道行く先に、何があるとは思わずに、ガスコインは初めての休暇で、教会の外を散策する事にした。行き交う人々、皆の顔に表情がやどり、言葉が流れ、時が進む。これがあのヤーナムでもあったなら、ガスコインは何処か苦々しい感情を抱きながら、できるだけ地理を覚えこむようにして進んでいく。
ーー随分と盛んだ。唯笑い、泣き、怒り、楽しむ。それらが出来るこの世界のなんて眩しいことか。ヤーナムは、例え日が差したとしても、その裏にあるのは何時だって陰惨たる腐臭であったというのに。羨ましいというか、信じられないというか、改めて目の当たりすると、受け止めきれないものだな。過去への執着がそうさせるのか。悪夢であったと言うのに、無駄な愛着心というものだな。……過去の無い俺は、それはガスコインであるのか、あらぬのか、悩ましい問題だ。狩人とは、かくも難儀な生き物だな。人から外れた、小難しい生き物だ。
石造りの街路を、全身神父服で身を包み、くすんだ灰色の髪に大きな革の帽子を被るガスコインは大きく人の目を引いた。ガスコイン自身、身を刺す数多の視線には気づいてはいたが、それが何から来るものなのかは判断しかねていた。
ーー女はボロクズのドレスを身に纏い、男はズタボロの布切れを羽織り暮らしていたものだが、こうまで服装も違うと、何だか居心地が悪いな。
服装の相違について考えていると、ふと、ガスコインは自分自身、周りの人間の着る服装を奇妙に感じるのと同じく、周りも自分の服装の事を奇妙に感じているのではないかと思い当たった。今の季節が何時かはわからぬが、自らの素性を隠すかのような分厚い革のコートに布地の服、目深に帽子をかぶり込んでいるのだから、多少なりとも怪しく見えていると思って違いがないだろう。それに気づいたガスコインは途端に居心地が悪くなった。自分が一に対して周りの多の視線は、腫れ物を扱うようなじめりとした陰険な視線で持って自らを包んでいるのかと思うと、狩人として嫌われているよりずっと不愉快であった。狩人として嫌われている間は、憎しみの感情が明確であり、また確固たる意志のもとそれを自分達狩人達に向けているのだとわかる、が、今のこの状況では違う。ただ何処か違うといった違和感を排他するためだけの、冷たい視線の雨あられ、そこに明確な意志はなく、不明確な嫌悪感だけがあるだけだ。自然とガスコインは足早となる。
幾度の小道を抜け、早々と切り替わっていく代わり映えのしない家々の情景の奥、どうやらガスコインは街の街路市にたどり着く。昔風に装った外装に、色とりどりの果物、チーズ、ソーセージ、粋な店主や威勢の良いおかみが物々を売っている。人々で雑多としているなかで、ガスコインは、賑わう市より少し離れた所に小さく開いている露天商を見つけた。粗末な台に幾つかの品物と値段を書いた紙を乗せ、簡素な椅子に座っている老婆がか細い声で売り子をしていた。
「繁盛しているか?」
ガスコインは周りの騒がしさから取り残されているような、しかしにっこりと笑い口の周りにしわを寄せて、静かに手間に老婆に、どこか親近感を感じて、教会から支給された金でも使ってやろうかと、老婆の前に立った。
「先ほど、二本、リボンが売れましたよ、可愛らしい女の子でねぇ。」
ぼそぼそと老婆が言葉を紡ぐ。言葉そのものも使い込まれていてしわくちゃのように感じられた。
「そうか、それはいいな、リボンか。」
「お客様も、リボンをお買いになりますか?」
「それもいいな。どんな色があるんだ。」
「今残っているのは青とピンクと白の三色だけだねぇ、それ以外はなくなっちゃった。」
少しだけ申し訳なさそうに老婆はいう。かくいうガスコインは逆ににやにやと笑っていた。
「いや、それでいい、ピッタリだ。」
