―――我が親愛なる共犯者にして親友
―――香月夕呼様
突然のこの様な形での挨拶となり、申し訳ありません。
夕呼さんがこの手紙を読んでいるのなら、もう私はその
もしまだいる時点でこの手紙を見つけたら破り捨ててください。とは言っても貴女は決して破らずに読むでしょうから意味ないですね。・・・その時は手加減をお願いします。
取り合えずはオルタネイティブ第四計画成功おめでとうございます。
第四計画総決算の桜花作戦も無事成功したようですし、ひとまず人類は一安心といった所でしょうか。
BETAの上位存在を滅ぼして反応炉経由での情報漏洩の心配も無くなりました。
オリジナルハイブで鑑さんが採取したリーディングデータやマッピングデータもありますし、あとは戦力を立て直して順次ハイブを攻略していくといった感じですかね。
どのような事にも不測の事態という物がありますから油断は禁物ですが、00ユニットである鑑さんも無事ですから凄乃皇を再建すれば、ハイブ攻略はそれほど難しいことでもないでしょう。
凄乃皇の砲撃能力は海上艦の支援砲撃が期待できないユーラシア内陸部でこそ、その真価を発揮するでしょうし。
後は世界各国の利権や思惑が入り乱れる政治の世界で、どのようにしてユーラシア奪還のために一致団結できるかがポイントといった所でしょうが、あまりそれは心配していません。
オルタネイティブⅣの成功で夕呼さんの発言力は飛躍的に大きくなるでしょうし、祖国を失ったユーラシアの人々は貴女に希望を持ちます。故郷を取り戻してくれる貴女の邪魔をする事はないでしょう。むしろ進んで協力してくれるはずです。
それに00ユニットを有する横浜の魔女に楯突こうなどという勇者がいたら、その人を逆に尊敬します。
・・・あんまり悪乗りしすぎて00ユニット脅威論に飛び火しないように、そこら辺の見極めは慎重にして下さいね?
さて、実は夕呼さんに言って置かなくてはならない事が三つ程あります。
・・・別に黙っていなくなったから怒り狂うだろう夕呼さんへの貢物というわけじゃないですよ?ほんとだよ?
一つ目はこの
どうやら10月22日を基点に閉じていた世界は無事に開放されたみたいです。
私達が事態の解明に乗り出す前に白銀君がクリア条件を達成したみたいで、10月22日の時点で気づかぬうちに世界は再構成されていたようです。
前回のループで因果導体ではなくなった白銀君がこの世界に現れたのはまた別の要因によるもので、世界は無限ループに囚われてはいないようです。
私も白銀君も少し勘違いしていたのですが、この世界は所謂『三度目のループ』ではありません。
だって前回の世界ですでに因果導体では無くなっているんですから。この世界はループから開放され、再構築された10月22日から派生した確率分岐世界の一つです。
きっと誰かが願って、そして
―――運命に翻弄され、散々苦しんだ白銀武にどうかもう一度チャンスを、と。
もしかしたらそれはカミサマ
この
ここまで来ると私も白銀武を補助する役割を持って、彼女にわざとこの世界に招かれた気がしてなりませんが・・・今ではそれは知りようがありません。
まぁそれはともかく、これでこの世界の
逆に言えばもうやり直しは効かないということですが。そこはがんばれ。超がんばれ。
二つ目は鑑純夏の処遇について。
天文学的確率とはいえ、彼女は擬似的なカミサマとして能力を行使しました。
このようなケースはぶっちゃけ前例が無いそうで、上も処遇に困っていました。まさか本じゃなくて登場人物がカミサマ化するなんて聞いた事がないそうです。
通常の事例ならば
ある程度、図書館の業務にも差支えが出たのですが、鑑純夏本人が事態を終息させたという事と、すでに本へのアクセス権を放棄している事、意図して改変を行ったのではなく極限状態での無意識領域下で起こったという事で咎めなしという事になりました。
・・・折角、物語がハッピーエンドを迎えたのにそれに水を差すのは司書としてどうなの?それ空気読めてなくない?という意見が上がり、それでいいじゃんという事になりました。
元々司法機関でもないですし、あくまで
あと、これは蛇足ですが彼女の体の不具合を削除させていただきました。
作戦が終了して彼女が帰還した後、身体や量子電導脳の精密検査をするでしょうが、そこで大騒ぎにならないように予め言っておきます。
別に00ユニットとしての設定を弄ったという訳ではありません。ただ人工物の体と魂の整合性を整えただけです。
・・・まあ恐らく人並み程度には生きれるんじゃないでしょうか?
