ラブライブ!~オタク女子と九人の女神の奮闘記~【完結】 作:鍵のすけ
「思穂ちゃん、凛はこれを引いたんだけど、ヤンデレってなに?」
凛から受け取った用紙を見て、思穂は途端口を閉ざした。
「思穂ちゃん?」
「……ちょっと小道具用意させて。えっとそれで凛ちゃんはそこに立っててくれる? あ、皆はちょっとだけ離れててもらえるかな」
「思穂?」
「絵里ちゃん、お願い。私がノビノビ演技をするために必要なんだよね」
絵里に有無も言わさず、思穂は凛以外のメンバーを壁際に追いやった。そしてすぐに鞄からプラスチックのコップや、玩具のハサミを机の上に置き始める。それが終わると、次にホチキスを取り出し、中の針を全部抜いてからそれをハサミの横に並べる。
いきなり黙々と準備を始める思穂の異様な雰囲気に、誰もが口を出すことが出来なかった。いつもならここで海未や絵里が更に追求を始めるのだが、その余りにも真剣な眼差しに、二人も発言を躊躇った。
「え、と、思穂ちゃん?」
「うん? どうしたの凛ちゃん? あ、ごめん、もう少しで終わるから待っててね!」
「ヤンデレ……って何なの?」
「……。う~ん……ざっくり言うなら、その人好き好きー! ってガンガンに攻めていく感じかな?」
そう言う思穂の笑顔が、凛はどことなく怖かった。しかし、ヤンデレの意味を知った後にはそんな恐怖はいつの間にか霧散していた。
(な~んだ、ただ好き好き言われるだけなんだ! これなら絵里ちゃんよりも楽かも!)
凛は完全に安堵していた。メンドクサイ演技の思穂に絡まれると考えただけでげんなりしていたが、これならさっさと終わらせられる。――そう、思っていた。
「それでさ、皆と凛ちゃんにちょっとだけお願いがあるんだよね。この属性って割と雰囲気が大事だからさ! 皆は“声を出さないこと”、そして凛ちゃん」
「凛? 何すればいいの?」
「私が部室の外に出て、ノックしたらこの演技はスタート。その間ね――」
思穂が一拍置き、続ける。
「――凛ちゃんは絶対に扉を開けないでね」
「……う、うん」
「あ、そうそう。ちなみに紙に書いていると思うんだけど、私と凛ちゃんは幼馴染設定だから、その辺考えて受け答えしてくれると嬉しいな!」
言われるがまま、紙を見ると、確かにそう書かれていた。これならすぐ側に親友もいるし、演技もしやすい。深く考えず、凛は頷いた。
「じゃあ凛ちゃん、よろしくお願いしまーす!」
そう言って、思穂は部室を出た。ガチャリと閉じられた音が、何故だか妙に部室内に響き渡ったような気がする。
「……思穂、あいつどんだけ手ぇ込んでんのよ?」
「まあまあ。思穂ちゃん真面目やから。演劇部さんらの為になれるよう頑張ってるんよ、きっと」
にこと希のそんなやり取りを聞きながら、凛は部室の扉を見つめる。いつもならただの扉としか思えないが、何故だかのっそりと重い空気が漂っている気がしてならないのだ。
――コン、コン。軽快な、そして無機質な音が二度響いた。始まったのだ。
「……確かノックの音が開始だったわね。ほら凛、早く始めなさいよ」
「真姫ちゃん、完全に他人事だにゃ……」
溜め息を一つ。扉の前に立った凛は、とりあえず一言。
「思穂ちゃーん」
「りーんちゃん。こんな所に居たんだね」
扉の向こうから思穂の声が聞こえてくる。いつも通り、人懐っこい声である。
「そりゃあ、今日部活なんだから部室にいるよ!」
「アハハ、そっか。そうだよね、だから今日は栄養満点の肉じゃがが朝ごはんで、お弁当はハンバーグだったんだね!」
「うん、そうそ――」
そこで凛は言葉を詰まらせた。今、思穂は何と言ったか。それは間違いなく――思穂がいない時に食べたメニューである。花陽と真姫の方を向くが、二人とも首を傾げるだけ。
軽い疑問符が浮かぶのと同時に、思穂から声が投げかけられた。
「ねえ、どうして今日は一緒に登校してくれなかったの?」
「え、っとそれはちょっと寝坊しちゃって――」
「――嘘だよね?」
まるでひやりとした感触が凛の頬を撫でた。それは、鉄のような凍えた感覚であった。そう思えるくらい、思穂の声は鋭かった。
「今日は七時四分にお母さんに起こされて三十分の間、身支度して朝ごはん食べて、それから学校に行ったよね?」
「え!? どうして思穂ちゃんがそれ知っているの!?」
