――――
「クラスにプリント配っておいて、って言ったでしょ!?」
俺たちの目の前で、上級生の女子生徒が憤る。
空き教室の中に響く、甲高い声。
正直ちょっと、というかそれ以上にビビった。
まさかこんな風に、年の近い生徒に怒鳴られることなんて想像もしてなかったから。
チラッと隣を窺う。
一緒にいるのは、この前の席替えで隣になった転校生だった。
ビクビクと怯えている様子が、よく分かる。
――でも。
「もう、まったく。いつもこうやって、下級生がしっかりしないから……」
どうやら、目の前の先輩の独演会でも始まったらしい。
あーだこーだと言う先輩は、後で思い返せばどこか滑稽にも見えるくらい、支離滅裂だった。
とはいえ、その端々から俺たちへの敵意があからさまに感じられた。
「特に、男子が酷いわね」
いきなり俺一人だけに矛先が向いたから、それにはちょっと驚いた。
よくわからないけど、自分の下級生の男子は、例年ダメだったと。
彼女が二年生の頃も、今の三年生の頃も。
それのどこが例年なんだ、と思いながら、俺はヒステリックにも見える彼女の「お説教」を聞いていた。
といっても、大して気にはならない。
元々真面目とはそんなに親和性が高くない性格だったため、聞き流すことは得意だ。
というわけで神妙な顔をしながら、聞き流し続けていた――
「……い、一条くんは、悪くない、です」
――ら、隣からか細い声がした。
か細いながらも、聞き取りやすい声。
その持ち主は……
「わ、私たちの先生が――つ、都合悪いらしくて。そ、それに、そもそも期限は――」
噛み噛みになりながらも、隣の転校生――久世橋、朱里さんは、一生懸命に彼女に訴える。
私たちは悪くない、と。
そもそも、まだプリントを配らなくてもいい時期だ、と。
私たちの先生はそうだったけど、他のクラスは――
「……あ、あなた、ねぇ」
しどろもどろになりながら必死に伝えようとする久世橋さんに、上級生はお冠のようだった。
さっきから不機嫌そうだった顔色が引きつっているようにすら見える。
それを見て、久世橋さんもビクッとしていた――
(……ああ)
ダメだ。
これ以上、この恥ずかしがり屋の転校生を困らせるわけには……。
そろそろ、俺がきっちりと――なんて思っていると、
「まあまあ。いいんじゃない、委員長?」
教室の扉がガラッと開いた。
ハッとする俺たちの視線の先には――
「その子たちを、あまり責めないであげて?
連絡事項で不手際があったとしたら、それはその子たちを指導する私のミスだから……」
でしょ? っと、同い年の実行委員長に微笑みかけるのは、俺たちの先輩だった。
茶色の髪を三つ編みにして、おっとりとした表情が誰よりも似合っていて――
「……ね? 二人とも、もう大丈夫よ?」
先輩は、俺たちにニコッと笑いかけてきた。
何の衒いもない、純粋に優しい笑顔。
それを見た時の安心感を、俺は未だに忘れられない。
「……あ」
きっと隣の彼女も同じだっただろう。
少し見れば、何やら目が潤んでいた。
俺は、彼女が泣きそうになっているらしいということよりも――
(久世橋さん……凄く優しそうな顔)
久世橋さんが先輩――烏丸さくら先輩に向けている表情の方が目に焼き付いている。
――――
「……」
教壇の端から、俺は諸連絡事項を伝える久世橋先生を眺めていた。
中央で教卓に向かって生徒たちに真面目な表情を向け続ける先生。
俺はまだ副担任として二日目にも関わらず、「いつも通り」と思わせる風格すら漂わせている。
(――ん?)
