翌日
8月28日
朝
朝食に向かうと、食堂の前に黒スーツの警備員が立っている。それも四人。
会釈をして横を通ると、何も言われない代わりに探るような視線を受けた。
「……」
先に来ていたエリザベータさんに声をかけようかと思ったが、なにやら真剣な顔で台本を読んでいるので控えることにした。
……
…………
………………
朝食が始まり読むのをやめた彼女に聞いてみると、予想通り。
外にいる警備員は彼女の事務所から派遣されてきたそうだ。
読んでいた台本は今度の映画の物。
「撮影、再開することになったんですね」
「当初の計画でね。まったく余計な手間をかけさせてくれたわ」
ということはやはり、演技の指導は今日で最後だ。
……そう意気込んで始めた、朝食後の練習で。
俺は四人の警備員を殴り倒した。
……
…………
………………
~会議室~
どうしてこうなった……
「タイガー。エリー。報告は受けているが、一応二人の口からも事実を確認させてくれ」
「不幸な事故よ」
疲れたように、お前が話せと言いたげな視線を送られた。
「俺たちはいつものように、演技の練習を始めました」
メニューは昨日と同じく、台本を用いての実践練習。
その間、警備員の方々は扉の外で待っていた。
最初は一緒に中に入ろうとしたのだが、エリザベータさんが拒否したのだ。
家の中でまで付きまとわれたくないし、練習の邪魔だと。
俺たち二人きりではなく、ハンナさんが同席することでその場はまとまったが、
「今日の台本が女性とストーカー男のサスペンス物でして」
俺は台本と一緒に渡された小道具のナイフを持ち、演技の練習をした。
だがこの時、最後の練習と気合を入れていたのは俺だけでなく彼女も同じだった。
ストーリーが進むにつれて熱が入り、とうとう小道具を使うシーンで彼女は悲鳴を上げる。
本当に襲われそうになっているような、臨場感たっぷりの悲鳴を。
それを合図に警備員がなだれ込んできてしまった。
最初は様子見に扉を開けて覗き込んだだけだったと思う。
しかしその時はシーンの都合上、俺の片手にはナイフが握られている。
昔実際に映画の小道具として使われた物だそうで、本物のように精巧な作りの模造ナイフ。
「あとその時は先日襲撃してきた麻薬利用者を参考に、茫然自失な感じの表情を作っていたので」
全部合わせると、本当にヤバイ奴に見えたんだろう。なだれ込む警備員の一人が大声で“
一連の行動は感心してしまうほどにスムーズ。
よく訓練された動きという表現は、あんな動きに対して使うんだろう。
保護されたエリザベータさん自身も制止する暇がなかったほどだ。
しかしこの時。
俺はエリザベータさんが保護された事よりも、懐や腰に手を伸ばす警備員に反応した。
周辺把握で伸びる手が拳銃型の物体を握った事が分かり、対処に移ってしまった。
小道具のナイフを投げ、銃を向けられる前に敵を無力化する。
その一心で体が動き、同時に魔術による強化。
反射的にこれまでの経験と学んだ技術を最大限に活用してしまった。
全員ほぼ気絶しただけで済ませられたのがせめてもの救いだ。
「君が全力を出せばそうなるか」
「申し訳ありません」
「あなただけが悪いわけじゃないでしょ。そもそも演技と見抜けずにテーザーガンを向けたのはあっちの方よ」
「確かに。タイガーだけの落ち度ではないね。反省しているようだし、この件は私が預かろう」
「ありがとうございます」
またお世話になってしまったなぁ……
「ところでエリー」
「何? お爺様」
「タイガーの演技力はどこまで上がったんだい? 今回の件はボディーガードが演技と分からなかった……この点は殴り倒された四人からも証言がある。それほど上がったのかね? それから実際に演技を教えてみた感想は?」
「お爺様、私たちを呼んだのはそっちが目的ね?」
「私のプロジェクトにも関わる事だからね」
仕事上必要だからついでに聞いておく。
そんな雰囲気をかもし出しつつ、明確な肯定も否定もしないコールドマン氏。
かれはじっとエリザベータさんの返答を待つ。
「そうね……物覚えは良かったわ。本は読んでくるし、言った事は一度で覚える。実技も私には分からない感覚を使って、全部を自分のものにしようとしてるのが分かったわ」
どこか軽く呆れたように。
それでいて真面目なトーンで彼女は続ける。
「特に一度感情を込めるコツをつかんでからは急激に成長したわね。一度台本を読むごとに、少しずつだけど上達を感じた。最後をあんな形で中断されたのが残念よ。
演技はまだまだ荒いけど、最後の演技はオーディションで顰蹙を買わない程度にはなったと思うわ。少なくともたった一週間の成果とは誰も思わないでしょうね」
……最後のほうはちょくちょく褒められていたけれど、総評が思った以上に高評価だ!
