8月16日(日) 深夜
~リビング~
「皆、寝ないの?」
「ああ……」
「僕はもう少し起きてるよ」
「私も……」
ジョーンズ家、安藤家、そして葉隠家の面々は、移り住んだ家の二階に集まっていた。
夜遅く、夢うつつな状態にもかかわらず、最年少のアンジェリーナまで。
例外は入院中の影虎と、部屋にこもっている天田のみ。
「あら?」
「誰だ? こんな時間に……」
深夜にもかかわらず、片隅に備え付けられた電話が鳴った。
「はい……エドガワさん? どうしたんだい? え? ああ、分かったよ」
「どうした? アメリア」
「江戸川先生に何か?」
「よく分からないけど、帰ってきたみたいだよ。外にいるって」
表へ向かうアメリアに、ついていくボンズ。
二人は程なくして江戸川をつれてリビングに戻る。
「ただいま帰りました」
「江戸川先生、どうなさったんですか?」
「今日はオフ会で帰らないはずじゃなかった?」
「何と言いましょうか……オフ会は主催者の方が講演を行い、意見交換をする学会のような物だったんですが、残念ながら私とは魔術師としてのスタンスが相容れなくてですねぇ。若干危険な香りがしたので、途中で帰ってきてしまいました。夜分遅く申し訳ない」
「それは構わんよ。見ての通り、どうせ誰も寝ていなかったからな。何か飲むかね?」
「コーヒーでよければすぐに用意できる。インスタントだが」
「いただきます」
リアンがコーヒーを入れる間に、江戸川の席が用意された。
「それにしても……やはり皆さん、影時間のことが気になっていますね?」
「それはそうよ」
「午前12時に訪れる怪物の徘徊する時間。どうしても気になってしまう」
「僕はかっこいいと思うけどね」
「ヒヒヒ、ロイド君たちの年頃だと成長に影響しますよ。私も最初はそうでしたけどね。……天田君は」
「部屋にいる。でもたぶん起きてる」
「さもありなん。彼にとっては無視できる問題じゃないでしょうしねぇ……明日は影虎君が帰ってきますが、いったいどうなることやら」
影虎と天田の行く末を憂いながら、彼らは夜を過ごした。
そして時計の針が頂点を示す。
いつものように、ただ日付が変わる。
……はずであった。
『!?』
突然の停電。
窓から差し込む緑色の月光。
壁に浮き上がる血痕。
「うそっ!?」
「停電か?」
「暗いわ、どうなってるの?」
「気持ち悪い……」
「こんなん前からあったか?」
「っ、落ち着け!」
周囲の変化に不安げなざわめきが広がりつつある中。
収拾がつかなくなる前にと声を張り上げたボンズが注目を集めた。
「……江戸川、これは……」
「……この光景。それに電子機器が使えません。まず間違いないでしょう。影時間です」
「ワァオ……僕たち本当に影時間に来ちゃったんだ」
「時計も12時で止まってるぞ。カイル、そっちはどうだ?」
「とてつもなく不気味な月だよ。リアン」
「なんだか寒気がするねぇ……」
「グランマ……」
「アンジェリーナ、ママのそばにいましょうね」
「ここが影時間……虎ちゃんの見ていた世界……」
「アンビリーバボー、月が大きすぎまーす……」
「2008年8月16日。今日は満月ですからねぇ」
「何でかしらねぇが、入っちまったもんはしかたねぇ! 俺は天田を連れてくる!」
「私も行こう。単独行動は危険だ」
「ジョージさん。助かる」
龍斗とジョージが天田の部屋へと駆け、数十秒後。
「うわぁ!?」
「天田! さっさと来い! 緊急事態だ」
「ちょっ、と待ってくださいよ!」
蝶番の壊れた音の直後に、龍斗が天田を引きずりリビングへ戻った。
「これで全員揃ったな?」
ボンズの問いかけに、皆が首を縦に振る。
「我々は状況から考えて、影時間に落ちたと考えられる。誰か、原因に心当たりはないか?」
「私たち全員が適性を持っていた、って事はないと思うわ。適性があったなら、もっと前から影時間を知覚していたはずだもの。それから適性を今日得た、というのも考えにくいわね。この人数が一度になんて……何か別の要因があるはずよ」
「あっち……」
ここでアンジェリーナが、部屋に三つある窓のうち一つを指し示す。
「外は全部危ない。でも特にあっちが危険。あっちから煙が広がってきてる」
彼らのいる建物は交差点に面している。
さらに角部屋の二階ということもあり、窓からの見通しは良かった。
