6月7日 夜
~巌戸台分寮 ロビー~
「やあ、桐条君」
「理事長。お疲れ様です」
「君こそお疲れ様。どうだった? 体力測定大会は」
「なかなか大変でしたよ、明彦のお守りが」
「あっはっは! でも、彼に良いライバルができたんだろう?」
「明彦が一方的にそう見ているだけですが、耳がお早い」
「理事長たるもの、常に学園のことに気を配っているのさ。……まぁ、これに関してはさっき外で本人に会って聞いたんだけど。でもずいぶんと良い記録を残したそうじゃないか。真田君と、
記録の集計をした教員から僕たち理事会まで、テレビ出演の最有力候補として名前が挙がってきたよ。事実、おそらく出演は葉隠君になるだろう」
「明彦は一度断ったからだとしても、他によい成績を残した生徒は大勢いたと思いますが。それを抑えて?」
「学校の代表として出演するわけだからね。いくら優れた身体能力を持っていても素行の悪い生徒には任せられないだろう? それに学校として重視すべきは生徒の成績だ。テレビ出演は生徒から少なからず時間を奪い、負担をかけるだろうから勉強に余裕のある生徒が望ましい。その点彼は中間試験で全教科満点の学年一位という素晴らしい結果を残している。
体力測定は要素のひとつに過ぎないということだね。素行も少し噂を聞くけど良い噂もあるし……桐条君から見て、彼はどうだい? 今日の様子とか……真田君に敵意を持っていた、という話も耳にしたのだけれど」
桐条はそれを聞いて苦笑を漏らした。
「彼は明彦の食べ方が気に入らないそうで」
「食べ……なんだって?」
何の関係があるのかと、幾月は自分の耳を疑う。
「彼の親戚がラーメン屋を経営している事はご存知ですか?」
「知っているけど……それが関係あるのかい?」
「明彦はその近辺の飲食店をよく利用していて、彼の親戚の店も例外ではありません。そこから“店の料理にプロテインをかけて食べる男がいる”それが“真田明彦”だと聞き、せっかく作ったラーメンの味を悪くするのが許せないと、以前から良い印象を持っていなかったそうです」
「それは荒垣君もよく言っていたのを憶えているよ。でもまさかそんな事で?」
「葉隠も他人の、それも店に来る客の事に口出しをしていいものかと黙っていたと、私が昼食時に直接聞いたら答えました。
午後も午前よりは落ち着いた様子でしたが、また張り合いになっています。その後の彼が行動を恥じる様子も見てとれたので、本人は無意識のようです。反りが合わないのかもしれません」
「ふぅん……まぁ君たちは多感な時期だからね、そういう相手の一人や二人はいるか。それに真田君は楽しんでいたみたいだし」
「だから余計に……ですが普段はそれほど問題のある生徒ではありませんし、少なくとも私は彼を好ましいと感じます」
「おや? 桐条君にも春が来たのかな?」
からかうような幾月の言葉に、桐条は優しげに、少しだけ悲しげに微笑む。
「ご冗談を、私には許婚がいます。色恋ではなく友人という意味ですよ」
「ははは、ごめんごめん。君がそんなことを言うのは珍しいから、ついね」
「まったく」
「詳しく聞いていいかな?」
「……明彦や荒垣に近いのでしょうか? 彼は私を慕ってくれる生徒のように過度な期待や崇拝をしない。しかし必要以上になれなれしく、友人以上の関係になろうと踏み込んでくることもない。この距離感が私には心地良いのではないかと。
それに、彼とは話していても楽で、彼が持ってくる物にははずれがありません。例えば今日の昼食の海苔弁当は非常にシンプルでしたが、海苔とお米、間に挟まれた鰹節の味がしっかりと出ていて美味しかったですね」
「……彼、君にのり弁を食べさせたのかい?」
「恥ずかしながら、いざ選ぶ段階で迷ってしまい、彼に任せました」
