学校前
「買い込んじゃいましたね、色々と」
「できればもう少し買っておきたかったんですけどねぇ……そうすればしばらくは部室にこもれるんですが」
「いやいや、十分でしょう。冷蔵庫の容量もあるんですし」
「大型ですからもう少し入ると思いますよ?」
「食材の鮮度が落ちる前に使い切れませんって。江戸川先生、料理しないって言ってたじゃないですか。それに中身を詰めすぎると電気代にも悪いですよ」
「私も作れないことはないんですけどねぇ……普通の料理はどうも手を抜きがちで。体に良くないと知りつつ、ついついレトルトやカップ麺に手が伸びてしまうんですよねぇ……」
右手には食品の入った買い物袋。左手には貰い物の茶道具が入った、これまた貰い物の丈夫なカバン。荷物を抱えて江戸川先生と学校の前を歩く。
Be blue Vからの帰りに抹茶を買いにスーパーに立ち寄ったら、ついつい余計な買い物もしてしまった。おかげで荷物が大分増えた。一度では部室に運べないので、まずは茶道具と食品だけを運んでいる。
「おや?」
話していた江戸川先生が前を見て呟く。何かあるのかとそっちを見てみれば、誰かがむこうから走ってくる。ジャージを着ているので運動部の活動かと思ったが、どうも様子がおかしい。全力疾走でやけに急いでるというか、慌てているというか……ってか、よく見たら宮本だ。
「宮本!! どうした!?」
「ハァ、ハァ、影虎……に江戸川先生ッ!? っ、この際だ! 先生来てくれ!」
「ちょっ、いきなりなんだ?」
「なにかありましたか?」
「急患! 部活でランニングしてたら小等部の生徒が倒れてた! とにかく早く!!」
宮本が息をきらせながら伝えた内容に、俺と先生は顔を見合わせて動き出す。
「影虎君、失礼します」
「先生、荷物は持ちますから先に!」
「任せました」
「早く頼んます!」
「今行き、ちょっ!?」
荷物を受け取った直後、江戸川先生は宮本に腕を引かれて走り出し、俺も二人分の荷物を抱えて後を追う。
月光館学園は小等部、中等部、高等部に分かれていて、高等部を中心に横並びで建っている。小等部の校門前を駆け抜けたから……このまま行くと高等部や中等部、あとは俺達の部室の方だけど、何でこっちに小等部の生徒が?
気になりながらも足を動かすと、部室のある林からほど近い道に集まる人だかりが見えてきた。皆ジャージで円の中央を見ている、きっとあそこに怪我人がいるんだろう。
「おーい! どいてくれ!! 保険医連れてきた!!!」
「はぁ、はぁ……」
宮本が大声で叫ぶと何人かが気づいて道を開けた。
一部の生徒は先生を見て顔をしかめて少し余計に距離を取っていたが、それよりも怪我人と思われる生徒の傍らに見覚えのある女子生徒が膝をつき、頭や頸部に湿ったハンカチを当てて介抱していた。
「山岸さん!」
「え? 葉隠君! それに……」
「交代します。ちょっと見せてください。それからこの子が倒れた時の状況、分かればできるだけ詳しく聞かせてください」
先生が倒れた男子生徒の脈拍や外傷を観察しながら聞くと、まず発言したのは周りを囲んでいた生徒の一人で、前に俺を勧誘に来ていた陸上部の先輩だった。
「友達に突き飛ばされたみたいです。俺らはこの道でランニングしてて、そいつを見つける前に小等部の生徒三人とすれ違ったんすけど、そんなことを言いながら逃げて行きました」
さらに周りから出てきた同じ目撃証言や捕捉をまとめると、その生徒達はわざとではないが被害者を突き飛ばしてしまった。その結果、被害者は倒れて意識不明。突き飛ばした三人の小学生は顔面蒼白で、責任を互いに責任を押し付けるような言い合いをしながら走り去った。そして気になりつつもランニングを続けたら、倒れた被害者とそれを介抱しようとする山岸さんを見つけたんだと。
「……おそらく脳震盪でしょう」
その言葉に周りからは安心したような雰囲気が流れる。けど、実はそうでもない。
「先に見つけたのは貴女ですか」
「は、はい! この子が突き飛ばされる所に偶然居合わせて、突き飛ばしちゃった子達はふざけながら競争して、ちゃんと前を見てなかったみたいで……倒れたまま動かないこの子を見てパニックになってたみたいです」
「なるほど、倒れてからどれくらいかは分かりますか?」
「それははい! 五分三十秒です!」
「救急車、誰か呼びました?」
脳震盪で失神して五分以上。そう聞いて俺は口を出していた。
「救急車? いや、俺は……お前は?」
「俺!? してねぇよ、携帯置いてきたもん」
「部活中だし、ジャージだしなぁ……」
「だから俺が走ったんだって」
「つーか、脳震盪なら救急車とかいらなくね?」
そんな会話が方々でされ、結局は誰も救急車を呼んでいないという。
「先生」
「私も学校のほうに連絡しますから、救急車は影虎君お願いします」
俺は即座に荷物を腕にかけ、開いた片手で携帯を取り出し、救急車を呼ぶ。
「……そうです小学生男子一人。月光館学園高等部の校門を目印に、左に入った所です。はい、養護教論の診断では脳震盪。失神から五、いえもう六分です。はい、頭を動かさないように……はい……はい、よろしくお願いします」
連絡が終わり電話を切る。江戸川先生はまだどこかに電話で状況を説明しているようだ。
「ええ、ですからすぐ小等部の養護教論を。それから担任にも一報を。クラスは4-A。名前は“
天田、乾?
