午後
用意されたキッチンで、アンジェロ料理長と向かい合っている。
いよいよ始まる料理の勉強に、緊張が高まる。
「では初めに君への課題を発表する。君への課題は……これだ」
キッチンの中央。よく磨き抜かれた作業台に置かれていたカバーが取り払われ、三枚の皿に乗った料理が姿を現す。
一枚は色鮮やかな野菜が花のようにちりばめられた、ハンバーグっぽい料理。
二枚目は赤みのあるソースがかけられた魚料理のようだ。
そして三枚目は複数の層になっているケーキ。
これだけは俺にも分かる、ティラミスだ。
「鶏肉と夏野菜のテリーヌ。白身魚のポワレ、バルサミコ酢のソース添え。三層のティラミス。この三品を全て、味だけでなく見た目まで、可能な限り私の作ったこの三皿に近づけてもらう。まずは食べて、味をよく覚えてくれ」
ハンナさんがそっと用意してくれたカトラリーで、慎重にいただく。
「!」
テリーヌはしっかりした味付けなのに、食べ終わる頃には口の中がさっぱりとしている。
野菜の酸味と甘みが抜群に合っている。
ポワレは表面がパリッとしていながら、中はふっくら。
淡白な身を鮮やかに染めたソースの香りが華やかだ。
ティラミスは……何だろう? 馴染みがあるようなないような……
よく分からないが、甘みと苦味がマイルドな印象。
共通しているのは、どれもこれも美味しいという点。
見た目にも綺麗で、一週間足らずで再現できるのかが不安になるくらいだ。
「普通の素人に同等のクオリティーを求めるなら、一品マスターするにもそれなりの期間を要すると思う。だが私は昨日の結果を見て、課題の難易度を上げることにした」
アンジェロ料理長からの期待を感じる……
「私の指導中はもちろんだが、それ以外でもここのキッチンは自由に使えるように手配してある」
「皆様のお食事や我々のまかないは本館で用意されますので、ここはあまり使われることがありません。ですので葉隠様、ここの設備はいつでも遠慮なくお使いください」
「ありがとうございます」
使わない厨房があるんかい。
言われるまで分からなかった。
こんなに業務用感を醸し出してるのに。
「あとは時間外でも質問があれば対応する。しかし私も仕事があるので、対応ができない時もあるだろう。そこで」
「遅くなりましたー」
「……来たか」
突如現れた若い男性……と言っても三十台になるかならないか微妙な所に見えるが、そんな彼は長髪を後ろでまとめながら、軽い調子で近づいてくる。
「やぁハンナちゃん、お疲れ様」
「お疲れ様です、Mr.アダミアーノ」
「堅いなぁ~、俺のことはリベンツィオでいいのに。あ、君が例の子? 話は聞いてるよ、俺はリベンツィオ・アダミアーノ。この屋敷で“パスティッチェーレ”をやってる」
「よろしくお願いします。タイガーと呼んでください」
……挨拶はしたものの、この人は? あと“パスティッチェーレ”って何?
「あれ? 聞いてないの?」
「説明しようとした所で、お前が話を遮るように入って来たんだ」
「葉隠様。この方は当家に雇われているシェフの一人です」
「ちなみに担当はデザートね。“パスティッチェーレ”はイタリアでデザート担当の料理人のことさ」
「私が対応できない時、リベンツィオの手が空いていればそちらに質問してくれ。デザート担当だが、それ以外の料理ができないわけではないからな。彼に補助を務めてもらう」
「分かりました。改めてよろしくお願いします」
料理指導の先生が増えた!
……
…………
………………
影時間
~テニスコート~
「何これ……」
皆と合流すると、ロイドから箇条書きでやたらと項目の多いリストを渡された。
「エイミー伯母さん、疲れてても確認したいことだけはずっと考えてたみたいでさ……検証して! って。タイガーに限らずペルソナ使えるようになったメンバー全員分作ってたんだよ、そのリスト。分かるのには答えて、分からなかったらできるだけ試して検証して答えてほしいって」
「そうか。ところで本人は?」
「めんどくせぇ! ってリストを捨てたウィリアム叔父さんの部屋に突撃して直接交渉中。たぶん今日は二人ともこないと思う」
「とりあえず元気になったみたいで良かった。……こうしてても仕方ないし、一応やってみるよ」
何か面白そうな実験はないかな………………おっ。
これなんかどうだろう?
“召喚の応用”
召喚とはエネルギーを元にシャドウを作り出す事。
エネルギーを元に作るならば、召喚の段階でシャドウの形状は変えられるのか?
形状に限らず、既存のシャドウしか召喚できないのか? それとも調整が可能なのか?
可能だと仮定した場合、どの程度の調整が可能なのか?
リストの文字は仮定に仮定を重ね、質問の幅がどんどん広がっている……
正直、考えたことがなかった内容も多い。
「さっそく試してみるよ」
今日の影時間は実験に利用することにした。
……
…………
………………
翌日
8月25日
朝食後
「昨日も思ったけど、あなた表情が堅いわね。特に目。今日は表情を重点的にやるわよ」
昨日に続いて表情のレッスン。
声はだいぶマシなので、もういいらしい。
声の授業を参考に、気の流れで顔の緊張を操作しながら練習をしてみた。
「堅いとは言ったけど、今度は緩ませすぎよ!」
やりすぎて怒られた。
微調整が難しい。
しかし彼女のオーラを見るに、改善はしているようだ。
……
…………
………………
練習後
「じゃあ今日はここまでね。何か質問は?」
教えてもらった内容については練習あるのみ。
しかしそれ以外で一つ気になることがある。
元々の目的である、日本に帰ってからのマスコミ対応はどうなるんだろう?
