8月23日
~食堂~
「あなた、本当に読んだの?」
朝食の席で本を読みきったと伝えると、彼女は疑いを隠そうともしない。
だが俺は確かに内容を頭に叩き込んだ。自信を持ってその通りだと宣言する。
「じゃあテストするわ。私の質問に答えなさい」
またいきなり、今度は口頭で問題を出される。
質問内容から該当する記憶と考察の内容を脳内で照合し、回答する。
すると新しい質問が飛んできて、またそれに答える。
それを何度も繰り返して数十分が経過した頃。
「……たしかに内容が頭に入ってるみたいね。あなた、あの本を読んだことあったの?」
それはない。劇の有名なタイトル以外は完全に初見だった。
しかし俺は一瞬目を通せば内容を記憶できる特技がある。
そう伝えると……
「そんな特技があるなら先に言いなさいよ!」
なぜかキレ気味。
「……食後、書庫で待ってなさい」
……
…………
………………
~書庫~
机に新しい本が積み上げられた。
その数、五十八冊。
「これも読んでおいて。有名じゃないけど読んでおくべきだから。あとあなた、内容の記憶と一応の理解はできてるみたいだけど、専門的な所の理解が少し浅いわ。その辺の参考資料も入ってるから。特技があるなら読めるでしょ」
彼女は再び書庫を出て行った。
俺もまた読書に戻る。
……
…………
………………
「……ふぅ……」
今日は何だか調子が悪い。
四十冊目あたりから効率が落ち始め、四十七冊目で集中力が切れてしまった。
ほとんど記憶だけなのに……
「葉隠様、一度休憩を挟んではいかがでしょうか?」
「あ……」
ハンナさん。ずっとここにいたのか……
「だいぶお疲れに見えますよ。何かお飲み物を用意しましょうか?」
「ありがとうございます」
頼んでから気づいたが、ここは飲食しても大丈夫なんだろうか?
昨日の夜食は部屋で取ったから分からない。
……大丈夫か。あちらから進めてきたんだし……
う……読むのをやめたら、急に頭が重くなった気がしてきた……
「葉隠様、大丈夫ですか? ご気分が優れないようでしたら当家の医師を呼びますが」
「そこまででは……」
いや、一応江戸川先生に報告しておくか?
いつもより疲れ方が激しい気がするし。
「やっぱり念のため、江戸川先生を呼んでいただけますか? 彼が私のかかりつけ医なので……」
「かしこまりました。少々お待ちください」
どこかに連絡をするためだろう。彼女は書庫を出て行った……
……
…………
………………
「……君、影虎君」
「ん……! 江戸川先生」
「大丈夫ですか?」
「ええ……」
いつのまにか寝ていたようだ……
「気分は?」
「気分はそれほど悪くないです。でも頭がうまく働かない感じですね……」
その後、江戸川先生の診察を受けながら質問に答えた。
「……症状としては“脳疲労”のようですね。外部からの情報過多により、脳が正常な機能を発揮できなくなっている状態です。おそらく大量の書籍の内容を、能力で詰め込み続けたために、脳の処理が限界に達しているのでしょう」
「さすがに多かったですか……」
「聞けばもう四十冊は読んでいるそうじゃありませんか。それを数時間で行うなんて、とても一般的とは言えない速度ですねぇ」
「解決方法は……?」
「即効性を考えるなら、脳に必要な栄養素の補給。そして脳への血流の促進が有効とされています。軽食で栄養と水分を摂取して……暖かいものが血流促進には役立ちますから、温かいお茶でも飲むとよいでしょう。リラックス効果のある物だとさらに良いですね。
あとは人間が得る情報は約80%が視覚からの情報だと言いますから、目つぶって休めたり、先程の君のように、短時間だとしても睡眠をとることは有効です。……つまり休みなさい、ということですねぇ。よろしくお願いします」
「「かしこまりました」」
江戸川先生と入れ替わりに、ハンナさんともう一人のメイドさんが接近。
二人は机の上から積み上げられた本を移動させ、代わりにケーキスタンドを設置した。
そこへサンドイッチや焼き菓子に、小さなケーキを乗せていく二人。
料理はどれも紅茶と合いそうな物ばかりだ。
「どうぞ、お召し上がりください」
「いただきます」
まずは一番下の段からサンドイッチを一つ。
キュウリの挟まれたシンプルなサンドイッチ。
目に見える具はキュウリだけだが、バターの香りに塩コショウ。
それらがマイルドな酢の香りと調和している。
惜しむらくは一つが小さく薄いことか……
食べやすくて見た目の品は良いかもしれないが、若干物足りなさも感じる。
