―――一緒にいたいから
よくわからない一般人は誤魔化すように言った。
窓のカーテンの隙間から漏れた朝日が暗い室内を明るく照らす。朝が苦手な私にとって、それは清々しいものとは決して言えず、むしろ嫌悪を抱きながら体に掛かっていたシーツを剥ぐ。寝ぼけた頭を振り払いながらベットから身を起こした。長く伸ばした黒髪が美しく扇情的に宙に舞う。
私こと黒歌は猫又である。簡単にいえば猫の妖怪で、人間に忌み嫌われる化け物。それは遠い昔から現代にいたるまで変わらない理。
猫耳が可愛いだのなんだの言う輩が最近増えているらしいが、そいつらだって自分の命が危ないと知ったら途端に手の平を返す。だがそれは当然のことであると同時に、正しいことでもある。
―――だというのに。
「・・・なんだってあいつは、あんなこと・・・」
部屋から出てまだ見慣れぬ視点からの階段を降りながら、昨日の出来事を振り返り、悪態とも憎まれ口ともつかない独り言を呟いた。
下の階からはトーストの焼ける香ばしい匂いが漂ってきている。まともな朝食の匂いは、朝から食欲をダイレクトに直撃し、お腹に正直な声を上げさせた。
その声にため息を吐く。
「これからせっかくのまともな朝食だというのに、気分を自分から害して台無しにしてどうするにゃ。おいしいものは味わって食べるのが一番。それに昨日はヴァーリたちがアーサーに報告に帰る前に晩御飯を馳走になったいったから、晩御飯だってまともに食べれなかったにゃ。それにこの格好でソファーに寝たか、ら・・・・・・ん?」
口に出した言葉の節に違和感を感じる。だがまだ寝ぼけているのかどこがおかしいのかわからない。とりあえず歩きながら考えをまとめていく。
「えっと、朝食はあってるにゃ・・・。お腹が減っているのも、昨日ヴァーリたちが帰ったのも、いつもより晩御飯が少なかったのも、すぐソファーで寝ちゃったのも・・・・・・ぁっ!」
そう、私はソファーで寝ていたはずだ。決してふかふかのベットで寝ていたわけではない。なら何故私はこの家にたった一つしかないベットで横になっていたのか。
その理由にたどり着いた時、私はすでにキッチンの扉を開けていた。
スクランブルエッグを焼いていたこの家の主人、東雲誠は扉の音で気付いたのか、こちらを振り返り驚いたような顔をした後、そうだったと呟き優しく笑った。
「おはよう、黒歌」
その言葉に私はうまく言葉が出せなかった。誠の昨日のセリフが脳内で再生され、頭が一瞬でフリーズしたせいだ。いや、満足そうに誠は頷き料理に戻ったので返事は出来ていたのかもしれない。そういうことにしておくとしよう・・・。
これ以上の思考は藪蛇にゃ・・・。そう思って黙って四人がけのテーブルに座り待つことにした。
顔が少し熱いのは気のせいだと自分に言い聞かせながら。
「・・・黒歌ってさ、もしかして和食派?」
それからしばらくして誠は唐突に話を振ってきた。先程に比べ、だいぶ落ち着いていたので混乱することはなかった。
「別にこだわりはにゃいにゃ。強いて言えば和食が好きだけど、基本美味しければにゃんでもいいにゃ」
「そっか。よかったよ。食パンが余ってたから今日は洋食で行こうと思ってたからさ」
そういうと誠は、皿にスクランブルエッグとバターを塗ったトースト、刻んだレタスを盛り付けた。完成度がお店で見る朝食セットのようだ。
相変わらず器用な奴だにゃ・・・。心の中で称賛した。・・・あくまで心の中だけ。
「でもなんでそう思ったにゃん?」
「黒歌と最初に会った時にあげた羊羹、気に入ってただろう。だからかな。それにその着物もかなりいい品だし。抱えたときの手触りがすごく気持ち良かった」
最初の頃に羊羹を渡したにゃんてよく覚えてたにゃ。そんな前のことは忘れちゃったにゃ。
・・・・ところでまた会話に違和感を感じたが無視する。自ら穴に飛ぶこむ事なんてもうしないと決めたのだ。
「まぁ、そんなことは置いておこう。食べようか」
目の前に綺麗に盛り付けられた皿が置かれる。誠が向かいの席に座り、両の手を合わせ「いただきます」といった。
その様子につられたのか、普段なら何も言わずにかぶりつくはずなのに私は同じ言葉を呟いてしまった。
それからしばらく無言の時間が続く。どうやら誠はあまり食事中に喋るタイプではないらしい。だがそれが苦にならないのは、誠の持つ独特の雰囲気のせいなのだろうか。相変わらず素晴らしく美味しい料理に夢中になりつつ頭の端でそう考えた。
食事が終わると誠は何も言わず二人分の皿を片付ける。なんとなく肩身の狭い気分だった。
