ラブライブ!~オタク女子と九人の女神の奮闘記~【完結】 作:鍵のすけ
プロローグ
昨日は深夜コースだった。たまたまレンタルビデオ屋から借りてきたアニメが思穂の琴線に触れ、衝動的に全巻レンタルしての独り鑑賞会。正直、もっとやることがあったんじゃないかと後悔することもあるが、それはそれでこれはこれ。
今は与えられた“睡眠時間”を享受することに――。
「片桐!! 立て!」
「ほわっちゃ!?」
反射的に席を立ちあがると周囲のクラスメートからの視線視線視線。思穂が立ち上がった拍子に、ハーフアップに纏めた茶髪の房が後頭部で揺れた。普通の生徒ならばここで頬を赤らめたり、焦るなり、色んなリアクションがあったことだろう。だが、思穂のリアクションはそんな可愛らしいカテゴリーから大いに外れていた。
「お前……寝てたろ?」
「いやいやいや~。今ので寝てたら誰もが寝てますって、いや、ほんと」
女性教師から半目で睨まれるなんてもはや生活の一部と化していた思穂の反論は実にふてぶてしい。一部のクラスメイトからはこのやり取りがないと授業を受けた気にならないと言われる程。
「……お前、私が皆にこの計算の説明をしている時、寝言で相槌打ってたぞ?」
「……マジですか?」
「マジだ」
クラスメイトを見渡すと、誇張も捏造もされていないようで、苦笑しながら頷いていた。つまり、それはクラスメイト全員が証人ということで。
「……ま、まあ。間違いは誰にでもありますよ。さ、授業やりましょうか!」
「廊下に立ってろぉーー!」
授業終了まで、廊下での棒立ちが決まった瞬間である。こうなった教師はもう止められない。
「あぁ……これでまた呼び出される……」
授業が始まった教室内の声を聞きながら、思穂は肩を落とす。廊下に立たされるという恥辱は最早慣れたものだ。どちらかというと、昼休みに起こるであろう“お話”のお誘いが怖かった。
教室から出る時に見た時計によると、授業終了まであと二十分。やることも無く立っているのは暇だったので、昨日見たアニメの一話を頭の中で再生する思穂であった……。
「あぁ……やっぱりあのアニメの一話は掴み最高よね~……」
「思穂! またですか!?」
「ほわっちゃ!?」
過ぎるのが早い二十分。出て来た教師にありがたい小言を頂きながら教室に入ると、席の近くで長髪大和撫子が仁王立ちで自分を待っていた。
思穂は完全に失念していた。昼休みの前にも恐ろしいイベントがあったことを。
「う、海未ちゃん? 次、体育だよ~……? 早く行った方が……」
「次は地理の授業です」
「す……すいませんでしたー!!」
「すいませんでした、じゃありません! いつも言っているでしょう、夜更かしをせずに早く寝るようにと!」
「ま、まだ私何にも言ってないんだけど!? エスパー!?」
「日頃の行いを見ていれば一目瞭然です! 全く貴方と来たら――」
すると、思穂の後ろから脳が溶けるような甘い声が聞こえてきた。振り向いた思穂は相変わらずのタイミングの良さについ、彼女を抱きしめそうになってしまった。
「海未ちゃん、もう良いんじゃないかなぁ? 思穂ちゃんも謝っていることだし……ね?」
「こ、ことりちゃ~ん! やはり貴方は私の女神なんだね!」
「そうだよ海未ちゃん! 朝は眠くなるもんなんだよ?」
「よっしゃ穂乃果ちゃん、良く言った!!」
ことりに続くように、
ことりとは違い、やや大振りな身振り手振りを交えて話すものだからサイドテールがぷらぷらと揺れに揺れていた。
普段ならばここで海未が諦め、説教が終わるはずだった。……思穂が余計な事を言わなければ。
「穂乃果。気付いていないと思っているのでしょうが、私は貴方も思穂と同じように居眠りをしているのを見ていましたからね?」
「……な、何の事か分からないよ~海未ちゃん……」
高坂穂乃果、そして園田海未、南ことりとは小学校の頃からの付き合いであった。思穂と穂乃果がやらかし、海未に怒られ、そしてことりに仲裁されるというサイクルだ。このことりのポジションがとても重要で、ここが欠けると永遠に怒られてしまうというループが確立してしまう。
「海未ちゃん! 穂乃果ちゃんを困らせちゃ駄目だと思うなー!」
「元はと言えば貴方のせいでしょう思穂!」
「二人とも、落ち着いてよ~。ほら、もう休み時間終わっちゃうよ?」
ことりが指す時計を見ると、既にあと二分を切ったところだった。あとで覚えていてくださいね、ととてもいい笑顔で締めくくったこのやり取り。
(昼はどこに隠れよう……?)
