時はその使い方によって、金にも鉛にもなる。
これは小説家アントワーヌ・フランソワ・プレブォーの高名と名高い文学小説、マノン・レスコーの一説だ。時間は誰にでも平等でだが、その時間の価値は人によって違う。つまらないことに使えばそれだけ価値は落ち、大切に使えば価値は上がる。だが、多くの人はそんな簡単なことを忘れ、怠惰を受け入れ行動をあきらめ、信念を捨ててしまう。
それは多分、この世で一番疎まれるべき行動なんだと思う。
この世に生れ落ちてから死ぬまでの時間を自分の思うように生きるのは、すべての生ける者に与えられた最大の権利であり義務なのだから。
というわけで、今俺は屋上に黒猫をモフりに向かっていた。
時間の価値?猫と戯れること以上に価値あることなんてこの世にあるの?
屋上に向かう俺の片手には自分の弁当が、そしてもう片方には猫用弁当がある。以前は猫に何を食べさせていいのかわからなかったため、適当に自分の弁当を分けてしまったが、実は猫に人間の食べ物を与えてはいけないらしい。特に味の濃ゆいものや甘いものを与えると病気になりやすくなる、とインターネットに載っていた。
それを読んだときは、本当に焦ったな・・・。だって与えちゃったし。甘いものっつうか砂糖の塊の菓子も与えちゃったし。もう後の祭りではあったんだけど、そのときの俺は後悔の念で押しつぶされそうだった・・・。
まぁ、あれからしばらくしたが黒猫にこれといった症状は見えないから大丈夫そうではあるけど。弁当も薄味にし、作る菓子もゼリーに変えて砂糖を入れずに果汁でつくった。・・・それを食べる黒猫は若干不服そうに見えたが。作ってもらう側が文句言うもんじゃない。
先日の黒猫の微妙なな反応を思い出し、苦笑する。
そして、いつの間にか着いていた屋上のドアを開けた。
—―———血まみれの状態で横たわった黒猫が、そこにいた。
「・・・!?」
突然の光景に一瞬頭が真っ白になる。
だが、血の出所が黒猫の方だと気づき、急いで駆け寄り優しく抱き起す。
「ニャ・・・、ニャー・・・」
抱かれたことで目を覚ましたのか、黒猫は小さく鳴いたが声は掠れてよく聞こえない。だが、だみ声になってないということは、何度も声をあげていたわけではなく、身体的疲労からきているのだろう。一方的にやられていたら最後まで叫んで喉が潰れるが、その可能性は低そうで安心する。
しかし、毛についた血をハンカチで拭きながら見た傷の具合が異常さに再度不安が膨れ上がった。
毛が焼け体に少しの火傷。刃物で切ったように綺麗な裂傷、打撲による無数の痣。一つ一つの傷は浅く血の色も暗赤色なので静脈性出血、しかし如何せん数が多く出血が多い。ハンカチだけでは止血は無理だ。
急いで着ていたYシャツを脱ぎ、破いて包帯代わりにする。
「ニャー・・・」
「・・・もう大丈夫だからな」
ほとんどの傷の応急処置が終わると、心なしか黒猫の呼吸も落ち着いてきたように見える。傷についてはひとまず落ち着いた。
だが、問題はまだ残っている。
この黒猫をどうするかだ。先生に報告は論外。学校で人的な傷だらけの猫が見つかったなんてなったら大問題だ。残る選択肢は二つ。
動物保護団体に預けるか、自分の家に匿うか。
勿論、どちらがいいか聞かれれば断然動物愛護団体に預ける方だ。個人ではできることに限りがある。知識に関しては今まで読んできた膨大な量の本から得ているが、それでもやはり経験があるのとないのでは差も出てくる。
やっぱり、専門家に預けるべきか・・・。
そこまで考えていると、手に暖かいものが乗った。黒猫の頭だった。こすりつけるように押し付けられたぬくもりは、血を失って少し冷たくなっているのにもかかわらず、温かった。
その温もりに、少しだけ両親を思い出した。
怪我したとき優しく撫でてくれた両親を、思い出した。
「・・・家に、連れてくか・・・」