無意識に感じていたストレスもなくなり、ODLの劣化も抑えられ、ODL洗浄もそんなに前ほど頻繁に行わなくても良くなるでしょうし、もしかしたら量子電導脳の演算速度もすこしだけ向上するかもしれません。
きっと貴女は彼女は00ユニットであって本人ではない。彼女の人格はデジタル化した情報を量子電導脳がエミュレートしているだけだと言い張るでしょうが、あれは鑑純夏ご本人ですよ。保障します。
そうでなければ流失した因果情報を受け取る事が出来るはずがありません。
『魂の
今の彼女はまさに「種族00ユニット」であり、人が造り上げた正真正銘の
彼女を生み出した夕呼さんはさしずめ神の御子を生み出した聖母といったところでしょうか?
・・・ごめんなさい。聖母は夕呼さんのキャラじゃないですね。精々哀れな女の子を生贄に捧げた悪い魔女といった所ですね。
さて、三つ目ですがこれはお知らせというか。贈り物というか。
とりあえず今まで頑張ってきた貴女へのプレゼントです。お受け取り下さい。
気に入ってもらえれば幸いです。
―――これがこれからも茨の道を歩み続けるであろう夕呼さんへの、ささやかな支えと励ましになれば良いのですが……。
場所は――――
▼その人は何処にいった?
「魔女に花束を」
―――【現在】極東国連軍横浜基地 地下19階 執務室
「~~~~~~~~~~~~ッ!!!」
「はぁ・・・。夕呼先生、笑うなら笑ってくださいよ・・・。」
「~~~~~~~~~~~~ッ!!げふわあははは!!」
武が横浜基地防衛戦時のB33フロアでの出来事を話すと夕呼は呼吸困難に陥った。
腹筋と横隔膜が痙攣していて、笑っているのか、それともひきつけを起しているのか夕呼自身でも判断がつかない。
いつもながらあちらは常識では測れない奴だとは思っていたが、ここまで荒唐無稽とは。
ドリル。ドリルって!!
だめ。無理だ。
「~~~~~~~~~~~~ッ!!」
ばん!ばん!ばん!
笑いのあまり、体をくの字に折り曲げた夕呼が、拳を力一杯執務机に叩きつける。
余程力が篭っていたのか、机が揺れるたびに机上から書類がヒラヒラ床に零れ落ちる。
その様子を見つめる二人の青年。
平凡な顔立ちの、どこかちぐはぐな印象を受ける胡散臭い青年と、精悍な顔つきの中にも、柔和な人当たりの良さを感じさせる好青年。
「そんなに変でしたかね?」
迷子あちら退役中尉。元戦史編纂資料室室長。
「そんなに変でしたよ。」
白銀武中佐。オルタネイティブ第4計画A-01部隊部隊長。
心底不思議そうに首を傾げるあちらに、武は疲れたように溜息をついた。
呼吸困難により夕呼はしばらくこちら側に帰ってくる気配がないので、二人は互いの近況を話し合った。
「そういえば白銀君、昇進したみたいですね。おめでとうございます。」
「ありがとうございます。
桜花作戦やMX3での功績が認められたらしくて。
後で聞いた話だと、殿下などの推薦なんかもあったみたいです。」
「?オリジナルハイブに突入したA-01部隊の人員は機密扱いになっているんじゃ?」
「それがオルタネイティブⅣが成功してから規制がある程度緩和されて一部の情報は公開されているんです。
オリジナルハイブが攻略された今、ハイブ内に突入してあ号目標を破壊した突入部隊は全世界の注目の的ですからね。
00ユニットなんかの中枢情報は駄目ですが、A-01部隊は国連軍特殊任務部隊として存在を公表されました。
今、ヴァルキリーズなんか結構有名ですよ?」
おまけに隊員全員が美人か美少女ですからね。
偶に国連軍広報部からもPR任務の依頼が来るんですよねー。
困ったもんですアハハハ。
武は微妙に乾いた笑いを浮かべた。
それにあちらはすぐにその笑いの意味を察する。
「ああ、嫁候補の載ったポスターがでかでかと貼られていたらちょっと微妙ですよね。色々な意味で。
・・・こいつら全員俺の嫁、みたいな?
