。

 遥は振り返り、桐生を見る。眉根に皺を寄せ、先程とは打って変わって不安そうな表情をしている。

 

「おじさん……」

「おじさん?」

 

 突然「おじさん」と呼ばれ、桐生は面食らう。

 

「急にどうした? 早く帰らないと女将に――」

「おじさん!」

 

 少女の叫び声は悲壮感に満ちていた。桐生を呼ぶその声には、今朝初めて出会った相手だと思えない程の情愛が込められている。

 遥は飛びつくように桐生に抱きつくと、その胸元に顔を押し付けた。冷たい感触が腹へ流れる。

 

「おい、一体どうしたんだ? 後悔しているなら、俺が鶴屋の女将に言ってやるから」

「思い出して! おじさんが誰なのか、私が、誰なのか……」

 

 そう言って顔を上げた遥の顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。その顔に重なるように、誰かの顔が見える。

 昔、同じように自分の腹に抱きつき、「死なないで」と懇願した少女。どこの国のものか、白い服を着ており、自分と少女が立つ地面は黒く、固い。

 その少女の顔は目の前の遥と瓜二つだ。

 

「――やめろ!」

 

 頭の奥に痛みが走り、桐生は遥を突き放した。

 突き飛ばされた遥は土間に尻もちを付き、涙で頬を濡らしたまま桐生を見上げる。

 

「……なんなんだ」

 

 こめかみに手を当て、顔を(しか)めて桐生は呟いた。目の前で涙を流している少女を見ていると、胸に込み上げるものがある。罪悪感だ。

 少女を泣かせてしまったことがその理由ではないだろう。その程度で罪悪感を抱くような健全な人生を送ってはいない。

 ただ、遥を見ていると否応なく感じてしまう。大切な存在を自ら突き放してしまったような後悔だ。

 

『先に進めましょう』

 

 遥は立ち上がり、桐生に向かって深く頭を下げると、龍屋を飛び出て行った。

 

「あっ……」

 

 己の手が遥の背中を追って伸びているのに気づき、桐生の口から声が漏れた。それをそのまま力なく膝に降ろし、のろのろと立ち上がると、龍屋を出る。

 

「受けちまったか」

 

 横から声が聞こえた。

 

「大変だぞ」

 

 そこには、いつも通りの青い半纏を羽織り、腕を組んでいる伊東が龍屋の看板に背中を預けて立っていた。

 

「伊東さん、聞いてたのか?」

「ああ、全部聞かせてもらった。」

「そうか……。 なぜ遥は、あんなことを言ったんだか、わかるか? 俺はあいつと今朝初めて会ったんだ。 あいつは何を知っているんだ」

 

 憔悴(しょうすい)した様子の桐生が早口で捲し立てる。

 

「ちょ、ちょっと待て。 なんのことを言ってるんだ?」

「……え? いや、あいつが俺のことを『おじさん』って呼んだり、自分が誰なのか思い出せって」

 

 伊東は顎を撫で、首を傾げる。心底理解できない、と言った様子だ。

 

「お遥はそんなこと言ってねぇよ。 お前大丈夫か? お前、疲れてるんじゃねぇか?」

 

 気遣わしげな視線を向けてくる伊東に対し、桐生は表情を歪ませた。

 

「全部聞いてたんだろ? あいつがうちを出て行く前に言ってたじゃないか」

「あ? あの娘はお前が依頼を受けたすぐ後に礼を言って出てっただけじゃねぇか。 さっきお前が言ってたことなんて俺は聞いてないぞ」

「……どういうことだ?」

 

 遥があれだけ泣き叫んでいたのだ。すぐ外にいた伊東に聞こえなかったはずがない。伊東は桐生の肩を軽く叩き、励ますように言った。

 

「ま、依頼を引き受けたことには変わりねぇんだろ? とりあえず動くしかねぇな」

「あ、ああ」

 