凛の驚き様に、他のメンバー間へ緊張が走った。きっと秘密にしているだけで、誰かが思穂に伝えたんだ。それぞれ、そう根拠もない憶測を口に出さずに。
「だって、私と凛ちゃんは幼馴染でしょ? 凛ちゃんの事は何でも知ってて当然じゃない。あ、そうだ昨日の黄色のパジャマ、可愛かったなぁ……」
うっとりと、それでいて楽しげな思穂とは裏腹に、凛の表情が徐々に青ざめていく。
「……り、凛。思穂ちゃんにパジャマ見せてな、いよ……?」
演技、演技。そう自分に言い聞かせながら、凛はなるべく声を震わさない様に努めた。
対する思穂は、扉の向こうから更に明るい声へと変わった。
「そうそう! 凛ちゃん自分から私にパジャマを見せてくれないんだもん。でも私ちゃんと知ってるよ? 凛ちゃんって結構恥ずかしがり屋さんだもんね! だからさ、私ずっと――凛ちゃんを見てたんだよ?」
「……っ!」
ぞくりと、まるで背中に氷を通された時のような薄ら寒い感覚に陥った。声だけなのに、扉の向こうには“笑顔”の思穂がいる。だけど、その笑みを何故か想像したくはなくて。
「あれ? どうしたの凛ちゃん? さっきからお返事してくれないよね? ……どうして?」
「だ、だって思穂ちゃん……、え? 何で、凛の事そんなに……」
「あ、分かった! 凛ちゃん、もしかして具合でも悪いのかな? 診せて欲しいなぁ。だからさ、ここ開けるね?」
「ひっ……!」
ゆっくりと開かれる扉。その扉の隙間から覗く思穂と目が合った瞬間、凛は反射的にドアノブを掴み、扉を引き戻していた。
(いっ……今、思穂ちゃん……)
――笑っていた。にっこりと、いつも通りの笑顔で。
「ねえ、凛ちゃん? どうして開けてくれないの?」
「だ、だって……だって!」
「ねえ凛ちゃん、どうして? 私達、幼馴染だよね? いつも……いつも仲良かったのに……」
気づけば扉の鍵まで閉めていた。演技のはずなのに、演技のはずなのに。ドアノブを握る手が震えていると気づいたのはすぐのことだった。
「ねえ? どうして開けてくれないの?」
ガチャ、ガチャ。ドアノブが一回、二回と捻られる。
「し、思穂……そろそろ凛が……」
そろそろ見かねた海未が扉の向こうへ声を掛けるが、ドアノブを捻る音が一段と大きくなっただけであった。
「ねえ、開けてよ凛ちゃん。ここを開けてよ? どうして開けてくれないの? ねえ――」
ガチャリガチャリガチャリ。音が鳴るたびに凛の両肩が跳ね上がり、後ずさっていく。ノブを捻って、離して、音が鳴る。この間隔が段々早くなり、そして――。
「――どうして開けてくれないの?」
気が狂ったように音が連続する。ガチャガチャガチャガチャ、と音が執念を纏った瞬間であった。
凛は既に下がり過ぎて背中が壁についていた。そこから脚の力が抜けたかのようにへたり込む。
「あっ、そうか!」
捻る音がパタリと止んだ。その静寂が嫌に気になるが、ひとまずは安堵した凛。壁に手を付き、何とか立ち上がる。
――瞬間。鍵が開く音がした。
「……えっ?」
静かに開かれる扉。凛だけでは無い、他のメンバー全員が息を呑んでいた。この異様な光景に、何も言えなかったからだ。
「分かったよ、私!」
「え……どう、して、思穂ちゃん、鍵っ……!?」
そこに立っていたのは優しい、いつも通りの笑顔の思穂だった。“いつも通り”過ぎたのだ。今までの行動が嘘だったように、嘘だったと信じたいほどに凛は安心“してしまった”。
「合鍵で開けたんだ! あぁ……やっと会えたね、凛ちゃん」
静かに、思穂は机の上のホチキスに触れた。針をあらかじめ抜いておいたものだ。シンプルな形状の緑色のホチキス。
「ねえ、凛ちゃん。私、分かっちゃった」
「な……に、を?」
そっとそれを手に取った思穂が徐々に近づいてくる。一歩を踏みしめるたびに、ホチキスがカチリと鳴らされた。
そしてもう一つ。青いハンドルの、コンビニで売っていそうなハサミを手に取る。
「凛ちゃん、私の声聞こえてないんだよね? 私が見えていないんだよね? 私の名前、呼んでくれないもんね?」
カチ、カチ、と鳴らされるそのホチキスは、思穂の心の波を表しているようで。ならば、これは嵐の前の静けさ。だとすれば――。
「きっと他の人たちの声を、顔を、名前を呼び過ぎちゃったんだよね? だから私の事が分からないんだよね?」