―――独身の兵士達からは恨まれそうですね。」
「・・・ガクッ」
図星を指されてうなだれる武。
実際にPR任務の時、広報の人に「あ、シロガネハーレムの方々ですね。」と言われた事がある。
ちなみにその後、それに怒り狂った先任達に武は折檻を受けた。
曰く、お前が優柔不断だから駄目なのだ、と。
まぁ、武を誰かと重ね合わせてその鬱憤を晴らしていた感はあったが。
ちなみにシロガネハーレムと広報に部隊名を教えたのは夕呼だったりする。
「伊隅大尉なんかは大変だったみたいですよ。
大尉の姉妹や近しい人間は、伊隅大尉が後方の教導部隊に勤務しているものだとてっきり思っていたのに、情報が公開されて蓋を開けてみれば佐渡島ハイブ、オリジナルハイブを突入して反応炉を破壊した特殊部隊の中隊長だったんですから。
矢の様に説明を求める手紙や電報なんかが届いてげんなりしていましたよ。
けどそのお陰で大尉の思い人と距離が縮んだと、喜んでいいのかどうか少し複雑そうでしたね。」
話題がA-01部隊の話になり、最近の起こった出来事について語り合う。
しばらく話の花を咲かせていると、急に武はあれっという顔をし始めた。
何かを考え込み、思い出そうとしているようだ。
「あれ?そういえば何か忘れているような・・・。
なんだったっけ?」
しばらく武が頭を捻って、何かを思い出そうとするが中々それが出てこない。
「うがー!ここまで来てるのに思い出せねぇ!?なんかムズムズする!!」
イライラのあまり頭をかきむしる武。
―――みなさんは経験が無いだろうか?
学生時代に定期試験なり模擬試験なりを受けている時、
”これは知っている。勉強もした。これは
漠然としたイメージは浮かんでくるのだが、それが明確なビジョンとして出てこない。
しかしそれが出てこないと
今まで幾つもの戦場を駆け抜けて培った第六感はけたたましく警告を発している。
焦燥感は募るばかりで、肝心の何かは思い出せそうで全く思い出せない。
あちらは武の顔色がマスゲームの様に、コロコロ変わっていく様を見ていることしか出来ない。
武が分からないことが、あちらに分かる筈もなく。
そもそも、それに自身が深く関係するなどとは微塵も思っていない。
―――大変、不幸な事に。
思い出せない内容に焦る武と、完全に他人事のあちら。
しかし時間は無情にも過ぎて行き、彼らの持ち時間は切れてしまった。
「ッふふ・・・―――はぁ。すぅ―――はぁ。
・・・たく、ナニあんた達。私を笑い死にさせる気?私の類い稀な美貌と頭脳が失われる事は全人類に対する背信行為よ?
脳の替わりにブルーベリージャムが詰まってる様なあんたらとは違うのよ。」
「恐らく彼と夕呼さんは気が合うと思いますよ。・・・マッドサイエンティスト的な意味で。」
ようやく現世に復帰した夕呼は乱れた呼吸を整えながらこの原因となった話をした二人に毒づいた。
とは言っても、夕呼が話せと言ったから武は話しただけであり、それは完全に八つ当たりだ。
―――たがそれがどうしたと言わんばかりのこの態度。
よほど先ほどの無防備な醜態を晒したのが恥ずかしかったらしい。
強気に出て有耶無耶にする気満々だ。
さすが夕呼さん、マジ夕呼。
「で?なんで白銀は顔芸なんかしてんの?隠し芸のレパートリー?」
「いや、なんか忘れた事を思い出そうとしてるみたいなんですけど、なかなか思い出せないみたいで・・・。」
「ふーん、貧相な脳みそしてんのねぇ。」
夕呼が興味無さそうに武の百面相を眺めていたが、なにか思い当たりがあるのか急ににたりと笑い猫のような笑みを浮かべた。
ぞくり、とあちらの背筋が寒くなる。
あ、やな予感する。でもなんで?
