4月30日(水) 放課後
~部室~
「改めまして、天田乾です! 葉隠先輩、山岸先輩、江戸川先生。今日からよろしくお願いします!」
とうとうこの日がやってきた。授業が終わったら急いで部室へ。
同じ事を考えていた山岸さんと江戸川先生の二人と図らずも合流して部室に来ると、もう既に天田が来て待っていた。
待たせたかと聞けばそうでもないと答えたが、小等部の授業は何時に終わるのかと聞けば三時半くらいに終わると答える天田。しかし高等部は三時四十五分までかかり、今はもう四時に近い。
「待ってないとか言っといて、約三十分待ってるじゃないか」
「それは、その……」
「待ち時間はまだいいとしても、これじゃ雨の日とか困らないかな?」
「ヒヒヒ、何か考えておきましょう。まずは中へ」
「それもそうですね」
俺たちは元気な挨拶をした天田少年を迎え入れ、まずは部室を案内する。
と言っても紹介する場所なんてほんの少ししかないが。
「ここが天田君が使う部屋ね」
「すごいですね……高等部の部活って一人一人に個室が用意されてるんだ」
「あ、天田君、それは違うの。この部が特別って言うか、隔離されてるって言うか」
「隔離?」
「他所じゃまず無いと思うけど、うちは部員が少なすぎて部屋が余っているから有効活用しているだけさー。着替えて早速練習に入ろう。
小等部の寮の門限は五時半だろ? 考えてみたら一日二時間くらいしか練習時間ないぞ」
「そうでした! 早速着替えます!」
「昨日買った防具は部屋に置いてあるけど、まだ着けなくていいからなー」
部室の異常性はうやむやにして、俺は天田に準備をするよう促した。
……
…………
………………
「よーし、着替え終わったな?」
部室の前に、半袖半ズボンの体操服に着替えた天田と、ジャージを着ている山岸さんが並んでいる。
「今日の練習メニューはまず準備体操と柔軟の後でランニング。それから防具をつけて軽くパルクールの基本技をやってみよう」
「はいっ!」
「ランニングまでは私もやるね」
「俺も初めは様子を見ながらやるから」
こうして練習がはじまると……
「うん、しょっ!」
「いたたたたたっ!」
「あっ、ごめんね」
「山岸さん、背中に力をかけるのはもっとゆっくりでいい。それから天田、無理はしなくていいけど柔軟はしっかりやらないと怪我のリスクが高くなるからな。多少は我慢だ」
「はいっ、ていうか……先輩、体柔らかいですね」
「お腹までぴったり地面についてる……」
「まぁ、パルクールやって長いからね。格闘技でも柔軟性とか大事だし」
「! 山岸先輩、もう一度お願いします!」
「わかった。いくよ?」
「~~~~~~~!」
寮では部屋にこもりがちだったからか、天田の体がちょっと固めなことや
「1、2! 1、2!」
「1、2! 1、2!」
「1……2……」
山岸さんは日々歩き回っていた天田よりも体力が無いことが分かってきた。
「よーし、休憩!」
俺が宣言すると、二人は足を止めて乱れた呼吸を整えようとする。
そこに担いでいた荷物の中から、二人分のスポーツドリンクが入ったボトルを差し出す。
「はい、二人とも水分補給はしっかりな。あと、息を整えるときはいきなり足を止めるんじゃなくて歩きながらのほうがいい。向こうの木陰まで歩こう」
「あれっ? あんた葉隠?」
二人のほうに向いていると、聞きなれない声で名前を呼ばれた。誰かと思って振り返れば……
「! 鳥海先生、ですよね? 現国の」
「あら? アンタ私のこと知ってんの? アタシ一年の授業受け持ってないのに」
「ええ、まぁ、美人教師で有名って騒いでる奴がクラスに居るんで」
「えっ、ちょっとそれマジ? 美人で喜んでいいんだか、面倒の元で悪いんだか」
「ははは……」
鳥海先生は来年、原作主人公の担任教師になるはずだけど、何やってるんだろう?
