『この物語での欠片の回収は終わったわ。貴方は次の物語に行かねばならない。この世界に滞在できる時間は、長くても一週間もないと考えなさい』
そう言って、女性はこの世界から『去る』場所を指定して空へと消えた。
破壊の爪あとは大きかったものの、物語の管理者である春秋の力により情報を書き換えて、壊れた建物群は何事もなかったかのように機能している。
春秋の心を得ていた『ソレ』―――それは、人の心を得てしまった、犬であった。欠けた心を求めて、力が肉体にまで影響を及ぼしたようで。
戦いの中で炎によって肥大した部分をそぎ落とされ、力を失い今はもうただの犬としてこの街の何処かを彷徨っているだろう。
その犬が、どんな主人と出会うかは、また別の物語。
*
「……ん」
目が覚めて、静かな部屋で春秋の意識は覚醒する。それと同時に感じる、腕の中の温もり。紬だ。
まだ夢の世界にいる愛しい少女を抱きしめて、春秋は己の心が温まっていくのを感じる。
守ると誓った。奪わせないと、何に変えても、四ノ月春秋は椎葉紬を守ると誓った。
炎に、かつての自分に、魂に。
「……ん、にゅ。おはよ、はるあきくん……」
寝ぼけ眼で、紬がゆっくりと意識を取り戻す。
心を奪われた後遺症は一切無いようで、そのことが気がかりだった春秋は心の底から安堵する。
「えへへ。春秋くんの匂いだ……」
「紬……」
小柄の割りに豊満なバストを持つ紬の身体は、春秋のYシャツしか身に着けておらず、だが紬はそれが当たり前のように嬉しそうに春秋にしがみつく。
戦いから三日が経って、父の容態も問題なく、あと一日も入院していれば帰れるとわかった紬は嬉しさからか泣いてしまい、そのまま春秋がずっと慰めていた。
今日は、紬の父親を迎えに行って、そして。
紬を連れて行くことを、説明しようと思っている。
逃げてはいけない。きちんと説明して、理解してもらわねば、親から娘を奪っていくということは、それだけ大事なのだから。
………
……
…
「初めまして、椎葉さん。四ノ月春秋と申します」
「ああうん、紬からよく聞いてるよ。紬によくしてくれて、ありがとう」
「いえ、自分が助けられてばかりです」
他愛ない話を口火に、対面の優しそうな男性―――紬の父と向き合う。
紬は隣に、母親には父親の隣に、二人の目を見据えて、春秋は言葉を続ける。
「何事もなく退院できて、まことに幸いです」
「はは、どうして倒れていたのか不思議なくらいだよ」
「それは……」
震える手を、隣の紬が優しく握る。それは春秋に勇気を。拒絶されるかもしれない残酷な現実に立ち向かう勇気をくれる。
「それは、俺の戦いに巻き込んでしまったからです」
端的に、わかっている情報を、伝える。
物語の反逆者たちのこと。彼らが春秋を狙い、絡めてとして紬を狙うために、まず父親を利用したことを。
次いで、管理者としての旅の事を。欠けた心と、紬と出会って救われたことを。
自分がどれだけ紬に救われ、彼女に惹かれたかを。
信じられない、といった表情だった父親も、春秋の言葉から感じられる雰囲気に当てられて、信じざるを得ない。
どういう心境だろうか。娘と交際している男の所為で、親子共々危険な目にあったということが。
拒まれるに決まっている。わかりきっていることだ。
「四ノ月君」
「はい」
「私たちを助けてくれたのは、君で間違いないんだね?」
「はい」
それ以上の言葉は、出てこない。
それが春秋の役目だとか、巻き込んでしまった責任だとかは、全て春秋に同情してもらい、春秋が望む未来に誘導する卑怯な手段だからだ。
だから、客観的に理解してもらうためにも、春秋は言葉を発さない。出される全ての言葉を受け止めるつもりだ。
だがそれでも、父親から春秋を責める言葉は出てこなかった。
「君は、記憶を失った状態でいきなり巻き込まれて、辛くはなかったのかい?」
「……辛いか辛くないかは、それすらわかりません。俺は……紬が傍に居てくれればそれでもう満足していたから」
戦うことに、躊躇いはなかった。まるでそれが当たり前のように。きっと以前の自分は、そんな世界に身を置いていたのだろう。
「俺は……自分の記憶や心に向き合わないといけない。そのために、旅を続けています」
その言葉で察したのだろう。父親の意識は春秋から紬に向けられ、言葉にならない何かが紬に伝えられる。