「そう言えば白銀ぇ。あんた他の部隊員たちは?
―――速瀬とか涼宮姉妹とかあちらに会いたがってたんじゃないの?」
「あ」
武が間抜けな声を上げると同時に執務室の内線が鳴り響く。
しかしそれが二人には酷く薄ら寒いものに聞こえる。
「―――はい、私よ。あぁ、アホ二人なら此処に居るわよ。
構わないわ。邪魔だから引取りに来なさい。
・・・ええ、分かったわ。伝えとく。」
内線を切った夕呼は、武とあちらにこやかに内容を告げた。
「よかったわねぇ・・・。
美女が二人を
―――後、二人に伝言があるわよ。」
「・・・なんて?」
ごくり、と二人の喉が大きく鳴り、静かな執務室に大きく響いた。
「『ソ コ ヲ ウ ゴ ク ナ ヨ』だそうよ。」
「「ちょっと頭の頭痛が痛いので失礼させていただきますッ!!!」」
「イタイのはあんたらの脳ミソよ。」
伝言を聞いた瞬間、武とあちらは執務室の扉に向かってダッシュで駆け出した。
「こ、こんな所に居られるかッ!俺は自室に戻るぞッ!!」
「ちょ、白銀君。それフラグ(笑)。」
扉に駆け寄ると同時に執務室の扉が開き、武とあちらの二人はそこに飛び込んだ。
―――
「だが残念。回り込まれてしまった。逃げれない。
―――お久しぶりですね?迷子中尉。」
「アハ。アハハハハハハ。
・・・お久しぶりですね、速瀬中尉。遥中尉。涼宮少尉。」
そこには良く見覚えがある戦乙女が三人立っていた。
あちらと武が居なくなり静寂が戻ってきた執務室。
ただ静かに情報端末の駆動音のみが部屋に響いている。
椅子に腰掛けた夕呼はすっかり冷えたコーヒーを飲みながらくすくす笑っている。
先程の醜態の意趣返しを出来たのが嬉しいのか、それとも先程まで執務室の前で響いていた喧騒を思い出していたのか。
恐らく両方だろうが。
白銀とあちらは一人で勝手に先走った事と別れを告げずに姿を消した事を散々速瀬達に責められた後、何処かに引きずられていった。
ま、ブリーフィングルームかPXに連れて行かれたのだろう。
そこで弁護人なしの弾劾裁判の続きをするつもりだろう。
・・・あいつ等、お礼と言いたいとか言っていたけど、あれはすっかり抜け落ちているわね。
それはそれで面白そうだから別に良いけど。
くすくすくす
愉快気に笑う姿はあどけなく、まるで邪気がない。その姿は清楚で美しい。
その姿を人が見れば、それは本当に横浜の魔女と呼ばれた香月夕呼なのかと目を疑うことだろう。
・・・笑っている内容が人の不幸という所が最悪だが。そこは夕呼らしい。
笑みを浮かべながら夕呼は残ったコーヒーを飲み干した。
夕呼は一息ついた後、自分もPXで起きているだろう馬鹿騒ぎに参加しようと腰を上げようとした。
立ち上がろうとしたその時、夕呼は足元に無造作に散らばっていたファイルを踏み付けた。
あら、こんな所にファイルなんて放っておいたかしら?
・・・ああ、さっき笑っていて執務机を思いっきり叩いていた時に床に落ちたのか。
夕呼は落ちていたファイルを何気なしに拾い上げた。
そのファイルは夕呼が前に暇な時間に手慰みで書き上げた論文を纏めたものだった。
それは論文と言っても学会に提出する様な代物ではなく、その内容は因果律量子論を書き上げた夕呼をもってしても絵空事の空想であり、また検証の仕様もない思考実験をただ書き連ねただけの唯の走り書きだ。
”上位世界観について””多次元解釈と分岐本世界との考察””量子電導脳の
―――”
ザワッ
瞬間、突然執務室の照明が灯を落したかの様に暗くなり始め、部屋全体が薄暗くなり始めた。
徐々に暗闇は深くなり始め部屋を覆い尽くそうとしている。
その暗闇はただ単に照明が消えて部屋の闇が深くなったという訳では勿論ない。それはすでに不自然なほど暗闇は深く冥い。
よくよく目を凝らせば闇黒がまるで触手の様に蠢きながら広がって行っているのが分かるだろう。
しかし夕呼はその明らかな怪異に対して眉一つ動かさない。
ただその部屋の変容を現象として捉え、無表情にその様を観察し続けている。いや、その無表情の中に若干の侮蔑の色が含まれているか?
