夜
宿題、風呂、食事、すべて終了。
部活と同じくタルタロスも禁止されているので、準備もそれほど必要ない。
今日はどうしよう?
できることは翻訳の仕事か、ルーンストーンの作成。
バイオリンは絶対に弾かないといけないし、今日はもらってきた本が十五冊もある。
全部やるにはさすがに時間が…。こういうときは体がもう一つほしくなるな。
おっと電話だ……
「はいもしもし、母さん?」
『虎ちゃん? 大丈夫なの? 怪我したって聞いたけど』
「平気平気、江戸川先生にすぐ処置してもらったしさ」
『ほら、言っただろ?』
あれ? 父さんの声が聞こえた。
「父さんもそこにいるの?」
『おう! やったな影虎! 俺の言ったとおり頭をぶっ飛ばして正解だったろ? 不良連中はもう大変なんだってな』
『それより怪我よ。あんなに血を流して、もう!』
「? 二人とも、それどこで聞いた? 叔父さんから?」
怪我については叔父さんの店で話したから、連絡が入ったんだと思うけど……
不良については話していないはずだ。
『あー……なんかよ、竜也のやつが忙しくて半端な連絡したみたいでな、雪美がお前のとこのほら、なんつったっけ? 前、駅で会った時に女の子がいただろ?』
「山岸さん?」
『それだそれだ。その山岸って子と連絡先交換してたらしくてそっちに詳しい話を聞いたんだと』
『山岸さんっていい子ね。説明だけじゃなくて、そっちの動画も送ってくれたわ』
何してんの山岸さん……
『まったく……男の子だしうるさくは言わないけど、気をつけなさいね』
「分かってる」
『本当に、あっ、ちょっと……』
『それとな影虎、義兄さんからお前に伝言がある』
伯父さんから? 珍しいな。
『テレビに出るかもしれないんだろ? できればそこで上手くうちの会社を宣伝してくれってさ』
「ああ、そういうこと」
『上手くいったら広報部への内定やら将来の便宜を図るとか言ってたぜ』
「……本気で? 番組一本のごく一部にしか出ないけど」
『桐条のお嬢さまのときみたいに、客連れてくるのを期待してるんだろ。顧客が増えたら会社としちゃ万々歳だし、何よりあの人は冗談言うような人じゃねぇぞ』
そういえばそうだった。
『まぁ、お前は元々義兄さんにも好かれてたし、宣伝効果にもよるだろ。お前がテレビでなにかやって、客が増えたらいい事がある。難しく考えんな、とにかく頑張れってことだ』
「了解」
『んじゃそういうことでな、雪美がうるさくなる前に切るぞ』
『竜』
電話が切られた……本でも読むか。
ラーメン食ったし、今日はこれにしよう。
“The 麺道”を読んでみた。
世界中の麺の種類、元となる小麦や米の品種、産地、製造工程、特徴。
それらの麺を使った代表的な料理などが、イラストと簡単なレシピつきで紹介されている。
厚い本だが、アナライズのおかげで読みきれた。
誰かに教えられそうなほど理解したが……実際に作れるだろうか?
……部活禁止だけど、部室の設備は使っていいよな?
明日も暇だし、やってみよう。
さて、バイオリンは忘れずに弾かないと……
6月16日(火)
放課後
~部室~
「やってるかー?」
「先輩?」
「どうしたんですか?」
「兄貴、しばらく部活禁止っすよね?」
「葉隠君……」
「今日は料理をしにきただけだから。そんな目で見ないでくれ……」
四人の厳しい視線から逃げるように奥で料理の用意を整え、記憶を引き出して手順を確認。
作るのは“タリアテッレ”。地域によっては“フェットチーネ”とも呼ばれるパスタだ。
パスタ麺に使うのは“デュラムセモリナ”という小麦粉が有名だが、これは乾燥パスタを作るときの場合。パスタの本場イタリアで、乾燥パスタはこれと水で作りなさいと決まっている。
しかし生パスタは普通の小麦粉で作られるのが一般的のようなので、俺も普通の小麦粉を使用する。
本に従い卵を練り込むが……
「なかなか難しいな……」
最初は卵が小麦粉の山からこぼれかけたり、危うく大惨事になりかけた。
しかし“The 麺道”の内容は正しかったようだ。
イラストや所々のコツを意識して、やりかけた失敗をしないように麺を打っていると……
「結構いい感じ?」
生地がまとまり、だいぶ形になってきた!
あとはこれをパスタマシン……は無いけど平打ちにして、厚さ一ミリ、幅八ミリのリボン状に切りそろえればいい。
距離感により正確に幅を把握できている。
だが、手元が狂って不揃いになった。
「腕の安定が足りない……?」
失敗から改善点が見えてくる。
失敗と改善を繰り返し、ついに!
「できた!」
“成長の軌跡が見える麺”が完成した!
切り始めと切り終わりに一目瞭然の差が出ている。
次はもっと上手くできるだろう。
……時間的にちょうどいいし、みんなの分も作ろうか?
「おーい、パスタ作ったら食べるか?」
聞いてみると、全員食べるとのことだ。
いつのまにか江戸川先生までいた。
俺を含めて六人分ね。よし!!
