ラブライブ!~オタク女子と九人の女神の奮闘記~【完結】 作:鍵のすけ
土曜日。今日のμ'sの練習は午後からだった。午前中はメンバーの半分が外せない用事があり、午後からならば全員集まれるということでの時間だ。
そういうことならば仕方ない、と思穂はそれまでの時間ひたすら眠ることに決めていた。現在朝七時半。あと四時間半も眠れるこの奇跡。思穂の家は二階建てであり、チャイムが鳴っても居留守がバレにくい。心置きなく、思穂は深い眠りの中へ――。
「しーほちゃーん! おーい! しーほちゃーん!」
――入ることが出来なさそうで、酷く不安になってしまったのは秘密だ。
今でも家の外から彼女の元気な声が続く。
「私だよー! 穂乃果だよー! 寝てるんでしょー!? 起きてー思穂ちゃーん!」
窓を閉めていても、穂乃果の元気いっぱいな声が外から響いてくる。朝七時半の目覚ましとしては特上と言って差支えないが、生憎と今の思穂はそれを欲してはいなかった。
「むー……。あ、そうだ!」
何かを閃いたようで、彼女の声が止んだ。さっきまで声がガンガン響いていただけに、思穂は少し心配になったが、それでもベッドから出る事は無かった。少し覚醒してしまったが、それでもまだ眠りにつくことは可能だ。
そう思っていた時期が、思穂にもあった。
「……ガチャリ?」
一階から鳴り響いた不吉な音。そして“階段を駆け上がってくる音”が近づいて来る。正直、今すぐ窓ガラスを割って外に飛び出したかった。何も、二階から飛び降りるなんてこれが初めてでは無い。そんな事を思っていたら、とうとう扉が開け放たれてしまった。
「お邪魔しま~す!」
「あ、お帰りはあちらになりますので」
「酷い!」
現れた穂乃果に対し、速やかに玄関の扉へ行くように指示した思穂であった。しかし穂乃果は当然の如くそれを拒否し、ニコニコ顔で思穂に近づいてくる始末。そして、言い放はたれた言葉で思穂は安眠の終わりを悟る。
「ね、練習って午後からでしょ? だから……遊ばない!?」
「……あ~私、今日は午後までたっぷり寝るっていう大事な使命があったんだよね~あ~残念だなぁ……。お休み」
すぐに布団をかぶり、周りの情報のシャットアウトを試みる思穂。だが、穂乃果はすぐに布団を掴み、揺さぶりを仕掛ける。
「お願いだよー思穂ちゃん! 海未ちゃんもことりちゃんも午前中は用事あるって断られたんだよ~!」
「私も眠るという用事があるから無理~。ていうか、どうやって入って来たのさ? 鍵ガッチリ掛けてたはずだけど?」
すると、穂乃果が自慢げにタネを明かした。
「ポストの下」
「……はぁ。案外バレないと思ってたんだけどなぁ」
穂乃果が言った場所とは、合鍵の場所である。ポストの下は案外誰も気にすることのない箇所だけに、隠し場所にするには最適だったのだ。
突き止めたご褒美として、布団から顔だけは出してあげることにした思穂。本音を言えば、少し暑かったのもある。だが、穂乃果のドヤーっとした顔を見て、すぐにそれは大きな間違いだったと後悔してしまった。
「ふっふ~ん。どう? ちょっとは私の事、見直した?」
「すっごい悪い方向に見直せたのは間違いないね! ……え、本当に遊ぶつもり?」
「うん! ……駄目?」
「お供しますであります! ……あっ」
穂乃果の潤んだ瞳は恐らく何かの破壊兵器と比喩して間違いないだろう。『本当に断られたらどうしよう、だけど思穂ちゃんならきっと……』などと言う不安と希望が入り混じった表情は恐らく面と向かって言われた者にしか分からない“何か”があった。
そんな表情を向けられ、脊髄反射的に答えてしまった思穂の、完全敗北である。
「やったぁ! ありがとう思穂ちゃん!」
「あぁ……私の素敵な睡眠が……。けど、まあ仕方ないよね!」
しかし既に言質は取られている。これ以上の引き伸ばしは穂乃果を傷つけてしまう。ため息とともに、思穂は勢いよくベッドから飛び出した。
「四十秒で支度するよ! 外で待ってて穂乃果ちゃん!」
空色のパジャマを脱ぎ、手近な服に着替える。霧吹きで長い茶髪に水を掛け、手櫛で整えた後、髪の一部を後頭部辺りで纏め、一本の房を作る。今日は別に買い物では無いので、愛用のリュックは背負わず。片桐思穂の支度は、本当に四十秒で終わってしまった。これが十六歳のうら若き乙女の身嗜みかと問われれば、非常に首を傾げてしまうタイムである――。
