この続きは現在も作成中です。そちらについては明日の深夜を目標に公開したいと思っております。
話の進みは相変わらず低速ですが、どうかおつきあいください。
初風。その名前に覚えはない。
だが聞いたこともないその名が、どうしてこうも懐かしいのか。
久しく忘れていたあだ名を不意に呼ばれたような、暖かい高揚感だった。
しかしそれと同時に、自分で自分のことがわからない不安感がそれに影を落とす。なぜここまでこの名前に懐かしみを覚えるのかが本当にわからないのだ。
自然、早鐘を打つ胸をおさえる。何だ、一体何なのだ。
ぐるぐると二つの感情が渦を巻き、混ざり合って私の中をかき乱す。
突然様子の変わった私を案じたのか、夕張は不安げな顔。
「大丈夫? 具合、悪くない?」
整った眉をハの字にしながら、私の顔を覗き込んでくる。
次第、暑くもないのに私の額には汗が浮かんでくる。息も荒い。
そのせいか声が上手く出せない。が、気分が悪いという程ではなかった。どちらかと言えば、いきなりの感情の噴出に頭が処理しきれていないだけだ。
手を振って心配ない旨を伝えると、夕張は安堵したような表情。
「自分の艦娘としての名前を知ると、いきなり暴れだす娘もいるの。何か身体におかしなことがあったら、ちゃんと言ってね?」
他の海域発現種も私と似たような気持ちになるとしたら、これよりももっと大きな感情の濁流に飲まれたとしたら。確かに暴れだすのも無理はないだろう。
これくらいで済んでいる私は、まだ幸運ということだろう。
それにしても、先程から険のある対応ばかり寄越す私を、本当に案じているのだ、この夕張という少女は。こちらが心配になりそうなほどのお人好しである。
「……大丈夫。心配、しないで」
なにか考える前に、その言葉が口をついて出ていた。夕張であれば、多少は信用しても良さそうに思われたのだ。
しばらくして呼吸が整ってくると、先ほどの感情の奔流も引いていた。まさしく津波に飲まれたようなものだった。過ぎえしまえば全て平坦になる。
乾きつつある額の汗を手の甲で拭うと、夕張がポケットから取り出したハンカチで拭き直してくれる。健気なものだ。
「落ち着いた?」
「ええ、もう大丈夫よ。ありがとう」
その言葉で、にっと笑う夕張。綺麗に並んだ白く小さな歯が見えた。
「色々説明しようかと思ってたけど……ちょっと休憩しよっか」
確かに今これ以上説明されても、頭に入るような気がしない。私があの時からどれほど眠っていたかわからないが、少なくとも意識のある間に沢山の事が起きすぎた。
手で両目を覆いながら、小さく頷き、天を仰ぐ。
疲れた、本当に。
「そろそろお昼の時間だけど、なにか食べられそう?」
椅子から立ち上がるような音とともに、夕張がそう聞いてくる。
「……そうね、少しだけ」
覆った目を揉みほぐしながら言うと、姿は見えないが少し嬉しそうな夕張の声。
「うん、わかった。なるべく身体の負担にならないもの、持ってくるわね」
それだけ言うと、夕張はぱたぱたと軽い足音をさせつつ部屋を出て行った。世話好きなのだろうなと、彼女の様子を見て思う。
残された私は、再び壁にもたれる姿勢。ぎし、と背中の艤装が音を立てる。
わからないことばかりだが、ひとまずは自分の名前がはっきりしたことは大きな収穫だったと思う。
初風。艦娘としての名ということだが、読み方を工夫すれば普通に通用しそうな気もする。そもそもここから出られるかどうかというところだが、今はそこまで考えたくない。
足にかかった布団を胸のあたりまで引き上げる。窓から見える空は、あの時とは違い快晴だ。日差しも暖かく、心地よい。
こうまで状況に落差があると、まさかあれは夢だったのではないかと疑いたくなる。意識は始終ぼんやりしていたし、まず当然のように海面に立っていたということも普通に考えればあり得ない。
だがこの背中……正しくは腰のあたりに癒着している艤装が、どうあってもあれは事実だったのだと、現実に私の身に起きていたことなのだと主張してくる。
艤装から伸びる無骨な砲に目を向ける。あの時は自在に動かしていたが、今動かせと言われてもそれはできそうにない。確かに艤装は私と直結しているような感覚があるが、なぜかこの砲は今断絶されているように思える。新しい手足のようなもの、と夕張は言うが今のところ自由に動かせる気はしない。
そんなことを考えていると、瞼の重量が増してくる。たまらず欠伸が出た。
いつ食事が運ばれてくるかわからないが、それまで寝てしまうことにした。今の私ははっきり自覚できるほどに体力がない。
それに、一人になり緊張の糸がほぐれたのだろう。身体に力が入らなくなってくる。
「初風、か……」
眠りに落ちる直前、私の艦娘としての名を呟く。
背中の艤装が、かすかに動いたような気がした。
小さな物音に目を覚ますと、尻で扉を開ける夕張の姿。両手は粥の乗った盆でふさがっている。少々行儀が悪いとは思ったが、気にすることでもない。
身を起こし、目をこすっていると欠伸が出る。人前で欠伸が出るということは、だいぶ私も落ち着いてきているらしい。
夕張は先ほどまで着ていたツナギ姿ではなく、今はセーラー服のような姿だ。なぜかセーラー服は丈が妙に短く、くびれたお腹と小さなおへそが露わになっている。
「あ、起こしちゃった?」
