「それじゃ、また後でね」
「葉隠君も生徒会の仕事、頑張ってね」
E組を出ると、岳羽さんとは別行動になった。
成り行きでお茶をしたが、そのまま文化祭を二人で回るほど特別な関係ではなかった。
……あ、電話だ。
「久保田先輩? ……!! ……了解です。すぐに向かいます」
不良系の来校者グループと生徒の間でトラブル発生。
手が足りないので応援を求められた。対処に向かう。
……
…………
………………
~会議室~
「疲れた……」
「本当にお疲れのようですねぇ……」
ここは来校者の立ち入りが制限されている区画にあり、午後のステージまでの控え室として使えるように手配されている。そんな文化祭の喧騒と離れた場所で椅子に全体重を預ける俺と、正面に座る江戸川先生。
そして机の上に機材を置いて俺の脈をとるDr.ティペットに、その周囲でこちらを伺いつつ、電話とパソコンで何かの処理をしている近藤さんとハンナさん。サポートチームの面々も集まっていた。
「脈拍、その他は正常よ。特に問題ないわ。ただ疲れているだけね」
病気ではないが、やはり疲労状態のようだ。
ある意味いつも通り、次から次へと発生するトラブルへの対処をしていたからだろう。
しかし……最近、なんだか疲れやすくなっている気がする……
「最近の君の仕事量を考えれば不思議でもありません。これまでの疲労が蓄積しているのでしょう」
「葉隠くん。あなたはペルソナの能力で他者から体力を奪えると聞いているわ。それで体力を回復していた事も。だけどおそらく、それは体力が回復するだけ。エネルギーは吸収できても、体内に蓄積した疲労物質の分解や排出はできない可能性が高いわ。だから後々疲れやすくなってしまう。カフェインと同じね」
そんな落とし穴があったとは……
疲労物質と言うと、乳酸を何とかしなければならないのか。
「いいえ。昔は乳酸が疲労の原因と言われていましたが、最近の研究では乳酸はむしろエネルギー源であり、疲労回復に役立つとされています。そして新たに疲労の原因とされているのは“ファティーグ・ファクター”と呼ばれるタンパク質ですねぇ」
「そうなんですか。それはどう対処すれば?」
「“ファティーグ・ファクター”と同時に分泌される“ファティーグ・リカバリー・ファクター”、つまり疲労回復因子が回復に役立ちますが、これは軽い運動をした時やリラックス状態の時に分泌量が増えます」
「結局のところ、しっかり休むことが一番なのよ」
「葉隠様、まずは演劇の集合時間までごゆっくりお休みください」
近藤さんとハンナさんが、休めるように手配してくれたようだ。
会長や桐条先輩からも“休め”というメールが届いている……
お言葉に甘えて少し休ませていただこう……
……
…………
………………
12時15分
Dr.ティペットの指示の下、軽い運動をして、選抜された出し物の料理を食べ、用意された寝袋で睡眠を取った結果……
「だいぶ楽になりました」
疲労が回復した!
「ヒヒヒ……やっぱり、この方法が効果覿面でしたねぇ」
「そうですね。葉隠くん、この結果はおそらくあなた自身の回復力もあると思うわ。治癒促進、だったかしら? Dr.江戸川から頂いた資料を見たけれど、そちらはおそらく怪我や疲労回復にも効果があると思うの」
吸血は単純にエネルギーを補充するだけだが、治癒促進は本来肉体が持っている自己治癒能力を活性化させる、と先生方は見ているらしい。
「以前、君がコールドマン氏の書斎で疲れていた時と同じですよ。君の体は食事と睡眠で得られる回復効果が高いのでしょう。問題はそれを超えるオーバーワーク。今回はお仕事と文化祭が重なってしまいましたからねぇ……
今日を乗り越えたら、体を休める時間を取りましょう。おそらく今はまだ小康状態。根本的に疲労をとらなければまたすぐ疲れてしまいますよ」
「忙しい時は短時間でも睡眠をとることを心がけて。日本では馴染みがないかもしれないけど、
先生方の協力で、体調を整えることができた!
