人身御供はどう生きる?   作:うどん風スープパスタ

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91話 波乱

「うっ……」

 何だったんだ今の光、右目がかすむ。

 兎にも角にも体勢を整え……

 

「ストップ!!」

 

 っ! 荒垣先輩?

 

「葉隠君!」

「影虎君、こちらへ!」

「「兄貴!」」

「先輩!」

「貴様! 何をしている!?」

 

 どうしたんだ? 皆が慌てている。

 桐条先輩まで声を荒げて。

 

「おい葉隠、早く戻れ。出血してんぞ」

 

 出血……? 痛っ

 

 殴られた部分に手をやると、傷口に染みる感覚。

 そしてグローブには血がついていた。

 なるほど、そういうことか……?

 

「影虎君!」

「おっ、とっ」

「こちらへ。治療しますよ!」

 

 江戸川先生に引っ張られて椅子に座ると、黒髪メガネで山岸さんに負けず劣らず気弱そうな女子が詰め寄られていた。

 

「どういうことか説明してもらおう」

「試合中フラッシュの使用は厳禁。そう注意したはずだよね?」

「で、出来心だったんです! 二人が、近くまで来たから良い写真が撮れると思って……でも真田君が劣勢なのを見てたらっ、つい」

 

 そういえばロープの後ろにカメラを持った人がいたような……

 至近距離のフラッシュを受けて、真田のフックを避けそこなったのか。

 右目は血が少し入ったみたいだ。

 

「ふざけるな!! 俺が、俺はそんな事で勝っても嬉しくはない」

「ごめんなさい! ちょっと、悪戯のつもりだったんです!」

「……俺に謝っても仕方がないだろう……葉隠、具合はどうだ?」

 

 愕然としていた真田だが、女子を相手に声を落としたまま、弱弱しく聞いてくる。

 俺は大丈夫だと思うが。

 

「江戸川先生?」

「……正直なところ、微妙ですねぇ」

「なっ!」

「だったら無理せずここまでにしたほうが良いんじゃないか?」

「だよなぁ……ったく、何してくれんだよ」

「おかげで試合が台無しじゃないか」

 

 真田のセコンドからそんな意見が飛び出し、他の取材要員からもしらけた空気が漂う。

 

 試合中止。

 出血が理由であれば、結果は俺の負けになる。

 俺はまだ動ける。

 こんな終わり方があるか!

 

「微妙ってことは、試合を続けられなくはないんですよね」

「葉隠。あまり無理をするんじゃない。ここで無理をして先々で問題が起こったら困るのはお前だぞ? ここは安静にしてだね……」

「試合中の出血なんて、格闘技じゃ珍しくもないでしょう。いちいち大騒ぎすることじゃないですよ。江古田先生」

 

 言葉がいちいち白々しい。部屋の隅で大人しくしていてくれ。

 視線を送ると、江古田は身を震わせて引き下がった。

 

「……いいでしょう。試合続行は可能です。しかし傷がこれ以上大きくなるとドクターストップですよ」

「ありがとうございます」

「だったらこの話はまた後で! 試合を再開するよ! 二人以外はリングから出て! それからもう一度言うけど、試合中のフラッシュ使用は厳禁! それ以外の妨害行為も当然ダメ! いいね?」

「ちょっと会長、それ俺たちにも言ってるんですか?」

「俺らはそんな卑怯な真似しませんって」

「そうっすよ、今のはそこの女子が勝手にやったことでしょう。まさか、俺らがやらせたとか疑ってるんですか?」

「この場にいる全員に、例外なくだよ」

 

 腹に据えかねた様子の会長。

 そして試合は再開されたが……かなり分が悪くなってしまった。

 

「シッ! シッ!」

「! く……」

「またボディーか……葉隠は素人目にも明らかに動きが悪くなったな。出血も目立つ」

「彼の傷は試合中断の一歩手前だったみたいだからね。これ以上傷を大きくするとドクターストップで負けになりかねない。だから顔をがっちり守って、その分ボディーを打たれてる。

 さらに片目に血が入って視界も制限されてるから、相当距離感が掴みにくいはずだよ。ガードで手も出しにくいだろうし、足もうかつに出せない。そんな状態でも思ったより反撃できてる。けど……」

