「……たら……」
「…………です」
「……貴女には……あります」
「まさか……こんな……」
「……教えますよ……」
「でも……………………」
「……大丈夫…………状態は安定……」
誰かの声が聞こえてくる……
「おや、気がつきましたか影虎君」
「葉隠君……体は? 気分はどう?」
「すごくねむい、な。でも苦しくはない」
「影虎君、私は今何本指を出していますか?」
「三本」
「腹痛などは?」
「ありません」
指の先には特徴的な内装……ここは江戸川先生の部屋か。
部屋の隅に置かれたベッドに寝かされているようだ。
山岸さんが不安そうに足元に立ち、枕元に立つ江戸川先生の問診がつづく……
「もう少し休んでいた方がいいですが、もう大丈夫でしょう」
「よかったぁ……」
「一体何が? 料理を食べて意識を失ったのは分かるけど」
「ごめんなさい!」
「あ、いや、責めてるんじゃなくて……あの後どうなった?」
「山岸君が大慌てで私を呼び、私が君をここに運び込みました。私が到着したときは既に状態は安定していましたが、痙攣をしていたというのでとりあえずここに」
……そうか、覚えてないけど。
「葉隠君、本当にごめんね。私、間違えて入れちゃいけない物を入れちゃったみたいで……」
「入れちゃいけない……?」
「うん……材料を洗うときに洗剤を使ったり、にんじんと間違えて江戸川先生の薬の材料を入れちゃったり……」
「……無事だったから、いいよ……次は頑張って。なんなら基本くらいは俺が教えられると思うから」
突っ込みどころが多くて、突っ込む気力を失った……
でも放置するとそれはそれで危険そうだ。
とりあえず目の届かないところで作らないでほしい。
「影虎君の言う通りです。失敗は成功の母、間違えたらやり直せばいいのです。それに先ほども言いましたが、私はあなたに才能があると思いますよ」
「才能なんて……」
「いえいえ、間違いありません……まさかアレを使ってあのような反応を引き起こすとは……ヒヒッ。才能の塊ですねぇ。よければ私も
山岸さんには途中が聞こえなかったようだが、先生が言ってるのは絶対に料理の才能じゃない!
「先生、山岸さん……」
「なあに?」
「料理は……俺が……」
「なるほど。確かに私が常に教えることはできませんね。交代で教える事にしましょうか」
そうじゃない、っ!
一段と強い眠気の波が俺を襲う。
「葉隠君!?」
「落ち着いてください山岸君。摂取量が元々少なかったのか、発見から処置までが早かったおかげか、彼の体に異常は見られません。強いて言えば随分と体力を消耗している様子……完全下校時刻ギリギリまで、このまま休ませてあげましょう」
そんな二人の話を聞きながら、俺の意識は遠ざかっていった。
……
「………………ハッ!?」
ベッドから跳ね起きてから目が覚めた。
何か、悪い夢を見ていた気分だ……と思ったが、すぐにあれは現実だと理解する。
「お目覚めのようですね。体調はどうですか?」
「江戸川先生……体はだるいですが、気分は悪くありません」
「どれどれちょっと目を拝見、脈と血圧も測っておきましょう」
また江戸川先生の検査が始まった。
「そういえば……先生、俺はどれくらい寝てました? あと山岸さんは?」
「山岸さんなら寮に帰しました。つい先ほど七時を過ぎましたからねぇ。他の運動部もぼちぼち練習を終えて帰る時間です」
結構寝たなと考えながら血圧計を用意する先生を眺めていると、先生があさっていた棚の中には他にも医療器具のような物が見える。
「……すごい器具ですね。病院みたいだ」
「ヒヒヒ。その通り、器具はどれも本物の病院で使われている物と同じです。ガーゼなどは保健室から持ってきていますが、私の私物もありますね」
「へぇ、そういうのは個人で買える物なんですか?」
「物によりますが、困らない程度に揃えられます。私、昔はとある大学病院で内科医をしていましたし、独立して開業を考えていた時期もありますから。そのあたりのツテもあります」
「先生、医師免許持ってたんですか!?」
「ヒヒヒ……勤務医でしたからね、当然です。しかし養護教論になるために必要な免許は“養護教論免許”。私のように医師免許も併せ持つ例は珍しいでしょうねぇ……ちなみに医師免許だけでなく、スポーツドクターの資格も持っています。伊達に歳を重ねていませんよ。ヒッヒッヒ」
衝撃的な事実が今明かされた気がする……江戸川先生、なにげにハイスペックだった。