男子生徒を数人つれているが、全員疲れて……というか
「順平?」
「順平さん」
「おぅ、影虎か……それに天田っちじゃん……?」
「どうしたんだよ? その様子」
「学習資料の整理をしたから、当分使わないものを専用の倉庫に移す事になってね。その手伝いを頼んだらこうなったの。まったく、だらしないんだから」
「違うでしょ! 鳥海センセー人使いが荒いからでしょ!? 暇してた俺に困ったなー、困ったなーって聞こえるように何度も声かけてきて! 最後は嫌がる俺たちに無理やりっ!」
わざとらしく身を捩ってみせる順平。だが先生は
「キモッ!」
「ひっでえ!?」
「いや、俺から見ても気持ち悪かった」
「影虎まで!?」
「男がそんな仕草したら当然でしょうが。そういうのはアタシみたいなか弱い女性が」
「か弱い?」
「鳥海先生ってか弱いか?」
「ないだろ、普通に考えて」
「ちょっとそこ! 何でそこに疑問を挟むのよ? アタシだって女よ!? か弱いわよ! 一人であんな量の荷物運べないくらい! 江古田の分まで押し付けられなきゃ自分で運び込んでたわよ! なによあいつ、若いんだから運べるでしょうって、断れないじゃない! 断ったら若くないって言うようなもんだし……」
「やっべ、聞こえてた……」
「せ、先生! 仕事はもう終わったしょ? 俺らもう帰りますんで!」
「失礼しまーす!」
順平と鳥海先生の会話を疲れた目と体で眺めていた順平以外の男子生徒が失言をし、機敏な動きで逃げていった。
「まったく! アタシだって好きでこんなんなったんじゃねーっての! ……はぁ……あー、伊織?」
「はい? なんざんしょ?」
「アンタももう帰っていーわよ。あいつらが言ったようにアンタの仕事はもうないしね。あたしももう行くけど……そうだ、葉隠君」
「俺ですか?」
「アンタ教員の間じゃ有名だから、不祥事とか起こすと面倒よ。気をつけなさい」
「えっ、何か悪い噂が?」
「悪い噂、ではないと思う。けどどうなのかしら…………強く生きて」
「励まされた!?」
「んじゃアタシ行くから」
鳥海先生は言うだけ言って立ち去った。
「……なんなんださっきの励ましの言葉」
「影虎が有名なのは今に始まったことじゃねーけどな」
「そうなのか!?」
「葉隠君って江戸川先生との事で学内ネット掲示板の話題になってるから。今年最初の江戸川先生の被害者で、運動部の有望そうな新入生名簿にも名前が載ってたし、部活動の設立とか、桐条先輩と話したとか。掲示板見ると結構名前が出てるんだよね」
「あっ、運動部のページなら僕も見ました。先輩って50m走で6秒切れるんですよね? 掲示板とか見ないんですか?」
「ニュースみたいな外からの情報収集はするけど、学内の掲示板はみてないな……」
一度か二度話題になっただけじゃ済まなかったのか……だったら今度チェックしてみるか。自分の話とかあまり見たくない気もするけど。
「影虎ー、フツーに話してたけどその二人って?」
「ん? ああ、うちの部の新入部員。天田は知ってると思うけど、山岸さんは初対面だよな? こちらマネージャーの山岸さん。山岸さん、こっちはクラスメイトの」
「伊織順平! 山岸さんよろしくぅ!」
「は、はい! よろしくお願いしますっ!」
「うんうん、よろしくよろしく……で、影虎ちょっと」
面倒くさそうな匂いがプンプンする手招きで呼ばれ、二人から離れると順平が思い切り肩を組んでくる。
「影虎、あの子前にお前が呼び出してた子じゃんかよ。会ってみたら声ちっさくて可愛らしい子じゃんか。マネージャーに引き込むなんてどうやったんだよ?」
「そのニヤけた笑いをやめてくれ。山岸さんはそんな関係じゃない」
山岸さんの入部は俺としても想定外だったんだ。
「……順平、天田の事情は聞いてるな?」
「はっ? 聞いてるけど、何で急にその話?」
「山岸さんが入部した理由はそれなんだよ。たまたま事情を知って、天田君が入部するなら自分も入部して力になってあげたいって」
「あー……そういうこと?」
「そういうことだ。だからあまり邪推しないでやってくれ。俺だけならまだいいが、下手な噂が立つと山岸さんの負担になるかもしれない」
「……わかった。カワイイ女の子の迷惑になりたくねーしな。ただ、手を出したらちゃんと言えよ?」
「なんで!?」
「そういうことになったらなったで知りてーし。散々からかってやるこのラッキーボーイめ!」
なんて嫌な事を……と思っていたら順平は待たせている二人のほうに歩いていく。もう内緒話は終わりのようだ。
「おーっす。待たせてごめんなー」
「いえ、べつに。お話終わった?」
「丁度休憩でしたから」
