繁茂する草々、共に茂る白色の花、この世界の中央に鎮座する石造りの屋敷を除けば、人間臭さのある物は何処にもない。深い霧と数多にある石柱、果ての見えぬ地平線だけが広がるばかりだ。
「ボロボロだな、ガスコイン、もう引退か。」
屋敷から坂を下り、鉄で編まれた扉を抜けたその先、白色の花が絨毯のように生えるゆるい傾斜の奥、大樹の前、車椅子に座る老年の男が嗄れた声で言う。
「巫山戯るなゲールマン、俺はまだ死ぬわけにいかない。」
対してゲールマンと呼ばれた男の前に、同じく老年の男、ガスコインが立つ。
「何度夢に戻ってきた、何度その血を流してきた。」
「幾千幾万ではでは足りぬ程だ。」
「お前の心は既に壊れている、ヤーナムに戻った所で、ガスコイン、お前は獣となって狩られる側になるだけだぞ。」
「ならば今ここで我が心に誓いを刻み、獣を狩る獣となるまでだ。」
呆れ困ったようにゲールマンの顔は歪む。ボロ布のように朽ちたコートがどこともなく吹く風に揺れる。
「どうしてそうまでして悪夢を望む。私に介錯を任せれば、君は死に、そして夢を忘れ、明日に目覚める、悪夢から解放されるというのに。」
ガスコインは皺の刻まれている顔に、より深い皺を刻む。
「娘が取り残されている、獣達が蔓延る病の街の中で、私と妻を待っている。守らなくてはいけない、獣から、怯える娘を守らなくては。」
ガスコインの両手は震えるほどの力で握られている。フルフルと震えて、覆い隠されている筈の目からは、未だ絶えず意志が漏れ出す。
「血に、狩りに、悪夢に取り込まれたお前が諦めることも出来ずに足掻く、それを救ってやるのも、また助言者の役割である、か。」
徐にゲールマンが立ち上がる。車椅子に座る弱々しさは無く、力強く自分の足で立っている。義足である右足は義足であることを感じさせない。右手を左腰の剣の柄に掛けて、引き抜く、軽く身を屈め、左手を背中に背負った仕掛け武器の大鎌にやる。
「爺が、耄碌してるかと思えばそれか。」
しなびたキノコのように縮こまっていたはずの老人が、いざ立ち上がると目覚めたみたいに威圧的な力が体全体からあふれだす。
「伊達に時間を過ごしてはいない。過ぎる時間があれば、また研ぎ澄まされる刃もある。」
ガスコインは懐から手斧と散弾銃を構える。後ろに崖でもあるかのように、その顔に余裕はない。
「御託はうんざりだゲールマン!」
ゲールマンはただ悲しそうに、誰に伝えるでもなくつぶやいた。
「……ではゲールマンの狩りを知るがいい。」
ガスコインの斧とゲールマンの剣が火花を散らせながら触れる。決して遠くはなかったが、近くもないその距離を瞬きの間に詰めるゲールマンの一撃は重く、鋭い。ガスコインは散弾銃をゲールマンに押し付けるようにして引き金を引いた。だがその銃口の先にゲールマンはいない、弾かるようにしてガスコインは膝を折る、瞬間首狩り音が頭上で冷たく響いた。
「悪夢を葬り、明日へと送ってやる。安心して眠れ、ガスコイン。」
「夢から覚めるには遅すぎた、最早悪夢は現実と成り代わっている。」
両人、老年を過ぎ、その体は衰えに向かう筈べきだろうに、理を越え、人の域を越えた二人の戦いは熾烈を極める。
「獣になったものに、明日はない、それを知らぬお前ではないだろう。」
「明日がないのは私が狩人となった時からだ。私の身体は獣に食われ、俺の魂は、悪夢に飲まれた。俺自身はもう、どこにもいない。」
遠く離れた所から、ゲールマンが鎌を振るう。撫ぜられた風が見えぬ刃となってガスコインへ向かう。