「驚きましたか?」
「とても……どうして養護教論に?」
「勤務医という仕事は、とても忙しいのですよ。趣味の研究もできず体を壊してしまうくらいに。どこの職場でも同じでしょうが、人間関係も複雑ですしね……ヒヒッ。腕を出してください」
言われた通りに右腕を出して先生に血圧を測られていると、だんだん先生の表情が難しい顔になっていく。
「何かありましたか?」
「逆です。私が山岸君に呼ばれて気絶した君を見つけたときからそうなのですが、意識レベル以外のバイタルサインは安定していますし、どこにも異常は見られませんでした。君の体はいたって健康体のようです。
しかし君が気を失っていたのは事実。それも呼びかけても手足を刺激しても反応がなかった……何か突然意識を失うような持病は持っていませんか? 些細な事でも異常を感じていたら教えてください」
「ありません。体がだるいくらいです」
体に異常がないのは、きっとポズムディが効いたからだ。
体のだるさもペルソナを使った時の疲労感だし……
「体のだるさ……ちょっと手足とおなかを触りますね」
先生が何かを確認している。
「……やはり。筋肉や内臓にそれほど疲労はみられませんねぇ……もしや……」
「先生?」
「影虎君。少々時間を貰えますか?」
……
…………
………………
夜 ポロニアンモール近くの駐車場
「さぁ、行きましょう」
時間をくれと言ってきた先生に連れられ、ここまでやってきた。
先生は俺があのまま帰っても問題ないと判断したものの、気がかりな点があったらしい。
言わずもがな、先生にとっては原因不明の昏倒と倦怠感。
俺としては原因も分かっているし、倦怠感も耐えられる程度だ。
しかし時間はもう下校時刻になっていた事もあり、車で送ってもらえることになった。
そしてその途中寄り道をしていく事になり、到着したのは以前にも来たアクセサリーショップ、Be Blue V。
なんでもあの魔女っぽいオーナーはスピリチュアル・ヒーリング(心霊治療)の心得があるそうで、彼女なら俺の症状を改善できるかもしれないとのこと。
ゲームではヒーリングショップで体調を改善させるお店だったし、可能性はありそうだ。
「いらっしゃいませー」
「こちらのオーナーにお会いしたいのですが。江戸川でアポイントをとってあります」
「こちらへどうぞー」
店内にまばらにいる女性客から奇異の視線が送られてくるが、先生は意に介さずカウンターに立っていた一人の若い女性店員に用件を伝えると速やかに奥へ通され、ほどなくしてオーナーさんがやってきた。ごく普通の挨拶を交わすと、オーナーが話を切り出す。
「挨拶も済んだことですし……葉隠君、私の隣に座って背を向けてもらえるかしら?」
言われた通りにすると、オーナーは俺の背中に手をあててくる。
ノコノコついてきたはいいが、どうなるんだろうか? 無言の時間が続いている……
「そんなに緊張しなくていいわ。まずはおしゃべりでもして気を楽にしましょうか」
「はい……」
戸惑いもつかの間、一つ話題を見つけた。
「そういえば先日はありがとうございました。いただいたラックバンド、とても良い物でした」
「あら、そう言ってもらえると嬉しいわ」
「あれと似たような物は他にもあるんですか? それか、もっと効果の高いものですとか」
「ええ、あるわ。似たような物も、効果の高いものも、ね……ウフフ……今もってくるわ」
オーナーは笑みを深めて頷くと止めるまもなく部屋を出て、四個のアクセサリーを持って戻ってきた。
次々と目の前に並べられるそれらは全て、俺が貰ったラックバンドと同じくパワーストーンを繋げて作られたブレスレットで、どれもアクセサリーを構成する石のどれかにルーンという北欧で使われていた文字が一文字ずつ彫りこまれている。
「商品名は左からパワーバンド、マジックバンド、ガードバンド、スピードバンド。健康、勉学、交通安全、仕事のお守りをかねたアクセサリーよ。そして……」
最後に取り出されたのはラックバンドと似ているが、文字が一つ増えている。
「貴方にあげたラックバンドと同じ幸運のお守り。だけどより強い力を持つメガラックバンドよ」
「……手に取ってみても?」
「ええ、どうぞ」
左から全てのアクセサリーのルーン文字に目を通す。
ウル、アンスール、エオロー、ラド……メガラックバンドはギューフとウル……力強さを表すウルが増えてるな……」
