「……こんなところか」
周囲にシャドウがいないことを確認し、皆のいる建物へと戻る。
「タイガー、どうだ?」
「大丈夫です。屋根の上から観察しましたが、半径500メートル圏内にシャドウの姿は見えません」
それより狭いが、周辺把握にも動く気配はない。
そう伝えると、ボンズさんは安心したようなため息を吐いた。
「では状況の確認に移りたいが……どちらから話すか」
「俺から話しますよ」
俺は影時間に入る少し前から妙な違和感を覚え、影時間になってすぐ異変に気づいた。
そして先生のオフ会会場のホテルがタルタロス化したと考え、様子を見に向かった。
「そうしたら……あの森、中はホテルの従業員や宿泊客と思われる人だらけでした」
外観から鬱蒼とした密林かと思っていたけれど、入ってみれば生垣の迷路。
思った通りタルタロスに似た構造になっていて、その通路のいたる所に人が倒れていた。
とてもじゃないが、俺一人で救出しきれる数ではなかった。
「だから先生一人に絞って捜索をしていたら、銃声が聞こえたんです」
まだ無事な人間がいるのかと思って急いで駆けつけ、そこにいたのがコールドマン氏。
護衛の方々に守られていたため、気は失ってしまったが彼だけは救出が間に合った。
そしてせっかく助けられた一人を置いていく訳にもいかず、背負って行動。
しかし人一人を背負ったままでは戦いづらく、捜索を断念した。
「とにかくコールドマン氏を安全な所にと思ってここへ。住所は聞いていたので、適当なコンビニから地図を拝借してなんとか」
「なるほど。町の様子は?」
「先ほど見た通り、シャドウがうろついてますね。どれも森に生息していたのと同種なので、おそらく森から出てきたと思われます。そして問題はコールドマン氏や皆さんだけでなく、町中のかなりの人が影時間に落ちているようです……」
「なんだって!?」
「本当なの?」
ロイドとエレナが驚きの声を上げた。
「ここまで来る途中、何度も周辺把握に象徴化の解けた人を捉えたよ。夜だから大半の人は寝てるか外に出てないみたいだけど、外にいた人はシャドウに襲われていた」
見つけ次第救助して適当な建物に放り込んでおいたけど、明らかにシャドウに狙われてない人も影時間に落ちていた事から、全員がシャドウに落とされたとは考えにくい。何か別の原因があるはずだ。
「原因……」
「ねぇ……」
全員の視線が江戸川先生へと向かう。
「心当たりがありますか? というか先生はどうしてここに?」
「それも含めて話しましょうかね……」
そもそも先生はオフ会の途中で帰っていた事。
そして予定では悪魔召喚が行われていたはずだと伝えられた。
先生が無事でよかったけど、話を聞くとなんとも言えない脱力感を覚える。
にしても悪魔召喚ねぇ……あれは悪魔なのか?
それとも間違ってシャドウが召喚された?
「どちらにしても、何か対策を考えないと」
「影時間が明けたらもう明日で俺が退院しますし、ここの守りだけなら当面は何とかできると思いますが……」
「君に頼りきるわけにもいくまい」
「リアンの言う通りだ」
「ここが俺たちの家で、この街には仕事場もあるし友達だっているからな」
カレンさんと体格の良い三兄弟、彼らは逃げるつもりはないようだ。
さらにエイミーさんは言う。
「問題解決のためには、まず問題を発見しなければならないわ。脅威となるのはシャドウだけど、町中を駆け巡りながら倒して回るのは非効率的だし現実的ではないと思う。敵の総数も分からないし、どれだけ街に出てくるかも分からないのだから」
となると……まず、すべき事は家(拠点)の防衛と森の探索か。そこで敵の数や種類を調査。可能であればシャドウの発生源を断つ。街中のシャドウ退治まで並行するには人手と戦力が心もとない。無気力症の患者はシャドウを倒せば社会復帰できる見込みがある。
……もちろん最初から防げればそれに越したことはないけれど……無理をすべきではない。
「と考えましたが」
「妥当だろう」
「シャドウがどれだけの怪物なのか、身をもって知ったよ。倒せないことはないが……アンジェリーナとケンがいなければもたなかった」
そんな功労者二人ももうだいぶ疲れているようだ。
特に天田は初召喚と初戦闘の負担からか、眠っている……
「彼はここ数日あまり寝てないようでしたからねぇ……」
「食も細くなって、心配してたんだよ」
……そっとしておこう。
「じゃあシャドウの情報は共有しておきましょう。俺が見て調べられた限りですが」
「助かるよ。こちらはまったくと言っていいほど情報がないからな。アンジェリーナ、ペンとメモを持っていただろう? 貸してくれ」
「……はい」
ん?
