ラブライブ!~オタク女子と九人の女神の奮闘記~【完結】   作:鍵のすけ

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第三十五話 それは雨の日だった

「……良し、九割方完成。これなら余裕で学園祭に間に合うな」

 

 あれから一週間が経った。アイドル研究部に行く頻度も少なくなり、思穂はずっと文化研究部に入り浸っていた。自作ゲームを作るのはそう簡単なことでは無く、分担するならまだしも全てを一手に担っている分、制作スケジュールを一日たりともずらす訳にはいかなかった。

 

「今日こそは穂乃果ちゃん達の所に顔を出せるなぁ」

 

 難航していた部分が、ようやく終わり、スケジュールに少し余裕が出た。今日こそはアイドル研究部の練習へ顔を出せる。たった数日行っていなかっただけのはずなのに、数十年と行っていないような感覚になったのはきっと気のせいではないだろう。

 思穂は、早速鞄を肩に掛け、部室へ歩き出した――。

 

「やっほー! 皆、元気ー!」

「あっ! 思穂ちゃんだ! 久しぶりに来てくれたんだね!」

 

 穂乃果に発見されるや否や、彼女は思穂の元まで走り、抱き着いてきた。

 

「お、おおおお!! この感触はまさに文化の極み! 数日間の肩こり眼精疲労その他諸々が吹き飛ばされるー!!」

 

 和菓子屋特有の甘い香りと穂乃果が持つ良い匂いが思穂の鼻腔を目一杯通り抜けていく。しかも、と思穂は穂乃果の決して小さくはない胸部の感触をこれでもかというほど楽しんでいた。誠意を込めてお願いをすれば、難なく触らせてくれそうな感じはするが、それをやった時点で何か大事なものを失ってしまいそうな気がして、思穂は未だにそのライン上を踏み止まっていた。

 

「思穂、そっちの方はどうなの?」

「にこちゃんも久しぶり! いやぁ~このちっちゃな感じがアイドル研究部部長! って感じだよね~!」

「ぶっ飛ばすわよ! ったく、あんたは相変わらずね」

「それが私の取り柄ですから~。それより、何かお話し中だったの? 何か皆集まっているけど」

 

 思穂の質問に答えてくれたのは希であった。実は、穂乃果が徹夜で考えたという振り付けを取り入れるかどうかの話し合い中だったらしい。

 

「これ見てこれ!」

 

 そう言って、穂乃果が件の振り付けを踊って見せた。個人的には何の問題もない、むしろ結構良いのではないかとすら思えるものであった。だが、周りはそれを容易く受け入れる訳にはいかないようだった。

 ライブまであと少し、突然の振り付け変更をして間違ってライブの質を下げたらそれこそ笑い話にすらならないから。特に、にこと花陽はアイドルというものに詳しい分、振り付け変更には賛同しかねているようだった。

 

「ね! 思穂ちゃんどう思う!? 昨日徹夜で考えたんだ! それで、これだー! って思ったの!」

 

 チラリと海未の方を見ると、どうも芳しい表情をしていなかった。

 

「思穂、貴方からも穂乃果に言ってやってください」

 

 言外に『頑張り過ぎだ』と海未は言っていた。確かに、と思穂は海未の考えにある程度の同意を見せる。ちらちら聞いた話では、相当なオーバーワークをしているらしい。毎日夜に自主練をし、睡眠時間を削ってライブの事を考えている。

 

「……良い、と思うよ?」

「思穂?」

 

 だが、思穂はそれを止める気はなかった。――その時点で、思穂は己のスタンスを思い出すべきであったのかもしれない。

 しかし今は、穂乃果のやりたいことを邪魔立てする気は毛頭なかった。

 

「うん! 良いと思う! 最近の穂乃果ちゃん、すっごく頑張っているよね~!」

「ありがとう! ラブライブまであともうちょっとなんだ……私、今度のライブは絶対に成功させたいんだ!」

「皆もどう? 悪くはないと思うんだけどなぁ」

 

 思穂の後押しが決め手だった。メンバーもそこまで悪いものとは思っていなかったようで、にこと花陽も最終的には振り付け変更を受け入れた。

 

「よーし! じゃあ早速練習だー!」

 

 ならば時間が惜しい。変わった振り付けに早く慣れるため、μ'sメンバーは早速屋上へ上がって行こうとする。思穂もそれに付いて行こうとすると、にこがそれを止める。

 

「待ちなさい。あんたは練習に立ち会わなくて良いわ」

「な、何でそんなこと言うんですか?」

「――あんた、私がどうして文研部を優先させているか、分かってんの?」

 

 にこが自分の事を“私”と言う時、決まって真面目な話であった。部室には思穂とにこの二人きり。

 にこの瞳には“困惑”と“心配”の色が滲み出ていた。その瞳が怖くて、思穂はつい目を背けた。

 

「……私はあんたの全てを知っている訳じゃないし、この学園祭“で”何かあった訳でもない。だけど……今のあんたを見ていると、μ'sに入る前の私を思い出してしょうがないの」

 