海未のお説教が終わったことにとりあえず胸を撫で下ろしつつ、思穂はこの次についての対策を考え始めた。何故なら、海未よりも怖い怖い人が昼に自分を呼び出すだろうから。
ここは国立音ノ木坂学院。古くからある伝統校で、その穏やかな校風は昔も今も変わらない――。
◆ ◆ ◆
思穂はとても不思議そうに首を傾げていた。それもそのはず。いつもなら昼休み開始直後に呼び出されるはずだったのだが、今日はそんなことはなく、ゆっくり好物のチョコレートを齧り、尚且つ“隠れ家”へ向かう時間があった。
そんな“隠れ家”へ歩を進める途中、見覚えのあるツインテールの女生徒がこちらに近づいてくるのが見えた。その表情は実に不機嫌そうで、普通ならば声を掛けるのが躊躇われるのだが、そんなことを微塵も気にしない思穂はそのツインテールへ向かって言葉を掛ける。
「あ、にこ先輩。挨拶はどうしたんですか?」
「こんにちは……って違うでしょ!?」
ツインテールの女生徒――
……思穂はこのやり取りが好きだった。にこのノリの良さもあるが、ここまで気安く接することが出来る先輩なんてそうはいないからだ。にこには悪いが、勝手に親しみを感じさせてもらっていた。
「まあまあまあ。そんな声荒げるとにっこにっこにーしますよ?」
「ぶっ飛ばすわよあんた! ていうか
「怒らないでくださいよーもー。にこ先輩は可愛いなぁもう」
思穂がそう言うと、気を良くしたのか、にこが誇らしげにふんぞり返った。
「……当然でしょ。にこはいつだって宇宙一可愛いわよ」
「わー可愛いーにこ先輩可愛いー。ところで、まだ一人で活動してるんですか?」
「ええ、何たってにこはアイドルが好きだもの。好きじゃなかったらとっくに辞めてるわよ」
矢澤にこは『アイドル研究部』という部の部長である。しかし、もう部員はにこだけとなっていた。だが、先程のにこの発言通り、彼女はたった一人で活動していたのだ。アイドルへの情熱、ただそれだけで。
「にこ先輩って意外と情熱的ですよね」
「あんた……喧嘩なら買うわよ?」
「ええ!? そんな!? 私何も悪いこと言ってないじゃないですか! 褒めてますよ私!?」
「言ってなさい。……そういうあんたは今日どうしたのよ? いつもならもう校内放送で絵里に呼び出されているはずでしょ?」
三年生の間でも、昼休みの呼び出しは知れ渡っていた。一度や二度ならまだしも、もはや数えるのも億劫になるほど呼び出されるその名前を聞いていれば、誰でも思穂の名前を憶えていく。
ある意味、思穂はこの音ノ木坂学院の有名人であった。もちろん悪い意味での。
「それが私にも分からないんですよね。にこ先輩、何か分かりませんか?」
「知らないわよ。ていうか、もっとちゃんとしなさいよね。そんなんじゃ部活動強制停止にさせられるわよ」
「そ、それは嫌だー!」
「まあ、文化研究部なんて怪しい部活、さっさと廃部になってくれた方が良いからそのままで良いわよ。にこのアイドル研究部への予算が少しは増えるだろうし」
シレッとそう言うにこの表情は実にあくどいものとなっており、花の女子高生とはとても思えないものと化していた。しかし、と思穂はその発言もまんざら冗談ではないことが分かっていた。今までは“何とか”していたが部活動強制停止という切り札をちらつかされるようになれば、本格的に終わりだ。
もっとちゃんとしよう、そう思った思穂であった。
「いざとなればボイコットすれば良いですもんね! 頑張りましょうねにこ先輩!」
