「事情は分かりました。ところで用意されていた本来の課題って何だったんですか?」
「料理だよ。ちゃんとした指導を受ければ、腕がすぐ上がるかもしれない。そんな話を前にした記憶があったからね。うちの料理長と話をつけてあった」
あー……俺が皆の回復のために料理した時の話か。それで手配を?
「その料理長と課題は」
「ひとまず保留になっているが、そちらもやってみるかね? 私としてはデータが増えるのでありがたいが」
「興味がないと言うと嘘になります。……先生」
「そうですねぇ……様子を見て午後以降ならいいでしょう。内容が変われば気分転換にもなるでしょうし」
先生からの許可は取れた。
料理を回復アイテムとして利用できるようになった今、上達は今後のためになる。
詰め込みに制限をつけることに決まった今、時間は取れる。
「お願いします」
「承知した。料理長には伝えておくよ。スケジュールもDr.江戸川の指導を参考にして、無理のないように調整しよう」
「ありがとうございます」
「私のためでもあるからね。では私は早速行動に移ることにしよう。タイガーはとりあえず昼食まで休んでくれ。大抵の娯楽は用意がある。シアタールームやマッサージに行けばゆっくりできるだろう。できる限り活用してくれたまえ」
コールドマン氏はそう言い残して、書庫を立ち去った……
……
…………
………………
昼食後
「こちらです」
ハンナさんに案内されて、食堂から程近い部屋に案内された。ごく小規模な催し物をする部屋だそうで、今は特に何もない部屋だ。でも真っ赤なじゅうたんから、優雅なパーティーが開かれそうな雰囲気だけはひしひしと感じる。
それにしても……課題は料理と聞いていたが、ここでは火が使えそうにない。
ここで何をするのだろうか?
疑問に思っていると、やがて扉が開く。
「やぁタイガー。待たせてしまったね」
コールドマン氏は、かなりお年を召した男性を始めとして、大勢の人を連れてきていた。
しかし、料理人らしき服装なのはお年を召した男性一人。
他の方々はテーブルや食器類、そして何か大きな物に布を被せたカートを運び込んでいる。
指導をしてくださる料理人は間違いなく彼だろう。
「まずは紹介しよう。彼が君に料理を教える」
「アンジェロだ」
深い皺の刻まれた険しい顔で、彼は一言だけ発して右手を差し出した。
俺も答えてその手を握る。
そして交差する視線。その先に見える紫のオーラ。
……もしかしてこの人。
「もう気づいたかね?」
「なんとなくですが……」
この人、エリザベータさんと同じタイプの人なんじゃないだろうか?
「ご明察だよ。アンジェロも長い間研鑽を積んだ一流の料理人さ。腕前には絶対の自信とプライドを持っている。少々気難しい男でもあるが、エリーほどではないよ」
「あのわがまま娘と一緒にされるのは心外だ」
雇い主に対して、その孫をわがまま娘と言い放った彼。
それを聞いたコールドマン氏の朗らかな笑みが、若干苦笑いに近づいた。
「私もタイガーと呼ぶが、いいか?」
「はい。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」
「引き受けた以上は面倒を見よう。だが、その前に一つテストをする」
「分かりました」
……しかし何をするのだろうか?
何かを作るというわけではなさそうだが……ん?
アンジェロさんがおもむろにカートに近づき、被せられていた布に手をかけた。
「君への課題はこれだ」
「!?」
取り外された布の下には、ビニールに包まれた肉塊が積み重ねられていた。
「生ハムの原木、ですよね?」
「その通りだ。君にはまず生ハムの正しい切り方を覚えてもらう」
説明によると、生ハムの味わいは切り方で大きく変化してしまうらしく、本当の味を引き出すには相応の練習が必要だそうだ。聞きなれないが“コルタドール”という専門職まであるらしい。
そんな技術を俺はここに用意された生ハムで学び、十分な味を引き出せるまで練習する。
「生ハムを切ったことはあるか?」
「原木からはありません」
「よし。……君は物覚えが良いと聞いているが、私はこの試験の結果で判断し、その後の計画を立てる。練習用の原木は五本。だが必要ならまだ奥にある。切り出したハムは食べても構わない、余れば使用人のまかないにでも使えるからな。
とにかく君は切り方をマスターすることに全力を注ぎなさい」
「はい!」
「良い返事だ。では早速始めるぞ」
「はい!」
こうして“生ハムの切り方”の指導が始まった……
……
…………
………………
用意されたハムの原木はだいたい六から七キロ。
その表面を覆うビニールを剥がし、表面の汚れや油を軽くふき取る。
次に幅広のナイフの刃を、豚のくるぶし付近の筋に深く入れ、不要な皮と脂肪を切り落とす。
可食部の切り出しには長いナイフで脂と赤身が混ざるように。
切り口にしっかりと刃を当てて、ナイフ全体を使うこと。
刃を細かく動かすことで、透き通るほど薄く切り出す。
大きさは四センチから六センチの一口で味わえるサイズに。
……よし。
「いかがでしょうか?」
切り終わった原木はこれで三本目。
記憶した料理長の動きを参考に手の動きを模倣した。
切り終えたハムが料理長の切った物に近づくように心がけた。
そしてまるまる一本の原木から安定した質の生ハムを切り出せたと自分では思う。
そんな俺を横目に、料理長は俺が切った生ハムを見つめて、その一枚を口に含む。
「……合格だ」
「! ありがとうございます!」
料理長から合格が出た!