戸惑っている桐生を安心させるように笑みを浮かべると、伊藤は後ろ手に手を振って去って行った。

 一人取り残された桐生は龍屋へ入ると畳に腰かけ、遥から受け取ったままの脇差を手に取り、思案する。

 彼女の言い分では、自分の正体を知っているはずだ。しかし、そうなると自分に依頼をしてきた意味がわからない。依頼を受けた時点でのあの問いかけは不自然であるし、「思い出せ」と言うことは桐生が自分の正体を忘れている、と遥が考えているように捉えられる。

 宮本武蔵の存在は罪だ。徳川家康の息子であり、豊臣秀吉に人質として送られた結城秀康を暗殺した。さらに、愛した人は宮本武蔵が傍にいたせいで賞金稼ぎに殺された。

 それ故、桐生一馬之介はここ、祇園で新たな人生を生きようと宮本武蔵の名を捨てたのだ。

 桐生が依頼を受けると決めたその時の遥に、嘘をついている様子はなかった。彼女の家族を襲撃した何者かが、自身が四年前まで持っていたこの脇差を所持していたのは間違いないだろう。

 どうにも気にかかる。突然、別人になったかのような彼女の姿と重なるように、桐生は彼女に良く似た別の少女の姿を幻視した。

 桐生は脇差を傍らに置くと、煙管に火を入れた。

 

「はぁ」

 

 ため息とともに煙を吐き出す。ともかく、今はこれ以上考えても答えなど出ないだろう。桐生は明日からの行動を思案しつつ、煙管を煙草盆に投げると、布団も敷かずに畳の上にごろりと横になった。

 

 

 

 遥は未だに流れ続ける涙を袖で拭いつつ、夜の祇園大路を歩いていた。

 

『澤村さん、大丈夫?』

 

 聞こえて来たのはモニタリングしている優子の声だ。

 

「……すいません、どうもこの娘の意識に引っ張られちゃってるのか、涙もろくなっちゃってるみたいで」

『いいのよ。 そのおかげで桐生さんに良い刺激を与えられているわ。 一瞬だけだけど、桐生さんの脳波が活発に動いたの。 大きな一歩よ』

「本当ですか!? ……良かったぁ。 私の、私たちのやってることは間違いじゃないんですね」

 

 立ち止まり、遥は笑顔を見せた。涙は既に止まっているが、目元は赤く腫れている。

 

『もちろんよ。 デズモンドの時とは違って、私たちは万全の準備を整えてから治療してるんだもの』

「あ、優子さんたちを信じてないわけじゃ――」

 

 鶴屋の裏口へ向かう路地を曲がった遥は、誰もいない路地で手を振って否定する。路地の先にある地蔵がその様子を見ているような気がして、恥ずかしそうに周囲を見回した。

 

『ふふふ、わかってるわ。 二日後、また遥ちゃんと桐生一馬之介が会話するわ。 さっきみたいに、彼の感情を揺さぶってあげて』

「わかりました。 アイドル時代は演技のレッスンも受けてたから、上手くできると思います」

『あら? 本当に演技だったのかしら。 澤村さんの脳波のデータでは――』

「調べなくていいですから!」

 

 そう言って遥は頬を抑えた。

 

 

 

 翌朝、桐生は伊東の助言を受け、河原町にいるという芸術家「本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)」という男を探していた。

 苦労して通行証を手に入れ、四条大橋へ出る。広い川幅にかかる大きな橋は、多くの人々が行き交っていた。普段、祇園から出入りすることのない桐生には、馴染のない光景だ。

 以前、旅の僧に導かれ、祇園へ訪れた際に譲られた武者服を着た桐生は、少し観光気分に浸りながら橋を渡っていた。

 ふと、何でもない日常の風景に似つかわしくない殺気を背後から感じた。

 咄嗟に刀を抜きつつ、背後に向けて振るう。

 甲高い音を立て、刀は止められた。

 

「お前は……」

 

 左手を顔の右横に上げ、捲れた袖の下に嵌めている籠手で刀を受け止めた者は、口の左端から耳にかけて蚯蚓腫れのある男だった。黒い着物の下に脚絆を着たその男の姿に、桐生は見覚えがあるが、思い出せない。