「エリー基準でその評価か」
「私は思ったことを言っただけよ。これからあなたがどうするかは知らないけど、調子に乗らないことね。素人から急成長しただけであって、一流には程遠いわ」
「時間を探して練習は続けますよ」
「そう。好きになさい」
彼女がおもむろに席を立つ。
「エリー?」
「ちょっと待っていて、お爺様」
言い残して部屋を出て行ってしまった。
「どうしたんでしょうか?」
「さて、何だろうね? まぁすぐに戻ってくるだろう。それはそうとよく頑張った。エリーは言い方がきついが嘘は言わない。自信を持っていい」
そのまま練習の詳細や苦労話へと会話を広げていると、
「お待たせ」
「エリー、それは?」
戻ってきた彼女は、古ぼけた車輪つきのトランクを引いていた。
「タイガー。これをあげるわ」
中身は何だろう?
「
彼女が取り出したのは二枚の名刺。
片方はエリザベータさん本人の写真入り。
もう片方は誰だか分からないが、職業は俳優・女優養成所の経営者らしい。
「私の事務所が経営してるスクールの代表者よ。下にスクールの連絡先も書いてあるわ。あなたが今後どうするかは知らないけど、まだ演技を学びたいならそっちに行きなさい。私は仕事があるから、今回みたいに面倒を見てる暇はもうないわ」
「……ありがとうございます!」
彼女はここで教えて終わりではなく、次に繋げる道を提示してくれた。
「今は事情があって答えられませんが、高校卒業後の進路の一つとして考えさせていただきます」
「私から教わっておいて、贅沢な話ね。まぁいいわ、これであなたへの指導は終わり。いいわね? お爺様」
「もちろんだ。元々時間があれば、という話だったからね」
「なら、私はもう行くわ」
そして彼女はあっさりとした態度で部屋を出て行く。
……
…………
………………
三十分後
コールドマン邸の玄関前で、俺とコールドマン氏は黒塗りの車を見送っていた。
「行ってしまいますね」
「あの子はいつもこう、突然出て行くんだ」
エリザベータさんが荷物を取りに行っている間に聞いた話だが……彼女には今朝、ボディーガードと合流した“その足で”仕事に向かうように、事務所から指示が出ていたそうだ。
だから本来なら、彼女はもうここにいないはず。
俺も最後の授業を受けられなかったはず。
そこで理由をつけてまで、彼女は時間を作ってくれていた。
さらに俺がボディーガードを殴り倒した後、彼女は何も聞かなかった。
ペルソナや魔術で明確に異常な現象を起こしたわけではない。
けれど、普通に考えて高校生がプロのボディガード四人を圧倒できるだろうか?