「あぁ……溶ける……」
「何が溶けるの?」
「なんかこう、身体中がドロッとね」
今日の新聞の天気予報では午後までずっと晴れのようだ。梅雨が明けた途端、良い天気続きで喜ぶ者は多いだろう。しかし、思穂としては引きこもる理由が無くなってしまうので、非常に残念な展開であったのは事実。
現在、思穂と穂乃果はどこへ行くでもなく、ただ歩いていた。良く考えてみれば、この時間帯で開いている店は殆どなく、せいぜいスーパー程度だった。
「そういえばこうやって思穂ちゃんと二人で遊ぶのってあんまり無かったよね?」
「あ、そうだね。基本海未ちゃんやことりちゃん達とセットだもんね。二人で遊んだのって片手で数えるぐらい?」
思穂が引きこもっているのも原因だが、こうして穂乃果と二人きりと言うのは実はかなり珍しい。どこへ行くにもことりや海未と一緒。そう考えると、思穂は何だか緊張してきてしまった。
「ほ……本日はお日柄も良く……」
「いきなりどうしたの思穂ちゃん!?」
「ううん。気にしない方向でいてくれると助かるなぁ。……あ、ここ潰れたんだ」
それは思穂が小学生の頃、良く来ていた駄菓子屋であった。いつも行くとおばあちゃんが思穂達に良く飴玉をくれたのだ。だが、成長していくにつれ段々足を運ばなくなった所為もあり、今の今まで忘れてしまっていた。
「うん。先月……だったかな? 張り紙が貼ってあったの見て、ショック受けちゃったの覚えてる」
「……そっか。時の流れって奴なのかな」
そんな潰れた駄菓子屋を見て、ポツリと、ついうっかり思穂が漏らしてしまった。
「……音ノ木坂学院もこうなるのかなぁ」
「っ! そんなことない! そんなこと、絶対させない!」
立ち止まり、穂乃果が言った。穂乃果もあの駄菓子屋を見て、思穂と同じことを思っていたのか、その言葉には力が込められていた。
思穂が何も言えずにいると、突然穂乃果が自分の頬を叩いた。
「ほわっちゃ!? 穂乃果ちゃん何してんの!?」
「よーし! 何だかやる気出てきた! 思穂ちゃん!!」
「はい!」
「走ろう!!」
「……へっ!? ちょ、穂乃果ちゃんいきなり~!」
気合いでも注入したのか、穂乃果が思穂の手を掴み、走り出した。何をしでかすのが分からないのが、高坂穂乃果。そんな穂乃果に目を離せないと同時に、少しだけ――。
「はぁ……はぁ……。って、思穂ちゃん何で私より息切れてないの~!?」
「日々の買い物の成果かな」
「あ、あぁ……あのすっごく大きなリュックだよね」
いつも大型の登山リュックを背負って走り回っていることを知っている穂乃果はそれについてのリアクションが思いつかなかったのか、苦笑のみを浮かべた。
海未による特訓の成果か、穂乃果と思穂は無心で割と長い距離を走っていた。気付けば商店街の入り口あたりまで来ていた。
「それよりも穂乃果ちゃんや穂乃果ちゃん」
「なぁに?」
「クレープ食べない? 確か新商品が発売されたという風の噂が……! しかも穂乃果ちゃんが大好きなあの味……!」
「ほんと!? 行こう行こう!」
ちょうど開店時間だったクレープ屋に一番乗りしたのは気分が良かった。そして思穂と穂乃果が選んだのは当然新作クレープ。そして出てきたクレープを見て、穂乃果が固まってしまった――。
◆ ◆ ◆
「思穂ちゃんのいじわる」
「ごめんなさいほんとごめんなさい」
公園のベンチで、穂乃果がむくれ、思穂が頭を下げている光景の何と奇妙な事か。思穂は新作クレープの詳細を知っていたうえで、あえて穂乃果に勧めたのだ。
新作の名前は『白餡団子クレープ』。あろうことにそれは、穂乃果が常日頃飽きたと言っている和菓子の詰め合わせであった。
謝りながら思穂は、しっかり食べている穂乃果に突っ込みそうになったが、頬を膨らませている穂乃果もまた可愛いため、特にいうことはなかった。しかし思穂はそんな穂乃果のご機嫌を回復する秘策があった。
思穂は密かに買って、ポケットに入れていたモノを穂乃果へ差し出した。
「だからこれ、あげるね!」
「わぁ! パンだぁー!」
それは穂乃果が大好きなパンであった。これこそ思穂の二段構え。ただの悪戯だけでは終わらない。フォロー策まで用意してこそ、思穂の悪戯である。