 籠手の先から隠し刀が出ているところを見ると、即座に攻撃を選択した桐生の判断は間違っていなかったようだ。

 

「なんのつもりだ?」

「死ね」

 

 問答無用、とばかりに男は桐生の刀を打ち払うと、豊かな懐に隠していた小太刀を抜き、逆袈裟に斬り上げてきた。桐生は左手で脇差を抜き、それを受ける。

 

「待て! なぜ俺を狙う!?」

「お前が畜生にも劣る(くず)だからだ」

 

 桐生の怒声のせいか剣を打ち合わせる音が響いたせいか、周囲の町民たちが異常に気づき、悲鳴が上がる。

 桐生は右手に持った剣を男の頭部目がけて横なぎに振るうと、男は上体を逸らし、そのままとんぼ返りすることによって回避した。

 男に言われた言葉の意味を考えるが、暗殺者のような男に狙われる理由など、一つしかない。彼は恐らく、自身が暗殺した結樹秀康に縁のある者だ。

 その実力と身のこなし、発言から桐生はそう推測した。

 

「ただの賞金稼ぎじゃあないようだな」

「お前の首なんて興味ねぇよ。 俺はただ、お前に死んでほしいだけだ」

 

 桐生は左手に持った脇差の切っ先を男に向け、右手に持った刀を頭上に掲げる。他に類を見ない二刀の構えだ。

 見慣れない構えだからか、男は片眉を上げ、訝しそうに桐生を見た。常人であれば刀の重さに振り回され、まともに戦うこともできずにその命を絶たれるであろう。

 

「二刀か……。 それには少し、興味があった」

「何?」

 

 桐生が二刀を実践で疲労した機会は少ない。それを見たことがあったのか、やはり自身の正体を知っており、二刀の噂話でも聞いたのか。

 男は小太刀を逆手に持ったまま、上段から袈裟切りに切りつけて来た。その踏み込みは驚くほどに速く、距離を瞬く間に詰められる。

 桐生は二刀を交差させ、その交点で小太刀を受ける。予想した通り、それは軽量の武器だとは思えない程強力な一撃であった。

 

「事情を聞かせろ。 誰の仇討(あだう)ちなのか知らせずに憎い敵を討って満足できるのか?」

 

 男は答えず、左手の籠手に仕込んだ隠し刀で桐生の腹を突こうとした。桐生は力を込めて小太刀を跳ね上げると、右手の刀で隠し刀を払う。同時に左手の脇差を振るうが、それは小太刀に受け止められた。再び近距離で睨み合う。

 そこで桐生ははっきりと男の目を見た。その瞳に宿るのは憎しみではなく、怒りだ。

 

「……お前、衝動的に俺を殺そうとしているのか?」

 

 男は片眉をピクリと上げ、その口端を不機嫌そうに下げた。鍔迫り合いになっている刀に、力がこもる。

 つい最近の出来事で、何者かの怒りを受けるようなことを考える。ここに至るまでの間に、様々な暴漢に絡まれてきた。だが、その男たちとこの男ではあまりにも実力に差があり、戦法も全く違う。

 無様に負けたことへの仕返しであるとは考えにくい。

 となると、思い当たることが一つある。

 

「……遥のことか?」

「殺す」

 

 脇差にかかる重圧が消えたかと思うと、腹部に強烈な痛みが走った。男が蹴りを放ったのだ。

 

「ぐぅっ!」

 

 数歩後退りし、片膝を着いた桐生の目に隠し刀を仕込んだ左腕を振り上げ、躍りかかる男の姿が映った。

 殺られる、そう思った瞬間、ぴりぴりぴり、という御用聞きが鳴らす警笛の音が辺りに響いた。

 桐生の喉元で刃を止めた男は舌打ちをすると、背後を振り返った。洛外の方から橋に向かって十手を振りかざした男たちが駆け寄ってくる。男は懐から丸い球を取り出すと、地面に投げつけた。

 瞬く間に周囲に白煙が広がり、男と桐生の姿を覆い隠す。

 