それは、問い掛け。察したのか、紬は真剣な表情で父親を見つめる。
「ワタシは、春秋くんをずっと支えていきたい。ずっと、ずっと。春秋くんが傍にいてくれない人生なんて考えられないくらいに」
強い意志だ。決意の込められた言葉に、父親は一瞬呆然として。
そして、寂しさと、嬉しさが混ざったような、表情をして。隣に座る妻に頷いて。
「四ノ月君。一つだけ、誓ってほしいことがある」
「はい」
「紬を、幸せにして欲しい」
「―――絶対に」
………
……
…
「来たようね」
木に寄りかかっていた瑠璃色の髪の女性は、春秋と―――紬の姿を見て、待ちわびたといった表情を見せる。
「椎葉紬。ついて来るのね?」
「はい。春秋くんの傍にいるために」
「別に問題はないだろう」
「ないわよ。むしろ居てくれた方がありがたいわ。いなかったらいつ貴方の心が不安定になるかわからない」
精神安定剤か、と突っ込みを入れようと思ったがあながち間違いでもないので心に秘めておく。
女性が指差した場所へ、春秋は言われるがままに『本』を開き、念じる。
文字が、渦を巻いて中空へと。それはやがて質量を得て異界への門を形成する。
門の中心は、光の渦となっていて向こう側のことは何も見えない。
ただわかるのは、この先は『物語の管理者』の世界だということ。
「わかりやすく言えば上位の次元。本来であれば物語の住人がこの世界に立ち入ることすらできない。でも貴女の場合は春秋に選ばれている」
女性は紬の方を見て、優しい微笑を見せる。
「まあ抱かれていれば基本的に問題はないわ」
「ほわぁっ!?」
「あ、その照れ顔可愛い」
「は、春秋くんっ!」
「別に気にする必要はないわよ。ただ春秋の思いを受けて、椎葉紬、貴女という存在は確実に上位の存在となっている。それだけは忘れないで」
「なったから、どうとかあるのか?」
「特にないわ。強いて言うなら、多少は春秋の力を一緒に使えるくらいかしら。物語の管理者の力を」
使わせるつもりはないけど、と女性は続けて、そして先に門の中へ消えていく。
女性が消えて、春秋と紬の二人が門の前に立つ。
指を絡めて、離さないように、しっかりと、強く、手を握り締めて。
見つめあい、どちらからともなく誓いの言葉を紡ぐ。
「病める時も、健やかなる時も、貧しい時も、裕福な時も、永遠に、貴女を愛し、守り抜くと誓います」
「苦しい時も、嬉しい時も、悲しい時も、楽しい時も、ずっと、ずっと一緒に、貴方を愛し、貴方を支え続けると誓います」
そして、門の向こう側へ。人の世から離れた世界へ。人の世の理の向こう側へ。秩序の外へ。
門の向こう側の世界。そこは深い、深い、どこまでも深い、底の見えない世界。
周囲を覆うのは、数え切れぬほどの本。数え切れぬほどの、文字を残せる全ての媒体。物語を記せる全てが、本棚に収められている。
緩やかな重力。身体が浮いているような感覚。姿勢を上手く維持できない紬を抱き寄せ、肩と膝に手を回し抱きかかえて、ゆっくりと落下していく。
どこまでも、どこまでも続く巨大な縦穴のような世界。その最下層に、彼女は立っていた。
「ようこそ物語の管理者、四ノ月春秋殿。その伴侶、椎葉紬殿。此処こそが物語の管理者の世界にして外なる世界にして、全ての物語を収める真層世界。此処から始まる。これから始まる。貴方の旅が、貴方の物語を『紡ぐ』ために」
最下層で、あの女性が待っていた。黒衣に身を包み、瑠璃色の髪を下ろした姿で、ペンダントとなっている漆黒の宝玉が光に照らされてその存在を主張する。
眼前に広がる、広大な風景。巨大な、巨大すぎる空間。
最下層には、中央に門が、背後にもう一つ、無機質な扉が存在する。それ以外は本しか存在しない世界。
「此処こそが、人の領域を超えた者たちの世界。秩序の向こう側。春秋、貴方はこの世界に何と名付ける?」
女性の問いに、春秋はまるで此処を以前から知っていたかのように、微笑みながら、静かに答えた。
「『
⇒NEXT STORY
第一章にして、サノバウィッチ編。完結しました。
一つ目の心の欠片。一つ目の力を取り戻した春秋は、愛する人と共に次の世界へと旅をする。
さて、次なる物語は……?
そしてその前に、小さな小さな物語を。
次回、EX-STORY 秩序の向こう側で