シャキ……シャキシャキ。一緒に奏でられるホチキスとの不協和音が凛の耳をべろりと舐める。
動けない、指が一本も動かない。これで気を失えたらどれほど楽なことだろうか。だが、目の前の思穂の笑顔を見ていたらいつも通りで“安心”してしまう。この歪なシーソー。
思穂が、凛の目の前まで近づいてきた。
「あ……あっ、いゃ……!」
「だからさ――うん? 今何て言ったの?」
ハサミとホチキスを動かす手を止め、思穂が微笑んだ。演技だって分かっている、心の中ではちゃんと分かっているのに、それでも、それでも――。
「し、ほ……ちゃん、怖い……よぉ」
怖い。絞り出したその声を聞いて、思穂は笑みを見せたまま言った。
「――――今、何て言ったの?」
途端、思穂が腕を振り、はずみでテーブルの上に置いていたプラスチックのコップが地面に落ちた。プラスチック特有の乾いた音が部室に鳴り響く。
「ひっ……!」
「ねえもしかして今、“怖い”って言ったの? 私の事、怖いって言ったの? 凛ちゃんが?」
瞬間、思穂が爆発した。
「――そんな訳無いよッ!!!」
弾かれたように、凛は距離を離そうとしたがそこはとっくに壁。バランスを崩し、尻餅をついてしまった。
「ねえ、何でそんな意地悪言うの? 昔の凛ちゃんはいつも優しかったのに、何で私に酷い事言うの? あーやっぱりそうなんだね」
「り、凛……わかんない、よ……!」
「やっぱり凛ちゃん、毒されてるんだよ。髪が、耳が、目が、鼻が、口が、肌が、腕が、指も爪も産毛も全部全部」
ハサミとホチキスを再び動かし始める思穂。
「好きで、大好きで大好きで大好きで大好きな凛ちゃんが毒されちゃった……! 身体の全部が他の女の子に毒されちゃったよぉ! ――なら、消毒してあげなくちゃね」
ハサミは玩具、ホチキスは針無し。その大前提があるというのに、何故かそれがどちらも“本物”に見えてきた。
「そうしたらまたあの優しい凛ちゃんが戻って来てくれるよね! いつも私に優しいあの凛ちゃんが戻って来てくれるよね! だからまずはその耳を切らなくちゃ」
大きくハサミを開閉する。開閉の動きに“馴染んだ”のか、刃の動きにぎこちなさが無くなっていく。
「そしたら次は目だよね。ホチキスでしっかり留めて他の悪いモノを見せない様にしなきゃ」
二度、ホチキスを押しては離した。
「そうしたら次は舌だよね、悪いモノを体内に入れさせない様にしなくちゃ。そしたら次は――アハ。アハ、ハ、アハハハハハハハハハ!! 考えただけで幸せだよ! 素敵な事だよね! 大好きな人から汚れを落とすのって素敵だね!」
徐々に凛との距離が縮まる。既に彼女は涙目で動けずにいた。全身から冷や汗が流れ、目は焦点が定まらず、両肩は上下し、足には力が入らない。
対する思穂は最初から最後まで愛しい相手を見る、恋する少女の瞳のままであった。
もう一歩、一歩、一歩。凛の緊張の糸が張りつめていく。触れれば何物をも両断しそうなほど、鋭く細く。
とうとう凛と思穂の距離はほぼゼロへと至った。思穂はそっと、凛の耳に唇を近づける。
「大好きだよ、凛ちゃん。だから私がちゃんとキレイにしてあげるね」
「――!」
そして、とうとうその緊張の糸がブツリと千切れ飛んでしまった――。
◆ ◆ ◆
「――この度はどれほどお詫びをしたら良いのか分かりません!!」
部室のど真ん中で思穂は土下座をしていた。その前に座っている凛は完全に怯えきり、花陽に抱き着きっぱなしであった。
そして、堰を切ったように、他のメンバーからの感想が飛び交う。
「思穂ちゃん、これは駄目だよ……」
「思穂、これは些か……」
「私、ちょっと好きかも……」
二年生組は満場一致でドン引き。一部妙な台詞が聞こえたような気がするが、気のせいだろう。
「これは……にこっちのアイドルモードのがまだ見ていられるわ……」
「どういう意味よそれ……!? って言うか、ヤンデレ? って初めて見たけどこれは流石のにこも言葉を失ったわ……」
「ハラショー……。私、本気で先生呼ぼうか考えていたわ……」
三年生組ですらドン引き。絵里に至ってはもはや演技と言うことを忘れていたようだ。
「凛ちゃん、大丈夫?」
「か、よっちん……! こわか、怖かった、よぉ……!」
「思穂やり過ぎ。凛、完全に泣いてるじゃない」
一年生はもう完全にお通夜の空気だった。泣いている凛を慰めている花陽と、その二人を守る様に立っている真姫。