ふと、視線を感じた。
送り主は、どうやら教卓から左に少し行った列だ。
視線を向けてみれば、そこの列の金髪と黒髪の生徒がこっちを見ていた。
まだ二日目、ということで、俺は顔と名前を一致させるのが手一杯だった。
それにも関わらず、その二人(と、その後ろにいるツインテール女子)は、何だかんだで強く印象に残る生徒だ。
……まあ、初日といい今朝の通学路でのことといい、接する機会が多いということがあるんだけど。
(――参ったな)
軽く溜息をついてしまう。
まあ、九条さんは分かりやすすぎる位にニヤけ顔を向けてきてるからともかく。
えっと――大宮さん、か――は、さっき俺と久世橋先生とのやり取りを見ている。
だから悪気もない顔で微笑まれても、何かしら裏があるのではないかと勘ぐってしまうわけで……。
小路さんに関しては、その二人に比べると何だか焦っているような感じが目立っている。
何となく、直感で分かることもある。
おそらく、あの三人の中で――
(小路さんの想像は、二人の上を行ってるんだろうな……)
と、更に溜息を重ねてしまいそうな確信を持ってしまうのだった。
どんな想像か、というと――いや、やめておこう。
「……以上です」
教壇の前で、言葉を切る久世橋先生。
その後で、委員長(ちなみに、大宮さんだった)が「起立、礼」と号令をかけて朝のHRは終わりだ。
結局、最後まで昨日みたいな柔らかい様子は生徒に見せなかった。
生徒の方を窺ってみると、そういったことが影響してか、何やらモジモジとしている様子を感じ取れてしまう。
……とはいえ昨日よりずっと安心してそうではあったので、そのことにはホッとしたり。
さて。
教壇の前で名簿とかを整理している先生を見て、考える。
(久世橋先生の副担任になったってことは――)
俺としてはとても安心できる一方で、きっと久世橋先生は色々と心労を溜め込むんだろうなぁ、と。
彼女の代わりといっては何だけど俺は端っこで内心、心配に思うのだった。
「――それじゃ、久世橋先生。俺はC組に行くので」
教壇の前の彼女に、そう声をかける。
C組の一コマ目は、俺たちの大事な先輩の英語の授業だった。
久世橋先生には昨日、俺からも先輩――烏丸先生からも伝えてあることだ。
「明日は、よろしくね。一条くん」
「はい。先輩の授業、参考にさせて下さい」
昨日の会話が、頭を過ぎった。
俺は今から――彼女の授業を、見学に行く。
実習中に別の学校で、そこの英語教師の授業を見たことはある。
とはいえこの学校は、そことは別のやり方かもしれないし――いや、それ以上に、相手が烏丸先生ということが大きかった。
だから、烏丸先生の厚意に甘えさせてもらうことになった。
ちなみに、主任の先生からの許可は頂いている。
「……」
「な、なんですか?」
俺と視線を合わせてきた久世橋先生は、よく俺に見せるような厳しい(?)視線とは違うものを向けてきた。
いつもの呆れたような視線とは違って――何だか心配そうな目つきだった。
「……一条先生、真面目にお願いします」
さっき俺のネクタイを整えていた時の先生とは違う、そんなシリアスな態度に俺は面食らってしまった。
え、先生……それは一体、どういう?
もしかして――俺は、久世橋先生に心配されてしまっているのだろうか。
「私には何歩か譲ったとしても――さすがに、せんぱ……烏丸先生にご迷惑をかけたら」
申し訳なさすぎて、担任としての名目が立ちません――
と言って、心配そうな表情を更に深めるのだった。
「……」
つまり。
先生は、俺の心配をしてくれていたわけではないらしい。
……気持ちはわかる。よく、と付けてもいい。
俺としても、先輩――烏丸先生に迷惑は、かけたくないから。
色々と言いたいことが出てきてしまったけど、敢えて何も言わないことにした。
というのも、目の前で心配そうにする久世橋先生に、少なからず俺も共感していたからだ。
2年C組の担任教師、烏丸さくら先生――
彼女がいなかったら、もしかすると……
「ええ、大丈夫ですよ、久世橋先生。あの先生にだけは、迷惑をかけませんから」
「……信じますよ、その言葉」
……十年以上、俺たちがこうして一緒にいることはなかったかもしれないのだから。
――――
Side:カレン
「……お二人とも、何を話しているのでしょうか?」
「な、何だか……込み入ってそう、よね」
私たちの目の前で、担任と副担任の先生方がお話をしていマス。
それを見て、シノは何だか微笑ましそうに、アヤヤは照れくさそうにみていマシタ。
「Hnn……あの二人、何ダカ」
ただの、おトモダチ、というわけではナイ、のでショウカ?
トモダチなら、ふとしたことで、ああやってシリアスになることもないと思いマス。
……と、なるト。
(これはマンガでよくアル――)
「トモダチ以上、コイビト未満」というもの、でショウカ?
