甘粕正彦による英雄譚   作:温野菜

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第8話

闇は深くなる。深く、深く、どこまでも。ここはもう人の住む世界ではない。月は爛々と光、眩いている。穏やかな気分が味わえそうな光であるのに何故か忌嫌してしまう。空は風が吹き寒々した中には血を煮詰めて腐らせたヘドがでそうな匂いが混じっている。そんな中で二人の男女が走っている。男は白髪にサングラスを掛けた美麗な相貌。そして野性味溢れるどころか身体の芯の其処から染み付いた血臭は、もはや猛獣そのものである。女は……否、少女と言った方が正しいか。美しい赤毛、幼さがある、その面貌は愛くるしさと妖艶さが混じり合い、眼を惹き付けるものがある。

 

しかし、この男女、走っているという言葉は正しいのだろうか?人間が理論値ではあるが走って出せる瞬間最高速度は約60キロである。たが彼ら、二人を見ると片手間な表情で時速150キロはだしているだろう。そんなことは人間に可能だろうか?……不可能だ。ならば、彼らは人外。正しく人ではないのだ。

「糞がっ!ナンでわざわざ俺たちが極東の糞猿を観に行かなきゃいけねーんだよ」

 

白貌の男、ヴィルヘルム・エーレンブルクが苛立ちのままに悪態をつく。ヴィルヘルムにとって、その悪感情は当然のものだった。シャンバラ、つまるところ諏訪原市で長年待ち続けた聖戦がやってくる。そのはずが、使い走りなのだ。しかし、いまのクリストフは首領代行。命令違反は自分の本当の主の背信行為。それだけは許されない。ゆえに例え、どのような気に食わない命令でもヴィルヘルムは聞き届けた。

 

「そう?わたしは別にいいわよ。この子、結構かっこいいし」

 

隣を並走していたルサルカ・マリーア・シュヴェーゲリンは写真を見ながら下唇を舌で撫でた。その写真に写っているのは一人の男、甘粕正彦である。

「はっ!テメーはまたそれか、マレウス。生憎とこちとら、男に欲情する趣味は持ち合わせていねーんだよ」

 

ヴィルヘルムはそう吐き捨てた。先ほど、彼はマレウスと読んだがこれは愛称またはアダ名のようなものだ。

今、彼らは黒円卓首領代行ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリーンからの命令によって諏訪原市内にある住居へと向かっていた。そこは孤児院。甘粕正彦の住居でもある。

 

「それに孤児院って小さな子供たちとかもいるのよね。そんな子たちと遊んだら、この子はどんな顔をするのかなぁ……てね」

 

暴力的であり嗜虐な笑み、少なくとも遊びと言ったがマトモな遊びではないだろう。少女の姿ではあるが滲み出る気配は魔女と言っても差し支えはない。「なら、勝手にヤってろよ。俺はメンドクセぇ」

 

ヴィルヘルムはやる気のない姿である。しかしこの両者に共通している事項がある。それは人の命というものにまるで頓着していないことだ。彼らは人間という生物を格下の存在と見なしており、つまりは虫と似たようなモノとしか認識していない。彼らが向かう孤児院で残虐の限りを尽くし相手が泣こうが喚こうが気にしない。

 

ヴィルヘルムのやる気のなさは他にもある。自分たちの敵役である副首領の代行またはツァラトゥストラ……らしい人物を発見したこともそれに拍車を掛けている。いくら命令とはいえ、ただの人間に興味などないのだ。そんな常人なら二人の正気を疑うような会話を繰り広げていた両者ではあるが、…………突如とその走行を急停止したのだ。目的地まであと数百メートル、人外である彼らなら、モノの十数秒で到着してしまう。だが彼らは止まる。ほぼ同時に。コンマも違わずに両者は止まる。まるでその先が断崖絶壁であるかのように。

「……ウソよ……あり得ない、あり得ない」

 

ルサルカに先ほどの余裕は無い。何かとても恐ろしい恐怖体験を味合わせられたように。嫌々と受け入れられない事実を前に茫然自失している。

 

「ッッッッ!」

 

それはヴィルヘルムとて同じである。二万以上の魂を宿している自分自身の身体が全神経が生存本能のままに任せて退けといっている。己れの身体はまるで聞き分けの無い子供のように泣きわめいている。

 

彼ら、二人の前に在るのは、ただの圧力。カタチもない重さも無い圧力。だが彼らには視えるのだ。それが徐々にカタチ造り、魔王の貌(かお)をしていのが。ここより先は死地。誰一人と生かさぬ。そう言わんばかり。

「ッッッッ!!!!」

 

ヴィルヘルムは声無き絶叫を上げた。それは自分自身の不甲斐なさに度を超えた怒りを覚えた。……怯えた、怯えたのだ。俺が。黄金の獣の爪牙である自分が。なんて無様。どうしようも無いほどに腑抜けていたらしい。それを理解した瞬間に思わず雄叫びを上げたのだ。そしてヴィルヘルムは疾走する。速く、速く、速く。先の自分を払拭するには眼前にいる俺の敵を殺さなければならない。しかし、しかし、しかしッッ!