もうすでに執務室は闇黒に堕ち、辛うじて識別出来るのは夕呼の周囲だけだ。
情報端末のディスプレイのみが唯一の光源。しかしそれすらも飲み込もうと闇黒の怪異はさらに
「何に怯えているの?」
まるで闇黒に意思でもあるかの様に夕呼は問い掛けた。
本来ならその様な問答など関係無く闇黒は夕呼を覆いつくしただろうが、それは一体どの様な理由か。
ぴたり、と闇黒の腕は夕呼の目前で静止した。
闇黒が波打つ様に震える。
それはまるで闇黒が図星を指されて動揺したかのよう。
「ふーん。・・・これがそんなに拙いモンなの?」
夕呼がひらひらと論文の入ったファイルを眼前に翳す。
ぞわりと闇黒がざわめき、心なしか威圧感が増してくる。
「まさかとは思っていたけど、こんな手慰みに書いた論文が正鵠を射ていたなんてねぇ・・・。
―――そんなにあちらを
それは劇的な変化だった。
泰然として存在していた闇黒がまるで燃え盛る炎のように猛り狂う。
今にも自分を燃やし尽くそうとする闇黒の焔を、夕呼はなんとでも無いといった風にフンッと鼻で嗤う。
「どういう積もりでこんな回りくどい事をしてんのか知らないけどね。
あまり独占欲が強すぎると嫌われるわよ。
・・・ま、私には関係ないか。
安心なさい。この内容をあちらに知らせる積もりは無いわ。」
夕呼がそう告げると闇黒は幾ばくかの落ち着きを取り戻していく。
しかし何やら物説いた気な雰囲気が伝わってくる。
「どうしてかって聞きたそうね?―――いいわ。教えてあげる。
確かに私とあちらは友人関係だけれどね。別に互いに依存しあっている訳でもないの。
私の問題は私のもの。
あちらの問題はあちらのもの。
あちらから相談して来たなら兎も角、わざわざ懇切丁寧に一から十まで教えてやる必要は無いわ。
・・・ましてやこの天才・香月夕呼が告げ口紛いのダサい真似をするはず無いじゃない。」
夕呼は手に持っていたファイルを闇黒に向かって放り投げる。
放り込まれた論文は一瞬で闇黒に呑み込まれこの世界から消失する。
「さ、用事も済んだでしょ。ならさっさと失せなさい。
この世界はオリジナルハイブっていう最大の脅威は取り除かれたけどまだまだ予断を許さないの。
まだユーラシアにはBETAやハイブが山ほど残っている。
余計な事に脳のリソースを割いている暇は無いのよ。
それにこれからばかを苛める楽しいイベントがあんのよ。私は忙しいの。」
しっし。行った行った。
まるで犬を追い払うかの様に手を振る夕呼。
闇黒は夕呼は秘密を漏らすつもりが無いと覚り、
用は済んだとばかりに急激に暗闇はその姿を散らしていく。
段々と執務室はその本来の明るさを取り戻していく。
暗闇が晴れていくと、先程の怪異を全く感じさせない普段通りの執務室が現れる。
―――ただ空気の焦げたようなオゾン臭のみが怪異の残滓を感じさせた。
「―――ふぅ。ったく驚かせるんじゃないわよ。」
夕呼は肺に溜まっていたものを一息に吐き出して脱力し、椅子に勢い良く座り込んだ。
どっと出てきた冷や汗を拭い去り、気持ちを落ち着けるためにコーヒーを飲もうとしてカップの中が空である事に気がつく。
夕呼は舌打ちを一つついてカップを放り投げた。
「もうあんな化けモンと対峙するのはごめんよ・・・。」
体力気力ともにごっそり削られた・・・。
夕呼はずるずるとだらしなく椅子深くに腰を掛ける。
まさかあんな暇つぶしに考えた論文が当たっているなんて。
世の中案外わからないモンね。
しかしあの化け物はあちらを舐めすぎだ。
奴はあちらを
あちらはいずれ
どっちにしたってあちらにしか解決できない問題だ。
私は黙って必要な時にだけ話を聞けばいい。
夕呼はぼぅと背もたれにもたれ掛かっていたが、しばらくすると椅子を座りなおし執務机の引き出しを開けた。
引き出しを開けて取り出したのは一枚の便箋。
夕呼は便箋を丁寧に開封して中身を取り出した。
―――2002.1.1 極東国連軍横浜基地 正面ゲート前
夕呼は横浜基地を正面ゲートに向かって全力で走っていた。
「はぁはぁはぁはぁ!!―――ッッ!!