「ああ、それから。これまでの君の観察結果を元に新しい薬を用意するつもりですから、お楽しみに。実験台、おねがいしますね。ヒッヒッヒ……」
久しぶりに不安が掻き立てられる一言がついてきた。
まぁ、Dr.ティペットと協力して作るらしいので、酷いことにはならないと信じたい。
……
…………
………………
12時30分
~講堂裏~
「全員揃ったね。次のバンドの演奏が終わったら中に入れるから、出演者はすぐ衣装に着替えて。他の皆は舞台セットの準備ね」
上演の時間が目前に迫っているため、全体に緊張の色が見える。
その中に混ざる恐怖や動揺……気持ちは分かるが、いい傾向ではない。
「じゃあ……葉隠君! 最後に一言どうぞ!」
「俺が?」
「出演者のリーダー兼監督としてね。中入ったらあんまり喋れなくなっちゃうから」
「わかった」
この機会を利用して落ち着いて、やる気を出してもらいたい。
これまで共有してきた時間を思い出しながら、彼らだけに語りかける。
「まず、今日まで俺の指導についてきてくれてありがとう」
俺が演劇を多少習っていたとはいえ、素直に指示を聞き入れてくれたのは本当にありがたかった。同じ歳の俺に、偉そうに命令されるのが嫌だとか、そういったところで反対や抵抗されていたら、きっと準備は間に合わなかっただろう。
だけどみんなが協力的だったおかげで、なんとか形にすることができた。
「例えば石見」
「俺か!?」
「最初はお世辞にも演技が上手じゃなかったけど……」
「あー、分かる。確かに最初はひどかったもんね」
「棒読みだったよねー」
「自覚はあるから言うなって……でもだいぶマシになっただろ?」
その言葉を肯定すると、クラスメイトからも同意が集まった。同じように、特に不安が強そうなメンバーの事も例に挙げて、皆演技が上達したと言うことを再認識させる。
そして衣装や小道具を作ってくれた裏方担当のクラスメイトの事も忘れてはならない。彼らが資料集めから実際の制作活動まで一手に引き受けてくれたおかげで、こっちは練習に集中することができた。
「役割は違うけれど、一つの目標に向けて今日まで頑張ってきた。そしてその成果は昨日、しっかりと確認できたはず。実際に一度できているんだから、安心して頑張ろう!」
『オオーッ!!』
「!!」
クラスのみんなから力強い声が上がる。不安そうなクラスメイトの表情も和らいだ。
集団のオーラも綺麗で程よい赤と青に染まっている!
クラスメイトの不安を解消し、熱意を盛り上げることに成功した!
そして同時に、新たなスキルを習得した!
回復魔法の“メパトラ”と、補助魔法の“マハタルカジャ”。
どちらも味方全体に効果のあるスキルだ!
ようやく全体に効果のある魔法が手に入った!
……
…………
………………
~講堂~
『これより1年A組の演劇、“変貌”を上演いたします』
アナウンスに続き、幕が開いた。
舞台は主人公の青年、アーノルドが日の出と共に目覚め、友と働き、日暮れと共に眠る……農村での貧しいながらも穏やかで幸せな日々から始まる。
「今年の麦は良い出来だ」
「収穫まであと少しね!」
「この分なら……おい、あれは何だ?」
「馬車……だけどずいぶん立派な馬車ね。誰か来たのかしら?」
「……!! あれは領主様の馬車じゃないか!?」
『アーノルドの予想は当たっていました。その馬車に乗っていたのは近隣を治める領主……彼が直々に村を訪れた理由が、アーノルドの人生を大きく狂わせる転機となるのです……』
……
物語の中盤。
領主となったアーノルドは、部下の罠に嵌められて館の地下牢へ投獄されてしまう。
そこに現れた部下の男。
「貴様……!」
「身の程を知れ。お前は所詮ただの村人。貴族の血が半分混ざっていようと、満足な教育も受けていない貴様が領主の務めを果たせるわけがない。愚劣な領主は民を苦しめる……故に私は民を救うために貴様を討つ。私は救うのだ、貴様という誰の目からも明らかに暗愚な領主の魔の手から、民の平穏を! 安心しろ、後の事は私が引き受けてやる」
「最初から俺を傀儡にするために。否、父上から領主の座を奪うために、俺を利用したんだな……」
「その通りだとも。あの男を直接相手にするのは危険が多かった……流石にここまでくれば理解するか。まぁ、今更気づいたところで何の役にも立たんがな」
高笑いをして去っていく男。
その背中を、俺をこの世界に転生させた神と重ね合わせる。
心の底からわきあがる、暗く、重く、濁った感情を言葉に乗せろ。