聞き覚えのある名前に、つい被害者を見た。
そして今になって気がついた。目の前で倒れているのは、原作キャラの中で唯一小学生の
「……い……おい……影虎!!」
「っ!? 何だ、宮本? った、耳元で叫ぶなよ……」
「いくら呼んでもきづかないからだろ。っつーかどうしたんだよ、急に深刻そうな顔して黙り込んで。そんなに心配か?」
「……ああ、まぁな」
本音を押し込み、とりあえず話をあわせておく。
「脳震盪ってのは漫画、特に格闘技系の漫画じゃよく“たいした事ない”なんて言うけど、本当は全然そんな事無いんだよ」
「そうなのか?」
「脳震盪は頭部に衝撃を受けたことで脳が揺れて起こる意識障害のことだけど、これは症状のレベルが軽度、中度、重度の三段階に分かれている。格闘技の試合なんかである、体を動かせないけど意識はあるのは軽度。気絶して二分以内に目を覚ますのが中度、二分以上は重度。現段階でこの子は六分以上の気絶だから、重度の脳震盪になる。
軽度なら安静にしていればまず危険は無いと言われているけど、それでも一日は様子を見たほうがいい。これは脳震盪が頭に衝撃を受け、脳が揺れて起こるため脳がダメージを受けているから。今は大丈夫でも後々症状が出てくる事もある」
「マジかよ……」
「脳震盪は、本当はよく聞くほど軽いものじゃない。俺もパルクールを始めてから知った」
「影虎君の言うとおりです」
連絡が終わった先生が話に混ざってくる。
「もう少し詳しく説明しますと脳震盪の症状はめまいやふらつき、その他の短期症状だけでなく、数日から数週間にわたって続く長期症状もあります。重度になれば注意力の欠如や頭痛が数ヶ月続くケースも。
加えて脳が受けたダメージから回復する前に再び脳震盪を起こした場合はダメージが重なり、脳はさらに大きなダメージを受けます。これは“セカンド・インパクト・シンドローム”と呼ばれますが、その致死率はなんと50%かそれ以上。非常に危険なのです。だからこそ脳震盪を起こした時は頭を揺らさず安静にし、意識が無い場合はもちろん、意識があっても病院で検査を受けるのが無難なわけです。取り返しのつかない事になる前にね。
見たところ君達は陸上部。格闘技やラグビーとは違ってプレイヤー同士の直接的な接触がある競技はないでしょう。けれど、運動部であれば何かの拍子に、とも考えられます。もちろん日常生活でも……この機会によく憶えておいてくださいね。ヒッヒッヒ……」
「ウ、ウッス」
「江戸川が……」
「まともな保険医らしい事を言っている、だと……?」
「ですが……脈拍や瞳孔にも異常は無いので、差し迫った状況ではありません。そこまでの心配はいらないでしょう、影虎君」
一部関係のないところで驚愕する陸上部の生徒をよそに先生がそう言い、俺達は手持ち無沙汰でただ天田少年の無事を祈る。すると数分後、集まった人だかりが不意にざわめいた。
「怪我人はここかっ!」
鶴の一声でまた人ごみがいっせいに割れる。そのさきに居たのはやはりといえばいいのか、桐条先輩。だが、今日はなにやら普段の余裕が感じられず張り詰めている気がする。
「江戸川先生、怪我人の容態は?」
「今は気を失っていますが、安定していますよ。それにしても桐条君はなぜここに? ひょっとして、この子とお知り合いでしたか?」
「いえ、たまたま職員室で先生と鳥海先生の話が聞こえたので。野次馬の整理にでも力になれないかと」
「責任感が強いんでしょうかねぇ……おやぁ?」
「失礼します、どいてください!」
「江戸川先生、天田君は」
「おや、菊池先生に光井先生。桐条君にも言いましたが、気絶していますが、脈拍は正常。顔色もいいですし、安定していますよ」
「そうですか、良かった……」
「ありがとうございます」
今度来たのは小等部の先生か、と思えば遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。
「……早くないか?」
「緊急時に備え、月光館学園の近くには消防署と迅速な対応のマニュアルが存在する。通報からの時間を考えれば、特別はやくはない。それよりも道を開けてくれ、他の者も道の端によれ!」
流石は桐条。緊急時への備えも万全のようだ。というかこの学校、昔は秘密の実験場でもあったんだ。そりゃ備えもあるだろう。
桐条先輩の指示に対して全体が即座に従い、救急車の通り道が開く。
じきにやってきた救急車が止まり、天田少年は救急隊員に運ばれ、二人の先生と病院へ搬送される。俺は救急車が見えなくなるまで、その様子を道の端で眺めていた。
