6月14日(日)
朝
「頑張れよ!」
「応援してるぞ!」
「身の程知らず……」
「終わったな」
通りかかる生徒から声をかけられながら寮を出る。
ランニングをしながら。
体調、良し。
気力、充実。
コンディションは良好だ。
「おや、来ましたね」
「おはよう、葉隠君」
「「お疲れ様です! 兄貴!」」
「先輩、調子はどうですか?」
学校に着くと、パルクール同好会メンバーが校門前で待っていた。
「皆、来てくれたのか」
「当たり前っすよ!」
「僕たちも部員ってことで、直に見られるって言われたんです」
「当然、応援に来るに決まってますって!」
「あはは……皆気がはやっちゃって、ちょっと早く来すぎちゃった」
「でもその分、控え室の場所などは確認してありますよ。さぁこっちへ」
案内された場所は保健室。
「ヒヒヒ、適当に座ってください。……いえ、着替えたらそっちのベッドで横になってもらえますか? この際ですし、ちょっと体の調子を診ておきましょう」
言われた通りに着替え、試合用のトランクス一丁でうつぶせに寝転がって診察を受ける。
「……………………え~っと……そうだ、葉隠君、ガウンの代わりってどうなった?」
「それなら持ってきたカバンの中、開けて確かめて。あれで良かったのか……ない方がマシかもしれないし」
「わかった」
目のやり場に困っていた山岸さんは、すぐ俺の荷物をあらため始める。
「……えっ? これって……」
「うっわ! すっげぇ!」
「先輩これどうしたんすか! 刺繍とかマジでカッケーっす!」
「僕知ってます、特攻服って言うんですよね?」
「……うちの親父から貰った。どうも特注品らしい」
白地の背中一面に、文字ではなく精巧な黒い虎が刺繍された特攻服。
まさかこれを使う日が来るとは思わなかった……
「失礼する。……むっ、どうした葉隠、まさか故障か? それにそこの服は」
「桐条先輩? すみませんこんな状態で。怪我ではないです。あと特攻服はボクシングガウンの代わりで、ダメですか?」
「ただの診察、試合前の最終確認ですよ。ヒッヒッヒ」
「そうか、ならばそのままでいい。服も君が良いなら構わない。まず紹介させてくれ」
先輩が横にずれると、後ろから男女が三人入ってきた。
……知っている顔ばかりだ。
「やっほー、葉隠君。うはっ! なにこの体!」
「木村さん……」
あいかわらずテンション高いな。
「私、葉隠君の担当になったから、そこんとこよろしくねっ」
「担当?」
「試合前の意気込みとか、そういうの聞きたいの。それからこっちが平賀先輩」
顔立ちが若干幼く見えるけど、間違いない。文化部でコミュを作る先輩だ。
「はじめまして、葉隠です」
「どうも、写真部の平賀です。今日は新聞部の取材協力に…………」
「……平賀先輩?」
「! あっ、ごめん! つい。すごくいい顔色だったから。体調は良さそうだね」
「ヒヒヒ、さすがは大病院の一人息子。顔色で分かりましたか。影虎君、もういいですよ。平賀君も言いましたが、コンディションは整っているようですねぇ」
「ありがとうございます」
最後の一人へ目を向ける。
「彼は今日のレフェリーを務める」
「……荒垣だ」
まさか荒垣先輩がレフェリーとは思わなかった。
しかも服装がいつものロングコートとニット帽ではない。
長袖のレフェリー姿だ。
「この通り無愛想ではあるが、公正な判断のできる男だ」
「お前が葉隠だな? アキが迷惑かけてすまねぇ」
「アキ……」
さてどう答えるか……と悩むと、荒垣先輩は勝手に勘違いをしてくれた。
「お前の対戦相手だ。俺はあいつの……幼馴染ってやつでな。もちろん贔屓をするつもりはねぇ」
この人なら、そうだろう。
「信用させていただきます」
「あ? おう」
「なんだ、随分と素直だな。もう少し何かあるかと思ったんだが」
「先輩はまともな人みたいですし。それに、うちの和田と荒井を桐条先輩に引き渡した方ですよね?」
「……誰だ?」
「俺らっすよ!」
「あの時はあざっした!!」
「荒垣、お前が私に押し付けた二人だ」
「あの時のか!? お前らだいぶ変わったな」
「最初は正直、なに押し付けてんだと思いましたけど、今はもう」
「……葉隠、本当に大丈夫か? やはりいつもと様子が違うぞ」
自覚はある。
けど、不安や緊張ではない。
これまで俺なりに鍛えた体と技がある。
準備期間に体も休めた。
昨日は腹を立てたが、一晩空けて妙に落ち着いている。
感想も淡白というか……まるで自分を含めて客観的に見ているようだ。
ペルソナを使っていないのに。
以前親父に連れて行かれた時とは違う。
けど、同じくらい調子がいい。
再度問題ないことを伝えると桐条先輩はルールや入場の説明をはじめ、さらに木村の取材と撮影も受けて、俺は試合の用意を整えた。
……
…………
………………
昼
十二時まであと十五分というところで召集がかかる。
「いよいよですね」
「ああ」
「大丈夫ですって!」
「兄貴ならやってくれますよ!」
「ヒヒヒ……」
不安そうな天田や山岸さんとは対照的な二人、そしていつも通りの江戸川先生を伴って、俺はボクシング部へと向かう。
すると部が近づくにつれ、廊下に立ち並ぶ男子の姿が増えた。
ボクシング部の部員だろう。
あちらは部員数が多すぎるので、室内に入れるのは一部と聞いている。
少しでもプレッシャーを与えたいのか、彼らはこちらを睨んでいる。