「う~ん、今日もパンがウマいっ!」
「いや~良い食べっぷりだねぇ」
本当に美味しそうにパンを食べる穂乃果の姿が好きだった。ニコニコとした笑顔は周りを癒し、彼女の為ならば何でもしてあげたくなる魅力が詰まっていた。そんな穂乃果に、聞いてみたいことがあった。
「ね、穂乃果ちゃん? 食べてからで良いんだけど、ちょっと聞いてみたいことがあるんだよね?」
「ふぁ~に~?」
思穂の雰囲気を感じ取ったのか、穂乃果がさっさとパンを食べていく。
「どうしてμ'sを……スクールアイドルをやろうと思ったの?」
「どうしてって……」
もちろんA-RISEを見て、影響されたというのは聞いている。だが、思穂にはそれ以外の“何か”が知りたかったのだ。
ただがむしゃらにやっていても人は集まってこない。それは自分が“体験済み”である。だからにこは最初、穂乃果に反発した。そして心の中では思穂も――。
「う~ん……私、馬鹿だから上手く言えないんだけど。最初は“これだっ!”としか思わなかったんだよね。楽しくて、キラキラで、それで人を引きつけられるスクールアイドルがすごいなって」
「だから海未ちゃん達や私を誘ったんだよね? それで、穂乃果ちゃんはどうやって他のメンバーを誘えたの? 何か秘訣でもあったの?」
多分、思穂が聞きたかったのはココだったのかもしれない。自分が到達出来なかった場所へ難なく辿りつけた穂乃果を参考にすれば、いつか自分も。思穂の表情が少しばかり真剣なモノになっていた。
「え? そんなの無いよ! 真姫ちゃんには作曲をお願いし続けただけだし、花陽ちゃんや凛ちゃんやにこ先輩は、皆の力で入ってくれたじゃん!」
「自分の力じゃ……無いって?」
「うん! 穂乃果だけじゃ何も出来ないしね。出来ないところは皆にお願いして、私が頑張れるところは全力で頑張って、そうして皆で歩いていけたら良いなーって」
その言葉がどれだけ難しいことか、理解していない穂乃果に、思穂は戦慄を覚えた。それが出来ていればそもそもにこのアイドル研究部や、思穂の文化研究部は部員で一杯だろう。
ようやく思穂は理解した。そして穂乃果のようには出来ないと確信もした。
「……ああ、そっか。なら、私はやっぱり無理だね~……」
「何で? 思穂ちゃん、私より何でも出来るし、出来るよ!」
「その代わりに失ったものがあるのかもねぇ……」
確かに思穂は穂乃果より何でも出来る自信があった。勉強も運動も彼女を越えられると思う。――しかし、たった一つだけ、絶対的に高坂穂乃果に負けているところがあるのも、また事実。
「失ったもの?」
「悔しいから教えませ~ん」
「ええっ!? ズルいよ思穂ちゃん! 私、質問に答えたのにぃ!」
オブラートに包まず、そして心の底からの本音を語るのならば、片桐思穂は高坂穂乃果に嫉妬をしていた。正直、勉強や運動等が出来てもどうしようも無い。そんなモノが出来ても、人生に何の役にも立ちはしない。思穂のオタクライフにも、何ら影響は及ぼさない。
勉強も運動も単なる反復作業の末の結果だ。しかし、穂乃果が持っている“モノ”だけは思穂がどうあがいても手に入れることは絶対に出来ないだろう代物である。
故に、思穂は穂乃果をずっと羨んでいた。
「ま、私が何を言いたいかって言うとね。これからもよろしくって所かな?」
思穂がこうして穂乃果と一緒に行動をしているのも、その持っている“モノ”に惹かれた故。嫉妬した上で、協力する。そんな考えを持っている時点で穂乃果を越えられることは永遠にないことを理解していた思穂だからこそ、“影”であり続けることを決めていた。
永遠の壁であり、絶対の信頼を置ける友のために。思穂は馬車馬のように働こうと決心を新たにする。
そんなことには全く気付かない穂乃果は、思穂の言葉を文字通り受け取り、満面の笑みを浮かべた。
「うんっ! これからもよろしくね思穂ちゃん!」
「よろしくされよう!」
――過ごした時間が短いように見えて、実は既にμ'sの練習開始まであと十分前。
それだけ濃厚な時間を過ごせたことに少し感動しつつ、思穂は穂乃果にその事を告げた。その後、二人が全力で神田明神まで走り、海未に怒られたのはまた別の話である――。