「春秋、お前にしか頼めない事体が発生した」
「いきなりどうした。というかついにやらかしたのか」
飛鳥から山小屋が使えなくなった、という連絡を受けてから数日後。珍しく飛鳥の自宅前で待ち合わせして、これから街に出ようと考えていたところで。
飛鳥が小さな女の子を連れてきた。きちんと手入れがされた綺麗な銀の髪にワインレッドの瞳。まだまだ小さい。きっと遊真と同じくらいの少女。
「妹だよ。妹の祈」
「妹っ!? またそんな嘘ついて!」
「嘘じゃねえしっ! ほら祈も俺が兄貴だって説明してぇっ!」
「別に。飛鳥の人付き合いに興味ないし」
冷ややかな目で、飛鳥を睨みつける少女―――祈は、まるで全てが敵だと言わんばかりに、初対面の春秋にすら警戒心を抱いている。
挨拶すれば軽く挨拶くらいは返してくれるだろう、そう思っても、言葉が出てこない。祈はあからさまに周囲を警戒しており、それは家族である飛鳥にすら敵意を抱いている。
「もういい? 私準備が終わってないんだけど」
「ああぁぁっ。ちょっと待って!」
春秋の腕を掴んで、少し離れて、祈に声が届かないように、小声で。
「今日一日祈に付き合って欲しいんだよ。街を歩く程度でいいからさ」
「どうして」
「きっと、そうしたほうがいいと思って」
飛鳥を見つめる。迷いの無い目。こういう時の飛鳥の根拠の無い自信は、やけに当たることが多い。
「祈はさ、今日の夕方には外国に行っちまうんだ。父さんたちと一緒に」
「……飛鳥は?」
「俺はこっちでやりたいことがある。わかってるだろ?」
わかっている。飛鳥は遊真たちのことと、学園生活のこと。それらを捨てて海外に行きたくないから、両親を説得して一人残ることを選んだ。
妹がいるなんて初めて知った春秋は、察する。祈がどんな思いでいるのか。
「あいつと話してさ、怒られたよ。俺だけ残るのはずるいって」
後悔の念を含んだ、飛鳥の言葉。
「昔から振り回してきて、俺がやるべきだったことを全部、両親は祈に押し付けていた。隙があれば遊びには連れて行ったりしたんだが―――」
「……そりゃ、あの子から見ればお前は自由奔放に生きてるダメ兄貴だろうな」
「だよなぁぁぁぁぁ」
深いため息。心底悩んでいるのが手に取るようにわかる。
そして、真剣な表情になって。
「あいつは、これから先、誰もいらないって言い出した。一人でいいって」
「それは……」
それは、ダメだ。
春秋が出そうとした言葉を、飛鳥が口に出す。
「そう、ダメだ。一人でいいと、他を拒絶するような人間になってしまったら、誰からも必要とされなくなってしまう。それは―――凄く寂しいことだ」
俺が悪かった、と悔しそうに、飛鳥は拳を力いっぱい握り締める。
自分の所為で、大切な妹が孤独を選んでしまった―――それは兄妹二人にのしかかる、呪いのようなもの。
「だから春秋。今日一日、時間ぎりぎりまで祈の傍にいてほしい。お前だけでも、祈が心を許せる相手になってほしい」
飛鳥の願いは、叶えることが本当に難しい、無理難題と言ってもいいほど。
でも、その願いがあまりにも悲痛すぎて。
頼み込む飛鳥も、まだかと怒りを面に出し始めている祈も、皆が不幸になってしまいそうな。
「俺はもうあいつに許してもらえない。でも、春秋なら」
「……別に、俺じゃなくても遊真やアクターがいるだろう。見たところ同じくらいだし」
「それも考えた。でも、俺はお前がいいと思った。いや、お前じゃないとダメだって思った」
真剣な表情。これほど真剣な表情の飛鳥は見たことがない。
だからこそ、春秋はそれに応えたくなる。まだ不安定な自分に不安はあれど、親友の頼みを断ることなんて出来ない。
飛鳥を置いて、祈の下へ。目線を合わせるように、片膝をついて。
「何の用ですか」
「街に行こう」
「はい? 私はこれから―――」
「君の時間を、俺にください」
真剣な表情で、春秋は祈を見つめる。目と目を合わせて、しっかりと。
己に嘘がないことを、祈にきちんと見定めてもらって。
いつの間にか飛鳥は姿を消している。それがいいと判断したからだろう。
「……わかりました。でも、本当に少しだけにしてください」
だから自分が出来ることを全力で。
………
……
…
「君は好きなものとかあるか?」
強引に手を繋いでショッピングモールを訪れた春秋は、どうにか祈が楽しめないかをずっと模索していた。
当の祈は早く帰りたいと言うオーラがびしびしと伝わってくるほど不機嫌で、仕方なく春秋に付き合っているといった表情だ。
だから、春秋の言葉を当然無視する。
記憶を持っていない春秋にとって、祈のような手合いを相手にする方法は一切経験が無い。
いつも紬がいてくれて、周りの人も誰もかもが笑っていたから。
だからこそ、どう対応すればいいかわからない。だから、考える。考え続ける。
考えて考えて考え抜いて―――。
春秋が出した結論は。
「ああもう。面倒くさいっ!」
繋いだ手の先の少女、祈を見て。そしてふと、思いつく。
「こっち」
「ちょ、ちょっと」
見かけた店に入り、店員に説明してショーウインドウに飾ってあって物を出してもらい、それを祈の首に巻きつける。