 

「く、くはっ……はははははははは」

 

置き去りにしたルサルカのことをまるで気にしておらずに口元からはくぐもった笑い声から狂笑に変わる。それは歓喜。迸るほどの歓喜。いる、いるじゃねぇか。ここに。最高の敵が。ああ、駄目だ、笑いがとまらねぇ。さっきのガキはまるで駄目だった。たしかにメルクリウスの糞野郎と被って見えていたが、それだけだ。つまらねぇ、つまらねぇ、つまらねぇッッ!! くるぞ、くるぞ、くるぞ、くるぞッッ!!俺の望んだ闘いが……俺の望んだ殺し合いがッ!

そして、ついに鬼の疾走は終わりを告げた。そこは少し開けた場所であり目的地の孤児院ではない。だが、ヴィルヘルムの目的は、地ではなく、人である。彼の眼前には……いた。写真に写っていた学生服ではないが軍服を着こなしており、腰には軍刀一振りを携えている。その姿は正に彼の為の晴れ衣裳にさえ見える。

 

「ーーああ、しかし、久しぶりに着たが実にしっくり来るな。よく形から入るという言葉があるが、アレは的を射てると俺は得心したぞ。今の気分は存外に悪くない」

 

眼前の男、甘粕正彦はそう宣った。

 

「てめえがそうか……」

 

自分に降りかかる、ヴィルヘルムにして想像を絶するほどの圧、圧、圧。思わず膝を屈しかねないほどの。目の前に来てこそ、ヴィルヘルムには直観、感覚的なものでわかったことがある。この男は戦猛者といった類いでは無く、裁定者といったほうが正しいのだろう。何処までも澄んだ性質を帯びており虚飾というものが感じられない。凶念に濡れきっているヴィルヘルムと甘粕正彦の両者の性質を見比べれば、それは罪人と裁判官の構図が思い浮かぶだろう。

「おまえの要望に応えられているか、どうかは解らんが俺が甘粕正彦だ」

 

甘粕は泰然としている。彼は自分に向けられている悪意を感じとり、彼にとっての戦化粧をめかしてから、この場に来たのだ。

 

「ククッ、あぁ……そうか、そうか、てめえがそうなのか……甘粕正彦、よぉく、その名は覚えておくぜ。戦の作法だ。名乗り返してやるよ。ーーヴィルヘルム・エーレンブルク=カズィクル・ベイだ」

 

ヴィルヘルムがした、この口上を黒円卓のメンバーが聞けば驚きを隠せないだろう。何故ならヴィルヘルムは自他共に認める差別主義者だ。事実、彼はよく日本人を黄色い猿など揶揄している。つまり、認めたのだ。ヴィルヘルムが。目の前にいる人間が敵手として相応しいと。

 

甘粕は腰に帯びていた軍刀をスラリと抜く。何も語らず。解っているのだ。この手の相手のことを。語ったところで意味を為さない。そういったものを戦場で持ち込むのは白けるからであり、そして甘粕も単純明快な、その倫理は嫌いではなく、好ましいものでもある。…………互いに無言。初動で動いたのは戦闘意欲が旺盛なヴィルヘルムではなく甘粕だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

甘粕は一歩を踏み込み、足を地面に向かって蹴りあげる。ーー速い。甘粕のそれは人智の限界に達しきっている速さである。あっという間にヴィルヘルムへと詰める。甘粕は軍刀を振り抜く。一閃、二閃、三閃と。その全てが同時に振り抜いたのかと疑いたくなるものだ。だがしかし、ヴィルヘルムはそれを容易に防ぐ。避けるという行為さえしない。もとより彼に霊的装甲がある。物理的に彼にダメージを与えたければ核弾頭ぐらいは持ってこなくてはならない。……甘粕が盧生の力があれば核弾頭など簡単に造り出せるだろう。柊四四八との闘いでは事実、使用していたのだから。今の甘粕にそれはない。世界の理が違うのだから、それも当然である。しかし、もし甘粕がソレを使えたとして奮いはしない。――邯鄲から持ち出していいのは邯鄲を制覇したという誇りだけ。今でも変わらず甘粕はソレを守っている。