「それでのり弁を選択する勇気がすごいね……美味しいけど。桐条君にとっては“普通”が“特別”ということか」
「彼もそのあたりの事を理解して、私に合わせているような節がありますね。まだ知り合って間もないというのに」
「ふむ。彼はお節介焼きみたいだし、人のことを察する能力に長けているのかもしれないね。……ありがとう。僕はそろそろ行くとするよ。上で機材のチェックをしているから、何かあったら声をかけてくれたまえ」
そう言って桐条と別れた幾月は作戦室へ入り、鍵をかけた。
「クッ、ククク……いやはや、なんとも予想外の行動をしてくれるね」
学校から、そして直接真田や桐条から話を聞いた幾月は、目論見の成功を確信する。
幾月は今日の大会で桐条と真田が影虎と同じ班になるよう、少しだけ手を加えた。
先日の怪我でより力を求めている真田と、喧嘩に強いという噂のある影虎。
二人が面識を持てば、真田がどう動くかはたやすく想像できた。
大会を利用して面識を持たせれば、あとは勝手に真田から影虎に近づくと幾月は踏む。
その結果、影虎を通じて真田や桐条と天田が親しくなればそれはそれで都合が良い。
影虎と天田がこれ以上親しくなる邪魔になっても、
何も起こらずとも困りはしない。元より保険として手を打ったに過ぎないから。
(しかし彼が真田君と対等に競えるだけの身体能力を持っていたとは……)
幾月にとって誤算だったのは、影虎の身体能力の高さ。
機材の整備のために持ち込んだ荷物から一枚の紙を取り出す幾月。
(成績は真田君とほぼ互角。握力やハンドボール投げといった腕力は真田君、脚力にかかわる種目は葉隠君の方が優れている。元々候補者だった真田君と競い合えているのだから、学園代表として十分に通用するね。他の理事も、彼の体力と身体能力には文句をつけなかった。
ここまでは期待してなかったんだけど……こんなに良い素材ならもっと早く、できれば実験体として会いたかったよ)
幾月の口元が緩んだ。
(わざわざ落とすのも不自然だ、ここは素直に応援してあげるとしよ……!!)
幾月は唐突に呟く。
「テレビで彼を見て、
ん~観客のオーディエンスと日本語の応援するをかけたけど、ちょっと苦しいかな? いや、でもこれはなかなか。せっかくだし一度葉隠君に聞いてもらって……」
それ以降、しばらく作戦室では寒いダジャレが生まれ続けた。
……
…………
………………
同時刻
~男子寮・自室~
「ッ! ……何だ?」
急な寒気に作業の手を止める影虎。
「……気のせいか。しかしやっぱりこれ貧乏くさいなぁ……」
影虎の手にはルーンを刻んだ石に穴を開け、紐で纏めたネックレスがある。
しかしそれはただの石と、引越しで余っていた荷造り用の紐で作られていた。
ルーンを除けばまるで幼稚園児の工作。おままごとの小道具並みの代物だ。
アクセサリーとしては絶対に値段はつかないだろう。もちろん無価値という意味で。
「ま、試作品だしな。これにて“ルーンストーンネックレス”、完成!」
安直な名をつけられた粗末なネックレスには石が六つ。等間隔に作られた結び目で固定されている。ルーンはそれぞれ
“ウル”
“エオロー”
“エオー”
“ウル”と“オセル”の
“エオロー”と“オセル”の
“エオー”と“オセル”の
“ウル”は影虎が以前、攻撃力を一瞬だけ五倍程度に強化することに成功したルーン。
同じく“エオロー”は群れで生きる“鹿”を意味するルーンで、“友情”や“守り”の象徴。
“エオー”も“馬”を意味し、そのまま“移動”や“速さ”の象徴になる。
これらに“継承”や“継続”といった意味のある“オセル”を組み合わせ、効果時間の延長を狙った石を影虎はネックレスの部品とした。
「よし、手が空くだけでもだいぶ違う」
取り回しに満足した影虎は、他にも実験用の石を用意する。
反省と自己嫌悪で落ち込む気分を振り払うように……