コーヒーを出されて、一口。
独特の苦味と香りが広がり、心を落ち着かせる。
彼は、四ノ月春秋と名乗った少年は落ち着いた佇まいで紬と七緒に向き直る。
「四ノ月春秋。目的と多少の自己紹介はできるけどほかに記憶を持っていない」
「……ずいぶん落ち着いているんだね」
顎に手を当てて思案。彼は確かに記憶を失い、道端で倒れていたとは思えないくらい落ち着いている。
「どうして倒れていたかは覚えていない」
「あ、あははは」
彼の当たり前のような一言に、思わず苦笑する。
途端、大きく彼のお腹が鳴る。緊張していた空気が一気に弛緩し、七緒が吹きだす。
軽くつまめるものを用意する、と言って厨房に向かうと、店内には紬と春秋だけが残される。
「んー」
頬を掻く春秋と、そんな彼の一挙手一投足に警戒の色を隠せない紬。
困らせてる、と感じたのか。
「しかし、俺が起きた時のあの光はなんだったんだ?」
話題を模索していた彼は、ふと目が覚めたときの光景を思い出した。
光の羽が舞う幻想的な光景。そして、それらが自らの中に溶け込んでいくのが少しだけ見えた。
あれが、心を失っていたという彼を目覚めさせた。と仮定するならば。
「あの光の羽は、心を安定させる何かってことか」
「え、えっとね」
心当たりがあるのだろうか。紬は言うべきか言わざるべきか悩み、表情がころころ変わる。
「あれはね、心の欠片だよ」
色とりどりのサンドイッチを片手に、七緒が戻ってくる。言ってほしくないことを言われたのか、ばつが悪そうな表情の紬と、仕方ないだろう、という表情の七緒。
それを見比べて春秋は―――ひとつの結論に達した。
「俺の心がブロウクンマグナム?」
「その発言だけで君の年齢がわかりそうだよ」
呆れた表情の七緒を尻目に、春秋はもう一度、紬へ問いかけた。
「心の欠片って、いったいなんだ?」
真剣な表情の春秋に、紬が答える。
それは、文字通り言葉通り人の心の欠片。
喜怒哀楽を始めとした強い感情の一部。
人の心はとても繊細で、バランスが簡単に崩れてしまう。
明るい感情も、暗い感情も、どちらにでも偏ればその反動がいつか来てしまう。
わかりやすく言えば、仕事が好きで仕事をしてる人が、定年を迎えて仕事ができなくなり、無気力になってしまうこととか。
だから、そのバランスを取る必要がある。そのために、余分な分を集めた物が『心の欠片』だという。
―――そして、それら心の欠片を集める者がいる。
目の前の紬のように、人でありながら人の身を超えた願いを持つ者たち。
「それが、魔女」
やや苦しそうな表情を紬が見せる。それが何を意味するかは、春秋は理解できるほど彼女をことを知らなかった。
ただ、自分が彼女が一生懸命集めた者を台無しにしてしまったことだけはわかった。
だからどうすればいいか、彼女に問うた。奪ってしまった欠片を、どうすれば返せるのか。
だが紬自身も返答に困っている。こんな事態がそもそも初めてであり、どう対応すればいいかわからないと。
「仕方ないさ。そもそも心が壊れかけた人間と出会うことなんて、ほとんどないことだ」
四ノ月くん、と七緒が言葉を続ける。
「君は心を失って、意識を失っていた。人の心は非常に脆くてね。心にだって傷を癒そうとする作用はあるからね」
「……だから、俺の足りない心を満たすために他所の心で代用した、ってことか?」
「ああ。だが、その心は君の本当の心じゃない。君自身の心が、本来の気持ちを取り戻すために、一時的に落ち着かせるための緊急処置ってところだろう」
「なら」
「君の心がどういう形であれ元に戻れば、取り込んだ欠片も戻るだろう」
ギィ、と椅子をきしませ、七緒も着席する。達観したような表情だが、こういう事態にあったことはないのか、少し戸惑っているのを春秋は感じた。
「四ノ月くん。記憶がない君にこんなことを聞くのはあれだが―――君には、願いはあるかい?」
「願い……」
「心を満たすのに手っ取り早いのは、悩みを解決したり目標を達成することだ。所謂安堵や達成感だ」
その言葉を聞いて、春秋はじっくりと、ゆっくりと。瞳を閉じて、失われた記憶を探る。
まるで本に書かれた情報を読むかのように、客観的に、自らの情報を手にする。それは名前だけじゃなく、目的。
「俺は……心と、記憶と、力の欠片を求めて旅をしていた……みたいだ」
「それじゃあ、その欠片を集めることが、君の願いなのかい?」
「違う。俺の願いは―――」
幸せになること。
当たり前のことを、まるで遠い、遠い、憧れのような表情で、彼は言った。