「死にたくなければ、守りたければ強くなれ。 お前を殺したい奴は腐るほどいる」

 

 桐生が何かを言い返す前に、男の気配が消えた。薄らと晴れて来た煙の向こうには、御用聞きの姿が見える。桐生は踵を返すと、人込みを掻き分け、河原町へ向かって四条大橋を駆けた。

 

 

 

 御用聞きから逃れ、やっとの思いで当初の目的である本阿弥光悦の屋敷へ辿り着いた。芸術家である光悦の点てた茶を飲み、桐生の「人を捜している」という事情を聴いた彼は、茶室の地下に案内した。

 そこには、大勢の忍装束の男たちが頭を下げて控えていた。

 そこで光悦は、己の裏の稼業が「情報屋」であると告白した。それを知っていた伊東が桐生に光悦を訪ねるよう言ったのだ。

 宮本武蔵の居場所の情報が欲しい桐生に、光悦は仕事の依頼をした。「宍戸梅軒」に盗まれた収集品を取り返せ、と言う。

 すぐに宍戸が潜んでいるという、林道の先の洞窟へ向かった桐生は、そこで思わぬ再開を果たした。

 宍戸梅軒の正体はかつて共に戦った真島五六八であったのだ。しかし、彼は盗賊になる以前の記憶を無くしており、桐生の正体が宮本武蔵であることには気づかなかった。

 辛くも宍戸を倒した桐生は祇園で再び会うことを約束し、取り返した収集品を光悦の元へ届けた。

 早速、宮本武蔵についての情報を求めるが、光悦の持つ情報に「次々と道場破りを繰り返す宮本武蔵」の居場所はなかった。しかし、彼は本物の宮本武蔵の正体が、目の前にいる桐生一馬之介である、と看破していた。そもそも、宮本武蔵の手配書の人相書きを描いたのは光悦であったのだ。それ故、宮本武蔵が宮本武蔵を捜している、ということを不思議に思っていた。

 光悦は桐生から事情を聞くと、偽物の宮本武蔵が次に現れそうな場所を話した。「吉岡道場」。吉岡清十郎が師範を務め、代々足利将軍家の剣術指南役を務めてきた名門道場だ。

 翌日にでも吉岡道場へ向かうことを決めると、桐生は更に情報を求めた。

 

「あと一つ聞きたい」

「まぁ、普通なら別の依頼をするが、今日は気分が良い。 言ってみろ」

「感謝する。 聞きたいのは、ある男についてだ」

「どんな奴だ?」

「主に使う得物は小太刀だ。 さらに、左手の籠手に隠し刀を仕込んでいた。 その戦い方は、剣術家というよりも、暗殺に偏っている」

 

 桐生は昼間に戦った男の情報を語りつつ、無意識に蹴られた腹を撫でた。既に痛みを感じることはないが、思い出すと胃が疼く。

 

「忍か?」

「昼間の道中だから忍装束じゃなかったが、恐らく」

「なるほど。 ……一つだけ、心当たりがある」

 

 前のめりになった桐生を押し返すように手をかざすと、光悦は話し出した。

 

「下の忍を憶えているな?」

「ああ」

「あいつらは主に甲賀の忍びで構成されている。 その中に、お前が話したような戦い方をする者はいない」

「つまり、昼間に俺を襲撃した男はあんたの手の者じゃない、と」

「ふふふ、当たり前だ。 俺にお前を狙うような理由はない」

 

 おかしそうに笑う光悦を見て、桐生はそれが真実だと判断した。

 

「忍の里で大きな力を持つ里は、二つある。 俺が使っている甲賀と、伊賀の者だ」

「あいつは、伊賀の忍だと言うことか」

「そうだ。 お前の話じゃ推測しかできないが、隠し刀を使うのは伊賀者だけだ。 うちの忍にも使わせようと作ってみたが、粗悪品にしかならなかった。 刃が上手く出なかったり、少し使っただけで折れたりな」

 

 昼間の男との戦闘を思い出す。桐生は一度、刀で男の隠し刀を弾いたが、折れるどころか、曲がった様子もなかった。

 