勉強を始めて四日目だけど、これまで一度も触れていない。
「ああ……それなら難しく考えなくていいわ。マスコミは自分たちの記事や番組をより多くの人に見てもらうために必死よ。それはお堅い情報番組でもゴシップ雑誌でも同じ。だから人目を引くタイトルをつけて、内容に面白おかしい脚色をするの。だから私たちが何をしようと、マスコミは勝手に騒ぎ続けるわ。あなたを売れるネタとして見ている限りね。
そして報道を見た世間の人間全てに好意を抱かれるなんて到底無理。どこかに必ずアンチ的な人や記者は現れるし、そういう連中は必死で私たちのボロを探すのよ。何事もない発言を強引に曲解してでも叩きに来る」
彼女は一拍置いて続けた。
「そういう連中に媚びても意味なんてないわ。下手に相手に合わせてあいまいな事を言えば、都合のいいように解釈される。意見を二転三転させたりするのは最悪よ。それなら最初から言いたい事をはっきり言っておく方がよっぽどマシ。あとは言うことがよっぽど非常識か的外れでなければ、相応に理解者は出てくるわ。
マスコミの前で発言する時は、表情や言い方で誤解を受けたり、あいまいに受けとられたりしないように気をつけることね」
なるほど。そのへんの表現を、演技を通して学ぶわけか。
「そもそも万人向けのコメントの仕方だとか、円滑に物事を進めたいのなら、私よりお爺様の方がよっぽど適任よ。そういうのが知りたければそっちに聞きなさい。お爺様も自分が連れてきたんだから邪険にはしないでしょうしね。
質問はそれだけ? じゃあまた明日。ハンナ、今日も昼食は部屋にお願い」
「かしこまりました」
……
…………
………………
「という話になりまして」
「そうか……」
演技の授業後。
エリザベータさんの話にはそれなりに納得できる部分があった。
しかし、日本人的な感覚といえばいいのか、当たり障りなく解決できる方法も知りたい。
と言うことで、コールドマン氏の都合を聞いたら執務室に案内された。
事情を聞いた彼は納得したように、深々と頷いている。
「そんなに納得ですか」
「そうだね。はっきりと意見を主張するのが重要なのは間違いない。だからあの子も本心で語る。しかし、その物言いはなにかと角が立ちやすいからね。世間の評価も賛否両論。私も強くは言わないが、もっと上手く対応できる者はいくらでもいる。君への指導だって、お世辞にも上手いとは言えないだろう?」
「言いづらいですが、まず最初に九十冊の読書から始まりましたからね……」
「先日も話したけれど、最初は本当に冗談のつもりだった。マスコミ対応についてはどのみち機会を見て話すつもりだったから、指導をするのは吝かではないよ。
しかしこれから超人プロジェクトの関係者と電話会議の予定を詰めていてね。申し訳ないが、書庫に私が以前書いた本がある。今日のところはそれを読んでいてくれ」
「わかりました。お忙しいところ、ありがとうございます」
「このくらいなんでもないさ。それに君への協力は将来の私の利益となるからね」
快諾してくれたコールドマン氏は、次に執事のベリッソンさんを呼ぶ。
「タイガーの部屋に私の著書を。それからスピーチ関連の本をいくつか選んで運んでおいてくれ」
「かしこまりました」
「タイガー。おそらく君の帰国後は撃たれたことを中心に、これまでの説明を求められるだろう。私はそれに対するスピーチを一緒に考えながら、話し方と対応をできるだけ教えようと思う。本を読んだらおおまかにで構わない、話す内容を考えておいてくれ。明日には時間を作ろう」
「分かりました。明日からよろしくお願いします」
……
…………
………………
午後
料理の勉強前に、アンジェリーナちゃんに再戦を挑む。
そしてまた負けた……
……
…………
………………
料理の授業後
課題となるメニューは昨日のうちに一通り説明を受け、作り方も見せていただいた。
ということで今日は実際に自分の手で作ってみた。
だけどいきなり完璧なものができるはずがない。
味も見た目も遠く及ばないものになってしまった。
しかし、それ以上の問題がある。
フランス料理に対する知識の欠如。
この一言に尽きる。
アンジェロ料理長の指導は丁寧で分かりやすい。
だから教えられた事は大体理解できる。
しかし、当たり前のように飛び出す専門用語は別。
彼にとっては基礎の基礎レベルの事でも、俺は持っていない知識だったりする。
それも含めて料理長は丁寧に教えてくれるのだが、その分余計な時間がかかってしまう。
その基礎的な部分を補うため、フランス料理の本かなにかを貸してもらいたい。
そう言ってみると、
「書庫からご用意いたします」
「私の私物からもいくらか提供しよう」
「ありがとうございます!」
ハンナさんと料理長に本を用意してもらえることになった!
……
…………
………………
夜
~自室~
部屋でゆったりと本を読む。
一度に読む量を制限し、適度に休憩をとるよう気をつけた成果が出ているようだ。
この本で四十冊目に達したが、先日のような疲労感はない。
読書の効率が上がった!