多少の質問は覚悟していたが、最後まで、彼女は何も聞かなかった。
また、それらについて自分から何かを語ることもなく、もう屋敷の門を出ようとしている。
徐々に小さくなる車を眺めていると、不器用な大女優の気遣いを感じ……自然と頭が下がっていた。
……
…………
………………
~別館1F~
演技の指導は終わってしまったが、余韻に浸っている暇はない。
学べる残り時間が短いのは、ほかも同じだ。
今日もアンジェリーナちゃんとかくれんぼを行う。
何度も続けていて、ふと思う。
気配とは、オーラのように体から漏れ出した気や魔力なのかもしれない。
なんとなくだが……
気が高ぶっている時や体を動している時は見つかりやすいし、見つけやすい。
逆に落ち着いて潜んでいるときはなかなか見つからない。
だからアンジェリーナちゃんを探す時は、まず周囲に目をくばる。
そして彼女がこちらを察知して動いたところで、強まる気配を感じ取って追う。
こうして見つけることはできるようになった。
しかし、おそらくアンジェリーナちゃんも同じ方法で俺を見つけているんだろう。
ほとんど同じ形で俺も見つかってしまう。
もっと気配を抑えろ……
動きはゆっくりでもいい……
動いていても、心は落ち着けて……
そのままお互いの役割交換を繰り返し、本日五回目の鬼を始めて数分。
今日一番の集中を感じていた所で、不意に心が乱される。
「!!」
……新しいスキルを習得したが、何だろう……
かくれんぼの目的は、アンジェリーナちゃんの隠れ身の心得・追跡の心得・逃走加速。
この三つのスキルだったのに、違うスキルが手に入った。
いや、一つで全部の効果を持っているみたいだけれど……
“暗殺の心得”
字面がものすごく物騒だ。
ちなみにその後、俺は初めて彼女に察知される前に発見することができた。
さらにその後、アンジェリーナちゃんは悔しかったらしい。
俺の目的は一応達成されたが、それでも黙々とかくれんぼを続けた。
……
…………
………………
昼食後
~キッチン~
今日はいつものアンジェロ料理長とアダミアーノさんだけでなく、コールドマン氏もキッチンを訪れていた。
「午前中は大変だったらしいが、もうひと頑張りしてもらうぞ」
アンジェロ料理長から試験の話が出た。
明日の夜には飛行機に乗るため、余裕を持って今日のうちに行うとのこと。
「試験方法は課題の三品を君に作ってもらい、その過程を見せてもらう。完成したら私とリベンツィオと旦那様が試食。その後、各100点の合計300点満点で採点する。
ただしこの試験はどこまで私のレシピを再現できるようになったのかを確認するものであって、合否をつける事が目的ではない。だから点数が低くとも別に構わない。ただ落ち着いて、今日までの成果をできる限り発揮してくれ」
「分かりました!」
緊張するが、自分を信じて試験に挑む!
……
…………
………………
完璧……とは言えないが、大きな失敗もなく調理が完了。
完成した料理はすぐさま試食され、採点も終わったようだ。
「結果を発表する」
さぁ、どうだろうか……
「300点満点中、“225点”だ。平均は75点」
「平均75点……」
それは、どうなんだろう?
「各料理の点数は“夏野菜のテリーヌ”が65点。“白身魚のポワレ”が70点。“三層のティラミス”が90点。どれも100点には達していないが、あえて合格ラインを設けるとしたら、60点。だから三品とも合格だ」
やった! という気持ちよりも安堵のほうが強い。
テリーヌなんてギリギリだ。減点対象が気になる。
「テリーヌは先に調味した肉と野菜を型に詰め、オーブンで焼き上げる。この調味の段階でもう少し塩を加えるとなお味のバランスが良くなったはずだ。
ポワレの食感は良くできているが、問題はソース。わずかに火を入れすぎている。それによって味が濃く、バランスが崩れてしまったのが残念だ。
そしてティラミスだが、味に関して文句の付け所がない。外見を整える時にもう少し素早く、綺麗に整えられれば完璧だったろう」
料理長は、俺の肩に手をかける。
「しかし、君はよくやった。悲観する必要はまったくない」
力強く肩を握られ、さらに言葉が紡がれる。
「今回の試験内容で100点を取るということは、私のレシピを完全に模倣し再現するということだ。君は再現しきれていないが、味の好みは人によって千差万別。食べる人の嗜好の違いで受ける評価も変わってくる。それが料理だ。君の料理も人によっては、私の物よりも美味いと評価するだろう。私のレシピを完璧に真似れば最高の料理ができるわけではない。私のレシピが“絶対”ではないからな。
完成度よりも材料への丁寧な下ごしらえ。素材を調理し、調味する技術。基本をしっかりと押さえて作られていたことの方が私は嬉しい。それが料理には最も大切なことだ。それさえ身についていれば、君はさらなる味を探求できる。
……君は一品をほぼ完璧に仕上げ、残り二品でも私が“他人に出しても良い”と考えるラインを超えた。一週間にも満たない短期間での成果と考えれば、すさまじい成長だ。よく頑張った!」
「! ……ありがとうございます!」
料理の課題で合格点をいただけた!
影虎は最後の授業を受けた!
演技の途中でボディーガードを殴り倒した……
大女優の変装道具を手に入れた!
料理の課題で合格点をとれた!