「ハンデを背負ったまま、簡単に倒せるほど真田は甘くないか」

 

 腹立たしいが解説の通りだ。

 水を差されて思うところはあるようだけど、拳の動きには違いが見られない。

 どうすれば

 

「ストップ! ゴングだ」

「……」

 

 試合が止まると疲れが一気に襲ってくる。

 体が、拳が、重くなってきた……

 

 江戸川先生を始めとしたセコンドの三人が世話を焼いてくれるが、一分ではたいした回復が見込めないまま五ラウンドの開戦を告げるゴングが鳴る。

 

「シッ! シッ! シッ!」

「………………」

 

 次々と襲い掛かる拳に耐えながらチャンスを待つ。

 そしてコンビネーションの癖が出た!

 

「がっ!」

 

 横っ面を叩いたはずみに真田のマウスピースが落ちた。

 しかしさらなる追撃には失敗。

 打開策が見つからない。

 

「……どうして戦うんだ?」

「急になんですか」

 

 マウスピースを失った真田が口を開いた。

 

「ふと気になってな。考えてみたら、まともに会話をした事がない」

 

 だからって試合中に話すか?

 格闘技で試合中に挑発してる場面は見たことがあるけどさ。

 余裕か?

 

「最初に会ったとき、俺はお前を試合に誘った。だが気乗りがしない様子で断っていただろう。それが今日はここまで戦い、怪我を負ってもやめようとしない。だから知りたくなった。葉隠がどうして戦うのかが。

 初めは俺を嫌っているからだと思ったんだが、どうも腑に落ちない」

「何がです?」

「俺の人気がどうだと絡んでくる奴はごまんといたが、お前が俺を嫌ってるのはそんなくだらない理由じゃないんじゃないだろう? それくらいは拳を交えれば分かる。

 だが、俺はお前に深い理由で嫌われるおぼえはない。今ならともかく……お前は最初からそうだった。はがくれでの食事が腹に据えかねたのは本心としてもまだ納得できん」

 

 戦う理由が知りたい。

 そう言った真田は、今の自分のあり方に疑問を抱いているのが目に見えた。

 その姿は今まで俺が見た中で最も弱弱しく、そして何よりも……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不快だ。

 

「真田先輩」

「何だ? っ!?」

 

 こちらを認識させてから、顔面をめがけて一撃。

 

「おおっ!? 葉隠選手、これまでと違う力任せの攻撃! ガードされたにもかかわらず、むりやり押し込むように振りぬいた! 真田選手にたたらを踏ませたが……一体どうした!?」

「葉隠?」

「先輩!」

「どうしたんすか?」

「なんか兄貴の様子、変じゃないか?」

「怒ってるみたい、すごく……」

「……」

 

 俺と真田を中心に、ざわめきが周囲に満ちていく。

 

「いまさらかよ……」

「何か気に障ったか」

「これ以上なく、な。今のあんたは見ているだけで気分が悪い」

「……随分と嫌われたもんだ。それがお前の本心か?」

「ちょ、ちょっとお二人さん。これ試合! 試合だからね! 聞いてる!?」

 

 会長が口を挟むが、もう止められない。

 

「真田明彦、あんたが戦うのは“強くなるため”。違うのかよ。……もう二度と、“妹”を亡くした時と同じ後悔をしないために」

 

 俺の言葉を聴いた真田は、目を見開いた。

 

「葉隠、お前どうして」

「……強くなることだけ(・・)に集中してるあんたは興味もないだろうけど、ボクシングで連勝記録を重ね続けた有名人なんだ。ボクシングを始めた理由、目標くらい何度も聞かれただろ」

 

 実際に昔ネットで調べた限り、妹がいたと過去形で書かれていた記事もあった。

 

「……どこかで話したかも知れんが、それがいま何の関係が? 妹を悪く言うようなら、さすがに容赦できんぞ」

 

 肌を刺し貫くような眼光だ。

 雰囲気も急激に冷たくなっていく。

 当然ながら、無神経に触れられたくはないだろうな。

 