それだったら、見ているこっちも嬉しくなるようなシチュエーション、ですケド……
(――?」
どうも、それだけではないような気がしマス。
今も、一条先生と久世橋先生は、照れくさそうでいて、どこかシリアスに見つめ合っていマス。
……でも、お二人の視線は、直接のお相手ではナクテ――
「……どうかしましたか、カレン?」
アッ。
教壇にいるお二人を見つめていると、シノが私に声を掛けて来マシタ。
微笑みながら(おそらく、あの二人を見てでショウ)、ちょっとだけ心配そうニ――
「イエ。大丈夫デス、シノ」
意識的に、ニコッと笑顔を作りマス。
この辺りは、久世橋先生より得意かもしれマセン。
笑顔を作る、というコトハ――
(……昨日ノ)
ふと、気づきマシタ。
昨日、廊下で――私や別のクラスメイトが、久世橋先生に近づいた時。
久世橋先生が、笑っていたコトニ――
家庭科の授業を思い返しても……あんな風に、先生が笑ったことは、一度モ……
「……」
まだ教卓にいる久世橋先生から離れて、静かに外に出ようとするスーツ姿の男性。
昨日、初めて私たちに、あんな楽しそうな笑顔を一瞬だけでも見せてくれた久世橋先生。
……???
(わからないことだらけ、デス……)
そう思って、ふと溜息をついてしまいマシタ。
――――
「……ここ、か」
A組からB組を挟んで、C組。
ここが烏丸先生のクラスだった。
教室前にたむろする生徒も、教室で談笑する生徒も――当たり前だけど、何もわからない。
「……」
教室内を軽く窺った後で、俺はC組前の窓際の壁に軽く寄りかかる。
それなりに名前を覚えてきたつもりのA組から離れると、無性に不安になってしまった。
いや。実際は、必要以上に落ち着かなくなる必要がないことはわかっている。
……わかっている、けど。
(それでも――何だかなぁ)
何とも説明の付けようもない不安感、というのはあるもので。
学生時代、こういう説明の付かない落ち着かなさを事あるごとに味わってきた。
きっと、それは俺だけでなく久世橋先生も……もしかしたら、烏丸先生も。
「あっ……」
ん?
寄りかかったまま溜息をつきそうになっていると近くで声がした、ような気がする。
見てみると、そこにいたのは明るい髪色の女子生徒だった。
九条さんほどフリーダムな服装ではないものの、所々、校則から外れていそうな感じではある。
……いや、前にも言ったように、俺はこの学校の校則を読み込んだことはないけどさ。
そんな比較的フリーダムな彼女は視線を感じたためか、少しばかり焦ったように見える。
「? どうしたのヨウコ――あ」
あ、別の声。
ヨウコ、というらしい生徒の後ろからチョコンと姿を表したのは、かなり小柄な金髪の少女だった。
ピンク色のカーディガンを羽織り、比較的短い髪をツインテール風にまとめている。
どうやら女子にしては高めの身長のヨウコさんとやらの後ろだから、俺から見えなかったらしい。
……そういえば昔の久世橋先生も、あんな体格だったなぁ。
あの頃のクッシーは、小さいながら意見はビシバシ言ってくるような――おっと、先生のためにもやめておこう。
とはいえ、俺はその二人の女子生徒を見たことがある。
ついさっき、初めてのことだったけど。
通学路で久世橋先生と九条さんに応対していたら、後ろから見つめていた四人の女子の内の二人だった。
「えっと、もしかして……九条さんたちの友達、かな?」
ちょっとばかり緊張しながら、そう聞いてみると、
「あっ、うん。そうだよ」
背の高い女子――ヨウコさんとやらが笑顔でそう応じてくれた。
初めて声を掛けてきた相手に対する応対としては、かなり堂々としたものだった。
そんな彼女を見ながら、「小路さんとは対照的かもなぁ」なんて思ったりもする。
小路さんと違って真面目ではなさそうだけど、緊張しがちなタイプではなさそう、という意味で。
「……あ。わ、私も、です」
ヨウコさん(……そろそろ名前を知りたい)の次に、金髪の小柄な生徒も応えてくれた。
モジモジとした様子は、すぐ隣の鷹揚と構えている女子とは対照的だった。
とはいえ普通、初対面の異性に話しかけられたら、こういう反応になるわけで――
そういう意味では、ヨウコさんのあけすけな態度は一般的な女の子らしさ? というヤツとは――
「えっと……一条先生、でいいんだよね?」
おっと。
ヨウコさんに失礼なことを何となく思っていたら、当の彼女に尋ねられた。
「うん。A組の副担任だよ」
「それじゃ、久世橋先生の……」
彼女は、そこで言葉を区切ると「へぇぇ……」と興味深そうに見られてしまった。
良くも悪くも遠慮するような所がないためか、おかげで緊張はしないで済む。
……久世橋先生なら、どうなったかは分からないけど。
「うん。久世橋先生の……」
あれ? 何て言えばいいんだろう?