 手が、震えていた。それを悟られぬよう、思穂は“笑顔”を張り付けるが、それがどこまでにこ相手に通用しているか分からない。こんな事を考えている時点で、思穂は“おかしい”ことを自覚するべきだったのだ。

 

「……これは、あんたより一年多く生きている大先輩にこにーからのアドバイスよ」

「アドバイス……?」

「自分に嘘だけは吐くんじゃないわよ?」

 

 そう言い残し、にこは練習へ向かっていった。返事も出来ず、ただ彼女の後ろ姿を見送ることしか出来なかった。

 ――私達、この部を辞めます。

 

「……自分に正直に生きた結果が、アレだったもんなぁ」

 

 気付けば、思穂は顔半分を左手で覆い隠していた――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 結局、その日はそのまま帰って来てしまっていた。お風呂に入り、後は寝るだけ。そんな思穂へ、一通の着信が鳴り響いた。

 

「もしもし」

『思穂、少し良いでしょうか?』

 

 電話の向こうの海未は、少し暗い声であった。だから思穂はあえておどけた調子で振る舞うことにした。

 

「どうしたの?」

『ことりの事だったのですが……』

「……ことりちゃんがどうしたの?」

『穂乃果にも電話をしましたが、思穂は最近のことりをどう思いますか?』

 

 ズキリと、“何か”が思穂の心に突き刺さった感覚を覚えた。

 

「どうって……まあ、たまに浮かない顔しているなと思う時はあるね」

『そう、ですか。思穂は何か、ことりから聞いていませんか?』

 

 思穂の脳裏に過ったのは未だ、ことりの口から聞かされていないエアメールの件であった。だが、思穂はそれを口にすることはない。自分の思い過ごしで、余計な心配を掛けたくなかったから。

 

「ごめん、分かんないや。でも、ことりちゃんの事は気にしていた方が良いかもしれないね。もしかしたら、言いたくても言えないことかもしれないし」

『そうですね。思穂も何か分かったら教えてください』

「うん! 了解! すぐに教えるよ!」

『お願いします。それでは……お休みなさい』

 

 通話が切れ、真っ黒な画面のスマートフォンをしばらく見ていた。今日は、何だか何もやる気が起きないので、そのまま寝ることにした。マネージャーの自分が風邪などひいて、余計な心配を皆に掛ける訳にはいかないからだ。

 

「雨が……降ってきたなぁ」

 

 ポツリポツリと、道路を濡らしていく冷たい雨。明日は晴れると良いな、思穂はただ――そう願うだけであった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ――とうとう始まった文化祭。

 天気は生憎の雨であったが各部全て、自分達の活動を余すことなくアピールするための出し物が多く、お客さん達を楽しませていた。中でも茶道部のお茶点ての実演は老若男女から好評だった。また演劇部の講堂を使った演劇は、終わった後、拍手大喝采だったと聞く。

 この音ノ木坂学院全てが活気に満ちていた。

 

「たらーらー。良し、セッティングオーケー」

 

 そんな中、思穂の文化研究部の出し物は特筆すべきものは何もなかった。三台のパソコンに自作ゲームを入れておき、自由に遊んでも良いという実に手要らずの出し物。

 

「これで良いんだ。これで……」

 

 思穂はそう呟き、『自由開放中』という看板を文化研究部の扉付近に立て掛ける。今は重要なμ'sである。自分の事は二の次、三の次。ライブに遅れると言う選択肢は、思穂にはなかった。

 控室の扉を開けると、そこには既に衣装に着替えたメンバー達がいた。

 

「おー! 皆可愛い! ていうかカッコいい!」

「思穂、あんた文化研究部の方は良いの?」

「――うん! 実は思った以上に人が来なくてさー! ライブも観たかったから早めに切り上げてきちゃった!」

「……本当ね?」

「もちろん! ……あれ? そう言えば穂乃果ちゃんは?」

 

 思穂の問いに答えられる者は誰もいなかった。

 

「私達も探していたのですが、どこにいるのかも分からないんです」

「えっ!? もう時間だよ!? 私、探して――」

 

 思穂が飛び出す前に、扉が開かれた。その人物を見て、思穂含め、全員がとりあえず安堵する。

 

「おはよ~……」

「穂乃果!」

「遅いわよ」

「ごめんね。当日に寝坊しちゃうなんて……」

 

 海未とにこの言葉を笑顔で返した穂乃果はそのまま衣装の元へ歩いて行くも、途中で身体がふらついてしまった。そのままことりの腕の中に納まり、事なきは得たが、これは些か思穂の目には不自然に映る光景だった。

 

「穂乃果? 声が少し変よ?」

「え……!? そう、かな絵里ちゃん? のど飴舐めておくよ……」

「なら、私のハチミツのど飴食べて? 割と美味しいから!」

「ありがとう……思穂ちゃん。私、ハチミツ大好き……」

 

 思穂は穂乃果の手にハチミツのど飴を乗せた。触れたのは一瞬。無意識に、思穂は声を出していた。

 

「穂乃果ちゃん? 本当に大丈夫?」

 

 妙に顔が赤らんでいる。一応暖房は付けているのでその赤みなのだろうが、思穂はそれでも聞かずにはいられなかった。だが、穂乃果はガッツポーズでそれに答えた。

 