「覚えていろ……たとえ神が許そうと、俺は貴様を許しはしない……必ずや、必ずやこの手で貴様に報いを受けさせるッ!」
その後、アーノルドは食事を運んできた見張りを鉄格子の隙間から絞殺して鍵を奪い、その後も天が味方をしたかのごとく脱獄に成功。復讐を誓い闇の中へ姿を消す。
『新たな領主はその権限を持って、アーノルドの捜索を行います。しかし彼は一体どこへ姿を消したのか……一年、二年と月日は流れ、やがて領主は一向に姿を見せないアーノルドの存在を忘れていくのでした』
そして、10年後。彼らは夜の林道で再会する。
「貴様! この馬車が誰の物かを知っての狼藉かッ!」
「知っているとも。その紋章、その顔、その声……何一つ、一日たりとも忘れたことはない!」
ここで月明かりが差し込むように、スポットライトが剣を抜いた俺を照らす。
「き、貴様、アーノルド!? 生きていたのか……」
「貴様を誅するその日まで、何があろうと死なぬと決めた。形振り構わず、手段も問わず、ただひたすらに、貴様を殺す牙を研ぎ続けてきた」
「ぐぬ……戯言を! 何をしている! さっさと殺してしまえ!」
「「「はっ!」」」
従者役の宮本、友近、順平がそれぞれ剣や槍を構えて前に出てくる。
ここがこの舞台の盛り上がりどころ。たった一度の“アクションシーン”だ。
「オラッ!」
真っ先に飛び掛ってきた宮本の剣を、こちらも剣で受け流す。
「でぇいっ!」
その隙に突きこんでくる槍を交わし、懐に飛び込み友近を斬る。
「ぐはぁっ!?」
「!!」
仲間がやられて激昂した様子の従者、もとい順平と宮本が激しく襲いかかってくる。
「すげー! これ高校生の演劇か!?」
「派手な殺陣だなぁ!」
観客席から漏れ聞こえてくる声は、どれも本当に戦っているようだという称賛の声。
それもそのはず、この殺陣は半分本気で戦っているのだから。
一応攻防の順番は決めてあるが、その前に3人に小道具の武器を与え、実際に本気で戦ってみた結果から見栄えが良さそうな動きを抽出して組み立てたもの。演技は経験があっても殺陣の経験はなかったので、仕方がなく
特に順平には派手で見栄えがいいと理由をつけて、大剣の小道具で徹底的に指導してある。
「オラァア!!」
その結果……かなり真に迫った動きになった! けど、
「ハッ!」
転びかけたふりをする宮本の手から剣を奪い、そのまま順平の大剣を払うと同時に宮本の喉へ元から持っている剣を添え、押し込み、倒す。
「グェッ!」
そして大剣を払われて無防備な順平にもトドメの一太刀。ストーリーの都合上、負けてもらわなければ困る。
「む、無念……」
「な、なんだと……」
「言ったはずだ。あの日からこの日のために牙を磨いてた、と……ようやく終わる。覚悟!」
剣を構えて全速力で懐に飛び込み、当たっていない剣先を密着した体で隠す。その代わりに領主役の男子は血糊を撒いて倒れこむ。
「……」
復讐の終わりは呆気なく、達成感はあれど続くものがない。
喜びではなく、怒りでもなく、楽しみでもなく、悲しみでもない。
感情の起伏を捨てた体は理性的に動いた。
領主が確実に亡骸となったことを確認して、暗い森の中へと姿を消す。
『襲撃の跡は遅くとも朝には見つかってしまいます。アーノルドは跡を隠すよりも、その場から一刻も早く、少しでも遠くへと離れることを選びました。
……遠く、遠く、どこまでも遠く。目的の地はありません。元より彼が抱いていたのは復讐心のみ。それを成すための計画はあれど、その後の事は何もありませんでした』
跡を残しても構わない。追手がきても構わない。捕まろうと構わない。裁かれようと構わない。
なぜなら最大の目的を、望みを果たしたのだから。
この身はそのためだけに生き長らえて来たのだから。
ナレーションと舞台セットの変更中。
台本にない言葉が、感情が、心の内側から湧き上がる。
「葉隠君、次の衣装」
舞台裏で衣装を変える。体までが淡々と動く。
次の出番に間に合うように、急がなければならない。
そんな焦りが沸いてこない。ただやるべきことをやるだけ。
「終わった」
「OK。最後、お願いね」
頷くだけで答えを返し、そのまま待機。
そして最後の幕が開く。
舞台は石造りの町並み。その中にある広場の片隅。
ふらりふらりと力なく歩き、静かに座り込む。
「……またあの男よ……」
「最近よく見るわね。どこから来たのかしら」
「怪しいな。何か変なことでも企んでるんじゃないのか?」
「それが、本当に何もしてないらしいのよ」
「気持ち悪いわ」
さほど遠くない場所でされる噂話にも反応せず、ただ空を見つめる。復讐の達成と共に活力を失ったアーノルドは身なりも整えず、手持ちの食料が尽きてからは食事も取らなくなっていた。
