甘粕正彦による英雄譚   作:温野菜

13 / 14
第13話

学園廊下、焦れるかのように櫻井螢は佇んでいた。今の彼女からは余裕の余地が感じられない。それぐらいにこの学園で邂逅した人物は螢にとって衝撃的であった。

 

甘粕正彦。その名前を螢は脳裏で反芻する。刻み付けられた、それは彼女に永劫、消えない傷として残るのではないのかと思わせるほどのものだった。個我が量を圧倒する。言葉にすれば単純なものではあるが、そう簡単な話ではない。少なくとも螢の短くも濃密な人生経験において、そのような人間は記憶にない。黒円卓には多種多様な人物はいた。何れもが常識はずれで鬼畜外道でもあることを。人の道という、無くしてはならない尊いものを塵屑であるかのように捨て去った者たち。中には例外はいたが、それも少数だ。今や、覚悟は有るとはいえ、その中にも自分も入っていることを皮肉げな感情が螢に浮かぶ。

しかし、それも霧散する。現状は別のことが気にかかる。どうでもいいわけではないが、脳を埋め尽くすは一人の男性。ロマンチック、もしくは乙女を想像させるものだが、現実は違う。有るのは、正体不明、未知に対する恐怖。だからこそ、拭いがたいそれを払拭するには彼のことを知らなければならない。故に、先ほど、学園へと登校してきた藤井蓮を知覚し、廊下の階段で待ち構えていたのだ。残念ながら、蓮には櫻井螢と問答する余裕など無いに等しかったが。だからこそ、目的の男と鉢合わせれば少しはましになるだろう。そこに自分も立ち会えばよいのだが、正直なところ、甘粕正彦と眼を合わせたくない、それが螢の胸中である。少し前に足早に去った蓮の足跡を視ながら、一人、溜め息をつく。こんなはずではなかった、心中に浮かび上がる泣き言めいた、それを切り捨てることが出来ない。

……味わいたかったのだ。学園生活というものを。自分はどうしようもないところに堕ちてしまった。暗中、闇一色の場所に。自ら望んだこととはいえ、光ある場所へ赴きたくなる。手が届かないのは仕方ない。切り捨てたものだから。しかしながら、そんな暖かい日溜まりのような、麗らかな日々があることを感じたかった。……この世は地獄ではないこと、確認するために。悲しいことがあろうとも本人の努力しだいではそれに勝る喜びがあることを。

 

「……兄さん、……ベアトリス」

 

螢の最愛の人たちの名前が口元から溢れる。貴方たちを喪った絶望を今でも夢見るほどに覚えている。

取り戻したい。愛しい人たちを。もう一度、一緒に笑い合いたい。望んだのはそれだけ。世間一般的には大層な願いではないだろう。何処にでもありふれた願いだ。されど、それが死者ともう一度、共に過ごしたいと言うのであれば話が違う。……本気で行動を起こせば、その人間は狂人だ。真っ当な人間ではない。

「あと、もう少しだよ」

 

螢の決意、狂人と呼ばれようが捨てきれない望み。例え、願う相手が悪魔の類いであろうが足を止めることは彼女には出来なかった。

螢のセンチメンタル、それを炎へと変える。螢の内部で燃料を注ぐか如くに燃え上がる。

だが、突如として螢の思慮に耽る行動を打ち切らねばなくなった。総身全てで感じたのだ。世界が切り替わる感覚を。螢は窓側へと駆け寄る。そこに写る光景は昼間の様相ではなかった。――夕焼け、夕焼けである。余りにも常軌を逸した光景。恐らく時計を視れば、未だ昼の時間帯を指しているだろう

 

その夕焼けすらも変わる。日は沈み、闇へと堕ちてゆく。昇るのは見上げる必要すら感じられない、巨大な満月。同時に身体中に掛かる倦怠感、否、そんなものではない。虚脱感と唱えたほうがいい。自分の身体中へと回ってる精気を悉く吸い尽くされる感覚。臭い、臭気もまた凄まじい。空間全体にこびりついた血臭が鼻の奥底まで届いていき、脳を直接、強打されているような錯覚を覚える。

「……創造」

 

螢は知っていた。常人なら理解が及ばない光景が炸裂しているが、彼女は違う。彼女もまた黒円卓の一員にして、創造位階へと達している身。なればこそ、この異常に直ぐ様、冷静になれた。ならば、だれがこれをやった?いや、深く考える必要性はない。昼から夜へと落とす。つまるところ、この創造を使用した人物は夜こそが自分のテリトリーと自負している。ならば簡単だ。黒円卓でそのような人物は一人しかいない。本人のキャラクター性がよく現れている。螢の脳裏には軍装を身に纏ったアルビノの鬼が浮かび上がる。

 

「……ベイか」

 

ヴィルヘルム・エーレンブルク。だが何故の疑問符が浮かぶ。いったい誰と戦うつもりだ?藤井蓮?いや、恐らく違うだろう。今の彼は弱すぎる。ベイ風にいえば、そそらねぇの一言である。……ならば「――甘粕、正彦」

 