「副担任は部下じゃないのでは?」なんて生意気なことを、この子たちの担任の先生に言ったわけで。
となると、俺と久世橋先生は――。
「く、久世橋先生、の……?」
俺が逡巡していると、彼女の隣の金髪の子がモジモジとした様子で声を発した。
その声に当てられたのか、迷っていた思考が、よくわからないまま一気にまとまってしまう。
「――仲間、かな」
……言った後で、「ヤバい」と直感した。
普通に「教師として後輩なんだ」とか言っておけばよかったのに。
「な、なか、ま……」
「へぇ、仲間かぁ……いいねぇ」
ほら、一方の金髪女子は照れくさそうにしているし、もう一方のムードメーカー(仮)は、途端に嬉しそうに笑い出した。
なるほど、どうやらヨウコさんとやらは――うちのクラスの九条さんに似ているらしい。主に、ツボの入り方とか、教師に対する態度とか。
「皆さん。そろそろ時間ですよー?」
俺が顔が赤くなるのを必死に抑えようとしていると、後ろからフワッとした軽やかな声がした。
見なくても分かる。
学生時代から、何度聞いていることか――そして何度、安心させてもらったことか。
「あ、カラスちゃん」
「そろそろ時間だね……」
その本人――烏丸先生の姿を見ただけで、二人の女子生徒の顔つきが一気に和やかなものになる。、
俺と話してた時も決して嫌そうではなかった(と思いたい……)二人が、烏丸先生が登場しただけで、比べ物にならないくらい顔が緩む。
「それじゃね、カラスちゃん――あと」
「あっ……い、一条、先生。また」
でも、こうして生徒から声を掛けてもらえるとやっぱり嬉しかったりする。
ヨウコさんは烏丸先生に笑顔を向けた後でこっちを見てくれたし、もう一方の金髪少女は、やっぱり緊張しながらペコリと会釈してくれた。
……あれ? あの子の名前ってなんだっけ?
見た限り、純日本人ってわけではなさそうだ……となると、九条さんと同じハーフ? と言っても、日本語は流暢だったし――あれ?
「一条先生。そろそろ、始めようと思いますけど……」
やばい、考え込んでしまった。
俺が腕を組んでいると、烏丸先生が声を掛けてきた。
ほんの少しだけ困ったような目つきに、何とも優しげな口元の笑み。
……それを見る度、あの中学校の教室に戻されるような感覚が消えてくれない。
「ええ、お願いします。烏丸先生」
「ふふっ、よろしくお願いしますね。一条先生――」
と言うと、烏丸先生は、ふと俺の耳元に口を寄せてきた。
ほんの一瞬、俺の鼻孔が気持ちの良い香りにくすぐられる。
もしかしたら使っている化粧品は、あの頃から大きくは変わっていないのかもしれない――
「朱里ちゃん――あっ。久世橋先生に、良い所を見せるためにも、ね?」
「……!」
俺が反応する前に「皆さん、席についてくださいねー」と、烏丸先生は教室に入っていってしまった。
「……」
それを見ながら、思う。
「そうじゃないんです、烏丸先生」と。
たしかに、俺は久世橋先生を安心させたい。
中学校の頃に感覚を戻される度、あの時に心細そうにしていた彼女を思い出して、そう実感する。
でも――「良い所を見せたい」ということになると、それはもしかしたら……
「それでは、皆さん。知っている人もいるかもしれませんけど……一条湊 先生が、今日は参加してくれますっ!」
もしかしたら、それは――
(あの時から俺たちを何度も助けて、支えてくれた)
烏丸さくら先輩、だと思います――
そんなことを思いながら、頭を軽く掻いた。
照れくささはマックス。でも、だからといって――
よりにもよって「あの」先輩の前で醜態なんて、晒せるわけが……
そんなことを思いながら、俺は前扉からC組へと入っていくのだった。
これから色々と描写が加えられていくと思いますが、主人公や久世橋先生の先輩としての烏丸先生は本当に頼りになった、という設定です。
もっとも、頼りになっても、そういう申し訳なさといったものを全く感じさせないのが烏丸先生、ということでもあるのですが。
さて、次回はどうしましょうか……。