大学時代を思い返す主人公と、その他二人の、職員室での出来事です。
「……ご飯にしましょうか」
そろそろ見つめ合うのも疲れた俺は、そう久世橋先生に呼びかける。
うわ、何か汗がキツい……授業の影響もあるだろうけど、何より倉井先生にあんなことを言われたのもあって――
「え、ええ。賛成です」
一度、肩を竦めてから、久世橋先生は自分のバッグへと視線を転じた。
中に、お弁当でも入っているんだろう。
……学生時代の明るい色のバッグとは違って、真っ黒になっていた。
当たり前といえば当たり前だ。
でもその中から、あの時と同じ弁当箱が現れると思うと――
「……何か?」
俺が久世橋先生(の手元)を見ていると、彼女が不本意そうな表情で聞いてきた。
両手で弁当の入った包みを大事そうに抱えているためか、何だか面白い気分になってしまう。
何だかシュール、というか……。
「いえ。久世橋先生って面白いなぁ、と」
「……ありがとうございますね」
俺が穏やかにそう言えば、相手は冷ややかにそう返してくる。
「ね」の辺りで、ほんのちょっと音程が上がったような気がするのも、当て付けのつもりだろう。
まあ、自分がからかわれてると思うと、嫌な気分になる人もいるのは当然だ。
……そういう人に限って「いじられキャラ」になり易いのは、どういうわけなんだろう?
この辺りは、教師として調べてみた方がいいのかもしれない。
クラスの生徒にだって、そういう子がいるかも――例えば、あのツインテールの子は、もしかしたら……。
(あ、でも……目の前に、好例がいるわけで)
そうだ。それを調べられる絶好のチャンスじゃないか。
つまりどうして俺や先輩が、久世橋先生をついからかってしまう(ような気がする)理由を考えてみればいいんだ。
サイドポニーにまとめられた長い黒髪、右隣のジャージ姿の先生とは対照的なカッチリと着込んだスーツ、大抵強張ったままの口元……。
中学の頃に転校。烏丸先輩。委員会。受験勉強――
「……わからねぇ」
「一条先生、私もどうして先生が私を見ているのか分からないのですが……」
つい呟く俺に被さる、厳しい声。
いつの間にか包みは開かれて、久世橋先生はケースの中から箸を出していた。
「あまり見られていると食べにくいので……」
そう言うと、久世橋先生は俺をジッと見つめてくる。
ほんの少し困ったような顔つき。
昔から、そうだった。
何かを訴えたい時、久世橋先生は相手の顔を見つめることが多い。
まるで、そうしないと真摯さに欠けていると言わんばかりに……
(……真面目だなぁ)
俺は苦笑しながら、「ええ、分かりました。俺も食べることに集中します」と返して、鞄の中を探り始める。
「まったく……」と返事をしながらも、久世橋先生は弁当に箸をつけ始めるのだった――
「……あら? お二人とも、まだ食べていなかったんですか?」
俺が目的物を探り当てて袋を開けていると、声がした。
烏丸先生だ。久世橋先生の近くに、お椀を持ちながら立っている。
「私、ちょっと外出を……」と、校外に出て行っていた理由が、そこにあった。
「まあ、ちょっと……色々と」
「一条先生のせいで、少し……」
俺が困ったように返せば、烏丸先生も俺をチラッと見てから、そう返す。
そしてそんな俺たちに対して「そうですか」と楽しそうに笑う烏丸先生。
似たようなやり取りを、俺たちは何度繰り返してきたんだろう――
その度に、気恥ずかしいような何だか安心するような、そんな落ち着かない気分を味わい続けてきた。
「――私もご飯を頂きますね」
その後で、自分の席へと烏丸先生は戻っていく。
彼女が席につくと、右隣から、なかなか濃い香りがした。
ムワッというその感覚は、先生の持ってきた料理の「濃さ」を如実に示していて――
「……お昼から、やりますね」
そうコメントすると、烏丸先生は付いてきた割り箸を割りながら「そうですか?」と、少しキョトンとしていた。
俺は、先生が持ってきた「それ」を見たことがある。
というより、学生時代の思い出の一つとも言えるかもしれない――
比較的リーズナブルな値段で、俺たちのような学生の腹を癒してくれる存在だった。
講義が終わる度に一人で、時には友達と行ったりした。
年を重ねるにつれて、なかなか食べる頻度も減ってきてしまったけど……
その名は、「伝説の――」
「俺は昼から、それを食べたことはないですね……」
うず高く積まれたご飯に豚肉、そしてその中央に落とし込まれた生卵。
見ているだけで食欲をそそられると同時に、腹が満たされそうになる姿だった……。