「そっか、バッチリ話は終わったぜ。それより、これから三人はどうすんの?」
聞いた順平が二人を見て、二人が俺を見る。
「そうだな……天田の門限もあるし、パルクールの技の実演と練習に入るか」
「本当ですか!」
「あ、オレッチ暇だし、ちょっと練習見ていいか?」
「別に構わないぞ?」
こうして俺は三人を連れ、目をつけておいた基本技の説明がしやすそうな場所へ向かった。
~月光館学園 高等部校舎裏~
「綺麗……」
「へー、こんなとこあったんだ」
「ここで練習するんですね?」
高等部校舎の外を回り、三人を高等部の校舎裏まで連れてきた。
校舎裏というと暗くて人目につかず、いじめやカツアゲに使われていそうなイメージがあるがここは裏門の外。
この学園は埋め立てて作られた人工島の上に建っていて、さらに各校舎は海を背にしている。そのため遮蔽物の少ないここは日光がよく当たり、海から爽やかな潮風が吹き抜けている。風力発電のために立ち並ぶ風車や、光を受けて輝く海の光景も綺麗だ。
もう少し進むと景色を楽しむために作られた高台があり、そこに蛇行した階段や壁がある。何より高台の意味がないとも思うが、人がいないので練習がしやすいランニング中に見つけた穴場だ。
「最初は軽く説明しながら実演するから、まず天田はそこに座って防具を着けながら見ていてくれ」
俺が高台の階段を指してそう言うと、天田を中心に三人が階段に座る。
「まず、パルクールの基本となる動きは全部で五つ。ヴォルト、バランス、ランディング、プレシジョン、クライムアップ。基本だから理解できないほど難しい事はないし、もうこの時点でどんなものか大体想像もつくだろう。だけどとりあえず一つずつ見せる。
まずはヴォルト。これは簡単に言うと物を乗り越える技だ。こんなふうに」
階段の前に設置された、公園にもあるような車止めの上に両手をついてジャンプ。両足で飛び越えて反対側へ着地。
「今のはトゥーハンド・ヴォルトって言う技だけど、技の名前は正直あまり気にしなくていいと思う。ヴォルトは基本だけに技の数とか凄く多いから。たとえば……こんな感じで加速をつけて片手だけついて飛び越えるとレイジー・ヴォルトって技になったり。小さな差でも名前が違うから、練習しながらおいおい覚えていけばいい」
ここまではいいかと天田を見れば、いい返事をして肘当てをつけている。
「なら次はバランス。これは分かると思うけど」
俺は細い車止めの上に飛び乗る。
「こういう細い場所の上でもバランスをとる事。平均台と似たような物と考えてほしい。ただパルクールではこんな風に丸かったり、細かったりしてもバランスをとれるように練習する」
「それ簡単に見えて難しくね?」
「難しいけどしっかりバランス感覚を養っておかないと難しい技はできないし、なにより危険が増す。でもこれを鍛えると綱渡りだってできる」
「影虎は綱渡りできんの?」
「綱渡りだけじゃなく、大きくて頑丈な玉があれば玉乗りもできる」
「マジで!?」
「実家の近くに近所にサーカスで働いてる人がいて、中学のときに一日だけ体験させてもらったことがあるからな。綱渡りも最初からあんな高いところでやるんじゃなく、この車止めくらいの高さに張った綱に乗ってバランスをとる練習するんだそうだ。で、それで動きを身に付けたら高いところで練習する。
下での練習の結果を高さの恐怖心に打ち勝って全て出し切れれば綱渡りはできるらしいよ。俺は低い所の練習だけやらせてもらったけど、綱の弛みに気をつければそんなに難しくもなかった。パルクールでバランス感覚を養っていたからか、五回か六回で成功したし。って、こんな話どうでもいい。次はランディング」
車止めからやや前傾姿勢で飛び降りる。
「こんな感じで膝や手足で衝撃を逃がし、高いところからでも安全に着地する練習。パルクールでは普通の陸上競技より高い所から飛び降りることが多いからとても重要になる」
「葉隠君。動画サイトで見たんだけど、飛び降りて前に転がるのもランディングなの?」
「それはロール。ランディングだけで衝撃を逃がしきれない場合に使う技だから、まだそこまではやらない。今回は割愛ってことで、まずはこの高さでヴォルト、バランス、ランディングの三つを鍛えようと思ってる」
山岸さんは自主的に勉強しようとしたみたいだけど、それが必要になる高さでの練習は当分先になるな。
この後も俺は続けて狙った場所へ正確に着地するプレシジョンと、壁などを登るクライムアップを説明。そして練習の注意点と防具の装着確認の後、天田の門限まで実際の練習を行うのだった。
天田が正式に部員になった!
影虎はパルクールの基本を指導した!