先程までと違い手持ち無沙汰なこともあり、私は誠に話しかけた。
「・・・学校・・・」
「ん?何か言った黒歌?」
「・・・学校。行かなくてもいいのかにゃ?」
さっき気づいたことだが、いつも誠が登校する時間を大幅に過ぎていた。真面目、といったタイプでもないが誠は理由もなくサボるようなタイプにも見えない。少し気になっていたことだ。
「別にいいよ。午後からは行くし、午前中に聞いておきたいことがあったからね」
聞いておきたいこと。当然といえば当然だ。昨日の説明だけで納得できるはずもない。
「ところで黒歌は珈琲淹れるけど飲むかい?」
「私は苦いの苦手にゃ。甘い方が好き」
「そうか・・・。ならカフェオレにするかな」
誠はインスタントコーヒーをコップに一匙入れ、その倍以上の砂糖を入れた。そしてそこにお湯ではなく先程温めた牛乳を注ぐ。コップ半分ほど入れたら、冷えた牛乳をを入れ少し冷ます。
・・・どうやら言わなくても私が猫舌なのはわかっているようだ。
「はい、出来た。口に合うといいんだけど」
そう言って私の目の前にコップが置かれる。小さな声でお礼を言い舐めるように、コップを両手で持ち少しだけ舌につけるように舐める。
「・・・美味しい」
コーヒーの苦みが一切ない。本当にカフェオレの味がした。体が暖かくなる優しい味だ。
もう一度美味しいと言おうと顔を上げると、そこには必死に笑いをこらえるような顔をした誠の顔があった。
「・・・もしかして顔についたかにゃ?」
恥ずかしさのあまり少しだけ顔が赤くなる。だが誠は首を横に振った。
「いや、その姿でも猫みたいな仕草なんだなって、思うとついね」
「失礼にゃ!私はこっちが本当の姿!猫の姿は魔力と仙術での偽りにゃ!」
「そうなの?てっきり猫又っていうから猫が長生きした末になったのかと・・・って、ごめんごめん!歳に見えたわけじゃないから!あくまでそういう伝承を思い浮かべたただけだから!だからその殺気納めて!」
なにか人間がほざいているようだったので軽く脅してやる。ふん。こんな美人を年増扱いするなんて女性の扱いがにゃってにゃいにゃ。
「そうか。あっちの姿が偽物でこっちの姿が本当なのか。それにしても姿が変えられるって便利だね」
感心したように呟く誠。
だが別に姿を変えるようなことは、私のいる世界では珍しいことでもない。何気ない発言の一つ一つに、改めて住む世界の違いを認識させた。
何故か唐突に心に沸いた苦い感情を、甘いカフェオレで流し込んだ。
そこに突然、思い出したように誠が声を上げた。
「なぁ、黒歌。お前のその、にゃって言うのはわざとなのか?」
・・・・お前の方こそ本当にわざとじゃないのかにゃ?先程の年齢の話といい、今の発言といい、デリカシーってものがにゃいのかにゃ?
そんな怒り通り越して呆れに近い声を何とか飲み込み、私は答えた。
「わざとじゃにゃいにゃ。私は子供の頃から逃げるためによく猫の姿をしていたせいか、気づいたらこんな風な喋り方にゃ。にゃ、の方が言いやすくなちゃって、今じゃ外せなくなったにゃ。外す気もないけど」
「ふむ・・・。ならさ、今から言うことを復唱してくれない?」
「?・・・別にいいけど」
わざわざ復唱さるようなことがあるのだろうか。
誠は心なしか真面目な顔つきだ。
「じゃぁ、いくよ。・・・斜め七十七度の並びで泣く泣く嘶くナナハン七台難なく並べて長眺め」
「にゃにゃめにゃにゃじゅうにゃにゃどのにゃらびでにゃくにゃくいにゃにゃくにゃにゃはんにゃにゃだいにゃんにゃくにゃらべてにゃがにゃがめ」
・・・本当にこの男は何がしたいんだろう。
誠の面白いものを見たとばかりに生き生きした顔が無性にむかついた。
「いやー、あれだ。とある出会い頭に小学生の胸を揉む高校生男子の気持ちがよく分かったよ」
「今のやり取りで何を理解したのにゃ・・・」
「萌えじゃない?」
「・・・・・・・・・・・」
聞きたいことがあるといって真面目な顔つきをしたと思ったらこれだ。呆れてものも言えないという言葉を身をもって体感した。
なんでこんな男に同情したのかと自分に問いかけても答えは出なかった。
軽蔑と非難のまなざしを込めて睨むが、誠は面白そうに笑うだけ。一回本気で痛い目にあわせた方がいいのかにゃー、などと物騒なことが頭をよぎった時だった。
「黒歌はここに住むのか?」
絶妙なタイミングでの話題変換。怒るタイミングを逃してしまった。
「・・・多分、そうなるにゃ。ヴァーリたちはそれを報告に行ったんだろうし」