「もう、一条先生? ちょっと失礼ですよ?」
俺が本心から言うと、烏丸先生は頬を膨らませて返事をする。
しかし、それが本気じゃないことは、長い付き合いでなくても分かるだろう。
だって怒るのなら、その顔つきがリスみたいになることなんて決してないからだ。
「これは、レディー用です。私は、レディーなんです」
「レディー」という言葉を繰り返しながら、眼鏡の奥の瞳を光らせる烏丸先生。
ああ、そういえば……店頭に「女性用は五十円引き!」とか銘打たれていたような気がする。量は少し落ちるらしいけど、それでも、かなりのものが……。
嬉しそうでありながら、決してがっついているわけではない、そんな彼女の表情を見ていると――
――――
――今日ね、カレー特盛りがお得だったの!――
嬉しそうに言いながら、学食のカレーを俺たちの座る席に持ってくる、在りし日の烏丸先生の記憶が蘇ってくる。
その時の嬉しそうな先輩の顔、かぐわしいスパイスの香り。
目の前で瞠目するクッシーに、きっと同じような表情をしていたであろう俺――
嬉しそうにスプーンで口にご飯とルーを運んでいく、先輩。
――――
(――甘いものに目がなくて、普通のご飯もそこまで食べて)
チラッと見ても、烏丸先生のスタイルは全然悪くない。というか、むしろ……。
嬉しそうに箸を使ってご飯を口に運ぶ烏丸先生を見て、俺は内心で溜息をついた。
「――ところで、一条先生はそれだけなんですか?」
俺が世の中の不公平さを軽く嘆いてしまっていると、烏丸先生が口元を押さえながら訊ねてきた。
それだけ、というと……
「ああ、これですか」
手に持ったままの袋に記載された数字は100円也(税抜き)
増税の影響があったとしても、自販機のコーラ一杯にも満たない良心価格だった。
コッペパンというのは、安い割には腹も膨れて最高だ――
「……足りるんですか?」
――俺がパンを大事に食べていると、烏丸先生は再度、問いかける。
モグモグと豚肉を食むその顔に、一抹の心配気な気持ちが見え隠れしていた。
「ま、まぁ一応……昼は節約して、夜はそれなりといった風に」
「あの頃から何も変わらないんですね」
烏丸先生に返すと、左から声が聞こえた。
振り向けば、久世橋先生がそこにいる。
箸先を弁当箱に当てながら、俺を見ていた。
「お昼ごはんにお金を掛けずに、『夜に食べるから』と先送り。
そして、エネルギーが切れてお昼寝する先生に、私がどれだけ……」
最初は呆れただけのように見えた瞳が、次第に冷ややかになっていく。
どうやら、大学時代をまざまざと思い出してしまったのかもしれない。
そう、俺は何度も講義中に夢を見ていた。
教授の話をBGMに机に突っ伏すことが多かった。
そして、もしも隣の彼女と授業が被っていたら――
――まったく、一条くんは――
「いやぁ、あの時はお世話になりました、久世橋先生」
「お世話になった、と思うなら……そろそろ、ご自分がどういう時にダメになるのか、少し思い返してみて下さい」
ビシッと言われてしまった。
久世橋先生に頼み込み、学内のコピー機に付き合ってもらったのは一度や二度ではない。いや、十度でも……。
でも、感謝しているのは本当だった。
ただ、久世橋先生が言いたいのは――俺が反省をしないことだろうな、とも思う。
「そうでしたね。一条先生には、そういう所がありました」
俺と久世橋先生の話が聞こえていたのだろう。
烏丸先生も俺たちの方を見ている。
強いて言うなら、そういう所がではなくて「そういう所ばかりでした」だろう。
俺より強く訂正したいと思っているであろう人が、左隣の久世橋先生ということは言うまでもない。
「私と同じ授業を取っていても、よく眠ってましたし」
久世橋先生とは対照的に、烏丸先生はあの頃のことを思い出すと笑顔になるらしい。
おかしいな、久世橋先生と同じくらい烏丸先生にも泣きついていたような気がするんだけど……。
「……烏丸先生がいい方で、良かったですね」
ツンとした表情のまま久世橋先生は言う。
まあ、たしかに。そのことには心から感謝しないといけないだろう。
「でも、一条先生? お昼寝しないのはどういう時だったか、ご存じですか?」
心の中で平身低頭していたら、右隣がそんな俺をいきなり叩き起こした。
烏丸先生の表情は、悪戯心が混ざった穏やかなものだった。
……なんだろう、左隣の久世橋先生の箸の動きが止まったのが不安で仕方ないのは。
とはいえ、烏丸先生――先輩の質問だ、失礼があってはいけない。
勝手に自分を納得させて俺は、
