「……疲れた」
我ながら、何かデジャヴだった。
昨日も同じようなことをしていたような気がするけど、今日は一味違う……。
四コマ目を終えて職員室の自分の席に辿り着くや否や、すぐに机に倒れこむ。
両隣の席の主は、まだ不在だった。
二人とも授業だろう。
……きっと、俺より上手くやったんだろうなぁ。
「お疲れ様、一条先生」
倒れこんだ俺に、前方から声が聞こえてきた。
耳をくすぐるような、その声音は――
「……あ、倉井先生。どうも」
顔を上げて、俺の前方に座っている女性教師と目を合わせる。
彼女は俺を見て「わっ、本当に疲れきってますね……」と、クスクスと笑うのだった。
倉井美奈子先生。
この学校の音楽教師である。
長い黒髪に、可愛らしい格好(チュニックブラウスというらしい)が特徴的な人だ。
年の頃は――おそらく、俺や久世橋先生と、あまり変わらないといった所。
「初めての授業は、緊張されたでしょう?」
机に向かい何やら作業をしながら、倉井先生が聞いてきた。
前方からラック越しに見つめる俺からしても、その佇まいは物凄く……絵になる、ようなものだった。
名は体を表す、という言葉がある。
少なくとも目の前の先生には、それが大いに当てはまっていた。
油断していると、どこか女優のようにも見える外見だったから。
「ええ、とても……」
あれから。
二コマ目に一年生を担当してから、三コマ目と四コマ目には二年生を担当した。
二年生は、それなりに学校生活に慣れていてくれたから良かったけど――
「一年生の緊張感にあてられてしまいました……」
「あっ、それ私もありました」
俺がそう言うと、倉井先生はクスクスと笑う。
その笑顔は、俺の右隣の先輩教師とは、ちょっと違った。
あの人は、どこまでも俺たちを安心させるように笑う。
でも、目の前の彼女は、何だかとにかく嬉しそうに笑う……上手く言えないけど、微妙に違うものだ。
(――何だかんだで)
烏丸先生には、お世話になりまくってるんだなぁ、と。
きっと、左隣の久世橋先生も同意するであろうことを、俺は思ったりもする。
「……一条先生は」
「はい?」
俺が右と左に軽く視線を寄せながら考えていると、前方から声がした。
視線を合わせると、微笑む倉井先生の顔が目に入る。
何とも嬉しそうで、大いに笑うのをどこかで堪えていそうな顔だった。
……何だか、嫌な予感がする。
「お二人のことが……」
果たして、倉井先生が言おうとすると――
「お疲れ様です」
「……お、お疲れ様です」
職員室の扉が開き、見慣れた二人の姿が現れた。
烏丸先生は俺を見ると微笑みかけて、久世橋先生は呆れた表情を向ける。
おそらく、俺が何とも情けない顔をしていたからだろう……。
「あ、お疲れ様です、お二人とも」
倉井先生も、彼女たちに言葉を返した。
俺はというと「……疲れました」と、そんな間の抜けた返答をしてしまう。
「あらあら……ほら。やっぱり無理するから」
「一条先生、顔を洗ってきた方がいいのでは? そんな表情では、他の先生方を困らせてしまいます」
俺の言葉に対する返事も、三者三様ならぬ二者ニ様。
うん。この辺り、学生時代と何も変わらない。
思い出すのは、俺が単位を落としたことを伝えた時の二人の反応――
「もしかして、困るのって……久世橋先生?」
「……え?」
――を思い出す前に、前方からの声に遮られた。
俺の左隣に着席した久世橋先生は、身体をピクッと震わせてから、恐る恐るといった様子で斜向かいの音楽教師を見つめる。
「あ、ごめんなさい。何でもないです」
倉井先生は口元に手を当てて、ほんのちょっと悪戯っぽく笑う。
その姿すら何とも言いようのないくらいサマになっていて――ちょっと見つめてしまった。
目の前に、整った顔立ちの異性がいると、何だかんだで目が勝手に追ってしまう。
「……」
そんなことをしていると、左隣から湿った視線を感じる。
見れば、久世橋先生に軽く睨まれてしまっていたらしい。