特に真姫の視線は冷たい物で、顔を上げられない。
「凛ちゃん、ほんっとごめんなさい。ちょっとノッてしまって……泣かせるつもりはなかったんだ!」
だが、凛は返事をしてくれない。花陽の制服の裾を握りしめ、彼女の影からチラチラこちらを伺ってくるだけ。
「ごめん、本当に。謝って許してもらえるとは思ってないけど、それでも謝らせてください!」
すると、凛がボソリと呟いた。
「……ラーメン」
「……チャーシューは」
「……スペシャルトッピング」
「…………うぅ。そ、それぐらいお安い御用――」
「あと、替え玉……」
今、思穂の今週の食費が消えた瞬間である。だが、自分がしでかしたことを考えれば、むしろまだ足りないレベルである。だから、思穂は更に十字架を背負った。
「バター……スペシャルも、追加してあげる……!」
「……本当?」
半目でジトーッとした視線を送る凛。その瞳を逸らすことは出来ず、思穂は――死刑宣告を笑顔で受け入れた。
その末に勝ち取れたものは――。
「じゃあ……良いよ」
凛からのお許しであった。
「良かったぁ~……」
「とりあえず一件落着したみたいだけど、思穂、分かってるわよね?」
絵里からの無言のプレッシャーが襲い掛かる。それはつまり、演技の時間終了と言うことである。正直、まだまだネタがあるが、もうそれをやる気力は無かった。
故に、思穂はそれに頷いた。
「はい……皆さん、ありがとうございました……」
「ていうか思穂、あんたどこでそんなの知ったのよ」
「まさかにこちゃんからそんな質問が来るとは……。アレだよ、女の子と仲良くなるゲームでだよ……」
「……ロクなゲームやってないのね」
そう、にこによって一刀のもとに両断された。
「あはは……言い返せないや。でも助かったよ、これで演技の練習は良い感じだよ」
「大丈夫そうなん?」
「うん、大丈夫だよ希ちゃん。皆、本当にありがとうね! それで、さ」
一拍置いて、思穂は続ける。
「これから皆でご飯に行こうよ! 凛ちゃんにも奢りたいし、ラーメン屋でどうかな!」
濃密な演技を見ていたらいつの間にか時間が過ぎており、既に良い時間であった。真っ先にその提案を飲んだのは凛である。
先ほどとは打って変わり、凛は非常にご機嫌であった。
「ラーメンっ! ラーメンっ! ラーメンにゃあ!」
そんな事を叫びながら、凛が部室を飛び出した。その後ろ姿を見ていると、横から希が声を掛けてきた。
「……そう言えば、思穂ちゃん、どうして凛ちゃんの事知ってたん? 表情見るに、どれも本当の事っぽかったみたいやけど」
「ああ、あれ凛ちゃんに聞いたんだよ? ていうか、皆に聞いているよ?」
飛びだしたのはまさかの答えで。希は目を丸くした。
「へっ!? ウチ、そんなこと思穂ちゃんに言ったっけ?」
「うん。今日、休み時間に希ちゃん達の教室へ行ったでしょ? その時の会話覚えてる?」
「……う~ん……なんか雑談ばかりやったから覚えてないなぁ。……あっ」
そこで希は気づいた。その雑談の中に、確かそういう話題が出たような気がしないでもない。
「あ、気づいたみたいだね。希ちゃんの考えている通りだよ。適当な会話の中に聞いておきたいことを紛れ込ませていたから私が言わなきゃ皆気づかないと思うよ?」
「…………思穂ちゃん、ほんと末恐ろしいわ」
「うん? 何か言った?」
希が顔を背け、ボソリと言った一言を聞き取ることが出来なかった。それを追及しても、希がやんわりといなしてくるので、思穂はそこで聞くのを止めた。後で酷い目に遭うかもしれない、と予感したからだ。
「思穂ちゃーん! 早く行こうよ~! 凛、お腹ぺっこぺこだにゃー!」
既に希と思穂以外は鞄を持って帰り支度を終えていた。置いてかれないように、思穂も鞄を掴み、皆の元へと走り出した――。
……後に、思穂が助っ人として出演した演劇はある意味で伝説となった。何故なら開口一番の思穂の台詞があまりにも印象に残り過ぎたため。
『シホーシュ・ファ・カタギリアが命じる。貴様たちは――死ね!!』
黒づくめに仮面を被り、大仰な仕草でそう言う思穂があまりにも堂に入っていたため、一部の“中学生特有の病気”を持った生徒達から大拍手を受けるばかりか、いつの間にか演劇がネットに上げられたようで、凄まじい再生数を叩き出したとか何とか――。