必然的に次のサンドイッチへ手が伸びて、止まらない。
サンドイッチを食べきれば、次は中段の焼き菓子へ。
そして最後にケーキを食べつくす。
「ふぅ……」
「美味しかったですか? 影虎君」
「はい。大変満足です」
「「ありがとうございます」」
複数人で集まって食べる事が前提のメニューを一人で食べ切ったところ、
「体調を崩したと聞いたが、大丈夫かね?」
この館の主がやってきた。
「少し疲れましたが、相変わらず美味しい料理をいただいたおかげでだいぶ回復した気がします」
「それはよかった。Dr.江戸川の診断は?」
「……」
「先生?」
先生は思案顔だ。
「
「原因と言うと、エリーからの課題かね? ……またずいぶんと押し付けられたものだ。ハンナ、彼の傍についていてどう思った?」
「そうですね……お嬢様から昨日今日と与えられた本は合計九十冊。これまでに読破された本が七十八冊。さらにその内、昨日読まれた三十二冊はお嬢様から内容が頭に入っていると認められていました。私としては十分に驚異的な結果だと考えます」
「それはそれは」
「私も彼女と同意見です。一日に三十冊や四十冊も本を読むのは、世間一般の読書量としては驚異的でしょう。丸一日かけてという事ならまだ不可能ではないかもしれませんが……これに手を付けたのは朝食後ですよねぇ?」
「そうです」
「君の症状は脳疲労……確証はありませんが、君の他の能力と同じく、アナライズによる記憶、脳機能の強化、思考と情報処理の高速化。これらにもエネルギーを使用していたのではないかと私は考えます。少しであれば気にもならない微々たる量かもしれませんが、今回のように処理する量が膨大な場合、無理に使い続けるのは止めた方がいいでしょう。
それに先日お話した通り、君の脳は常人と比べて記憶などに関わる部位が発達しています。それが元々であればまだ良いのですが、もし君の能力が、君の脳を“異常発達”させているのであれば……あるいは君の能力を行使するにあたり、少しずつダメージを蓄積させているのであれば……正直なところ、どのような影響が出るかは分かりません。
……まぁ今回の症状は先程も言った通り、休めば問題ないでしょう。それに普段の生活で使う分には異常なかったんですよね?」
「そうです」
「で、あるならば……これからはこのように大量の情報を扱う際は、適度に休息をとり、脳に過剰な負荷をかけないように心がけてください。
具体的には、一回の作業時間は長くとも二時間。人間が集中し続けられる限界時間は諸説ありますが、最短で“十五分”という周期が重要と考えられています。ですから日本の学校では一回の授業時間を“四十五分”、“九十分”と“十五の倍数”で設定しているところが多いのですねぇ」
注意点から、集中力維持の方法、疲労回復の方法などの指導に話が変わっていた。
……
…………
………………
「注意点は以上です。是非とも気をつけていただきたいですねぇ」
「ありがとうございました」
……先生から、脳医学的に効率的な勉強と休息のとり方を学んだ!
しかし、それに従うとまだしばらく休んだほうが良さそうだ……
「そうですね。私も夜まで読書はドクターストップとしておきましょう。元々一日で読める方がすごい量ですし、記憶に適した時間帯は寝起きと夜に寝る前ですからね。ヒッヒッヒ」
「エリーも読み終わったら呼べとしか言ってないんだろう? 体調を整える時間を設けても怒りはしないよ」
コールドマン氏からも一時中断を進められたので、ひとまず読書はやめにする。
しかしそうなると、急に手持ち無沙汰になってしまう。
……そうだ、昨日は勢いのまま課題に入り機会を失ったので、この機会に聞いてみよう。
コールドマン氏はいったい何が目的なのか。
「それを答える前に、もう一つ。いや二つ聞かせてもらいたい。君はどうしてだと考える? それから、どうしてこれまでその本の山を読み進めたのか。
昨夜、ハンナたちにはペルソナの件を伝えてある。だからそのあたりについては気にしなくて良い。思ったこと、感じたことをそのまま話してくれ」
「……」
正直、コールドマン氏に関しては良く分からない。
彼は表情だけでなく、今も食事の時も終始オーラが楽しそうだ。
しかし単純に俺たちをからかって遊んでいるだけじゃない気がする。
それから、俺たちに損害を与える目的ではないとは思っている。
つい先日、エレナたちがペルソナに目覚めたわけだが、俺たちとの協力体制は継続中。
協力的な“唯一の”ペルソナ使いという交渉カードは失ったとしても……