これ、俺が持ってたメモ帳じゃないか?
……サイズもデザインも同じだ。
まぁメモ帳なんて大量生産品だし、今言うことでもないか。
「準備はできた。いつでも始めてくれ」
「了解」
森と街中で確認できたのは4種類。
蝙蝠のような姿の“バット”。
狼に似た“ウルフ”。
巨大なバッタの“グラスホッパー”。
そしてここを襲っていたのと同じ、いかにも蛮族といった雰囲気の“バーバリアン”。
「名前は見た目から適当につけたので、たぶん見れば判別はできます。それから各種の弱点や注意点ですが……」
バット:弱点は氷。風は無効。風の魔法を使う。
飛行速度はさほど速くないが、常に二匹から五匹の複数で行動していた。
ウルフ:弱点なし。打撃・氷に耐性。魔法は使わないが、俊敏。
遠吠えで仲間を呼んだ事があるので、単体でも注意が必要。
グラスホッパー:弱点なし。電撃に耐性。バットと同じく風の魔法を使う。
しかし耐久力が低いようで、攻撃を受けるとすぐに消えていた。
群れることもなかったため、一番危険度が低いシャドウだと思われる。
「そして最後のバーバリアン。これがちょっと面倒で、持っている武器によって弱点と耐性が変わります」
具体的には……
剣 :弱点、雷。耐性、風。
斧 :弱点、風。耐性、雷。
棍棒:弱点、氷。耐性、火。
素手:弱点、火。耐性、氷。
「共通点としてはかなりタフなことと、ウルフと同じで魔法を使わないことですね」
「タフネスに関しては良く分かるよ」
桐条グループは対シャドウ用の兵装も研究開発しているはず。
それならもっと効果があるかもしれないが、ここにあるのは普通の銃器だ。
時間稼ぎになっただけでも運が良かったと思う。
俺はコンセントレイト+弱点属性の魔法。
さらに魔法攻撃力が若干高くなる“魔術師”にアルカナを変えて戦っていた。
それでも一発で倒しきれない相手なのだから。
「影虎、んじゃこいつの魔法は何だったんだ? 一発であのデカブツを粉々にしたんだが」
「あー……天田のは“ハマ系”って言って光の魔法。俺は使えないから、詳しい事は本人が起きたら聞かせて貰いたいくらいなんだけど……ノーダメージか一撃必殺、確率でどっちかになるっていうギャンブル要素の強い魔法だったはず」
「なんちゅう極端な魔法だ」
「龍斗さん。そんな事は些細な問題だと思うの。結果的に私は助かったんだし」
「……それもそうか。どうでもいいわな」
「じゃあ、そうだな。アンジェリーナちゃん」
「何?」
「教えた攻撃魔術は風だけだよね? 緊急時のために他の魔術も教えておこうと思うんだ」
「本当?」
「うん。この前言った通り、火や雷。それだけ危険だけど、こうなってしまった以上は、知ってたほうが安全だと思うから」
この影時間が終わっても、記憶が残るかは分からない。
だけど現状、俺以外に魔術が使えるのはこの子しかいない。
バーバリアンの弱点を突き、効果的な攻撃を加えられるのは天田と彼女だけだ。
それを本人と保護者一同に説明して許可をとる。
「私……頑張る」
「あの怪物がまだ現れる可能性を考えれば、用意は必要か」
「仕方ないわね」
「使うときは誰かと一緒にだよ? 分かってるね? アンジェリーナ」
「うん。約束する、グランマ」
こうして俺は彼女の前で残り三つの属性の攻撃魔術を実演し、伝授することにした。
そんな俺の後ろでは……
「結構時間が経ったけど、これ普通は感じられないのよね?」
「影虎君はそう言っていますが、エイミーさんは何か気になることが?」
「その話自体に異論はないわ。実際今日まで気づかなかったんだから。でも、影時間を感じられることが肉体にどう影響するかが気になるの。
ええと……つまりね、私達は影時間を知覚していなかっただけで、影時間中も肉体の時間が流れていたかどうかよ。適性のない人間がなる“象徴化”。その状態で時間の流れを感じていたのか……それとも何もかもが止まった状態だったのか。
……生命維持に問題はないのでしょうけど、もし象徴化で体の時間が止まっていたと仮定すると、私達は24時間だった一日がそれ以上に伸びているわけよね?」
「そういう風にも考えられるかと」
「だったらその伸びた時間だけ、早く体が老いるって事にならない……?」
エイミーさんの一言で、大人の女性陣に衝撃が走る。
何をのんきな話をしているのか……もっと気にすべき事はあるだろう。
と思ったが、口にしたらひどい目に合うことが目に見えていた。
「えー……その辺りはなんとも……影虎君、ちょっといいですか?」
「俺に聞かれてもわかりませんよ、気にしたことなかったですし」
というか俺、タルタロス使って一日の鍛錬時間を延ばしたりしてたけど……効果が出てるって事は確かに活動してるんだし、そういう意味では早く老いる、のか?