「妹さんをけなすつもりはない。俺が気に入らないのはあんただよ、妹を守れなかった兄さ、っ!」

 

 言い切る前に一撃。

 ズシリと重い衝撃が腕に当たる。

 

「訂正しろ葉隠ッ!」

「事実を言ったまで……いや、一箇所訂正がある。あんたは守れなかったんじゃなくて、いまだに何も守れない人だった」

「貴様ァアッ!!!」

 

 逆鱗に触れられた龍の如く、激昂した真田の拳が降り注ぐ。

 

 一つ、二つ、三つと体に着弾していく拳はこれまでよりも速く強い。

 しかし単調だ。傷以外の守りを捨てれば、体は痛むが掻い潜れる!

 

「がっ!」

「……文句があるなら言ってみろ、“今まで何を守ってきたか”」

 

 青木の件、ボクシング部の実態、天田を追い返した事……

 どれも真田は知らなかったんだろう。

 人間であれば、何か知らないことがあっても当然ではある。

 しかし、知らなければ何もできない。

 

「練習熱心、公式戦無敗。立派だよ。だけどそれだけできればもう弱く(・・)は無いだろ!? いまは力だって人望だってあるはずだ!

 知ってるのか? 周囲がどれだけあんたを優遇しているか、自分がどれだけ慕われているか。ボクシング部には純粋にあんたを尊敬して、フェアでいい勝負ができるように、俺に頭を下げに来た奴だっていたんだ。

 だけどあんたは力を求めてばかり……そんなんだから気づけない! 結局何も守れない! 妹さんの話もだ! 当時何があってどれだけ苦しんだか俺は知らないけどな、ただあんたが強くなるための口実にしか聞こえない……っ……キレるならまず何かをやってからこいよ……あんたはもう、何もできなかった頃とは違うだろ!!」

 

 感情ごと言葉を吐き出した所で、第三者の手が割って入る。

 

「ストップ、ゴングだ葉隠。……もういい」

 

 ……伏し目がちな荒垣先輩に気勢を削がれた。

 コーナーへ戻る。

 

「えー……試合が膠着状態に入ったからでしょうか。突如始まった舌戦の剣幕に実況を忘れましたが、これにて五ラウンドが終了!」

「「兄貴!」」

「あぁ」

「随分と怒っていましたねぇ」

「……どうしても我慢ができなくて……試合が終わったら、総スカンを食らう準備をした方がよさそうですね」

「……そうですかねぇ?」

「?」

 

 先生が視線を送った方には真田、と?

 荒垣先輩と桐条先輩がボクシング部員を遠ざけている。

 

「それより影虎君、傷の具合があまりよくありません……次のラウンドまではもたせますが、泣いても笑っても、それ以上は認められません。試合は次のラウンドが最後です。だからなるべく悔いのないように」

 

 それっきり先生は話すことなく、治療に手を尽くしてくれた。

 

 

 

 

 

「セコンドアウト!」

 

 六ラウンドの開始だ。

 

「さぁ第六ラウンドが始まります! ただいま入った情報によりますと、葉隠選手の怪我により試合はこのラウンドが最後となるようです!」

「これが最終ラウンドか……葉隠」

 ……どうしたんだ?

 

 恨み言でも言うつもりかと思いきや、真田の表情は真剣そのもの。

 それだけだ。

 

「先輩方に何か言われたか」

「一言ずつな。それからは邪魔者を追い払って、考える時間をくれた」

 

 冷静かつ芯の通った瞳で俺を見ているが、一分たらずで何があった?

 

「付き合いの短いどころじゃないお前がどうして分かったか知らんが、俺の中にお前の言ったような一面はあった。……だが、はいそうですかと納得もできない。お前に返す言葉も見つからなかった。

 だから考えるのをやめた。今回初めて知った事もあるんだ。お前の言葉はそれと合わせて、時間をかけて考えることにする。今は……お前を倒すことだけを考えさせてもらう。力が欲しい、強い相手と戦いたい、そして勝ちたい。それ()俺だ」

 

 メンタルが強いというか、図太いと言うか……

 方向性はともかく、迷いを振り切ったようだ。

 

