~保健室~
「失礼します」
「おや? 影虎君、朝からどうしました?」
「少し体調が……今、大丈夫ですか?」
「ええ、奥のベッドへどうぞ」
言われた通りに奥へ向かい、先生が仕切りのカーテンを閉じたら盗聴防止の魔術を使用。
「では、聞かせていただきましょうか」
「体調不良も嘘ではないですけどね」
昨夜から今朝までのことについて説明。
そして先生から出た質問にも答えていく……すると、
「朝の症状は“記憶転移”に近いですねぇ」
「記憶転移?」
「はい。主に臓器移植を受けた患者さんが訴える症状ですね。
たとえばファーストフードが嫌いだった人が術後はフライドチキンが食べたいと思うようになったり、クラシック好きな男性が術後はロックを大音量で聞くようになったり。さらには自分の娘の友達である若い女性に気を惹かれるようになったなど、趣味嗜好に変化が出たという話があります。
ちなみに例として出した2人の臓器提供者はそれぞれ、好物がフライドチキンだった。娘と同じ年頃のロック好きの少年だった……と、合致している部分が多いのです」
「聞いたことがあるような、ないような……でも確かに似ていますね」
「ええ。臓器を受け取った患者が臓器提供者やその家族と会うことは、双方にとって良くないとされているため、ほとんどの場合情報が開示されることもなく、調査も難しく研究が進んでいない分野です……しかし術後に思い浮かぶ情報を辿って臓器提供者を突き止めた患者さんもいたという話です。
記憶転移の原因としては、臓器を移植する際に記憶や情報を伝える何らかの物質が移ったのではないか? と考えられているようですが……君の場合は強引な除霊方法が原因でしょう」
「やっぱりそうですか」
他に心当たりもないし、違ったら逆に驚きだけど……
「対処法としては、どうしたら良いのでしょうか?」
「そうですねぇ……自分のことなのに自分ではない、という違和感を覚えているなら、その原因を明確にしてみては? 例えば、適当なノートに分かっている情報、感じたことを書き出すなどして、“自分の記憶”と“それ以外の記憶”を分けて確認するのです。
問題解決に際して“一度書き出す”という行為は効果的ですし、それだけでも曖昧な状態からは脱せると思います」
自分と他人の記憶を分ける。なるほど。
一度他人の記憶だと確認していけば、だいぶマシになる気がする。
「それから昨夜の件ですが、私は解離性同一性障害……つまり多重人格の可能性を考えています。
あくまで可能性の話ですが……多重人格症は本来、体の防衛本能の1つです。心身に多大なストレスや負担をかけられた場合に、一時的に記憶や感情を切り離して守るために、失神や記憶障害、さらには体外離脱を体験する場合もあるとされます。……それらに近い症状を、君はつい最近経験しましたね?」
熊を倒したあとには失神して幽体離脱したし、記憶転移を記憶障害と言うなら状況とがっちり合っている。
「その切り離された記憶と感情が別の人格として現れる。それを“別人格”や“交代人格”と呼び、別人格は時に自分とは異なる成長をしたり、一定の年齢で成長が止まっていたり様々です。また別人格の発言や行動は制御できず、勝手にしゃべりだしたり行動する時がある……
付け加えるならば、影虎君は前にも一度、文化祭の演劇でトランス状態に入ったことがあったでしょう?」
文化祭でトランス状態と言うと、演技をした時か。
確かにあの時は役の人格が自分に乗り移ったかのような感覚になった。
ヒソカという別人を装っているのも、演技ではあるし……
「言われてみると、確かに似ている……?」
「君が厄介事を抱えたり、事件に巻き込まれたりする頻度を考えると、多大なストレスや負担はむしろ当然に思えてきますしねぇ……」
ああ……その点は納得してしまった……
「もっとも、健康な人でも“良い自分”や“悪い自分”を感じるということはよくあることです。
“行き過ぎた演技”と“記憶転移”により、本来の自分と演技の境目が曖昧になってしまったのか。
それとも2つをきっかけとして、新たな別人格が生まれたのか。
あまり重く考えず、様子を見ながら考えてみると良いでしょう。……ただし」
「?」
「気をつけてください? 君が深淵を覗く時、深淵もまた君を覗き込んでいるのですから……ヒヒッ! 考えるのは良いですが、心は常に冷静に……瞑想と同じです。飲み込まれてはいけませんよ」
「……分かりました。ありがとうございます」
「どういたしまして。何かあればまた相談してください。……ところで、今日も薬の試作品があるのですが」
「あぁ……なんだかすごく久しぶりな気がする」
「私もですねぇ」
受け取った試験管の中身は、紫と白の液体が混ざり合わず、不思議な模様が変化している。
「先生。今日、昼前から早退して仕事というか用があるんですが」
「大丈夫です。計算ではすぐ目覚めるはずですから。間に合わないようなら車に積み込んで現地に送りますし」
「お願いしますよ」
先生の言葉で意を決し、液体を喉に流し込む。
すると、急に眠気が襲ってきた!
「先生、気分が悪いとかはないですが、寝ます」
そう口にした直後、意識は闇へ落ちていく……
幽体離脱、する暇もなく……
……
…………
………………
疲労が回復した!
……
…………
………………
昼
~成田国際空港前~
アフタースクールコーチングのロケ班と共に、出入り口前に待機中。
一般の利用客の目も集まって、現場はざわついている……
「もうすぐだね」
「はい。もう飛行機は着いているらしいので──来ました!!」
今年一年で異様に良くなった目が、誰よりも早く、懐かしい人々の姿を捉えた。
『タイガー!!』
『Welcome to Japan!』
空港から出てきたのはアメリカでお世話になり、年末の試合相手でもあるウィリアムさん。
その後に続いて両親のボンズさんとアメリアさんに、研究者のエイミーさん。
さらにエレナやロイドにアンジェリーナちゃん。
荷物を載せたカートを押しながら、遅れてカレンさんとジョージさんもやってきている!