……あ、そういえば天田も確か中学生になる頃には驚きの急成長をしていたはずだ。それが影時間による体感時間の変化に関わるなら……順平たちはそれほど変わってなかったけど、成長期がどれだけ残されているかで変化の度合いも分かりやすくなるかも?
……そう考えるとあながち間違いではないのかもしれない。
「ヒヒヒ……女性には大問題ですねぇ。そういうことであれば、これを使ってみますか?」
先生がポケットから小瓶を取り出した。中に液体が入っているので、おそらく何らかの薬だと思うが……
「先生、なんですかそれ」
「……美容液のような物です。使い方はかーんたん。数滴手にとって伸ばし、気になる部分に塗るだけです。それだけでお肌つるつる、塗った途端に効果を実感しますよ」
謳い文句が超怪しい。
そう言う前に、すでにエイミーさんが手を伸ばしていた。
「試させていただいても?」
「どうぞ」
あっ! と言う間に落ちた雫を、手のひらで伸ばして顔に塗り始めた。
壁にかかった鏡の前に移動する彼女が心配になり、目で追ってしまう。
いざと言う時はポズムディを……
「キャー!?」
「!?」
「どうした!?」
突然の悲鳴。
何か副作用か!?
「凄い! 凄いわ! 見て!」
ん?
「塗った途端にお肌の潤いが変わるのよ!」
「本当かい?」
「触って見るといいわよ、ママ。顔も、手も」
「あらまぁ……本当だねぇ」
……どうやら成功したようだ。
しかも彼女達の反応を見る限り、かなりの代物のようだ。
母さんまで混ざっている……
「ヒヒヒ、どうですか? 影虎君」
「先生、美容液とかも作れるんですね」
「ある程度の知識はありますよ。でも普段は作りませんねぇ……あれ、実はソーマの研究中にたまたまできた物なのです」
「……え? 今なんて?」
「ソーマですよ。君から預かったあれを成分解析したところ、未知の成分が発見されましてねぇ……その研究をしながらソーマの再現を試みていたところ、偶然できてしまったのですよ。ヒッヒッヒ……そうでなければ、私がこんな時まで美容液を大切に持ち歩いているわけないでしょう?」
あのソーマが研究されて美容液に……
ソーマは神話だと神々の飲み物、不老不死の霊薬と呼ばれることもある。
そう考えると美容効果はあって当然かもしれない。
「ちなみに、あれでも効果は薄い方なのですよ? 以前試しにソーマを数滴、材料に加えて作った物はもう……長期にわたって使い続ければ、私の肌が若返っていたかも知れませんねぇ……材料は無駄にできないので、数回分しか作りませんでしたが。
ちなみに今彼女たちが使っているのはソーマを使っていないので、資金と機材があればそれなりの量を作れますね」
それはもう、売ったら儲かるんじゃなかろうか。
「かもしれませんが、今はそれよりも研究を進めたいですよ。ソーマにはあの美容液だけでなく、さまざまな薬品に変わる可能性を感じます。それに反魂香にも一部、ソーマと共通する成分が発見されましてねぇ……どちらも非常に興味深い研究対象です。試したいことが尽きません。
今後ももし手に入れたら、私のところに持ってきていただけると助かります。きっと何かしらの形にして君にお返ししましょう」
江戸川先生は精力的に研究開発に取り組んでくれているようだ!
……日本に帰ったらバスタードライブを周回してみよう。
影虎は安全を確保した!
アンジェリーナは4属性の攻撃魔術を習得した!
江戸川はソーマから美容液を作っていた!