「二本目からすでに形にはなっていた。それが三本目の初めから終わりで磨き上げられたな。スピードも十分だった」
原木の大きさのわりに、一度に切り出すハム一枚は薄く小さい。
だから一本でもかなりの回数の練習ができる。
それにアンジェロ料理長はエリザベータさんと違い、教え方が丁寧だ。
一本目は最初と言うこともあり、手取り足取り。
注意された点を改善すると、さらに細かいところまでどんどん指摘してくださる。
結果として一本目の終わりから二本目までは、一切れごとに成長している感覚だった。
「明日からは実際に調理をしよう。私はこれから教えるメニューを考える。今日のところはこれで終わりだ」
「ありがとうございました!」
生ハムの切り方を習得した!
……
…………
………………
影時間
~食堂~
うちの両親を除いて、事件を共に乗り越えたメンバーが集まっている。
「危険はなくなったけど、結局集まっちゃうわねぇ」
「こんな薄暗い中で電気も使えないと、一人でいても退屈するだけだからな」
アメリアさんとカイルさんに同意が集まる。
「影時間やシャドウはまだあるが……こう一転して穏やかになると気が抜けてしまうな」
「エイミー伯母さんまで、今日は調査とか言わないんだもんね」
「私にもそんな気分の時くらいあるわよ。ロイドこそ部屋でゴロゴロしてたんじゃないの?」
俺を含めて、全員多かれ少なかれ感じていた危険から逃れたことで、脱力しているようだ……
「復帰戦の近い俺としちゃぁ、あんまり気を抜いてられないんだが……」
「そういえばそんな話をジムでしてましたね。いつなんですか?」
「来月の28日だ。あと一ヶ月ってとこだな」
ニュースや雑誌記者に突撃される恐れがなければ、彼はあのままジムでトレーニングをしていたはず。大事な試合前なのに、騒ぎに巻き込んで申し訳ない……あっ。
「ウィリアムさん、もしよければ練習代わりにシャドウと戦いませんか?」
「それができれば助かるが、いないから皆して気が抜けてんだろ……」
「俺、召喚でシャドウを作れますよ」
「その手があったか!」
今のところ弱いシャドウしか用意できないが、ペルソナ抜きで肉弾戦のみにすればある程度の練習にはなるだろう。問題は場所だが……
「裏にテニスコートがある。銃器やペルソナを使わないのであれば、そこで十分だろう」
二秒で解決した。
滞在中の影時間は、テニスコートでの戦闘訓練に使うことになるだろう。
「私もがんばる」
「アンジェリーナちゃんも? エネルギー足りるかな……」
「魔力は貸す」
「それが召喚には気とMAGも必要だから」
気は魔力を借りて回復魔法で補うにしても、MAGがどれだけ持つか……
やってみるしかないか。
「ところで、アンジェリーナちゃんのペルソナってどんなの?」
彼女のだけまだ聞いていないことを思い出した。
「私のペルソナ……“ネフティス”。アルカナは“死神”」
「死神とはまた強そうだ」
「ネフティスはエジプト神話に登場する、夜を司る女神の名ですねぇ。死者の守護神であり、“オシリス”や“イシス”、“セト”といった神々の妹であり、そして冥界の神であるアヌビス神の母とされています。能力もそちらに関係しそうなものが沢山ありましたねぇ」
さらにアンジェリーナちゃんから説明を受けると、
まず基本となるスキルが、
ムド(闇属性・単体・低確率即死)
マハムド(闇属性・全体・低確率即死)
ブフ(氷属性・単体小ダメージ)
ディア(単体小回復)
メディア(全体小回復)
ディアラマ(単体中回復)
ポイズマ(単体・毒)
魔法ばかりだけれど、攻撃と回復どちらもできる。
仲間に守られつつ即死攻撃を狙うか、回復とバステを中心とした援護型だろうか?
耐性は闇だけでなく、光にもあるとのことで、バランスがよさそう。
だが、彼女のスキルはこれだけではなかった。
魔術の素養
SP消費を半減させるスキルだけど、やけに魔術の習得が早いのにも納得。
神々の加護
回復魔法の効果が大幅に増加するスキル。なんで序盤から持ってんの? と言いたくなる。
神というと、俺としては正直嫌な感じがするが、アンジェリーナちゃんに罪はない。
あと“神々”と複数形になっているあたり、俺をこの世界にぶち込んだ奴以外にもいるのか?
危険視認・死期視認
この二つは彼女が前から持っている能力だろう。
ペルソナに反映されたのか、それともペルソナの力が部分的に目覚めていたのか……
歌姫の素養
歌に魅了効果が乗っていた原因と思われる。
危険と死期の視認と同じく、どちらが先かは分からない。
隠れ身の心得・追跡の心得・逃走加速
○○の心得というタイプのスキルは分かりやすい。
○○に入る技術をそれなりに習得しているのだろう。
彼女の場合は隠れることと追跡すること。
さらに逃走成功確立を上げるスキルまで持っていた。
アンジェリーナちゃんはちょくちょく見失うことがあったので、納得だ。
「でも何でこんな技術を?」
「ああ、それは私が昔教えたからだろう。護身の技術を教えたかったんだが、体が弱くて格闘技や銃は負担が大きいと判断してやめたんだ。その代わりに逃げて隠れるコツくらいならと思ってな」
指導で覚えられるなら俺も覚えておきたい。
そうボンズさんへ伝えると、軽く袖が引かれる。
「私が教える。代わりに魔術、もっと教えて」
アンジェリーナちゃんが指導役に立候補していた。
スキルもあるし技術的には問題ないだろう。
そして何より、集まっている家族が自主的に動く彼女を見て喜んでいる。
ここで断るという選択肢は、俺の中にはなかった。
影虎は料理も学ぶことに決めた!
影虎は生ハムの切りかたを習得した!
影時間には召喚シャドウで戦闘訓練をすることになった!
アンジェリーナのペルソナ情報が判明した!
影虎はアンジェリーナから技術を学ぶことに決めた!