「……よし、こんなものか」
春秋は、何も物が置かれていない殺風景な部屋に腰を落ち着ける。
あれから、どうすればいいか七緒や紬と相談し、とりあえず学園に通うことになった。
春秋の持ち物の中には通帳や戸籍に、さらには転入の書類が、まるで学園に通うのが当然かのように準備されていた。
経緯はどうであれ、春秋は明日から姫松学院の一員となる。
「あとは」
春秋の、目つきが変わる。穏やかな表情から真剣な表情へ。
そして、虚空から一冊の本を取り出す。決して分厚くはない、文庫本サイズの、モノクロな本。
それの使い方は、わかっていた。記憶がなくても覚えている。
開くと、白紙のページ。全てのページは何も記載されておらず、白紙の本。
目を閉じて、白紙のページに指を走らせる。文字を書き込むように、指先が光り、白紙のページに文字が刻まれていく。
するとどうだろう。ページに刻まれた文字が白紙から飛び出していき、春秋が書き込んだように、この殺風景な部屋を彩るように、寝具や戸棚や生活に必要なものへと形変わっていく。
「『物語の管理者』、か」
この力を、春秋はそう覚えていた。
それが何を意味して、何をすればいいかはわからない。覚えていない。
春秋の目的はただただ『自らの欠片』を集めることだ。どうして、か理由はわからない。
でも、記憶を失っている以上、覚えている目的にすがる事は間違ってはいない。
この世界にも、春秋が求める欠片がある。だから春秋はここにいる。
「どうすっかな……」
当面は、自らの欠片を探しながら紬に心の欠片を返していくことになる。
どうすれば返せるか、確証はないが七緒の言うとおりに願いを叶えていくことが一番の近道だろう。
だって、自分の心が空虚なのは自覚しているから。
「あー……」
頭を抑えて、今の自分が、不安定でいることを自覚する。
わけもわからず、怖い。不安や恐怖といった感情が、確かにある。
どうしてここまで自分が自分を客観的に見れるかも、余計に春秋を不安にさせていく。
これが、心が欠けている、ということなのか。
落ち着かない。座っていられず、立ち上がり、狭い部屋をうろうろと歩き出す。
コンコン、と扉を叩く音。
来訪者の目当てはついていたから、どうぞ、と不安を悟られないように平静を装って声を絞り出す。
「四ノ月くん、こんばんは」
「ああ、ようこそ。椎葉」
ガチャ、と扉を開けて入ってきたのは、他ならぬ紬だった。
その手には買い物袋。中には野菜や生鮮食品といった食材が敷き詰められていた。
どうした、と声をかけると、晩御飯を作りにきたと答えが返ってくる。
「あ、それとももう済ませちゃった?」
「いや、これからだが」
というよりかは、食事はしないつもりだった。先ほど力を使ったときに感じたが、どうやら若干普通の人間とは違っているようで、食事や睡眠といった生きる上での三大欲求をコントロールすらできることを自覚していた。
どうしてそれができるかは、わからない。
「よかったぁっ。じゃあ簡単なものだけど用意しちゃうねっ」
「ありがたいが……」
どうして、と声を出すよりも早く。
「四ノ月くん、どこか不安だったりしない?」
心配そうな顔で、紬が覗き込んできた。
まるで心を見透かされたかのように、春秋は咄嗟に手で顔を隠し、そのまま顔を背ける。
「やっぱり」
「……なんで、わかった」
「相馬さんに教えてもらってて。心が欠けてるってことは、本当に心が落ち着かないって」
だからすごく心配だった。と。本当に、心の底から不安げな表情で、紬の口からこぼれた言葉は。
じんわりと、春秋の心に溶け込んでいく。
だから、素直に。
「……ありがとう」