「――仕方ないでしょう、久世橋先生」
「何が仕方ない、ですか?」
俺は、ちょっとばかり開き直って、先生に返す。
相変わらず厳しい視線を崩さない彼女は、何かがご不満らしい。
……「何か」が何なのか俺にだって分かるけど、敢えて気づかないフリをする。
「色々、です」
「……もう、分かりました」
俺が大真面目な表情で返事をすると、久世橋先生は額に手を当て呆れ果てたと言わんばかりの視線を向ける。
ただでさえ疲れていたと思われる顔つきに、余計に疲労の色が覗えた。ちょっと心配になってしまう。
とはいえ、こういう問いかけに対しては、どこまでもはぐらかし続けること。
そうすれば、後で問題になることも少ない――というのが俺と彼女と、
「久世橋先生、一条先生。そろそろお昼にしませんか?」
今、俺の右隣から穏やかな声を響かせる烏丸先生との経験から得た教訓だった。
チラッと右に視線を転じれば、烏丸先生は口に手を当てて笑っている。
ちょっとばかりからかっているようでいて、疲れ果てた表情をしているであろう俺たちを心配しているようでもあって――
(……はぁ)
俺がこの先生に辿り着ける日は、果たして来るのだろうか。
「……大体、一条先生は」
ん?
俺が烏丸先生を見つめていたら、左隣からお堅い声が飛び込んでくる。
振り向いてみると、
「ずっと見ていないと、何をしでかすかわかりません」
お得意(?)のジト目を向けながら、久世橋先生は俺をジッと見つめる。
……俺が見つめたいのは前方とか右隣とかの諸先生方なんだけどなぁ。
「……また失礼なこと考えているでしょう?」
「……家庭科教師は、人の心も読めるんですか?」
ほら、またこうして俺たちは見つめ合う。
「見つめ合う」というより「睨み合う」の方が、もしかしたらちょっと適切かもしれない塩梅で。
だって、久世橋先生には俺のことがそれなりに分かっていて。
俺も、そんな彼女のことを少しは分かると勝手に自負してしまっていて。
――結局、学生時代を経ても、俺たちの関係は変わらないことが自覚できてしまうから。
「もう……」
そして、プイッと久世橋先生は横を向いてしまった。
横顔からは、ちょっとした焦りの色を感じられる。
「さっき直したネクタイも崩してますし……」
呟くように言うその言葉が聞こえたのは、すぐ隣の俺だけだっただろう。
俺が気づいたことが分かると彼女はビクッと軽く身を震わせた後で、焦りの色を一気に赤みに転化させるのだった――
というか正直、そういう自滅行為は俺も巻き込むから止めてほしい……俺も熱くなってきたし。
「――ふふっ」
クスクスとした笑い声。
左隣で顔を赤らめている久世橋先生に、倉井先生は気づいたのだろうか?
いや少なくとも、さっきまで隣の久世橋先生と話していた俺が顔を赤くしている所が彼女から見える時点で――
「やっぱり……仲良しさん、ですね」
心から楽しそうに笑いながら、倉井先生は俺たち三人を見回した。
それから立ち上がって「クラブの子たちと食べるので」と、自分の弁当が入っているであろう包みを手に持って、去っていくのだった――
「……」
「……」
「まぁまぁ」
黙りこむ俺たち後輩組。
何やら困ったような様子を見せながら、実際はあまり慌てていない様子の先輩。
「……」
「……」
無言のまま、俺たちは再び見つめ合う。
お互い、きっと余裕のない剣呑な目つきで。
「一条先生の、せいで……」
「久世橋先生が、自滅するから……」
でも結局、まともな言い争いになる余地なんてなくて。
右隣から烏丸先生に笑われるのが関の山。
どうにもこうにも凸凹で不安定な、俺たち後輩組なのだった――
倉井美奈子先生という音楽教師が登場しました。
このSSの構成を漠然と思い描く段階で、存在していたキャラです。
……とはいえ、これからどう絡んでいくのかは分かりませんが。
次回も次々回も、しばらく主人公たちの時間は大きくは動かないと思います。