「あら……フフフッ、貴方ルーンが読めるのね」
「! 口に出ていましたか?」
「ええ。それより、読めるのね?」
「……以前、江戸川先生からルーン魔術入門と言う本を頂きまして」
「おや、あの本をちゃんと読んでくれていたんですねぇ」
それは俺が山岸さんと桐条先輩にインチキ占いをした後で、タロットの本と一緒に頂いた中の一冊だ。始めはそれほど読むつもりはなかったが、一度中身を軽く覗いた時に見たルーン文字がタルタロスで効果のあるラックバンドに掘り込まれていたのに気づいてからは割とマジで読んでいる。本当に入門書のようで非常に分かりやすいので、読むのをやめる気にならなかったというのもあり、ちょくちょく読んでいる。前に博物館で読もうとしたのもその本。
その甲斐あってか、ルーン文字とその意味くらいは分かるのだ。
「どれくらい知識があるのか、教えてもらってもいいかしら?」
他人に魔術の話をするのは若干抵抗があるが、既にオーナーと江戸川先生は不気味な笑顔で聞く態勢に入っている。
こうなったら仕方ないと、俺は覚悟を決めて答えた。
本に書かれていた“ルーン魔術”を説明するには、まず“ルーン”と言うものが何かを説明しなくてはならない。
ルーンとは古代、北欧のゲルマン人が用いた古い文字であり、日常から儀式まで様々な場面で使われていたとされているアルファベットのようなもの。地域や年代によって多少増減することもあるが、基本は全部で二十四文字。アルファベットが文字の初めであるa、bの読みからアルファベットと名づけられたように、ルーン文字のアルファベットはフサルクと呼ばれる。
ルーンには一文字ずつにタロットと同じように意味が複数あり、それが占いやルーン魔術に使われる。
占い方はタロットとほぼ同じ。正位置や逆位置といった概念が無く意味の読み取りは難しくなると言われているが、近年はタロットと同様に正逆を取り入れる事も珍しくなく、占いにおいての差異はほとんど無いようだ。
次にルーン魔術だが、俺の印象としては“げんかつぎ”や“おまじない”のような内容である。本に載っていた使い方も非常に単純で、やろうと思えばいつでも実行できるだろう。
具体的な方法は全部で四つ。
一つめは、自分の願いやそれに関係するルーンを選び、何かに書き記す方法。
これが一番簡単な方法で、他の三つも何かに書くという点は変わらない。
二つめは、ルーンを用いて当時の言葉で願いを書き表す方法。
これは当時の言語が完全に解読されていないためほぼ不可能。
幾つかは判明している単語を除くと実行できない。
そこで出てくるのが三つめ、ルーン文字にアルファベットを対応させて英語で書く方法。
英語で書くと言ったが、実際は文字を対応させられるなら何語でも可。
とにかくルーン文字を使って、意味が分かるように書ければいい。
個人的に英語が一番やりやすそうだと感じた。
さらに四つめは、複数のルーンを組み合わせオリジナルのルーンを作ってしまう方法。
これはバインドルーンと呼ばれ、文字を組み合わせることでその意味も組み合わせる。
そうやって望みの意味を表すルーンを
ルーン魔術はとにかく単純かつ自由度が高い。
そしてそのどれかを実行したら、あとは書いたルーン文字を持って祈る事によりパワーを注入して持ち歩くだけ。ゲルマン人は木片や石にルーンを刻んでお守りとして持ち歩いたそうな。
「……こんなところです」
俺が話し終わると、二人は何度も頷いている。
その顔はとても満足そうで……というか話しているうちにどんどん機嫌が良くなっていた。
やっぱ江戸川先生とその仲間だ、静かに笑みを深める喜び方がよく似ている。
「フフフ……基本はちゃんと理解できているのね。流石は江戸川さんが連れてきた子だわ」
「いえいえ、私は本というきっかけを与えただけですよ。ヒッヒッヒ」
二人の話は、完全に俺がそっち側に踏み込んでるように聞こえ…………客観的に見たら踏み込んでるじゃないか……
自分の行動を省みて衝撃を受ける俺をよそに大人二人は笑っている。
だが、ここでオーナーから衝撃の言葉が飛び出した。
「葉隠君、もしかして貴方……
魔術を使おうとしなかったかしら?」
影虎は生き延びた!
しかし江戸川が山岸風花に何かを教えようとしている……
影虎はルーン魔術の基礎知識を得ていた!
作者が描写し忘れて唐突だ!
次回、天田の入部前日(後編)