「……なんにしても、いまさらここで話す意味は無さそうだ」

「同感だな」

「五ラウンドで意思までぶつけ合った二人に友情が芽生えたか!? 相手の力量を認め、静かににらみ合うなかで……」

「……ファイト!!」

「第六ラウンド開幕!!」

「―!」

 

 開始と同時に飛び込んでくる真田。

 拳のキレが、これまでと違う! っ

 

「あーっと捕まってしまったぁ!! やはり右目のハンデは大きいか!? 本来の調子を取り戻した……いや! それ以上にノッてきた真田選手の攻撃に耐え続ける!」

 

 くっ……打たれてまた血が出てきた……右が見えない。

 この目が見えればもう少しやりやすいのに!

 

 放った拳は空を切る。

 ペルソナ(ドッペルゲンガー)をこっそり使えば周辺把握も使えるが……それをやったら勝てたところで悔いが残る……!

 

 考えを否定した矢先に、一つの可能性が思い浮かんだ。

 実際に可能かどうかは分からない。

 しかしそれを悠長に考える暇もなく、俺は足を止めた(・・・・・)

 

「なっ!?」

「直撃ぃ!? 痛烈な右ストレートが葉隠の顔面を襲う! しかしどうしたことでしょう? 葉隠選手が自らその場に立ちふさがったような……真田選手も警戒して距離をとりま……おっと? なんでしょうあの左手を突き出した構え、じゃない?」

 

 これはただの確認だ。

 同じように右も確認。

 それから体の左半身をやや前に出し、斜めに構える。

 これで左目の視界に真田の右腕から左肩あたりまでが収まる。

 真田は……動いた。

 

「真田選手、前へ!」

 

 ジャブ、からの、左フック!

 

 後ろに下がった直後、俺の頭があった場所を素通りする拳。

 

「!」

 

 頬をピクリと動かした真田の追撃をかわす。

 

「おっ? おおっ!? どうしたことでしょう! 怪我から苦戦していた葉隠選手の動きが戻ってきた! 右からの攻撃もまるで見えているかのように避け始めました!」

 

 ポイントは“肩”。

 腕全体は視界に入らないが肩は腕に繋がり、その先には拳もある。

 だから肩を見て、腕と拳のある方向を判断できた。

 

 狂った距離感はストレートをあえて受け、一ラウンドの動きで確認。

 そして今の視界に合わせて修正。

 片目が塞がれても、手足の長さが変わったわけじゃない。

 だったら確かな情報を参考に、改めて測ればよかったんだ。

 “距離感”のスキルを習得したように。

 そして肩から得られた情報と修正した距離感を“アナライズ”の要領で統合することで、攻撃の位置を予測できた。

 

 賭けだった。気は抜けない。けど、できた。

 

 汝は我、我は汝。

 それはつまり、ペルソナは俺、俺はペルソナと言える。

 召喚しないと能力は十全に使えないが、日々能力を使って得た経験はある。

 それが実を結んだ!

 

「ぐっ!?」

「なんと足が出た!! しかもガードを無視して真田のこめかみを打ち抜いた!?」

「まるで“ショーテル”だな」

「ショーテル? それは何ですか桐条さん」

「エチオピアの伝統的な刀剣で、大きく歪曲した両刃の刀身が特徴です。その歪曲した刀身で盾を避け、敵を攻撃することを目的として作られたと言われています。

 足の甲での蹴りならばともかく、いまのは足首から先を伸ばしていないつま先での蹴り。明彦は腕で防ごうとしたがために、つま先が頭に届いてしまった」

「誰がこんな展開を予想したでしょうか? 一時は万事休すかと思われた葉隠選手が大・復・活! 土壇場で息を吹き返した!! しかし残り時間は二分を切った! ゴングまでに決着はつくのか!?」

 

 もう時間が無い!

 残る力の全てを振り絞り、一心不乱に戦った。

 そして真田も同じく隙あらば果敢に攻め込む姿勢。

 いつまでも続きそうな戦いだったが……決着の時は来る。

 

 もはや相手の動きしか見えなくなった頃。

 真田の顎を狙う俺の右拳。

 俺へ向かう真田の左拳。

 

 二つの拳が同時に放たれた。 


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