それしかいない。それこそがヴィルヘルムの標的。しかも聞いた話では何やら昨夜に因縁すらも出来上がっているとのことだ。螢は納得と共に思考が研ぎ澄まされる。今のあれに何もするなと行動を縛るほうが難儀する。加えて、ここはスワスチカ。ヴィルヘルムが自重する理由が何処にも無い。猊下の命であれば、あるいは縛ることも可能ではあろうが、しかしながら行動が速すぎる。まさか、邂逅した次の日に即座に学園へ特攻するなど思いもしなかった。まして、初っぱなからアクセル全開。本能のままに生きている者たちは読みやすいが何から何まで突拍子もない。

 

状況が進むいま、螢のいる上の方からは爆裂音が炸裂している中で校舎全体がグラグラと揺れすらも感じる。そんな阿鼻叫喚とした現状の中心で、可笑しなことに生徒たちのざわめき声がいっさいとしない。これも予想は出来る。螢は手近なクラスの教室に扉へ手を掛ける。開け放たれた、そこに写し出された光景は半ば思い至るものであった。

精気を奪われ、手足から萎んでいき、死体同然と成り果てている人型の物体たち。まだ息はある。しかし、まだだ。少しも経たないうちに死体同然から死体へと変わるだけ。

 

螢は高速思考で頭を回す。どうするかは決まっている。先ずは屋外に出るために入った教室から窓辺に足を掛け跳び去る。一瞬の滞空、同時に着地。高速の疾走で校舎から離れる。そして屋上へと視線を伸ばす。離れた、ここからでも響く破壊の轟哮。対峙する二人の男。激烈な熱情はたとえどのような距離からでも伝わせることを可能としていた。学生服を纏う男、甘粕は無手であろうが関係なく果敢と攻めへと転ずる。及び腰なぞ、この男に存在しない。ほとんど、初対面である螢ですら、それを察することが出来た。そして、それはあの男、ヴィルヘルムもまた同じである。戦場こそが己の故郷を体現しているこれも喜悦し、血濡れた熱情で端整な顔を狂貌へと変貌させている。状況は拮抗していた。どちらに天秤が傾いても可笑しくない両者の実力。アレに割っては入る愚か者は螢含めて、この場にはいない。

だがしかし、均衡が取れた両者の実力だと、疑う余地が存在しないと螢は思っていたが、それは違った。遠視する螢の視界に映った甘粕の気配が変わっていく。螢の総身が一瞬、身震いしたのだ。この後に訪れる不吉を予期していたかのように。甘粕が天高々に掲げられた掌を見届けた瞬間

 

「リトルボォォォイ!」

 

甘粕の魔哮によって発現、形成されたソレを視界に入れたや否や、螢は自分の遅すぎる判断を罵った。即座に形成させた剣を一振り、地面に向かって振り下ろす。人外の膂力により地に大きな陥没が出来る。そこに身をスルリと忍ばせる。

 

刹那、空間の全てを圧死させる閃光が瞬く。薔薇の夜を崩壊させかねない人口太陽。

「く、ァァ―――ッ」

 

身を焦がす、熱量に悲鳴と絶叫が洩れそうになる。しかし鋼の意思にでそれを組み伏せる。炎の属性を宿している自分が圧倒的熱量によって滅ぼされそうになるなんて、心底どんな冗談だ。即席で造った塹壕が意味を為したかは螢にはわからない。それでも刹那の時間で某かの防御体制を取らなければと螢は行動に移したのだ。

 

再生と復元を繰り返す身体。数少ない魂を燃料とし、何とかこの場を切り抜けようとする。だが、それも終わる。人工太陽は沈み、また夜へと変わる。しかし、その薔薇の夜も今にも崩壊しそうな気配を螢は感じた。そして螢自身も致死に至りかねない高熱に身を焼かれながらも瀕死ではあるが、生きてはいる。呼吸は乱雑としており、外も中身も焼け爛れている。しかし、生きている。戦闘の余波でこちらまで損害を与えてくる馬鹿げた力に戦慄を覚えるが、更なる苦境が螢に課せられる。先程まで、今にも崩壊しそうであったヴィルヘルムの薔薇の薔薇が密度を増したのだ。道理が外れた界の支配力。ただでさえ、満身創痍な螢を苦しめたのだ。

「―――――ッッ」

 

もう悲鳴をあげる余力すらなく膝立ちから地面に倒れていく。朦朧とする意識の中で時間が曖昧となっていく。

 

(私、ここで死んじゃうのかな…………い……や、いや…だ、嫌だ!!)

 

私はまだ何も成していない。願いも叶えず、無為に無様に死に果てるのだけは櫻井螢の矜持が許しはしない。度重なる不運も自分の熱量へと変えて生存の欲求を高める。短い時間の間に愚直に生きることだけを考える。それが効を為したのか、幸運が運び彼女に手を伸ばしたのかは不明だ。

 

月が堕ちる。夜魔に爛々と輝いていた満月は跡形もなく消滅していく。螢の身体も身にまとわりついていた虚脱感から解放される。彼女もまた、それらに解放された安堵ゆえか気丈なまでに意識を保っていた糸がプツリと切れ、暗闇に沈む。並びに彼女は再度、心身共に甘粕正彦の名が刻み付けられた。

 




被害者、櫻井螢、加害者、甘粕正彦、ヴィルヘルム

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。