そう、今日は年末の対戦相手とその家族が来日する日だったのだ!
正直もっと先かと思ってたんだけど、忙しくてあっという間だった。
でもそれはそれ、これはこれ。また会えたことは素直に嬉しい。
『皆さんお久しぶりです!』
『ようタイガー! 元気にしてたか?』
『ははは。だいぶ暴れてますよ、ウィリアムさん。……あれ?』
近づいてみると違和感を覚えた。
ウィリアムさんは元々、筋骨隆々で身長は2メートル近い巨漢だ。
しかし気のせいだろうか? アメリカでお別れした時よりも体が大きくなっている?
『今度の試合のために、徹底的に体作りをしてきたのさ!』
言うと同時にさりげなくウィンク。
これは“そういうことにしておけ”ということだろう。了解。
ボンズさん達にも挨拶し、自然に話題を変える。
『元気だったか? エレナ、ロイド』
『もちろんよ! というか、寒っ。日本って寒いのね』
『そりゃ12月だからな……』
『ボクは毎日クタクタだよ。ホームスクーリングの課題とか、動画編集とか
『
アンジェリーナちゃんは2人の後ろに引っ込んでいる。
しかし、今日の服装はまさかのゴスロリファッション。
ヒラヒラしたスカートが存在感を主張して、隠れ切れていない。
『アンジェリーナ』
『ん……』
『久しぶりねタイガー。どう? 日本で人気のファッションを調べて着せてみたんだけど』
ジョージさんに促されて、恥ずかしそうに前へ出るアンジェリーナちゃん。
そしてカレンさん、貴女が原因か! いや、似合い過ぎってくらい似合ってるけどね?
『久しぶり。元気してた?』
アンジェリーナちゃんはコクリと頷き、そっと口を開く。
「こん、にちは。タイガー──」
おお、日本語だ。
そういえば日本語を勉強してるってメールが来てたっけ。
「──お兄様?」
「!?」
『!?』
予想外の呼び方に、一瞬思考が止まる。
唐突にお兄様……何故?
通常、そうそう耳にすることのない一言に、再開シーンを撮っていたスタッフさんたちも困惑気味。
『ブッ! ハハッ!! アンジェ、ククッ、やっぱり勘違いしてたんだ』
そんな空気を引き裂くように、1人の少年の笑い声が響く。
「勘違い?」
「最近日本語の勉強のために、日本の漫画を読んでいたんだよ、アンジェリーナは。そのキャラクターの女の子が、年上の男のことを“お兄様”って呼んでてさ、発音の練習をしてたからもしかして、と思ってたんだけど」
つい日本語で行った問いかけに、律儀に日本語で答えたロイド。
おかげで、漫画で日本語を覚えたせいか……と俺もスタッフさんたちも理解した。
が……その言葉をなんとなく理解したらしく、分かっていたなら教えろ、と思っているであろう子が1人。
『あはは……? アン、ジェッ!?』
恥ずかしさか、それとも怒りか。どちらにしても顔を赤くしたアンジェリーナちゃんの、思いのほか鋭いパンチがロイドの鳩尾へ突き刺さる。
ロイドはその場でがっくりと膝を折った……
これはアンジェリーナちゃんに意外とパワーがあるのか、それともロイドが貧弱なのか、どっちなんだろう?
しかし会って早々にこのドタバタ感。
今年の夏ぶりなのに、妙に懐かしく感じていると、
「相変わらず楽しそうだね」
その一言で、周囲に緊張が走った。
声の主は、今日この場に来るとは聞いていない大物。
「あれ、まさかコールドマン氏!?」
「うそっ! あの大富豪の!?」
「おや」
彼は無遠慮に携帯のカメラを向けてくる一般客へ、にこやかに手を振りながら歩いてくる。
「久しぶりだね、タイガー」
「お久しぶりです、Mr.コールドマン。それともボスと呼ぶべきでしょうか?」
「そんなに気を使わず、“お爺ちゃん”でも構わないよ?」
「ははは……」
ここでその話を蒸し返すのか……しかも流暢な日本語で。
おかげで周囲のざわめきが大きくなる。
「しかしびっくりしました。来日するとは聞いていなかったので」
「年末の試合は私のプロジェクトにとっても大きなイベントになるからね。この目で直に見たいと思うのは当然だろう? 君たちの様子も見たかったしね」
察した。
この人、あえて黙ってたな?
「ああ、言っておくけど同行者については偶然だよ。これも運命なのかね?」
「?」
何の話かと思えば、今度は豪華なドレスと毛皮のコートに身を包み、ふちの広い帽子をかぶった女性が現れる。
……おいおい、何でこの人まで?
『元気そうね』
『
「ね、ねぇ! あれってエリー・オールポートじゃない!?」
「うわ! マジだ! スッゲェ!! ハロー!」
「話してるのって葉隠君だよね? なに? あの二人知り合いなの!?」
『ハァ……やかましいわね。話はお爺様から聞いておいて。暇があれば連絡するわ』
『了解』
聞きたいことは色々あるが、周囲を一瞥した彼女はそのままSPを連れて立ち去ってしまった。
事情はコールドマン氏が知っているようだし、あとでしっかりと話を聞かせてもらうとして……俺たちも移動だ!
そして無事に再会出来たことを喜ぼう。