「まだ、意識のある今だけがチャンスなんだぞ、獣となってさえ、まだ夢を覚え、理性があるのは奇跡としか言い様がない。」
「ならばまだ戻れるはずだ、あの悪夢へ。」
迫る刃を、無理やり横に飛んで回避する。剣と斧が切り結び、放たれる弾丸が空を切る。互いに少しずつ血潮を散らし、白い花を紅に染める。だが、決着をつけるよりも先にガスコインは膝を折る。
「ぐぅうっ……。」
体の奥底から蝕み広がる力が、ガスコインを押さえつけて地に縫い付ける。
「戻れるのか、その体で。」
ゲールマンが静かな声でガスコインの前に立つ。
「くふ、ふふ、ふふふ、無理そうだな。あれこれ足掻いては見たが、うぐっ、無駄みたいだな、糞が。」
「よくもまぁ、ここまで血の意志に逆らったものだ。新たな狩人に狩られることによって、蘇ったなけなしの理性も、もう尽きようとしているのか。」
「はぁ……。結局、贄となるのか、月の魔物の。」
吐くように出される言葉にゲールマンは黙すばかりだ。ガスコインを支配する力を、残る意識で無理やり押さえつける。
「そしてまた繰り返すのだ、成熟した血を月の魔物に差し出し、ヤーナムはつかの間の朝日を得る。日常が戻り、狩人によって狩られた獣達は陰の中へと身を隠す。時が経つに連れ、ヤーナムに広がる病が育ち、また悪夢の夜が幕を開く。私を狩った狩人も、何時かは魔物に食われる。いや、どうだろうな、此度の狩人は出来がいい、月の魔物でさえ狩ってくれるかもしれない。その役が俺でないことが惜しまれる。」
「であるならば、相当私のことを恨んでいるだろう、ガスコイン。」
「恨みなどしないさ、真実に気づいた時には多少恨みはしたがな。今はただ、救われぬヤーナムが、私の娘が、哀れで仕方がない。ゲールマン、お前も相当哀れだ。悪夢の度、お前はそのボロの車椅子に座り、助言を下し、最後には狩らなければいけない。お前は何時まで、その役目を担わなければならい、何時まで、月の下で。」
「さてな、私の意志を継いでくれるものがいれば、その時までだろう。」
「くっくっく……そんな酔狂な奴がいればの話だがな。」
「……数多の狩人が夢を忘れ、ヤーナムの闇に飲まれた。いまだ夢を忘れずいてくれたお前さんと、また会えないと思うと悲しいよ。」
ゲールマンの嗄れた声が力なく震える。
「ふんっ、その手で俺を殺そうと躍起になってたくせしてよく言う。さ、やってくれ、もう足掻くのは疲れた。朝日もいらん。悪夢も、血も、月も、何も気にせず眠りたい。」
「そうか、そうだな、安心しろ、夢の中だ、痛みはないさ。」
「そうだと、いいな。」
ひゅっ、ゲールマンの獲物が振るわれる。ポトリ、ゲールマンの足元に、寂しい音がなる。ゲールマンは、その背に、血塗れの鎌を背負って、ゆっくりと、車椅子の所まで戻る。そして、糸が切れたようにすとんと座ると、さっきまであったはずの力も、気迫も全て消え失せて、枯れ果てた木っ端の様になった。
「終わりましたか、ゲールマン様。」
小さな歩みで、ゲールマンの元に、人形が寄る。冷たく透き通ったその瞳に、感情の一片も宿さず、人形は淡々と役目を果たそうとしていた。
「私の事はいい。ガスコインを、彼を弔ってやってくれ。」
人形は、地に伏している遺体を見つめる。
「ガスコイン様。」
血を流し続ける身体を置いて、人形はガスコインの頭を抱き上げる。
「ガスコイン様、お寒いでしょう。どうぞこちらへ。」
人形は、ガスコインの頭を優しく抱きしめるようにしてその場を後にした。それを見送ったゲールマンは、意識を月に向ける。血を浴びたように真っ赤な月は、次第にその触手をガスコインの身体に伸ばし、自らの元へと連れ去っていった。ゲールマンの元に残ったのは、生々しく残る、介錯の感触のみである。