疲れれば座り、やがて立ち上がっては目的もなく歩く。そしてまた座る。
ただそれだけを繰り返す彼を、周囲は不気味そうに見ていた。
しかし、飲まず食わずで人は生きられない。
アーノルドの体は日に日に弱り、狭い路地で転んだまま、とうとう立つ力も失った。
そんな時、
「あの……」
「……?」
かすむ目を開けると、そこには名も知らぬ一人の少女が立っている。
「大丈夫ですか? よろしければ、これを……」
わざわざどこからか持ってきたのか。差し出されたのは器に入った水であった。
良く見れば彼女の服は古く、修繕の跡が見られる。
お世辞にも裕福とはいい難い身なり。
それでも、動くことも出来ない自分に可能な限りの施しをしようとする少女。
「……ぁ…リ…」
枯れ果てた喉からは声が出ない。
代わりに持っていた革袋を引き出す。
「? もしかして、お礼ですか?」
頷く。皮袋には僅かだがお金が入っている。復讐を達するまでは命を繋がねばならなかった、それまでの残りが。
「受け取れません! こんな……」
「おい! メリンダに何をしている!」
皮袋を押し付けあう二人の間に割り込む少年。
彼は少女を守るように立ちはだかっている。
「違うわ! この人は何も悪いことはしてないの! 私が水をあげたお礼にこの袋をくれようと」
「……君が親切なのは分かった。もう行こう。何をされるか分かったものじゃない」
少年に無理矢理手を引かれ、少女は立ち去った。
地面に置かれた器へ手を伸ばし、中身を呷る。
「んぐっ! ごほっ! ぐっ……ぁあ……」
数日振りに水が喉を通り、染み渡っていく刺激でむせ返る。
だが僅かに力と声を取り戻した。
これが……最後のシーン。
一度体を起こし、路地の壁によりかかる。
「……ふぅ」
瞳に映る月と星空。そして先ほどの少年少女の姿を思う。
「良い子だった……あの少年も……良い子なのだろうな……」
彼の身なりも少女と同じく、貧しそうであった。
似た境遇で生きる知り合いなのだろう。
冷たくあしらわれはしたが、自分の身なりを考えれば無理もない。
怪しい男からあの少女を守りたかったのだろう。
微笑ましい。
怒りは沸かず。代わりにかつての日々が脳裏に流れる。
「私にも、あのような頃があったな……」
村で生活していた頃の貧しさ。しかし村人同士で助け合い、幸せに生きていた日々。
今はもう、失ってしまった日々。
「私は、どこで間違えたのだろうか……友を手にかけたあの日か? ……領主となったあの日か? それとも抵抗し、村を出なければ何かが変わったのか……?」
……今となってはどこが間違っていたかも分からない。
……いや、何もかもが間違っていたのかも知れない。
「……もう長くはないな……」
分かる。今はあの少女の施しで、かろうじて命が繋がれているのだと。
朦朧とした意識の中で、アーノルドは己の人生を振り返る。
「生なるは、死出の旅……悪逆非道を尽くした私の行き着く先は、あの男と同じ地獄であろう……ここに至って願うなど、おこがましい………………だが、もしも願いが叶うのならばもう一度……皆と、同じ、神、の……御、許で……会い…………た…………………」
最後の言葉を言い切る前に、アーノルドの力は尽きた。
意識は途絶え、支えを失った体は倒れ込む。
そして静かに暗転。
今ここに、激動の人生へ幕が下ろされる……
……
沈黙。
演劇の内容は全て終わった。
だが、幕が完全に下りるまでは動けない。
……?
無反応かと思われた観客席の方から、パラパラと拍手が聞こえる。
音は少しずつ増えてきて……
『ーーーー!!!!』
さらに口笛や歓声も混ざる。
「葉隠!」
「おい葉隠!」
「葉隠君!」
「……幕は下りたか?」
「下りたよ! それよりこの大喝采!」
役者、裏方、関係なく。クラスメイトが周囲に集まってきた。
その誰もが幕の外からの拍手喝采に心を躍らせている。
「やった……やってやったぞぉー!」
「よかったよぉ~! 頑張った甲斐があったよぉ~!」
石見と島田さんは……感極まって泣き出している。
つられて泣き出すクラスメイトも出始めた。
それほどの喜びが俺にも届き、実感に変わり、確かな手ごたえを得た!
1-Aの演劇は……大成功だ!!
影虎はトラブルに対応した!
影虎は疲労になった!
吸血による回復の欠点が露呈した!
影虎は疲労から回復した!
影虎はクラスメイトを鼓舞した!
影虎は“メパトラ”と“マハタルカジャ”を習得した!
1-Aの演劇が行われた!