「じゃあ、帰ってきたらヴァーリたちもここに住むのか?余ってる部屋はあるし構わないが」
「っ・・・!」
そうだ。そう考えるのは普通だ。アジトとして使うのであれば、当然ヴァーリたちも使うということで。そうなればここに住むのは必然で。そんな真っ先に思い浮かぶはずのことなのに、何故か私の頭の中には誠との二人のことしか頭になかった。
そしてその問いを、決して悪くないと思っている自分がいた。
「・・・誠はどうするにゃ?もしヴァーリたちもここに住むって言ったら」
明確な返事が返せなかった私は、逃げるように聞き返した。
誠は少し悩むような仕草を見せ、やがて困ったような顔でゆっくりと口を開いた。
「家が賑やかになるのは歓迎なんだけど、流石に急に来られると困るな。掃除とか使ってない部屋までしてないし、布団もない。それが準備出来たら別に構わない」
「そう・・・」
なぜだかわからない。ただ先程と同じ、苦い感情が蘇る。流し込もうにも手元のコップの中にはもうカフェオレはない。
私はそのあとに続けるべき言葉を持ち合わせてはいなかった。
「でも準備できても当分は勘弁願いたいな。面白そうだけど」
だがその悩みは誠の一言で吹き飛んだ。
「えっ!なんで!?」
思わず聞き返す。理由を聞きたかったわけではない。ただ、この男なら私の答えに限りなく正解に近い答えを出してくれると、そんな期待をしたからだ。
誠は困ったように頭をかく。
「いや・・・そんなに食いつかれても困るんだが。別にこれといった理由はないし」
「・・・は?」
だがそんな期待は簡単に崩れ去った。返ってきた返事に間抜けな声が出してしまう。
「理由がないって、どういう意味にゃ!」
自分もわからないくせに、何故か逆ギレ。言いようのない黒々しい感情だけが胸の中で渦巻いた。
理由がない。ただその一言だけが許せなかった。今まで誠に感じてきたことのすべてが否定されたようで、同じ気持ちを理解していたことを否定されたようで。許せなかった。
それが自分の勝手な我儘だと気づきながら、自分の感情を止めることはできなかった。
でも、だからなのかもしれない。自分でもわからない感情だから――――
「・・・でも多分、黒歌も同じだと思う」
――――だからこそ、戸惑うように言った誠の答えはストンと、胸の真ん中に吸い込まれた。
「そっか・・・。そうだったにゃ・・・」
私と同じ。最初からわかっていたことだ。
だって、私たちは同じ傷をもっていって、互いに互いを嫌悪して、憐れんで、同情して、一緒になった。
一緒になったことに理由はない。否、理由なんてつけられない。
だって私たちは一緒になるべくして出会い、そこには言葉にできない何かがあり、そしてそれは他人の入る隙間もないくらいかちりと嵌った。
それだけの話。
笑い声が聞こえた。それが自分の物であることに気づき、さらに笑った。
「にゃははは!ごめん、これに関しては私が悪かったにゃ」
笑いながら謝っても、誠実のかけらもないことは分かっているが、止められない。見れば誠もおかしそうに笑っていた。
誠は再度質問する。
「じゃあ、どうする?ヴァーリたちが来たら一緒に住むか?」
「うーん、しばらくは二人っきりの生活と行こうかにゃ。その方が・・・面白いにゃ!」
その質問に、今度は明確で曖昧な答えをもっていつかの誠と同じセリフを言いながら、誠の腕に抱き付いた。
私の答えに誠も笑いながら答える。
「奇遇だな。・・・俺もそう思ってたよ」
知ってるにゃ。心の中でそう呟く。
「では、これから一緒に住む事にゃるんだし、改めて自己紹介しとこうかにゃ」
至近距離から見上げた誠の顔に心臓を高鳴らせながら、大胆に体を寄せにやりと笑って宣言した。
「私の名前は黒歌。猫又の中でも最上種の猫稍と呼ばれる元妖怪の転生悪魔にゃ」
「俺の名前は東雲誠。何の変哲もない人類人科の人間だ」
同じように笑って返事を返す誠。だが何を思ったのか、ふと真顔に戻ると首を傾げた。
「なぁ、俺たちってどんな関係に当てはまるんだろう?」
「さあ?少なくとも家族ではにゃいにゃ。私の家族は白音だけ」
「同感だな。俺の家族も両親と妹だけだ。でもそうなるとややこしいな。友人ってわけでもないし、恋人でもない」
「そう?ぴったりなのがあると思うけど?」
そうなのか、と聞き返すようにこちらを振り向いた誠は、私の表情から考えを読み取ったらしく、再び口元を歪ませた。
そして私たちは言う。
「「よろしく、同類」」
私の物語は、新たな転機の訪れとともに紡がれる。