私は頭脳労働者なのよ!ッく!!これで碌なモンじゃ無かったら唯じゃ置かないわよッ!!!」
あちらの置き手紙に書かれてあった夕呼へのプレゼントは、
指定された場所は正面ゲート前の桜並木。しかも指定された時間まであと僅か。あまり時間が無い。
そのせいで夕呼は走っている訳だが、桜花作戦成功・オリジナルハイブ陥落の報に沸き立つ横浜基地内を司令室を飛び出して走っている夕呼はとても目立っていた。
全力疾走と羞恥により顔が赤くなっているが、その成果もあって一応時間内に指定の場所にたどり着く事が出来た。
基地内の大半の人員は桜花の英雄達を迎えるためにシャトルの発着場に集まっている。そのせいか正面ゲートの周辺には人影は疎らで桜並木前に至っては皆無だ。
夕呼は走って乱れた息を整え、時計をチェックする。
「もうすぐね・・・。けどここに何かあるのかしら?」
空を見上げる。
見上げた空はどこまでも高く夕焼けが眩しい。
この空がBETAに制空権を奪われているとは信じられない。そのまま飛んで行けば何処までも行けそうだ。
物悲しくも美しい紅光が周囲の廃墟と桜並木を彩り、辺り一帯を茜色に染め上げている。
遠くのほうでは兵士達の歓喜の声が聞こえてくる。
夕呼は桜の木に近づいて幹をそっと撫で上げた。
―――それはまるで桜の木に語り掛けているかのようで。
―――それとも桜に宿っていると言われる英霊達にでも語りかけているのか。
様々な感情や想いが胸中を駆け巡るがそれを吐き出す事無く、ぐっと飲み込み誓いを新たにする。
「もう時間過ぎてるんだけど―――。誰もいないし。・・・もしかして担がれたのかしら?
ふふ、あちら。良い度胸してるじゃない?
次に会った時覚えてなさいよ・・・ッ!?。」
その時桜並木を突風がびゅおうと吹き抜ける。
突然の事に夕呼は反射的に目を庇った。
―――何かおかしい。
今は一月。暦の上では新春と言っても未だ季節は冬だ。
しかしその風はまるで春風と言っても良いほどに暖かく、そして花の香りに満ちている。
それは一瞬の出来事だった。
夕呼が桜から目を離したのは風の吹いたほんの一瞬だけ。
しかしその極僅かな時間にプレゼントは目の前に現れた。
視界一杯を遮る色鮮やかな花びら。
そこには満開の桜が咲き乱れていた。
夕焼けの明かりに照らされて桜は鮮やかに彩られ、風に吹かれ桜の花弁はひらひらと舞い散り、幻想的な光景を創り上げている。
夕呼は随分と長い間その光景に魅入っていたが、我に返ったのか徐々に肩を震わせながら笑い始めた。
「―――ふ、ふふ。ッッふふ。あは!!あははははははははは!!
これが贈り物?あはははは!!馬っ鹿ねぇ!!
あちら。褒めてあげるわ!あんたは馬鹿でアホだけどサイッコーよ!!!あはははははは!!」
夕日が照らす桜坂に横浜の魔女の楽しげな笑い声が響き渡る。
それは発着場から聞こえてくる歓声よりは劣るが確かに基地に響いていた。
夕呼は笑いながら考える。
さて、これからが大変だ。
どうやってこれを誤魔化そう?