目を覚ました私に気付いたのか、夕張はそう声をかけてくる。
ちょうど起きたタイミングだったが、何か正直に言うのが癪で「気にしなくていいわよ」などと答えておく。夕張は苦笑するのみ。
夕張はサイドテーブルに盆を置くと、私のいるベッドの下を探る様子。ほどなくして夕張が持ち出してきたのは小さなテーブル。そのテーブルは私の足をまたぐようにして据えられて、病院でよく見かける光景そのものが完成する。
ふうと一息つくと、夕張はそこに粥の皿と匙を載せる。
「口に合うかわからないけど、どうぞ。食べてみて?」
粥からは暖かそうな湯気。とりたてて特別なところもない粥だが、今更空腹を訴える腹に収めるにはちょうど良さそうな塩梅だった。
わけのわからない環境に置かれているものの、少し安心するとこれなのだから身体というものは正直だ。
「あとで感想……はいっか。ただのお粥だもの」
よくわからないことを言う。
とりあえず礼を言い、粥を口にする。まあ、粥だ。
だがその暖かさはありがたかった。寒いというわけではないが、この優しい暖かさは少し嬉しい。
「美味しいわね」
「本当? なら、作った甲斐があったわね」
暖かい笑みだ。それを見るこちらもつられて笑いそうになる。
笑い返すのもなんとなく気が引けて、夕張から視線を外して再び粥を口にする。
椅子に腰かけた夕張は、そんな私の様子をどこか楽しそうに眺めている。
何か話した方がいいように思われて、服装について言及してみる。
「そのセーラー服、短くない?」
「えっ、いやその……」
今更気付いたかのように、身をすくめ顔を赤らめる夕張。
「ずっとこれだったから気にしてなかったけど、そうだね、そういえばそうだよね」
頬をかきつつ、照れ笑いを浮かべる夕張。いつもその服だったことも驚きだが、丈の短さに気付かない点も驚きだ。
などと思っていると、ふと夕張の表情に影が差す。
私から視線を外し、俯き加減。
どうしたのかと思い食事の手を止めると、ぽつりと夕張は言う。
「でもね、私みたいな身体だとこの服が一番都合がいいんだ」
何のことかと疑問に思い首をかしげると、椅子の上で体をひねる夕張。
そしてこちらに向けられた、白く滑らかな肌の背中。薄く皮下の背骨が浮いている。
何の変哲もない背中と思いたかった。だがそこに、妙なものが陣取っているのが否応にも目につく。
丸みのある女性的な背中とは対照的な、背骨に沿う無骨な金属の覆い。そして機械の部品のような、何か。
直感した。
艤装の、接続部だ。
「それ……」
それ以上言葉が続かない私に、夕張は横顔で苦笑するだけ。
彼女は体勢を戻すと、謝るように言った。
「いやなもの見せて、ごめんね。でも私たち艦娘は艤装がないと生きていけない。だから、これがないとダメなの」
背骨に沿うように身体に埋め込まれた、艤装の接続部。
女性らしさとはまるで対極に位置するそれが、さも当然のように少女の身体に存在していることがうすら寒い。
艤装は外れると言っていたが、これでは外れた内に入らない。
「寝るときはちょっと邪魔だけど、慣れたらなんてことないんだよ、これ」
艤装核がつきっぱなしよりよほど楽だしね、と夕張は付け加えた。
これが当然であることを諭すような口ぶりだった。
……彼女も私と同じように、突然こうなってしまったのだろうか。
「……ごめんね?」
そう言ったのは私ではなく、夕張だ。
謝るのはこちらの方だろう。余計なことを言った。
「謝ることなんてないわよ。むしろ私こそ、悪いこと聞いたわね……ごめん」
苦笑したまま、夕張は優しく私の肩に手を置く。
その小さな手は、私の服越しにもわかるくらいに、暖かい。
「私はいいんだ、自分で決めたことだから」
そう言うと、夕張は私に粥を食べるよう促してくる。食欲はどこかへ失せてしまったが、残してしまうのも躊躇われた。
自分で決めた。そんな彼女の弁を信じれば、彼女は艤装を外し、あんなものを埋め込まれる必要もなかった。
自ら志願して艦娘として生きている。そうとれる。
なぜ彼女は、そんな道を選んだのだろうか。
彼女は海で戦うことに、何か理由があるのだろうか。
強制されるわけでもなく、戦うに足る理由が。
半ば押し込むように粥を食べ切ると、手慣れた様子で夕張が片付けてゆく。その顔にもう影は見えなかった。
「ありがとう、ごちそうさま」
自然とそう口にすると、夕張はテーブルを再びベッドの下に戻しながら。
「いいえ、お粗末様」
そう言ってからりと笑い、片付け終わると盆を持って部屋を出ていった。片手で器用にノブを回し、また尻で扉を押し開ける。
去り際、背中の接続部が光を反射し一瞬きらめく。
徐々に閉じてゆくドアを眺めながら、こんなことを考える。
もし私も、あれを埋め込まれることになったとすれば。
それを用い、化け物と戦うことになったとすれば。
いつどうなるかもわからない、そんな毎日を過ごさねばならないとすれば。
仕方がないことなのだと、受け入れることになるのだろうか。
彼女は、そんな暗さはまるで見せなかった。
本当に自分で選び、今の状況に置かれているように見える。
それはきっと、彼女の強さだ。
私は、そんな強さを持つことができるだろうか。
今回ごたごたしてしまった分、読んで面白いものをお届けできるよう頑張ります。もう少々お待ちください。