煙は彼女にしか見えないが、その見通しの良さゆえに別の異変に気づく者が出た。
「あっちか。……おい兄貴」
「どうした?」
「いいから見てみろよ、おかしいぞ」
「……ホテルが無い」
ウィリアムとカイル。
この家に住んで長い二人は、毎日この窓から見えるホテルを目にしていた。
それが忽然と消えた事を語り、その変化から彼らもタルタロス化の可能性にたどりつく。
そしてさらに、ホテルということで新たな可能性を思い浮かべた男が一人。
「江戸川先生、何か?」
「あそこにあったホテル。今日私が行っていたオフ会の会場なんですよ。そしてそのオフ会の内容なんですが、カバラの勉強会と……召喚魔術への挑戦でして……たしか事前に配られたパンフレットでは11時頃から準備と儀式を初め、12時丁度に召還を試みる予定になっていたはずなんです」
「ありえないって言いたいのに」
「もはや戯言とも無関係とも言い切れんな」
「本当にそれが原因なら、厄介なことをしてくれたもんだ」
「町中がこの状態なのか? 他の住民は」
「分かりません。ですが我々がこうしてまとまって影時間に活動している以上、他の方も影時間に“落とされた”のではないでしょうか? 影虎君は可能と言っていましたし、シャドウは捕食対象を影時間に引きずり込むそうですから」
「……ねぇ、エドガワ……今すっごい嫌なこと言わなかった?」
「ヒヒヒ……言いましたねぇ」
「ヒヒヒって、笑い事じゃないですよ! あの時と同じだ……この光、この景色ッ!?」
「大丈夫よ。落ち着いて」
江戸川に食ってかかった天田の手を、雪美が握る。
驚いたように顔を見上げた天田はすぐに、視線を床へ落としてしまった。
「……影時間が終わるまで待つしかないな」
「建物の中に隠れていればまず安全、ってタイガーは言っていたよね」
「本人がいてくれたら心強いのだけど」
「やはり電話も使えない。連絡は無理だ」
「使えても取り次げるかわからねぇだろ。ほら、兄貴。銃」
「ああ。……しかし、本当にこんな事があるのだな」
「まったく、驚かせてくれるねぇ」
「だけど、なんだか慣れてきた気がするわ」
「エイミーの言う通りね。ここまで色々ありすぎです」
ここ数日の異常事態続きにより、彼らは思いのほか冷静さを保っていた。
……
…………
………………
「……ねぇ、どれだけ時間経った?」
「わからない」
「まだ一時間程度だろう」
「満月の日の影時間は、三時間あるそうです。まだまだですねぇ」
「えー、まだそんなもんなの?」
「張り詰めすぎると気が持たんぞ。……? 皆、静かに……!!」
ボンズが息を潜め、窓のそばにいた者が外をうかがう。
「……向こうの交差点に影が二つ。人間のようだが、様子がおかしい」
影時間の町をふらふらと歩く男女が二人。
その表情からは生気が感じられず、茫然自失と言うべき状態でひざをついた。
「無気力症になっているな……」
「とすると近くに……!!」
男女が出てきた建物の影から、さらに動く存在を確認。
「ウィリアム……は、いるな」
「おいおい、俺をあんなのと一緒にするなよ。俺の方がよっぼどイケてるぜ。あいつは……だいぶワイルドすぎるだろ」
「この時間でなければ即逮捕しているところだ」
彼らの目に飛び込んだ影は、ほとんど人の形をしていた。
ただしかなり大柄なウィリアムが比較に出される程度に大きい。
衣服は腰に毛皮のような物を巻きつけているが、それ一つなので裸同然。
丸太のような棍棒を携えた巨体が一歩ずつ。
地面を軽く揺らしながら、茫然自失の男女を踏み越えた。
影人間は、いわば精神を食べられた後の抜け殻。
シャドウは彼らに興味をもたなかったようだ。
しかし……まだ抜け殻となっていない人間は別らしい。
「!!」
「しまった!」
様子を伺うウィリアムとリアンへ、シャドウの目が向いた。
「……気づかれたか?」
「……ダメ」
誰もが息を潜め……アンジェリーナがポツリと呟いた直後。地面が軽く揺れる。
「まずい、こっちに向かってきてるぞ!」
「見つかったら室内でもアウトだったか!」
「やるしかねぇな!」
龍斗の声を合図に、戦闘準備に移る。
「リアン、カイル、それからアメリアは窓から援護。まだ撃つな。タイガーの話では、攻撃を弾き返す奴らもいるらしい、射程に入ったらまず私が一発撃って確認する」
