~悪夢の羽化~
エドウィン・ウッズが学会で追放されて5日後、次の“植物病”患者が確認された。
世界で二番目に確認された患者の名は、ジョン・フェラルド、アメリカ西海岸に住む、会社経営者だった。
彼の症状は、エドウィン・ウッズの報告書に書かれた内容とほとんど同じであった。
彼の専属医師、アラン・グレンが手記にこう残している。
――――――――――――
ウッズ氏の報告書は、正しかった。
間違っていたのは、彼を追放した我々、学会の方だった。
我々は、エドウィン・ウッズに“植物病”について教えを乞わねばならない。
――――――――――――
ジョン・フェラルド以降、ひとり、またひとりと“植物病”患者が確認された。
これにより、エドウィン・ウッズの報告書は正しいものであったと判明した。
彼を追放してから半年後、学会は“植物病”の存在を正式に認め、彼の名誉と学会への参加権の回復を認めた。
しかし、それは遅かった。
学会から追放された後、彼は“植物病”に関する全ての研究結果を焼却し、消息不明となっていたのだった。
彼は、その後遺体として、森林の中で発見されることになる。
“植物病”の第一発見者ともいえたウッズの死により、学会は大きな痛手を負うこととなった。
ウッズの追放という過ちを犯したゆえ“植物病”研究結果が失われてしまったのだ。
それを悔やんだ学会は次の事を決定した。
――――――――――――
・“植物病”患者の治療に当たる医師は、報告書を作成しなければならない。
・“植物病”の患者が死亡した場合、その遺体を解剖してかまわない。
・標本として、長期間保存するための処理をしてもかまわない。
――――――――――――
しかし、遺体の扱いに関する条項は世間から批判を受けることとなった。
―身体を半永久的に保存するのは人間の尊厳を傷つける―
―人間を“モノ”として扱う時代ではない―
反対派の言い分は、以上のことであった。
世界中で反対デモが繰り返され、いくつかの国では裁判となったが、すべて学会寄りの判決となった。
これにより、各国は学会の決定を合法化するための法律を制定することになる。
それから、“植物病”の患者に関する報告書が増えていった。
患者の遺体は、大学に運ばれると、
あるものは解剖され
あるものは冷凍され
あるものはホルマリンの中に保存され、研究室に陳列されることとなった。
とある大学の研究室には、ホルマリン漬けの人間の身体がたくさん並んでいった…………。
すべては、“植物病”の研究のためだった。