やっぱりまだ俺たちを切り捨てるほど、あちらに戦力に余裕は無いはずだ。
桐条と裏で繋がる気配も今のところ見えないし。
そもそも害するつもりなら、ここまで厚遇しなくてもいいだろう。
せいぜい何かに利用しようとしているか……利用と言えば、“超人プロジェクト”。
俺がコールドマン氏のサポートを受ける表向きの理由だけれど、本来シャドウとは別の話。
そしてこの楽しげなオーラ……
「まさか本気で超人プロジェクトのために?」
「秘密裏に君のサポートをするには、テストケースという表向きの理由が必要だからね。プロジェクトの参加企業に通達しなければならないこともあるし、プロジェクトはプロジェクトで成功を願っているからね。そういう意図は確かにある。次はどうかね?」
まだ核心を突けてはいないようだ。
ひとまず次、何でこの本の山を読み進めるのか。
それなら簡単だ。理由は三つ。
俺にとって不可能な課題ではないと判断したから。
昨夜のコールドマン氏の言葉にある程度納得し、利があると判断したから。
そして、課題を出した当の本人が真剣だったから。
「詳しく説明を頼む」
「夕食のときに話を持ちかけられてから、あの人はずっと不機嫌でした。けど、“本を選ぶ時”と“本を俺に渡す時”だけ、オーラに澄んだ青と赤が混ざって、紫に近づくんです」
赤は熱意の色。
青は冷静さの色。
それが混ざった紫からは、冷静さと情熱を兼ね備えた真摯な心を感じた。
“これでもなるべく削ったの。最低限この程度の内容と知識は頭に入ってなきゃ話にならないから”
“これも読んでおいて。有名じゃないけど読んでおくべきだから。あとあなた、内容の記憶と一応の理解はできてるみたいだけど、専門的な所の理解が少し浅いわ。その辺の参考資料も入ってるから。特技があるなら読めるでしょ”
この言葉。
大量の本を一方的に押し付けられはしたけれど、オーラを見ると嫌がらせではない。
純粋に、最低限これだけの知識は必要だと、本心から口にしたんだと思う。
さらに本を選んでいる姿を思い返すと、彼女は本棚から迷い無く本を抜き取っていた。
それはつまり、彼女が即座に厳選できるほど本の内容を読み込んで把握している証拠。
特に彼女の部屋の本棚から用意された本は擦り切れたページや書き込みも多かった。
結論として、俺は彼女は真剣に話していたと思う。
少なくとも“演技”に対しては真摯に向き合っている。
それだけにプライドも高そうだ。
だから一週間程度で学ばせる提案や、実際に学ぶ気の俺が気にいらないんだと思う。
結論として、俺が気に入らないのは本心だけど、彼女は指導内容に不満を持ち込んでいない。
「もし彼女が怒りに任せて、適当なことを吹き込んでいたら。それを感じていたら。もう少しモチベーションは落ちてましたね、きっと」
「色覚による感情の視覚化。聞いてはいたが精度が高いな。これは嬉しい誤算だ。タイガー、その能力は交渉などに大いに役立つだろう」
オーラがひときわ楽しげな黄色に染まる。
ずいぶんと食いついてきたな。それに“嬉しい誤算”?
……昨日の提案が超人プロジェクトのためと言うのは、当たらずとも遠からずと考えて……
そこに“嬉しい誤算”。
「……Mr.コールドマン。もしかして、試されました? 俺の“能力”」
一言付け加えると、彼は分かりやすい微笑みと拍手で答えてくれた。
「戦闘能力は十分に見せてもらったが、本気で何かを学習した場合、どれだけの期間でどれだけ身につくのかがやや不明瞭に思えたんだ。超人プロジェクトの件もあるからね。実際に一定期間、何かを学んで結果を示してほしかったのさ」
「そうならそうと事前に一言欲しかった……それに彼女にも説明してないんですよね?」
「エリーに演技指導を提案したのは本当にあの場での思いつきさ。あの子が帰ってきたのも偶然だし、君が言った通りプライドが高い子だ。私が頼んだとしても必ず引き受ける保証はなかった。だから本当は別の課題を用意していて、夕食後に相談するつもりだったんだ」
さらに彼は、
「その前に君が連れて行かれたので、流れに乗ることにしたけどね。運動などの得意分野より、演技という未経験の分野の方が、最終的な成長度合いは分かりやすいと思った。もちろん君のためになると考えたのも嘘じゃないよ」
と付け加えて、面白そうに笑っていた。
どうして変な悪戯心を出しているのか……
影虎は追加の課題を出された!
課題の途中で体調が悪くなった!
適度に休憩を挟むよう注意を受けた!
コールドマンの真意が判明した!