その人は何処へいった?   作:紙コップコーヒー

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2.迷子と司書

「―――君は、誰?」

 

「…さぁ?一体、誰なんでしょうね?」

 

 

そこは薄暗い、本棚の森の中。

本棚の”森”とはおかしな表現だが、四方八方乱立する、首が居たくなる程高い本棚の群れは、もはや”森”としか言い様がない。

そして、目の前の胡散臭い自称司書の言葉を信じれば、ここは何処かの図書館らしい。

 

 

周りを見渡せば、薄暗い中にそびえ立つ天突く勢いの本棚達。

 

 

明りはどういう原理か。宙に点々と浮かぶランタンの茫洋とした灯りのみ。

 

 

そして目の前には、長々と一人語りを始めた挙句、行き成り誰何してくる謎の司書―――

 

 

その誰何に対し、私はまるで他人事のように返事を返した。

そんな事聞かれても、分からない物は分からないのだ。

寧ろ、図書館なのにランタンは良いのか。火気厳禁じゃないのか、といったどうでも良い事を考えていた。

 

……実は余りの状況について行けず、思考を放棄しているのかもしれない。

 

私は何処から来て、何処へ行くのか。

そういう、哲学とかモラトリアムとかは今は関係がない。

 

本当に自分が何処の誰なのか。何故こんな場所に居るのかが分からないのだ。

 

 

 

           本当に自分は誰なんだろう?

 

 

ここはどこ?

 

わたしはだれ?

 

 

……まさか現実にこんなベタな台詞をいう日がこようとは……いや、昔の記憶は無いんだけどね?

 

 

―――この胡散臭い自称司書と出会う前、私はあの森のような本棚群の中を歩き回っていた。

 

 

何時から歩いていたのかは分からない。

 

何処を目指して歩いていたのかも分からない。

 

気がつけば、私は薄暗い本棚の森を歩いていたのだ。

 

しかし、目的があった。あったはず…だ??

 

言い様のない焦燥感に駆られて、歩きまわっていた。もしかすると走っていたかもしれない。

 

気がつけば歩いていた。

 

 

―――でも何時から歩いていた?

 

 

―――でも何処から歩いていた?

 

 

いつ? どこから? なにを? だれを? どうやって?

 

言いようの無い不快感が全身を這いずり回り、思わず叫び出して頭を掻き毟りたくなる。

もし私が一人っきりでここに立っていればそうしていただろう。

 

 

「あの、君?」

 

「――あ…す、すみません。考え事を」

 

 

どうやらずっと待っていてくれたようだ。

実は良い人なのかもしれない。さっきは胡散臭いとかおもってごめんな。

周囲は薄暗く、光源は茫洋とした明りを放つランタンしか存在しないためか、自称司書の顔の輪郭はぼやけてはっきりと表情が分からない。

 

背は高いようにも見えるし、低いようにも見える。

声ははっきりと透るような声色だが、聞き様によっては男にも女にもどちらにも聞こえる。

 

恰好は奇妙奇天烈な服装で、体をすっぽりと覆った、作業には不向きそうな闇色のローブを肩から羽織っており、頭には魔女が被っていそうな、同じく闇色のとんがり三角帽子を被っている。

 

……。

薄暗いし、気のせいかもしれないが、ローブの裾がうねうね蠢いているように見えるんですけど…?

 

―――考えるのをやめよう。

ランタンの灯りが織りなす陰影の濃淡でそう見えるだけに違いない。うん。

 

そんなとても奇妙で、実に胡散臭い自称・司書。

 

……名前は確か―――

 

 

「厚木さん?」

 

「…何故に厚木?そもそもまだ名乗ってすらいないし。

私の名前は「厚木さん」そうそう厚木さん…って違う!私の「厚木さん」…。…わ「厚木さん」………。

 

―――厚木でいいですよ。もう」

 

 

変な「厚木さん」だ。いきなり名前を呼んで照れたのかな。

…べ、別に名前を覚えるのがめんどくさくなった訳じゃないんだからねッ!

キャラが濃過ぎて覚える気がしないとか、そんな事も無いんだからねッ!勘違いしないでよねッ!

 

 

「ちょっと君。声に出てる」

 

「え?何がです?」

 

「…いや、何でもないよ。―――……疲れる」

 

 

何か厚木さんがぼやいているがまぁいいや。

しかし自分は誰なんだろうか?自分の名前も思い出せないというのはどういう事だ。

 

 

「気がついたらここを歩いていたんです」

 

「…気がついたらとはどういう事です?

歩いていたということは、目的ないしは目的地があったんですよね?」

 

「そうなんですが…。

ウトウトしていていきなりハッと目が覚めるような。いきなり酔いが醒めるような。

何か目的はあったんです。目的地はあったんです。

 

―――何かをしなければ、という言いようのない焦燥感がある」

 

「しかしそれが何かは分からない、と?」

 

「…はい」

 

 

司書の厚木さんは何か思い当たる節でもあるのか、考え込んでいた。

 

 

「自分がどこの誰であるかは覚えていますか?」

 

「それが、さっぱりで」

 

「ここに”迷い込む”前の事は覚えてますか?」

 

「いいえ。一番古い記憶ではすでにこの暗闇の中を歩き回っていました。

時計が無いので分かりませんが、相当歩き回っていたはずです。その後、歩き疲れて本棚に座り込んでいた所を貴方に声を掛けられたんです」

 

 

―――ん?ちょっと待て。

 

 

”迷い込んで”??

 

 

「……なぜ私が迷い込んだと?」

 

 

ここが自称司書の言う様に本当に図書館ならば、私は単なる利用者としてここにいたのかも知れない。

利用者としてここを訪れ、何かしらの事故に遭い記憶を失った。もしそうならば、”迷い込んだ”という表現は使わない。不適切だ。

それなのに何故”迷い込んだ”と断言できる?

 

そしてその答えを司書は口にした。

 

 

 

「―――君は恐らく、本の世界の住人だね」

 

 

 

 

じーざす、ぼくはファンタジーの住人なんだって。ははは


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