「やらないわよ!? ……ったく、あんたは本当に頭空っぽよね」
「まあ、それぐらいじゃなきゃ部を守れませんし」
思穂は『文化研究部』という部の部長であった。名目上は日本の文化面と産業面を支えてきたサブカルチャーを研究し、多角的な視点を持つ、グローバルな発想の人間を育成するというものだが、実際はただのオタク同好会である。しかも部員は思穂ただ一人というオマケつきだ。
「部って言っても、ただのマニアの集まりじゃない」
このにこの一言によって、不毛な言い争いのゴングが鳴らされた。
「なぁっ!? にこ先輩こそ似たような部活のくせに!」
「はぁ!? にこのアイドル好きと、あんたのマニアを一緒にしないでくれる!?」
「一緒でしょうがー! 一つの物に情熱を注ぐという点では同じですよー!」
「あんたのは何かドロッとしてるのよ! 何か不健全な匂いしかしないのよ!」
「土日は常にアイドル専門ショップに入り浸っているどっかの先輩と比べて、どっちが不健全なんでしょうねー!?」
「言ったわね! なら今日の放課後、部室に来なさい! にこのコレクションを観て、あんたがどれだけドロッとしているのか思い知ると良いわ!」
「望むところですよー! 良いですよ! じゃあ今日の放課後にドル研に行きますね!」
いつもこうして何故か、放課後はにこと過ごす時間が出来てしまうのだ。今日はアイドル研究部への遠征だったが、二日前はにこが思穂の文化研究部へ遠征にやって来ていた。その時の売り言葉は『アイドルだってゲームやりますよ! そんなのも知らないんですかー!』であり、買い言葉は『じゃあアイドルやりそうなゲームを教えてみなさいよ!』である。
過ごす時間についてはいつも二人が疑問に抱いているところだが、これがまた何とも居心地が良かった。同じ三年生以外では、唯一思穂だけがこうしてにこと対等に喋られる珍しい人間だった。そしてそれと同じくらい、思穂にはこの学校で唯一恐れている相手がいた。
「――片桐さん、ここに居たのね」
「え、絵里先輩……!?」
その相手こそ今思穂の前に現れた金髪の美人女生徒であった。名は
絵里は目を細めており、あからさまに“生徒会長”オーラが充満していた。
「先ほど数学の先生から聞いたわ。……何度言えば分かるのかしら? 貴方の行動がこのオトノキの風紀を乱してしまうのよ。オトノキの生徒ならもっと理性ある行動を心掛けなさい」
「は、はい……。ところで絵里先輩?」
「……何かしら? 通りかかっただけだから、いつまでもここに居る訳にはいかないのだけど?」
本当に急いでいるようだったので、思穂は手短に聞くことにした。
「いつもと違ってお叱りに心が籠もってない感じがしたんですけど……何かありましたか?」
瞬間、絵里はまるで氷のような冷たい視線を思穂へと送った。流石の思穂もこんな冷たい視線をもらったことがなかったので、一瞬身体が強張ってしまった。そんなことを知ってか知らずか、絵里はすぐに思穂から目を逸らし、そのまま歩き去って行った。
「……貴方は知らなくて良いことよ」
去り際にそう言い残して。
「大丈夫、思穂?」
「ええ……。それよりも、本当にどうしたんでしょうか絵里先輩……?」
「今日はいつもより機嫌悪そうね。ま、関わらないのが吉って奴よ」
「……そうですかね?」
――その翌日、全校生徒が講堂に集められた。そして、理事長の口から国立音ノ木坂学院の『廃校』が発表された瞬間、思穂は絵里の冷たい視線を思い出すこととなる。