ヴィルヘルムは人外の力を思いのままに奮う。武術の型なんてものはない。むしろ獣のごとく闘いである。本能のままに奮う、それは児戯めいたものを感じるだろう。しかしそうではない。彼はそれでいいのだ。よく嵌まる。最も自分にあったスタイルなのだから。ヴィルヘルムの拳打、甘粕はソレが見えない。その人外の力にあくまで人間として最高峰の甘粕の力では眼で捉えきれないのだ。だが、甘粕は避ける。見えなくても視えるのだ。殺気、直感、そして経験。甘粕には積み重ねてきた歴史がある。邯鄲の一万年の自己研鑽はそれに応じて凄まじい。

ヴィルヘルムも甘粕のそれに眼を剥く。彼をして驚きを禁じ得ないのだ。人間の身でありながら、ここまで到達し得ていた甘粕正彦という男に。……武技に関してはマキナより上じゃねぇのかと。

「くははははッッ!何なんだよっ。てめえはよ!最高だッッ最高だッッ最高だッッ、ははははははッ」

 

ヴィルヘルムの言葉になっていない言葉。だが伝わってくる思いはよくわかるだろう。満たされているのだ。相手の攻撃が意味を無くしていなくてもヴィルヘルムは満たされているのだ。……ヴィルヘルムは甘粕正彦を侮ってはいなかった。しかし、間違いがあるのだ。この男を人間として判断しているのだ。確かに人間ではあるがそれだけではないのだ。物語の勇者はいつだって強敵を前に苦戦をすれば強化するのだから。せめてヴィルヘルムは位階を一つ上げて形成にしておくべきだったのだ。

 

甘粕は変わらず軍刀を振り抜く。確かに今まで通りで変わらずに振っていたら何もないだろう。……変わる、変わるのだ。甘粕正彦はいつだって成長している。そして信じているのだ。誰にも理解されない域で人間の可能性を信じている。それは自分自身も含めて。ゆえにこの結果は必然。甘粕にとっては当然のものだった。避ける意図さえしなかったヴィルヘルムは魔人が振った一太刀に血飛沫をあげた。一瞬、ヴィルヘルムの思考に空白が生まれる。だが動物的本能によって直ぐ様、回避に移ろうとする。しかし、甘粕はそれを見過ごす男ではない。追撃する。一太刀、二太刀、と。ヴィルヘルムの思考に言葉が一つ。死の危険が浮かび上がる。何故という疑問にはヴィルヘルムの思考に一つも浮かばない。唯あるのは己の敵に対する感嘆のみ。傷ついた身体を雑多な魂を燃料として癒す。そんな隙を魔人は見逃さない。

 

 

ヴィルヘルムは思う。間違いなく自身がこのまま闘い続ければ形成に移行する前に殺される可能性が高いと。ならばどうするか?それでも闘うか?それもいいだろう。闘いが己の本分。可能性なんて知ったことではない。それでも俺は勝つのだ。……しかし、ここにスワスチカはない。敗北なんて更々考えるつもりはないが……黄金の忠臣としてそれは不味い。闘いの舞台を間違えているのだ。ならば取るべき選択肢は一つ。

――――撤退だ。ヴィルヘルムは全力で退いた。それは死を恐れてのものではない。単に死に場所ではないのだ。あぁ、あぁ、屈辱だ。屈辱過ぎる。ただの人間に逃げ帰るしかないなんて無様だ。だが、しかし、

 

「ああ、今はスゲェ気分が良い」

 

元より偵察ではあったが、しかし、ヴィルヘルムにとっては素晴らしい対価だったのだ。いずれまたぶつかり合う。確信しているのだ。アレが何もしないままの筈がないと。

 

 

途中でヴィルヘルムはルサルカを拾った。酷く怯えてはいたが……黄金の尖兵としてあるまじき情けない姿ではあるが、もし普段のヴィルヘルムであれば、この目の前の魔女を殺してやりたいと思ったりもするが、本当に気分が良い。

 




存外に速く書き上げてしまいました。ちょっと予想外です。あとこの甘粕は神座世界風に言うなら求道型の覇道です。人々に試練を課す魔王でありたい。で求道。人々の勇気、奮起する姿が見たいで覇道です。私のイメージですけどね。追記で甘粕が何故ヴィルヘルムに傷をつけられたかは次の話か、もしくはもう少し先の話で書きたいと思います。ベイも能力を使っていませんからね。前哨戦ですよ、きっと。

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