「うう……」
山岸さんには少々きついか。
「大丈夫。こいつらは睨むことしかできないから」
敵意の込められた視線はすべて俺に向いた。
俺への罵声もぼそぼそとつぶやかれている。
しかし、それ以上はない。
きっと生徒会が目を光らせてくれているからだろう。
しかし、逆に言えばそれだけで黙りこんでしまう程度の連中ということになる。
同じボクシング部員でも石見とは違う。
あれは下手をすれば自分の立場を危うくしたはずだ。
「おや」
「……来たか、葉隠」
「真田先輩、今日はよろしくお願いします」
部室の前に立っていた
「以前とは随分違うな。集中したいい顔をしている」
「それはどうも」
「真田先輩、入場準備お願いします!」
目を輝かせた女子生徒が告げ、俺たちを扉から離す。
数秒後。それらしい音楽とアナウンスが扉越しに轟いた。
「残念ながら連勝記録はストップ! しかぁーしっ!!! 試合に出れば無敗のボクサー!!! 真田ァーー!! 明彦ォーーーー!!!」
湧き上がる歓声とともに開かれた扉は、真田と上級生数名が入ってから閉じられる。
「……はい、んじゃ次だからさっさと用意してね」
態度変わりすぎじゃない? この女子。
まぁいいか。
「山岸さん」
「はいっ」
特攻服の上着に袖を通す。
「中間試験、学年一位の秀才にして! 父親は元暴走族との噂あり!! 喧嘩の腕前は父親譲りか!? 空手家としての実力はいまだ未知数! 葉ァー隠ルェー!! 影虎ァーーー!!!!」
先ほどよりもおざなりな歓声を補うように、巻き舌のアナウンスと拍手が
というか、このアナウンス会長がやってたのか。
「おおっと! なんと葉隠君は特攻服でのご登場!! 気合十分といった面持ちだぁ!! そのままリングへ上がります!
えー、なおこの異種格闘技戦の実況と解説は私、
視聴者向けの発言を背中ごしに聞きながら、俺はとうとうリングに立った。
……
…………
………………
「試合は三分一ラウンド、KOか同じラウンドで三回のダウンで負けだ。十二ラウンドで決着がつかなきゃ判定。目、金的、後頭部、延髄を狙った攻撃の禁止。肘、膝、頭突き、あと寝技に関節技の使用禁止。蹴りも含めて打撃は制限なしだ……いいな?」
慣れない様子の荒垣先輩から禁止事項を確認し、同意する。
向こうも同意を示し、拳を構えて向かい合う。
「始めんぞ……………………ファイトッ!!」
宣言に続いてゴングが鳴った。
軽く左拳を脳筋の拳に当てる形だけの挨拶。
そしておたがいに距離をとる。
「これは最初から対照的だ。軽快なステップを踏む真田選手に対し、葉隠選手はどっしりと地に足をつけ、すり足で距離を縮めているっ」
じわりじわりと間合いが詰まる。
…………来た。
「先制攻撃は真田! ……しかし葉隠はこの左ジャブを避ける! 避ける!」
遅い。
DVDの映像よりも遅い。
これはまだ様子見だ。
ならばこちらも手を出してみよう。
ジャブを捌いて逆の手で突く。
「ここで葉隠の反撃ー! しかもこれは皆さんもご覧になったでしょう! 青木君との動画でも最初に使われたあの一撃だ!!」
だが、やっぱり青木と同じようにはいかない。
真田は微塵も慌てる事なく右のグローブで防ぎ、バックステップ。
距離が開いたが、今はこれでいい。
次も。
また次も。
フックやアッパーも
徐々に速度を上げた拳が飛んでくるが、冷静にジャブだけを潰し続ける。
ゴングが第一ラウンドの終わりを告げるまで。
俺の一撃がグローブに突き刺さる度に、真田の雰囲気は若干楽しげなものに変わっていた。
「ヒヒッ、体力はまだありますね?」
「お疲れさまっす!」
「水いりますか?」
コーナーに戻った俺に、セコンドの江戸川先生たちが世話を焼こうとする。
「余裕です。水はまだいい」
「うっす」
椅子に座り、ほとんど使っていない体力の回復に努める。
「第一ラウンドを終え、両者ともにまだ余裕を残している様子です……今のところはどちらが優勢、ということはないですね」
「葉隠が善戦していたように思えたが、違うのか?」
「確かに真田君が攻めこんで、葉隠君が押し返していたから
「……解説役なら初心者でも分かるように説明しろ」
「んー……まず葉隠君が反撃をしていた時。そこで真田君が必ず打っていた“ジャブ”ってパンチは威力よりも速さ重視で、格闘技における“最速の打撃”って呼ばれたりするんだよ。
ただし、さっきも言った通り威力が低い。もちろん当たれば痛いけど、けん制やコンビネーションの起点に使われることが多い。単発の大技だけだと当てにくいから、小さく速い打撃で翻弄しつつ隙を突いてドーン! と一発って感じ」
「葉隠がジャブを封じていたから、真田は押し戻されていたというわけか?」
「それに左ジャブで腕が伸びて、腕を引く前に右を防御に使わせていたから、真田君はすぐに次のパンチを打てない状態だったね。だからすぐに、自分から後ろに下がって防御体勢に入った。まぁ第一ラウンドはお互いに探り合っただけだろうから、本気になったら分からないね」
「なるほど……さすが格闘技オタクだな」
「なんだよぅ、女子が格闘技観戦を趣味にしちゃ悪いのかよぅ……」
よく見てらっしゃる。
付け加えるならリーチの把握と体力の温存も目的だ。
このままの試合運びなら、より激しく動く真田の方が消費は激しい。
本気になるのは次か、その次か。