「ピッタリ?」
「あゝ、俺が上げようと思ってる三人にピッタリの色なんだ。水のように深く、力ずよく飲むこむことのできる青、優しさと、情熱さを併せ持つピンク、そして、何物にも染められていない純粋なる白、それに似合う娘がいるんだ。」
「へぇ、それはすごいねぇ、娘さん?」
「ああ、本当によくできた娘たちだ。」
「ふふふ、随分と大好きなんだねぇ、その娘たちが。」
「……まぁ、大切な娘達だ。彼女たちには未来がある。」
「そう、じゃあこの三つ、貴方にあげるわ。」
「なに?金は。」
「いいのよ、でも、私はいつでも、ここにいるから。今度その娘たちがリボンを付けた姿を見たいわ。」
老婆が可愛らしく笑って、澄んだ目をガスコインに向ける。なるほど、同じく年をとっているはずの彼女のほうが、自分よりずっと豊かな心をもっているのかとガスコインは心の内でつぶやき、そして笑みを落とした。
「もちろんだ。約束する。」
老婆の細い指に絡めて、三色のリボンが渡される。ガスコインはリボンを握りしめるように受け取った。手と手の触れ合いに起こる温みが、なんとも心地よい一瞬に思えた。ガスコインはリボンをポケットの内へとしまう。一つ礼を加えて、ガスコインは教会に向かった。
ーーリボン、か。まったく、狩人には、昔しかないというのか。執着が過ぎる。
歩きながら苦笑を漏らし、歩を進めていく。昔が影と共にガスコインを追うが、不思議と息苦しくも、気持ちの悪さもなかった。
ほどなくして教会についた。なんのことのないはずの、教会の敷地内に入るということが、いやにガスコインの胸を締め付けた。何かを拒絶するような身のすくみ方である。ガスコインはただ、寂しそうに笑うしかなかった。
ガスコインはゆったりとした足取りで、服の内にある、袋詰されたリボンを感じながら、修練所にむかった。恐らく日が沈みきらぬこの時間は、ゼノヴィア辺が一人で剣を振るっているだろうと踏んだのだった。果たして、そこには正に一人寂しく、と言ってしまってはあれだが、一人で一心不乱に、敵を想定として、演舞の様に美しく立ちまわるゼノヴィアには、ガスコインも感嘆した。
「ん、ガスコイン殿か、どうしたんだ?」
ゼノヴィアが最後の一振りを、爽やかさを混ぜ込んだような汗を滴らせながら静かに振り終えると、ゆったりとした動きで視線をガスコインに移した。
「なに、一つ土産を買ったからな。」
「おや、それは嬉しいな。一体どんなもので私を喜ばせてくれるんだ?」
「あんまり期待してくれるな。大したものじゃない。」
ガスコインはゼノヴィアの前まで歩きよると、手元でさっと小袋から取り出すと、するりと両の腕をゼノヴィアの首元に回して、手の内にあった蒼いリボンを結ぶ。
「……これは?」
「リボンだ。」
少し呆けたような顔で首元にタイとして結ばれ、そよぐ風に柔らかな布がふわふわと揺蕩った。
「深き青が君の体を包み鎧とならんことを、そして火の粉を振り払う剣とならんことを。」
ゼノヴィアはリボンの先を、おずおずと指先で撫でる。サラリと指の腹を滑っていく。
「ほう、なんとも洒落たセリフとプレゼントだな。」
「そうでもない。陳腐な文句と大したことのない土産だ。だが、君に似合う色だと思ってな。」
ゼノヴィアのタイとして首に巻かれた穏やかなリボンはゼノヴィアの中に溶けこむようにして馴染み、涼やかなせせらぎがゼノヴィアの呼吸と共に聞こえてきた。
「いや、気に入ったよ。有難う、ガスコイン殿。」
「そうか、そうであるなら良かった。買い損にならなくて済んだ。」
ガスコインは薄く笑うと、二度三度、軽くポンポンとゼノヴィアの頭を撫でるようにして叩くと、ハニカンでいるのを見せないようにしたいのか、足早にゼノヴィアの横をすり抜けて行ってしまう。