「そうですね、たしか久世橋先生が作ってくるお弁当を――」
「い、一条先生……」
箸から手を離し、何とも恥ずかしそうな表情で久世橋先生は静かに俺に抗議した。
元々、職員室での食事だ。他の先生方もいる。
だから、さっきからなるべく声を抑えていたけど、それが今、少し崩れてしまったようにも思う。
その原因たる烏丸先生は、ニコニコと笑いながら俺たちを見つめていた。
その優しげな表情を見ていると、毎度のことながらからかわれたことなんて何の気にもならなくなってしまう。
それどころか、慌てているにも関わらず、何だか……安心してしまうような感じすら、して。
「……く、久世橋先生」
「な、なんですか?」
そんな安心感にあてられた、というわけでもないけど、俺は久世橋先生へと視線を向ける。
ピクッとする久世橋先生。
いつもなら俺がそんな風にしたら一気に厳しい表情に変わるのに、烏丸先生が間に入ってくると……それが一気に崩れる。
そう。まだ春先で暑くもなく、昨日みたいにお酒も入っていないのに――
「出来れば、その……おかずを、少し」
――顔を真っ赤に染め上げてしまうのだから。
「先輩効果」は、相も変わらず絶大らしい。
いや、俺も人のことを言えない。
というより、烏丸先生に唆された(?)からといって、今の俺の発言はいかがなものか。
「……」
対する久世橋先生は、俺を凝視する。
「何を言ってるの?」という呆れた色に混ざって、ただただ照れて何も言えなさそうな感じにも見えた。
……出来れば、前者の色が強いものであってほしかった。
「――し」
数秒にも満たない後、久世橋先生が口火を切る。
なるべく、表情だけはきちんとしたものにしようと努めていることがよく分かった。
とはいえ、頬は真っ赤だし、顔も心なし震えているように見えて……
「仕方ない、ですね……」
果たして、久世橋先生は肩で息をつきながら、そう言った。
そして自分の弁当箱の蓋に、卵焼きを一つ載せて、俺にオズオズと差し出してくる。
「――つ、爪楊枝、ありますから」
焦った様子のまま、久世橋先生は引き出しを開けて爪楊枝を渡してくれた。
どうして職員室の引き出しに爪楊枝が常備されているのか分からなかったものの
「まあ、家庭科教師だし」と無理やりに理解することにした。
……追求したら焦りと焦りが掛け合わさって、爆発しかねない。お互いが。
「あ、ありがとう、ございます」
「い、いいえ」
せめて声が震えないように心掛けながら、俺もまたモジモジとその蓋を受け取った。
机に置いて、爪楊枝を構えて、一息。
そして思う。「どうしてこうなった?」と――
「あらあら……一条先生、羨ましい」
そんな俺(と、おそらく久世橋先生)に追い打ちをかけるように、おっとりとした声が飛び込んできた。
振り向けば、烏丸先生が口元を押さえながら俺たちを見ていた。
きっと、さっきのように噛んでいる所を見られないように、という配慮ではなく――
「久世橋先生、ずっと料理の腕が上がり続けてますから」
――その、零れそうになる笑みを見せないためだろう。
そう、直感した。
彼女の口から漏れる言葉に、少しばかりとはいえからかいの色を感じた所で。
「……」
「……」
俺たちは黙りこむ。
一秒、二秒、三秒……。
「――いただきます」
色々な意味で限界を感じた俺は、爪楊枝をプスッと突き刺す。
そして、口の中へと放り込み、一度噛んで、二度噛んで――
「……美味しい」
ごくごく自然に漏れた、正直な感想。
つい、さっきまでの恥ずかしさも忘れて、つい呟いてしまった。
それくらい、よく出来ていたように感じた。
ゴクリと飲み込み、その余韻を楽しんだ後で、
「先生、これ作ってから結構、経ってますよね。
それなのに、この味って……一体、どういう」
「お、お静かに、一条先生……」
俺がそのまま左へと顔を向けたら、久世橋先生は身体を縮こませながら弁当箱に向かっていた。
丸まった背中は、いつもピシっとしている彼女らしくない。
といっても、無理はないのか。我に返った俺は、さっきの感覚を一気に思い出してしまい、そう感じた。
「――職員室、ですから」
言いながらパクパクと、口におかずを運んでいく久世橋先生。
そこから顔を反らし、そそくさと元々の昼ごはんたるコッペパンに再び向き合う俺。
――おかしいな。職員室の暖房の温度は、いつから上がったんだろう?
先輩には敵いそうもない、後輩二人の話でした。
久世橋先生の疲労感がとんでもないことになっていそう……。
しかし、本当に書いていると楽しいけど、いつネタが切れるかが怖いですね。