週が明けて、春秋は何事もなかったかのようにいつもの通学路で紬を待つ。
だがその表情は今までと違い、自らの有り方を考えている表情だった。
『物語の管理者』と『物語の反逆者』。おそらく彼―――ディスト・神楽坂も、此処とは違う世界の住人。
記憶を失った春秋には、彼がどうして自分を狙うかがわからない。いや、狙われるようなことをした、と考えるしかない。
ディストは告げた。力を取り戻せと、記憶を取り戻せと、心を取り戻せと。それから死ね、と。
「………ーい」
ディストの目的は、春秋を殺すことだ。それも、全てを取り戻した春秋を、だ。
だとすればますます、春秋は自らの過去が気になって仕方がない。心を、記憶を取り戻せば解決の糸口が見つかるだろうか。
心の欠片。この世界の何処かに存在する、春秋の心の欠片。
愛しい紬の尽力によって『今』の春秋はほとんど安定している。紬と結ばれてから数日経つが、発作のように起きていたあの不安の衝動は一切起きていない。
心を取り戻して、一体どうなるのだろうか。日常生活を送るには何も不自由はない。
「春秋くーん?」
ならば、このままこの世界で平穏に暮らすのも有りなのではないか。戦うことを捨て、自らの過去を捨て、今の、紬とのこれからを守っていけばそれでいいのではないか。
ダメだ。それを考えたことは何度かある。考える度に、己自身が違和感に苛まれる。
自らを取り戻せ、と語りかけてくる自分。
そしてそれ以上に、取り戻したい、と固い決意を見せる自分。
きっと、きっと大切なものを失ってしまったんだと。
「春秋くんっ!」
「っ! お、おぉ紬、か……」
声をかけられていたことに気付けなくて、彼女が叫んでくれてようやく気付く。
気付くと同時に、思わず思考が停止する。
紺色の指定のブレザーを身に纏い、今までアンダーポニーで纏めていた髪を下ろし、ワンポイントのカチューシャには花柄のリボンがあしらわれている。
以前プレゼントしたチョーカーをつけて、少し余った袖。
「可愛い」
「ふえっ!?」
「可愛い。このままお持ち帰りしてずっと抱きしめていたいっ!」
「そ、そういう恥ずかしいこと言わないでよーっ!」
「というかクラスの連中には見せたくない」
「え、で、でも」
「ぐぬぬ……予想以上に可愛すぎて他の男子共が紬の魅力に気付きそうで嫉妬で狂いそうになる」
「だ、大丈夫だよ。ワタシは、春秋くんのものだからっ」
「紬ぃ……」
思わず正面から抱きしめる。やや身体を倒して抱きこんだため、すっぽりと春秋の胸に紬の頭が埋まる。
さらさらの髪を撫でながら、全身で彼女の温もりを堪能する。このまま抱きしめて寝転がってしまいくらい、最高の抱き心地である。
「ぷはっ。も、もう早く学校行こうよ~っ」
………
……
…
「春秋くん、ワタシ明日から前の制服に戻ります……」
「よっしゃアンドざまあみろ男子どもっ!!!!」
「春秋くんの反響も凄かったね……」
午前中の授業が終わり、疲れきった表情の紬を連れて一旦部室へと退避する。
結論から言えば、揉みくちゃにされた。もちろん女子にだが。
男子からの目線を引いたのも事実である。終始休み時間にでもなればクラスの男子の大半が紬の姿に見とれていた。
女子の今日の話題は春秋と紬のことでいっぱいだった。
ハロウィンパーティーであれだけの告白をした春秋と、そして週が明けて制服を変えた紬のことですぐに二人の関係はバレた。
それが功を奏したのか、男子の大半が紬に声をかけることはなかった。
だがそれでも送られてくる視線にあてたれてしまったのか、紬は精神的にひどく疲弊してしまった。
「よいしょ、っと」
「……ふわぁ。落ち着くよぉ……」
座っていられない。箒でさっと床を掃除して、そこに座り、紬を抱き寄せる。
「えへへ、春秋くんっ、春秋くんっ」
嬉しそうに、春秋の胸元に頬ずりしてくる。その仕草がまた愛しくて、春秋は紬が満足するまで優しく髪を撫でてあげる。
「紬、大好きだよ」
「うん、ワタシも大好きっ」
お互いの心はわかりきっている。分かり合えている。
お互いがお互いを愛し、大切に想い、温もりを求め合っている。
全身に押し付けられる彼女の身体の柔らかさが、正直たまらない。
だがここは学校で、そして昼休みだ。いくら誰も来ないであろう部室と言えど、節度は持たねばならない。
「紬、愛してる。大好きだ」
「はるあきく……ん、しゅき、だいしゅき……」
だから想いを精一杯伝えようと、キスを繰り返すだけ。キスを終えて、紬をずっと抱きしめて、そして気付けば昼休みが終わりそうになっていた。
落ち着いた紬だが、春秋からは離れようとはしない。覗き込むように、彼を見つめる。
「どうしたの、何か不安なことでもあるの?」
そしてあっさりと、今朝からずっと悩んでいることを、見抜いた。
「……ああ。あのパーティーの最後に、な」
「……聞かせて」
「でも」
「聞かせて。春秋くんは、ワタシの願いを聞かないでずっとワタシの欠片集めに協力してくれた。だからワタシも、お返しがしたいの」
そう言われて、優しすぎるな、と感じつつ、春秋はあの時のことを紬に語る。
相対した存在のことを。自らの記憶と力と心のことを。
そして、今朝まで自分が過去を取り戻すべきかどうか悩んでいたことを。
そして、過去を、己を取り戻したいと考えていることを。
そして、これからのことを。
「紬。俺は心の欠片を取り戻したら、この世界を去ることになる。そして次の物語、次の世界を目指して、俺の、俺自身の欠片を集める旅を続けたいと思っている。……その旅に、ついてきてほしい」
「うん、いいよ」
「でも、紬には紬の人生があるし―――って」
即答だった。
あまりに早い返答に、春秋は呆気に取られている。
「ワタシもね、ずーっと考えてたんだ。春秋くんと一緒にいたいし、その、これからもずっと愛してほしいし。だから―――」
予鈴が聞こえる。もうすぐ午後の授業が始まってしまう。
だが二人には聞こえない。
答えを全て聞く前に、紬を抱きしめる。顔を見られないように、頬と頬を重ねて。お互いに声を発さず、ただただゆっくりと、抱きしめ合う。
きっと嬉しくて泣いている。悟られないように、必死に堪えて。