「うん! だから思穂ちゃんは私達のライブ、最後まで見ていて欲しいんだ!」

 

 真っ直ぐに瞳を見つめ、そう言う穂乃果。思穂はこれ以上追及はしなかった。燃えている彼女に水を差すような真似をしたくなかったのだ。穂乃果達九人が舞台へと移動する時間となった。その背中を見送りながら思穂は自分も歩き出そうとした。だが、足元に妙な違和感が。

 

「靴紐……」

 

 千切れた靴紐が、酷く思穂を不安にさせた――。

 

「間にあった!」

 

 舞台には既に九人が並んでいた。穂乃果の表情には鬼気迫るモノを感じ、調子は絶好調だと判断する。この悪天候は枷にすらならないと思わせるほどのやる気。思穂は、頭の中でライブ時間を弾き出していた。

 

「セットリストを考えれば大体その時間……。雨は止む見込みがない。穂乃果ちゃん達……正念場だよ!」

 

 思わず拳を握りしめていた。火照った身体に雨が心地いい。

 そして音が鳴り響く。血液が沸騰しそうな激しい曲。穂乃果が最初にこの曲を持ってきたのは大正解と言えよう。

 ――『No brand girls』。ラブライブ出場を懸けた穂乃果の魂が込められた曲である。

 

「頑張れ……皆!」

 

 今までの曲は比較にもならない程激しい振り付け。そして豪雨という最悪のコンディションの中でも、彼女達は魂を燃やしている。その姿は、観客達の視線を捉えて離さない。悪天候すら吹き飛ばすその曲と彼女達の姿勢にいつしか観客達も一体となり、腕を振っていた。

 やがて、曲が終わりに近づいてくる。これなら何事も無く終われそうだ――そう、思穂は“油断”をした。

 

「――え?」

 

 最後のトメが終わった刹那、穂乃果の姿がブレた。メンバーが反応するよりも早く、彼女の身体は冷たい舞台の上に崩れ落ちる。

 

「ほの……かちゃん?」

 

 観客を掻き分け、思穂は舞台へ走った。そしてすぐに倒れた穂乃果の身体を抱き上げ、額へと手をやる。

 

「酷い熱だ……こんな状態で……!?」

 

 額が焼けるように熱い。どう見間違えても、これは――明らかに熱を出している。しかも相当高い。

 絵里が近寄って、穂乃果の様子を確認すると……静かに首を横に振った。

 

「思穂、ライブは……」

「分かってる絵里ちゃん。これ以上は穂乃果ちゃんが危険だ」

「――の」

「え?」

「次…………の」

「何、穂乃果ちゃん!?」

「つ……ぎの曲。……っかく、ここま、で来たん……だから」

「――――っ!」

 

 思穂は呼吸が止まりそうになっていた。最初から最後まで、高坂穂乃果はこのラブライブに懸けていたのだ。それこそ、自分の体調不良さえ押し殺し、彼女はこのラブライブへ繋がる“勝負”に全霊を懸けた。

 そんな彼女へ、思穂は今からこれ以上にないくらい非道な仕打ちをする。心が――どうにかなりそうだった。

 

(状況を冷静に受け止めろ片桐思穂……! 私が今、何をするべきか分かっているはずだ……っ!! なら、やらなきゃ……!!!)

 

 鋼の心で自分を律する。もはや状況は一秒すら惜しい。一刻も早く、“最善”へ橋渡しをしなくてはならない。

 すぐに手近なメガホンを手に取り、思穂はそれを口元に近づける。視界に広がるのは、困惑している観客たち。これから告げるのは、このライブを楽しみに来てくれた人達への残酷な事実。

 

「皆さん! メンバーにトラブルが起きました! 再開の見込みは現時点では分かりません! ですので……ですので……!!」

 

 思穂は次の言葉を言えずにいた。だが、この役目を買って出れるのは自分だけ。他のメンバーでは駄目なのだ。皆の負を受け止められるのは、この自分だけ。数瞬後、思穂は決断した。

 

「ライブは――中止です!!」

 

 思穂は既に、ライブの事は考えていなかった。

 

「海未ちゃん、私が穂乃果ちゃんを保健室へ連れて行く!」

「思穂、貴方……」

「良いから早く!!」

「っ!? お、お願いします!」

 

 それよりも穂乃果を急いで保健室に連れて行かなければならない。思穂は穂乃果を担ぎ、階段を駆け下りた。

 

(……)

 

 全てが頭の中でカチカチと積み上がっては落ちていく。まるで積み木遊びだ。それも、酷く悪趣味な。その全てが思穂の行動、言葉、思考を振り返させる。中でも強烈に頭の中にこびりついてくる事柄。

 

(私の――)

 

 いつぞやか穂乃果に言った言葉。あの真っ直ぐな穂乃果へ言った言葉。それが思穂の全身を蝕むかのような感覚。前日で気持ちが高ぶっていたであろう彼女なら“やりかねない”可能性。

 昨日の天気は確か、そう――。

 

(私の――せいだ)

 

 負債の塔の一端が、思穂の頭上へと降り注ぐ――。

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