天田乾……についてはひとまずこれでよし。しばらくは注意が必要だろうけど、体に障害が残ったりはしないはずだ。なぜならこの世界は、良くも悪くも原作に向かって進んでいる。そして彼は将来特別課外活動部の一員となる人物。この件で重篤な後遺症が残るようなら、危険なタルタロス攻略のメンバーに入っているとは思えない。ただでさえ彼はメンバーの中で一番幼く、体もできていないんだから。
「なるほど、運ばれた天田君を最初に見つけたのはそこの女子生徒か……ありがとう。………ちょっといいだろうか? 私は二年の桐条美鶴。すまないが、名前を教えてもらえるか?」
「は、はい! 山岸風花です!」
「そんなに身構えなくていい。少し時間を貰えないだろうか? 怪我人を発見した時の状況を詳しく聞きたいんだ。差し支えなければ江戸川先生もお時間をいただけませんか」
周りの生徒から状況を聞きだし、最初に介抱していた山岸さんを呼び止めた桐条先輩。江戸川先生からもより詳細な状況を聞きだそうとしているところを見ると、俺としてはやはり天田君が関わっているから気にかけているようにしか見えない。
特別課外活動部の三年生三人は、原作開始前に荒垣の起こした暴走により、天田君から母親を奪った。当然故意ではないが、それは三人それぞれが後悔と罪の意識にさいなまれていた……そんな関係者以外が知るはずのない事情を知っているからそう思うのだろうけど、たぶん間違ってない。今の桐条先輩は話を耳にして体が動いたというか、今までと比べて衝動的でガードが甘そう。今なら何か情報を聞き出せるかもしれない。
……天田君のことを気にするのは向こうの勝手だし、事情を加味すれば気になるのも仕方ないと思う。しかし、気がかりなのは桐条先輩と山岸さん、原作キャラの二人がここで顔を合わせた事。
原作前のことはほとんど手探り状態だけど、この二人の出会いは山岸さんの加入の時だったはず。それまでは山岸さんの事情も知らず、
現時点でかなりの有名人である桐条先輩と
「影虎君」
「先生?」
考え事に集中しすぎた。もうまわりに陸上部の姿は一つもなく、江戸川先生、桐条先輩、そして山岸さんの三人しかいない。
「あれ、いつのまに……?」
「搬送された彼が心配ですか? 自分の手の心配もしたほうがいいですよ?」
「手?」
「あの、葉隠君……手の色がすごい事になってるよ?」
「血が止まりかけているのではないか?」
三人の指摘を受けて目を向けると、腕の血色が悪い。大量の荷物を入れた袋が、肘に引っかかったまま腕の血管を圧迫している。
「おうっ!?」
「気づかないほど怪我人を心配するその気持ちは良いですが、心配のしすぎはよくありませんよ。さぁ、荷物をこちらに。腕の血流を戻してください」
「私も持とう」
「わ、私も」
そう言って手を伸ばしてくる三人。まず先生に右手の荷物を渡したが、二人にも?
「あはは……本当に聞こえてなかったんだね」
「話は部室で、と言う事になったんですよ。ヒヒッ……」
「遠慮はいらないさ。早く荷物を」
「血管の過度な圧迫が続くと血栓ができる原因になりかねないから、ね?」
「詳しいな、山岸さん」
「私の家は代々お医者さんの家系だから」
そういえばそういう設定もあったような気が。
「じゃあ、すみませんが頼みます。でも一つくらいは……」
「はいはい、影虎君はこっちですよ」
「? 鍵?」
先生が俺の荷物を素早く取って二人に渡し、代わりに鍵を握らせた。
「部室の鍵です。影虎君は一足先に行って部室のドアを開けてください。そして……」
そこから急に声が小さく早口になり、先生は後ろの二人の耳をぬすんで伝えてくる。
何?
「昨日のサバトに使った魔法円が部室に入ってすぐの床に敷きっぱなしなんです。場所の移動が決まってから思い出しました。桐条君に見られるとうるさそうなので、足の速い君は先回りして片付けてくれませんか。丸めて私の部屋に放り込むだけで十分ですから」
そういう事ですか……まぁ、買い物にも付き合ったし、乗りかかった舟だ。控えめに頷いて了解の意思を表す。
「じゃあ先行ってお茶の用意をしておきますね」
「あっ、「お構いなく」」
「荷物を持ってもらうお礼も兼ねてですから。それじゃ!」
条件反射か言葉がかぶった二人を残して駆け出す。
腕が少々動かしにくいが足は軽快。助走をつければ勢いにのれる。
一気に林へ駆け込んだ俺は、疑問を頭の片隅に追いやり、部室への最短ルートを突っ走った。
影虎は天田乾の姿を確認した!
山岸風花と桐条美鶴が遭遇した!
影虎が内心で頭を抱えた。