「なんだ、意外に可愛らしい所もあるんだな。」
ゼノヴィアは呟くようにして、そんなことをいうと、歩きさろうとするガスコインの背に、大きな声で、毎日でも付けさせてもらうよと、言葉を投げた。ガスコインは振り返らないまま、お前のものだから勝手にしてくれとでも言うようにして腕を小さく振るって、建物の中に入っていってしまった。クスリと、ゼノヴィアは笑った。
ガスコインは、道すがら、辺を見回しながらイリナを探していた。何時も鍛錬を行っているゼノヴィアに比べてイリナは、若き少女の活発さを持って、色々な所にいる。把握することが出来ない娘だった。だが、その底抜けの明るさは、広大にな野に広がる穏やかな温みのように、微笑ましく、そして力強いものだった。
「あれ、誰か探しているんですか?ガスコインさん。」
ふと、自分の背の方から可愛らしい声がするのを感じて、ガスコインは内心、中々にタイミングがいい娘だ、とそんなことを思って振り向く。両腕で分厚い本、数本を重そうに抱え、朗らかに咲う少女が一人、背の高いガスコインを見上げている。
「ああ、人を一人探していてな、会えないものかと困っていたんだ。」
「そうだったんですか、じゃあ誰を?」
「君だ、イリナ。」
ガスコインは茶目っ気を聞かせて、指の先で、イリナのおでこを弾くようにする。重心が後ろに下がり、抱える本も加えて予想以上に後ろによろめくイリナに、ガスコインは、やり過ぎたなっ、と自分でも驚いてイリナを支えてやる。イリナは、ひどいわ、とでも言うように小さくふくれっ面をしてみせた。
「すまんすまん、君を見ていると、つい、いたずらをしかけたくなる。」
「もうっ、ガスコインさんったら、私は玩具じゃないんですよ?」
「あゝ、流石に礼に欠けたな、悪かったよ。これで許してくれ。」
そういって、イリナ用に2つ買ったリボンをゼノヴィアと同じく取り出すと、こなれた手つきでイリナの長くなめらかな髪の毛を結んでいった。感傷に浸り、幻影でしか愛でることの出来ない娘を思い出しながら。
「えっ、なんですか?これ。」
「リボンだ、君に似合うと思ったピンク色のリボン。気に入ってくれると嬉しいが、手鏡の一つもない廊下の上ではどんなものかはわからんだろう、ほら、その本を貸せ、君の部屋までエスコートだ。」
ガスコインは流れるような手つきで、イリナの腕に山積みになる本をひったくると、イリナの部屋も知らないのに、さあ君の部屋はこっちだろうとイリナの部屋とは逆方向に行こうとして、イリナをへんに焦らせた。道中、照れ隠しに何かとイリナに冗談を言っていたら、流石にバレて、ニマニマとした笑顔と共に横からイリナの視線がガスコインを捉えていた。加えて少し、早歩きになった。
イリナを部屋に送り、其処でイリナにリボンが気に入ったとの事を伝えられると満足して、ガスコインは自室に戻った。残るリボンは純白のリボン。現在の娘であるアーシアの物、誰にも見られることなく、ただ二人だけの空間で、親子として、渡したかった。だからガスコインは残りの一日、アーシアが部屋に帰ってくるまで、その間をずっと、ガスコインが、どこかしらかの老狩人、ゲールマンを真似してか、車椅子ではなく、揺り椅子に座って、自らの時間を早めるように、ゆっくりと目を閉じた。
思い出す。真紅のドレスが誰よりも似合う女性のことを。純白のワンピースが似合う少女のことを。ゆるやかに流れる微睡みの波は、記憶の残火が溶け込んで、一面の黒いキャンパスに落ちる色とりどりの残酷な残留物の群れが酷くガスコインを虚しくさせた。泡沫夢幻の自らの過去が、確固たる現在が削り流していく。未来が蓄積するほど、現在が激流となってくる。新たに積もる現在の過去の中に、ガスコインは、いるのだろうか。