もう、預けるなんて選択肢はなかった。家族を失った時の自分と、何故かこの黒猫とが重なった。そうなったら、見捨てることなんて出来やしない。
最初からなんとなく気づいていたことだった。この黒猫を気に入ったのはただ猫好きというだけじゃなくて、屋上から何かを見るこいつの雰囲気があまりにも俺に似ていたからだって。両親を亡くして独りになった頃の俺に似ていたからだって。
しかしそうなると、午後の授業はさぼりだな。まぁ、結構さぼることは多いから先生も気にするまいが誰かに伝言でも頼んどくか。
「ちょっと待ってな、すぐに帰ってくるからな」
そう言って最後に優しく頭を撫で、屋上から飛び出した。背後から寂しげな猫の声が聞こえた。
しかし勢いよく飛び出したはいいが、廊下は誰もいない。もうすぐ授業の時間だ、当然いえば当然だ。3年は受験生なわけだし。この時間で廊下にでているのはさぼろうとしている奴か、あるいは・・・
「あら、東雲君。またさぼりですか?」
・・・あるいはお忙しい生徒会長様くらいだろう。
実にグッドタイミングである。面倒事の押し付け、もとい伝言を頼むには最適な相手だ。
その名も支取蒼那。俺と同じ最上級生で、学園で3番目に人気のある美少女でもある。
1年の頃、一人チェスをしていたところで勝負を挑まれ返り討ちにしてやったところ、相当悔しかったらしく、以来頻繁に勝負するので旧知の仲だ。
別にさぼるわけではないのだが、黒猫のことを言うわけにもいかないのでここは話に乗っかっておこう。
「まぁ、そんなとこだ。それよりグレモリーに伝言を頼みたいんだがいいか?」
「・・・いいですがその前に質問させて貰っていいですか?」
「?いいけど」
もともと厳しい目をさらに厳しくし、睨み付けるように見てくる。急いでいるので質問を早くして欲しいのだが、なぜか支取は少し言うのを躊躇うような仕草を見せた。もしかして黒猫の血かなんかがついているのだろうか?思わず体がこわばる。
支取がゆっくりと口を開く。
「なぜ・・・、半裸なんですか?」
・・・あっ。
そういえば俺ワイシャツ脱ぎ捨てて上半身裸だった・・・。しかし理由を正直に話すわけにもいかず、適当にごまかすことにした。
「えっと、ワイシャツを脱ぎたい気分だったんだ」
「もしもし、警察ですか?」
「いきなり警察沙汰にするなよ…」
こっちはそれを避けるために行動しているというのに。
「むしろ通報しない方が不思議ですが?」
ごもっとも。
「これには深いわけがあるんだよ。それより急いでるんだ。グレモリーに俺がもう帰るから鞄をロッカーに入れておいてくれと伝えてほしい」
「自分から半裸になる人間の帰宅を手伝えと?あなたが帰る場所は鉄格子付の一畳間であるべかと」
・・・牢屋すか。
支取の俺を見る目が完璧にごみを見る目をしていた。
「はぁ、あなたのこと、少なからず尊敬していたのに残念です」
ごめんね、尊敬を踏みにじって。後で弁明はするので許してほしい。
人の信頼を取り戻すには難しいが崩れるのはたやすい。身をもって実感したよ。
だが、急いでいるのは本当だ。できれば使いたくなかったが、最後の手段を使うことにした。
「俺を見逃して、尚且つグレモリーに伝言してくれなければ明日から支取のこと、ソーナたんって呼ぶぞ」
「リアスへの伝言必ず届けます。気をつけてお帰りください」
・・・そんなにソーナたんって呼ばれるの嫌なの?
なんでも身内を思い出すのでやめてほしいらしい。何者だよその人。
「それじゃ、頼んだよ」
そう言い残し、支取に別れを告げた。
最後は弱みにつけ込む形になってしまったが、後日生徒会には詫びの菓子でも持参していくとしよう。
俺はその場を後にし、再度屋上に急いだ。
(しかし、途中までのシリアスな空気はどこ行ったんだか・・・)
そんなしょうもないことを考えながら。