それは、赤いマフラー。小さな猫の刺繍が隅っこにちょっとだけ入った、他に代わり映えの無いマフラー。
マフラーを巻かせて、そして口元を隠すように少しだけ持ち上げて。
「よし」
「よし、じゃないですっ! なんですかいきなりっ!」
「ずっと不機嫌な顔見せられてて俺がつまらん。可愛いんだからもっと笑顔になるかせめてそれで不機嫌な顔隠せ」
「誰が不機嫌にさせてるんですか……っ!」
「飛鳥だろう。俺は飛鳥に頼まれてお前をエスコートしてるだけだ。そのマフラーはくれてやるから俺を少しは楽しませろ」
「なんで貴方を楽しませなきゃいけないんですかっ!」
「頼まれごとには報酬があるのが当たり前だろうっ!?」
「勝手な理屈を言わないでくださいっ!」
「黙ってろ。お前が指定した時間までまだ一時間はある。こっからは俺の好きにさせてもらうっ!」
「あっ、ちょ、何するーっ!」
手を繋ぐどころか、春秋は構うもんかと祈を抱きかかえてしまう。羞恥と怒りで顔を真っ赤に染めた祈が必死に暴れるが、それでも大声を上げないのは多少でも春秋に気を使っているのか。
そして。
「まず服! 可愛い系統もクール系統も似合うだろうから制覇っ!!!!!」
「き、着せ替え人形にするなっ!」
そして。
「そして買い物の後は甘いものっ。チョコも苺もカスタードも制覇っ!!!!!」
「お、お腹が……っ!」
そして。
「映画は見てる時間ないから却下! ちょっと猫があしらわれた帽子をくれてやるっ!」
「っ……あ、ありが―――」
「よし次っ!!!」
「話くらい聞けぇーっ!」
そして。
「なんだもうばてたのか?」
「ま、だまだ……!」
「全然ダメだな」
肩で息をしている祈に、冷たいジュースを渡してベンチで一休みする。
もうすぐ約束の時間になる。傾いてきた日がゆっくりと朱に染まっていくのを見上げながら、春秋は背を向けたまま祈に問いかける。
「どうだ。誰かに振り回されるのは」
「最悪です」
「そうか。ならいい」
「……え」
「『最悪』なら、今日という日はお前の心にきっと残ってくれる。自分一人じゃない、誰かがお前を振り回した一日ってのが」
夕日を背に、祈に向き直る。
そして、真剣な表情で祈に手を伸ばす。
「今日という日が。俺に振り回された今日が、心の底から、つまらなかったらこの手を叩け。少しでも楽しかったと感じたら……この手を繋いでくれ」
「っ……!」
伸ばされた手を祈は―――辛そうに目を閉じて、弱く叩いて、それから、握り締めた。
「ずるい。ずるい。ずるいずるい。そんな、昔の飛鳥みたいなことしないでよっ!」
祈が、叫ぶ。胸にくすぶってた思いを吐露していく。
立ち上がり、春秋の胸を叩く。泣きながら、泣きながら。
「俺は不器用な人間だ。自分のことすらままならない人間だ。だから」
叩いてくる祈を、そっと抱きしめて。
「俺は、一人が寂しい。一人は嫌だ。お前にそんな思いをしてほしくない」
「貴方の考えを、押し付けないで、ください……っ!」
「そうかもな。でも、俺は」
身体を離して、見上げてくる祈を見つめる。
少女の唇に指を当て、次に吐く言葉に意見させないように。口を閉じさせる。
「お前みたいな子を、放っておきたくない。俺だけでもいい。一人でいい何て言わないでくれ」
微笑んで、祈の額に口づけする。一瞬の接触だが、祈は顔を真っ赤にして、だが口をパクパクと動かすだけで何も喋らない。
「ば、馬鹿春秋ぃーっ!?」
そしてパニックになる祈を見て、春秋は心の底から大笑いした。少しでも、春秋を意識して、言葉にはしなかったが、祈の心には確かに春秋が刻まれた。
………
……
…
「……行っちまったな」
「ああ、行ったな」
「ありがとな、春秋」
「別に。俺は俺のしたいことをしただけだよ」
「それでも、サンキュ」
握り締めた拳同士を軽くぶつけ合って。
「将来、祈をもらってくれよ?」
「おいおい、年齢差を考えろよ」
「あのなぁ。あんな約束しておいてそんなこと言うのか?」
「……いやぁ」
先ほど繰り広げられた春秋と祈の会話を、まるっきり似てない物まねで飛鳥が再現する。
『いいか祈。いつかきっと再会できる。それまで辛い思いをするかもしれない。でも、いつかお前のことを理解してくれる奴が現れる。だから、それまでに辛い思いをしたなら、今日という日を思い出して、俺のことを思い出してほしい』
『でも、きっと誰も助けてくれない』
『……確約はできない。でも、祈が助けを求めるんだったら―――俺は、お前を助けに行くよ』
「だぞぉ? お前明らかにこれプロポーズじゃねえか」
「そうか?」
「そうだよっ」
そして二人は笑い合う。誰の目も憚ることなく、大声で。
「ありがとな、親友」
「こちらこそだ、飛鳥」
笑い合って、笑顔で握手を交わして、そして。
「あ」
春秋は―――己の心が、欠片が戻ってきたことを自覚した。
一人の少年の心を救い、彼は彼の世界に戻る。
それが、少年との永遠の別れになるとも知らないで。
そして、取り戻した欠片によって彼に異常が起きる。
満たされぬ。満たされぬ。満たされていた心が乾き、彼の心が急速に崩れていきそうになる。
次回、『Sortie、水平線の向こうへ』
次なる物語へと、彼は進む。