自分とは別の息遣いが聞こえる。鼓動が響く、匂いが立つ。ガスコインの周りに煙として待っていた物は霧散して、瞳は薄い光を捉える。
「アーシア、帰ってきたのか。」
「あ、お父様、起こしちゃいました?」
申し訳無さそうにアーシアは言う。若く、幼い所もいまだ残っているはずの少女が、こうも多少のことで自分に気を使おうとしているのを思うと、ガスコインはいじらしいような、愛らしいような、自分の中に懐かしの人間性が戻ってくるようで面白いような、そんな感情が交じり合っていた。
「いや、アーシアを待っていた。」
「ん、そうなのですか?」
「あゝ。」
夜の闇を灯す蝋燭の火が揺れた。
「アーシア、こっちにきてくれるか。」
アーシアはそれに笑顔ではいと答えて、片手に燭台を持ってガスコインの傍に歩み寄った。
「今日、露店で買ったんだ、アーシア、君に似合うと思ってな。」
ガスコインは揺り椅子に座りながら、コートのポケットから袋を取り出して、開いているアーシアの手の上にぽんと置いた。アーシアは燭台をガスコインの作業机の上に置くと、そっと袋の中から贈り物を取り出した。
「まぁ、綺麗ですね。」
アーシアの手の内で輝く。
「透き通るような白い綺麗なリボン……。」
「中々良いだろう。良かったら今ここでつけて見せてくれないか?」
アーシアはコクリと一つ頷くと、その金色の髪の一端を飾るように、そっとリボンを結ぶ。
「どうですか?お父様っ。」
ハニカムみながらも明るく笑顔を作る。綺麗だ、ガスコインは、ただ其の言葉だけをアーシアに贈る。皮膚が固く、若干カサついた手で、できるだけ優しくアーシアの頬を撫でる。くすぐったそうにアーシアが目をつむった。
「アーシア、俺はもう寝るよ。少し、あゝ、少し疲れてね。」
まるで老人が息を引き取るように、口元に小さな笑みを浮かべて眠りに入ったガスコインにアーシアは一抹の困惑を得たが、ガスコインの言葉通りに眠ることにした。一度、鏡の前で、自分の姿を見てから、もう一度、幸せそうに笑みを浮かべて。
ーー……アーシア、俺は、ひどい親だ。君が笑ってそのリボンを見せてくれた時、俺は、アーシア、君のことを見ていなかった。君ではなく、ただ一人の、私の、娘。君を、娘の代わりにしている、だけのか?分からない。教えてくれ、ヴィオラ、君は今、どこにいるんだい。俺は今、何処に。ここは、ヤーナムではないんだ。……ヤーナムが消えていくんだ。夢が、薄れていく。俺は、何処にいる。夢?現実?何処に……。でもアーシア、君は、俺の、守るべき、愛おしい、娘なんだ、ろ?
ガスコインの意識は落ちていく。過去という鎖に縛り付けられて、罪悪という楔に打ち付けられて。
最早、更新する度に言っていますが
改めまして
遅くなって申し訳ありません
また、前回の答えづらいであろう私の質問に対して答えてくださった
粗製の竜騎兵さん、汚苗竹さん、ルナさん
本当にありがとうございました
コメントの返答に関しては、人それぞれの価値観に寄ることであり、多少デリケートな部分を含んでいると、自分の中で思いましたので、まぁ、情けない話、どうコメントを返したものか、自分自身、言葉を探しあぐねいていたということもあるのですが、自分の内でコメントを噛み砕いて、自分なりに考えて、飲み下すことにして、コメントに対する返信は控えさせて頂きました
本来なら、紳士にも私の質問に対して答えてくださったのですから、それに対して私自らの考えを返すのが礼儀だと思うのですが、どうにも、私自身、うまく頭の中身がまとまっていなく、返せる言葉が見つかりませんでした、すみません
申し訳無さでいっぱいですが、それでもこの作品を楽しんでいただけたのであれば幸いでございます