「教えてくれ、ガスコイン。お前さんを殺して震えるこの手は、何時、止まる。」
ゲールマンのつぶやきは、言葉として外に出るにはあまりにも弱すぎた。響くよりも先に、宙に霧散して、どこへも伝わらぬまま消えていった。
◆
森深いなか、幼い修道服を来た少女が、寂れた協会の戸を叩く。
「だ、誰もいませんか?」
か細くひねり出された声に答えるのは森のさざめきでしかない。恐る恐る、朽ちた扉を明ける。埃と砂埃が幼い修道女の頭に落ちた。扉の奥には、燭台の一つも灯されておらず、天井にちらほらとある、風化して出来た隙間から射す細い木漏れ日だけが、教会内を照らしている。
「だ、誰も、いませんよね……。」
幼い修道女は怯え、震える身体を抱きながらその身を協会の中へと推し進める。だが、その歩みが協会の奥の奥へと進むことはなかった。
「ひっ、誰か、いる?」
教壇の前、大きな十字架を背に、倒れるその者は、身体を薄汚れた外套とマフラーで包み、くすんだ白髪を揺らすことなく垂らし、同じくくすんだ白鬚を持つ男、首元には何やらチェーンで出来た首飾りが身につけられている。何よりも奇妙なのは、その両目を覆い隠すように布が巻かれているところだ。
「怪我、してるの?大変!」
幼い修道女の鼻に、ツンと血臭がする。怯えていた彼女は何処へといったのか、焦りを顔に滲ませ、幼い修道女は男のもとへと駆け寄った。見たところ、目立つ怪我はない、呼吸も浅いが聞き取れる、けれども幼い修道女は男の胸元に両手を宛てがい、意識を集中する。ポウと掌の先に淡い光が灯り、男の体へと染みこんでいく。
「うっ、ぐぅ、うぅ……。」
男は小さくうめき声を上げて身体を震わした後、先程よりかは幾分深い呼吸になった。眠っているのか、意識が少々あるのか、布によって目を見ることが出来ず、幼い修道女には判断がつかなかった。しかしどうやら見た目に違わず、ほとんど傷を負っていないようであると、男の状態を確認した幼い修道女は満足して、協会を出ようと立ち上がろうとする。が、立ち上がるよりも先に、その小さな白い手が男の、黒い布の巻かれた手に掴まれた。幼い修道女の身体がビクリと震える。とっさに引いたて手に反応して、男の手が幼い修道女の手を加えて強く握り引っ張った。バランスを崩した幼い修道女は男に抱きつくように倒れこむ。恥ずかしさと恐怖に顔を真赤にした幼い修道女は直ぐに立ち上がろうとするが、酷く掠れた声が、耳の中に入り込む。
「此処は、なん、だ。何故、俺は……。」
困惑に彩られた男の言葉は、幼い修道女に向けて言われたわけではなさそうで、言い切るよりも先に意識を失った男をそのままにしておくわけにも出来なくなった幼い修道女は、手を握られたまま、どうにかして体勢を、男の隣に座るな形に落ち着けた。
「私、どうすればいいのでしょうか……。」
ただ休む場所を探していただけの幼い修道女は、無意味に言葉を響かせた。次第に、この廃協会に辿り着くまでの疲労もあって、警戒心よりも先に、幼い修道女は微睡みの中へと溶けこんでいった。
ブラッドボーンのガスコイン神父に惚れ込んで、頭のなかに浮かんだネタを実際に書いてみました。一発だけの短編にしようか連載にしようかと悩みましたが、面白そうなので連載にしました。続き、遅くなるでしょうが、他の連載と平行して、少しずつ書いていく所存です。少しでも、ガスコイン神父格好良く書けるよう努力していきます。よろしくお願いします。