「はね返されたらどうする?」
「その場合、銃は使えん。表に出て刃物で斬りつけるか殴りつけるしかない」
「ぶん殴るなら俺に任せな」
「俺も行けるぜ」
龍斗とウィリアムが手を上げた。
「銃が効かなければ頼む。もちろんそれらもはね返されるかもしれんから注意は必要だぞ」
「拳が?」
「衝撃とかぶん殴った威力が丸々跳ね返ってくるんだよ」
「マジかよ」
「さすがリューは経験者ですね。タイガーの時みたいに負けないでくださーい」
「あれは負けてねぇ。それよりジョナサンは子供らを頼むぜ。雪美もな」
牛歩の如く遅い歩みだが、シャドウは着々と彼らに近づいていく……
……
…………
………………
「いくぞ!」
射程に入ったシャドウへ、ボンズは引き金を引く。
「グォッ!?」
「……! 銃は使えるぞ!」
「了解!」
続けてジョージ、リアン、アメリアの持つ銃からも弾が吐き出されていく。
しかし、
「っ、止まらない!」
「なんで顔面を撃たれて生きてるんだい!?」
「まったく効いていないということは無さそうだが……人間ならありえんな」
「目標変更! 足を狙え! これ以上接近させるな!」
四人の銃撃が足へと集中。小さな傷が集まり、シャドウの足が止まった。
「グロオオ!!」
「リロード!」
「こっちもだよ!」
「カバーする!」
「撃ち続けろ! 反撃の隙を与えるな! ……まったく、四人がかりでマガジン一つ分の弾を撃ち込んで、やっと足止めになるとは恐れ入る」
「ちっ! こんな時に出番がないってのはもどかしいな……」
「リュート。これぶん投げてみるか?」
「おっ。何もしないよりマシだな」
ウィリアムがどこからか大量のゴルフボールを持ち出し、龍斗と分け合って投げ始めた。死亡事故すら起こすこともある硬いボールが、力自慢の豪腕から繰り出されてはシャドウを打ち付ける。
「リロード! くっ、まだ死なないのか」
ジョージの二つ目のマガジンが空になった。
カバーに入ったアメリアも残りの弾数に不安を抱く。
彼らは先日の襲撃から、自衛用の銃と弾は多めに用意している。
ただしそれは人間に対しての備えであり、このシャドウの耐久力を見ては心細い量だった。
シャドウは棍棒を盾代わりにして、防ぎきれない銃弾を全身に浴びながらも、地を這って少しずつ近づいている。この建物に接触されれば、二階にいる彼らにもシャドウの手は届き得る。
シャドウが足元に到達するのが先か。
シャドウが息絶えるのが先か。
拮抗した状況の緊張の中。
「グランパ!」
「アンジェリーナ!?」
小柄な体で窓枠の下に滑り込んだ彼女が、一枚の紙を掲げた。
「
「グアァ!?」
彼女の叫びに呼応して吹き荒れる突風。
それは渦を巻き、うずくまるシャドウを突き上げた。
体がわずかに浮き上がり、手元から棍棒が吹き飛ばされる。
何より銃弾より効果的なダメージがあることを、シャドウの叫びが物語っていた。
「うぉっ! すっげえな!」
「アンジェリーナ、それは!?」
「風の攻撃魔術」
「カレン! タイガーからそんなものまで習ってたのか!?」
「熱心に色々聴いてたのは知ってたけど、細かいことは聞き逃したかも! 私は書類読みながらだったし」
「火とか雷もあるけど、それは危ないからダメって……教えて欲しかったのに」
「……道理でタイガーが困った顔をしていると思ったわ」
「ひとまず効くなら良しとしよう! タイミングは指示する、今のをもう一度撃ち込んでくれ!」
「了解!」
さらにアンジェリーナは魔術を放つ。
威力は小さいが多数の銃弾に加え、銃弾よりも効果的な魔術による攻撃が加わる。
足を潰されていたシャドウはいまやただの的と成り下がり、やがてその身を煙へと変えた。
「撃ち方やめ!」
「消えた……?」
「ってことはよ、俺ら」
「勝った、みたいだね」
「っ、よっしゃぁ!!」
一致団結し、シャドウを打ち倒すことに成功した彼らから歓喜の声が上がる。
「ッ! まだ!」
……には早いようだ。
「おいおい」
「これは、もっとマズイな」
「少し派手にやりすぎたか」
銃声につられてやってきたのか……さらに二体。
剣と斧を持った巨人が、遠くからじりじりと近づいてきていた。
ジョーンズ家がシャドウの襲撃を受けた!
総力をあげて抵抗している!