―――夢を見た。自分の隣で微笑んでくれる、女性の夢。
それが紬ではないと、女性の顔も分からないのに春秋は断言できた。
だって、心が違うと訴えるから。そしてそれが、いつか遠くに見た情景の女性だとわかって。
小さく、聞こえてくる、声。
『私は、春秋さんのものですから』
シーンが変わる。隣には変わらず女性が笑みを崩さず微笑んでくれている。
隣に立つ春秋は、いつも退屈そうな表情をしているというのに。
『かつて私は、貴方に命を捧げた身です。貴方が使ってください、この命』
女性の目に込められた、決意と覚悟。
嗚呼、きっと彼女は、誰よりも春秋を理解していたのだろう。
春秋が欲していた物も理解していて、だからずっと春秋の傍にいてくれたのだろう。
だから、いつの日か。
――――っ!
夢は、覚めてくれない。不安定な心が、記憶を取り戻せと、全てを取り戻せと訴えてくる。
早く、早く、早くと。
女性の笑顔を思い出そうとするたびに不安に駆られ、もがいてもがいてもがいてもがいて。
「―、―、―、―ッ」
ふと、自分の掌を見つめる。すると掌は真っ赤で、血に塗れていて。
嗚呼、きっと自分は、幾つもの罪を重ねてきたのだろうと理解して。
思考は袋小路へ迷い込み、そして悪循環となり思考が蝕まれていく。
消えたい。死んでしまいたい、どうして生きているんだろう。
思い出せない、思い出したくない。思い出したい、複雑な感情が思考を侵す。
幻想の壁に何度も頭をぶつけて、幻想の流血が視界を埋め尽くして。
そこで、少しだけ思い出す。
『春秋さん』
それは。きっとまだ思い出してはいけなかった、過去。
何の影響か、取り戻した心の欠片に混じっていたのか。
『私は、幸せでした。貴方の傍にいられて、貴方に必要だと言ってもらえて』
血みどろの女性を抱きかかえながら、ずっと彼女の名前を呼び続ける春秋。
だがその名は酷いノイズが走って聞き取れない。
『ただ、ただ、ただ、一つだけ』
真っ赤に染まった手を、必死に空へと伸ばす。もう力は込められてなく、掌だけが空を向いて。
『この……の……未…を、……、けたか、った』
「嗚呼ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
………
……
…
叫び声と共に、春秋は飛び起きる。
乾いた喉、乱れた呼吸、噴出した冷や汗、激しく脈打つ心臓。
「はー、はー、はー、はー……」
まだ夜明けにはもう少しかかる時間、春秋は立ち上がると、隣で静かに眠る紬を起こさぬようそっと退室する。
起こさなくてよかったと安堵のため息を、何度も訪れる発作で迷惑をかけることが、苦しくて。
上着を着て、少し肌寒い外へ。
焦りと、後悔と、底知れぬ不安に、思わず逃げ出したくなる。でも、今の春秋に逃げ場などなくて。
「本当、どうしようもない」
自嘲めいて笑って、夢の中の掌を思い出して、そっと開いてみる。
何色にも染まっていない、自分自身の掌の色。少しだけ安心して、少しだけ洩れた陽の光で星の消えた夜空を見上げる。
少しの自覚と、少しの記憶。そして、わかってしまったこと。
「……かつての俺は、大切な人を失った。だから心を失ったわけではないだろうけど、きっとそこから始まったんだ」
自分が涙していることに、気付けない。
だって、ココロが啼いているのだから。
「俺の物語の、終わりの始まりが。俺はきっと抱えきれないほどの罪を背負ってきた。数え切れないほどの命を奪ってきた。ならどうして俺は此処にいる。どうして俺は此処で生きている。俺は、俺は―――」
「提督」
「―――!」
そこにいたのは、大鳳だった。その姿はいつもの艦娘としての服装ではなく、ランニングウェアを纏っている。
きっと夜明け前から早朝のトレーニングを始めるつもりだったのだろう。そしてたまたまそのコースに春秋がいた。
「朝から特訓か、精が出るな」
「……はい。提督は、このような時間にどうしたのですか?」
「すこし、夢見が悪くてな。嫌な汗をかいたから涼みにきた」
「そう……ですか」
春秋は悟られぬよう大鳳に背を向けたまま会話を続ける。
少し、大鳳が春秋に詰め寄る。彼女のことは見えなくても、きっと不安げな表情をしているのが言葉の節々から感じ取れる。
意を決したように、大鳳がまた一歩、距離を詰める。
「提督、私は……頼りないですか?」
「……何を言っている。お前はこの鎮守府の中で一番頼りにしてる。出会った頃からずっと秘書艦にしているのがその証だろう」
「そうですね。確かにそうかもしれません……でも、だからこそ、今の提督が無理をしているって、わかります」
簡単に見透かされて、思わず春秋は彼女のほうへ向き直る。
何が分かると、心が怒気を孕む。
大鳳を壁に押し付け、春秋は壁に手をついて彼女の逃げ場を奪う。少し戸惑うが、大鳳は春秋の目をしっかりと見つめて。
「お前に、何がわかる。俺のことなんて何一つ知らないくせに、俺がどれだけの過ちを犯してきたかもわからないくせに、お前が、お前が、お前が……!」
「わかるわけないですよ。だって貴方は、出会ったときから私たちを対等な存在として見てないのですからっ!」
それは、大鳳が今まで抱えてきた不満。春秋が時折呟いてきた言葉から感じていた、怒り。そして、出会ったときからずっとずっと抱いていた大切な想い。