一月に桜が咲くなんて異常事態の何モンでもない。
しかも昨日まで欠片も予兆はなく、今日行き成り満開に開花した。
調査をしようと意見が出るだろうが、桜花作戦成功に沸き立つ基地の奴らはこの鎮魂の桜の開花に驚喜するだろう。
ま、幸いここは横浜基地だ。いざとなればG弾の所為にしてしまえば良いし、例え調査しても原因が解かる筈もないし想像もつかないだろう。
―――この満開に咲き誇る桜並木が、たった一人の女性へと贈った花束だなんて。
それが可笑しくって可笑しくって笑いこげる夕呼。
その目尻に光る涙は、一体どのような理由による涙なのか。
笑いによるものなのか。
歓喜によるものなのか。
それとも突然の別れによるものなのか。
それは分からない。
おそらく夕呼自身にも。
強く握り締められた便箋がかさりと鳴った。
―――極東国連軍横浜基地 地下19階 執務室
夕呼は便箋から取り出した手紙を読み返していたが、しばらくすると執務室の内線が鳴った。
「はい、私よ。
―――あぁハイハイ。分かった分かった。ブリーフィングルームね?すぐに行くわよ。
―――え?はぁ!?まりもが酒を飲んだ?誰が飲ましたの!?・・・飲ましたバカを人柱になさい。それで被害は最小限に済むはずよ。
・・・あちら?私が行くまで放っときなさい。はぁ…。」
夕呼は内線を切ると物憂げな溜息をついた。
自分が周囲を振り回すのは良いが、自分が振り回されるのは御免だ。
だが行かないという選択肢は無い。
こんな面白そうな
まぁ精々まりものとばっちりを受けないように立ち回って面白可笑しく事態を掻き回してやろう。
近い未来に訪れるであろう
くすくす笑いながら読み返していた手紙をそっと執務机の上に置く。
その時、夕呼の手が手紙の入っていた便箋に擦れて中身が外に顔を出した。
―――便箋から零れ落ちたのは淡い色合いの一枚の花弁。
―――あの冬に咲き誇った桜の花びらだった。
夕呼は机の上に零れたそれを唯じっと見つめていたが、花びらを丁寧に摘まみ上げると手紙の上にそっと添えた。
その時浮かべていた微笑は、いつもの意地悪気な笑顔とは程遠く。かと言って聖母の様な慈愛に満ちたものでもない。
それはまるで年頃の少女が浮かべるような無垢な笑顔だった。
その笑みをもし芸術家などが観ていたとすれば、それを額に納めようと躍起になり競って絵画を描いた事だろう。
ただ残念な事は夕呼自身も含め、誰もその笑みに気づかなかった事だ。
夕呼は手紙を優しく指で一撫ですると勢い良く立ち上がり、機嫌良く執務室を出て行った。
・・・以前、たった一つの幸いも無く魔女は死ぬと書いたことが事があるがそれは間違いだった。
未来はどうなるか分からない。悲劇に見舞われるかもしれない。その通りに魔女は孤独な死を迎えるかもしれない。
だがこの時ばかりは。
夕呼は幸せですかと聞かれ、おそらくぶっきらぼうな顔をしながらも否定しなかっただろう。
―――そして彼女は得難い親友達と部下の待つ場所へと向かって行った。
部屋の主がいなくなり照明が消され、静寂と薄暗闇に包まれた執務室。
執務机の上には剥き出しに置かれたままの手紙。
それは桜花作戦後に失踪したあちらがしたためた夕呼への置手紙。
内容は部屋が薄暗いため読む事が出来ないが、辛うじて手紙の文末のみを読み取る事が出来る。
そこにはこう書かれている。
―――如何だったでしょう?
贈り物は気に入っていただけたでしょうか?
桜自体は後数日で散ってしまいますが、G弾による影響もついでに『切り取って』おきました。
春になれば綺麗な桜が見れるんじゃないでしょうか。
つい長々と書いてしまいましたが、これで一旦お別れです。
機会があればまた寄らして貰うかもしれません。
在り来たりですがこれからもお体には気をつけて。社さんや他の人達にも宜しくお伝えください。
では、また会える日を楽しみにしています。
”いつでも貴女の信じるままに”
―――貴女の親愛なる共犯者にして親友より
―――迷子あちら
手紙の最後には先程夕呼が添えた桜色の花弁が一枚。
それはまるで寄り添うかのように、あちらの名に桜の花びらが添えられていた。
---END.