「なるほど。 なら、奴は伊賀者で決まりか。 なぜ、俺を狙ったのかは分かるか?」

「伊賀者は関ヶ原の戦では徳川率いる東軍についた。 結樹秀康の仇討ちだと見て間違いないんじゃないか?」

「いや、どうもそれだけじゃないようだ。 断言はできないが、俺に偽物の宮本武蔵の仇討ちを依頼した少女に関係があると思う」

「その少女の名は?」

「遥」

 

 光悦はしばし腕を組んで考えるが、(かぶり)を振った。

 

「悪いが、心当たりがねぇ。 そっちについても調べてみるか?」

「……いや、今はいい。 これ以上あんたに借りを作るのも怖いしな」

「ははは、儲け損ねたぜ」

 

 楽しそうに笑う光悦を見て、桐生も笑みを浮かべた。しかし、その笑みはすぐに消える。

 

「それに、奴とはまた会うことになると思う」

 

 桐生は己の掌を見る。去り際に言われた男の台詞を思い出した。強くなれ。それを確かめるために、彼はまた桐生の前に現れるだろう。昼間の戦いでは手も足も出なかったが、次に会う時は奴の鼻を明かしてやろう。

 そう決意を込め、拳を握った。

 

 

 

 祇園に戻った桐生は龍屋にて、伊東に今後の行動の報告をしていた。

 明日、吉岡道場に入門し、直接果たし状を送りつけたという「宮本武蔵」の情報を得るつもりだと話す桐生に、伊東は吉岡道場についての情報を伝えた。

 入門するのに剣士としての格が必要だ、と話し、それを潜り抜けるために「祇園藤次(ぎおん とうじ)」に賄賂(わいろ)を渡すことを提案する。

 彼は鶴屋に足繁く通っているらしく、伊東は今夜、鶴屋に来るよう桐生に伝え、龍屋を後にした。

 桐生はすぐに賄賂となる二両を集め、鶴屋の裏口へ向かった。

 そこで見たのは、新造(しんぞう)である女二人が禿である遥をいびり、それを太夫である吉野が叱責している場面であった。

 吉野は遥にお座敷に戻るよう、声をかけると鶴屋へ入って行った。

 その直後に出て来たのは、いかにも遊び人風の男であった。一般客が裏口に出てくるとは考えにくい。恐らく、この男が祇園藤次であろう。

 藤次は泣いている遥に声をかけると、甘言を用いて彼女を籠絡しようとしていた。しかし、桐生に声をかけられ、遥は鶴屋に戻ってしまう。

 桐生は賄賂を渡し、吉岡道場への橋渡しを頼む。

 賄賂を受け取り鶴屋へ戻って行った藤次を見送った桐生は、視線を鶴屋の屋根の上に向けた。

 

「……」

 

 そこには、鬼気迫る形相で桐生を睨みつける、口の端から左耳にかけて傷跡がある男が満月を背にして立っていた。あの場面で藤次に声をかけなければ、奴は恐らく彼を殺すつもりであったのだろう。左手の籠手から隠し刀が飛び出たままになっている。

 男は何も言わず、背を向けてその場を離れて行った。

 桐生の目に、鶴屋から漏れる明かりに照らされ、男の背に描かれている鷹が浮かび上がっているように見えた。

 それがまた桐生の記憶を刺激する。確かに、あの男には会ったことがある。間違いなく、ここ、祇園でだ。

 そして、奴が遥と関わりがあるのもはっきりした。

 藤次と取引する必要があったため、遥と話すことはできなかったが、彼女の様子も気になる。昨夜のように狂乱した様子は微塵(みじん)も見られなかったが、揚屋で禿として働くのは辛かったのであろう。泣いていた。

 あの様子を見るに、遥があの男の存在を知っているとは思えない。そもそも、知っていれば桐生ではなく、奴に仇討ちを依頼すればいいのだ。

 考えることはたくさんある。

 ひとまず、桐生は明日の吉岡道場の入門試験と、自身の剣術の向上に意識を集中し、鶴屋を後にした。


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