その後、六人分の麺を打ち終わるころには最高と思える“綺麗な麺”が完成し、レシピに忠実に作ったソースと合わせて、大絶賛された。
「マジうめぇっす兄貴!」
「麺から作るって大変じゃないですか?」
「そうでもなかったよ」
大変だったのはむしろソースのほうだ。
葉隠君、手伝うよ! って、山岸さんが乱入してきたから……
ちなみに本日は、チョコレートを使って作るソースがあるんだって! と言っていた。
山岸さんが言ってたのはモーレだろう、メキシコの。
とにかく阻止したけど。
そして食後、
「「「「「「ごちそうさまでした」」」」」」
「それじゃ先輩、僕たちお先に失礼します」
「「今日は飯、あざっした!」」
小中学生の三人は、ここで帰宅時間になった。
皿はそのままにさせて、見送る。
「さーて、片付けますか」
「手伝うよ」
「私も皿洗いくらいはしましょうかね」
後片付け。
流石にここでは誰も突拍子もないことはしでかさないようで、安心して任せられる。
「それにしても影虎君は暇を料理に使いましたか……言いつけは守っているようですねぇ。ヒヒッ」
「部活禁止の間は料理か先の用意に使いますよ」
「撮影もありますからねぇ……傷の抜糸は来週月曜を予定しています。そこでまた検査しましょうか」
「よろしくお願いします。ん?」
「あっ」
メールの着信音が鳴った。
しかも俺と山岸さんに、同時に。
中身はカラオケ行くから来ないか? 来るならマンドラゴラで合流な! という簡潔なお誘いだ。
「山岸さんも順平から?」
「うん。どうする?」
「そうだな……」
片付けもあるし……
「二人とも、片づけなら私がやっておきますよ」
「いいんですか?」
「残りくらいならすぐ終わるでしょうし、お友達と過ごすことも大事な人生経験ですねぇ……というのは建前で、本音を言うと少々危ない実験がしたいのですよ。失敗すると有毒ガスが発生する恐れが……ヒヒヒ」
「「……」」
これは、どっちだ?
実験を口実にして遊びにいかせる優しい先生なのか、それとも本当に危ない実験がしたいのか……判別がつかない。念のために避難はしたほうがよさそうだ。
「山岸さん、行こうか」
「うん……」
「それじゃよろしくお願いしますね」
「ヒッヒッヒ……任せなさい」
怪しげに笑う先生を残して、俺たちは足早に部室を立ち去った。
~カラオケ マンドラゴラ~
「……なぜここに」
「俺がいて悪いか?」
先に大部屋に入っていた順平たちと合流したはいいものの……
なぜか真田がいる。
「とりあえずは座るといい」
「二人とも飲み物注文するけど何にする?」
桐条先輩に、西脇さん……集まっているのは中間試験の勉強会メンバーか。
そこに真田が加わったと……なぜ?
「お前には言っただろう? 後輩とちゃんと向き合うと」
「言ってましたね」
「それを実践しようとしたんだ。恥ずかしい話だが、同じ部にいながら顔と名前が一致しないやつが何人もいてな……まずは自己紹介をして、それで親睦も深めようという話になって約束をしたんだ。今度“カラオケに付き合う”と」
「……で?」
「……約束したはいいが、俺はカラオケをしたことがなかった……」
トレーニングばかりだった弊害か。
「なにをどうしたらいいかもわからず、美鶴に相談したんだが」
「あいにく私もこの手の遊びは経験がなくてな。詳しそうな岳羽に連絡をとったら習うより慣れろだと言われたんだ。しかし何も知らない二人では時間を浪費するだけだという結論にいたり、協力を頼んだ」
「それでこうなったと」
そういや勉強会の時に連絡先交換したっけ。
「聞いた話では、君は歌が上手いそうだな? 参考にさせてもらいたい」
まぁここまできて帰る気はないが……実際どれくらい歌えるんだろう?
ということで歌ってもらうと……
「……! ……! ……! ……! ……! ……! ……!」
「おおおおお……」
「これは……」
真田……音痴というほどではないけれど、歌詞を覚えてないから字幕をみて歌が途切れる。おまけに力が入りすぎてうるさい。率直に言うと、下手。
「~~」
「うわ~」
「こっちはこっちですげぇな……」
桐条先輩……声楽を習っていたそうで、普通に上手い。
ただし選曲がオペラや歴史的な名曲ばかり。カラオケというよりコンサートだ。
仲間内でワイワイやる雰囲気にはなりそうにない。
先輩なら当然のこととして受け取られる気もするけど。
「ふぅ……こんなところだが、どうだろうか?」
「遠慮はせずに正直な意見を頼む」
んー……
「とりあえず、二人に共通するのは“最近の歌を知らない”ってことですね」
「あー、わかる。なんつーか、どっちも知らないから歌えないって感じが」
「桐条先輩は上手いけど、オペラってカラオケにあんまり入ってないみたいだしな」
俺に順平と友近が同調する。
「まずそこからか」
「流行歌となると……」
「あんまり難しく考えなくていいと思いますよ? そのへんで流れてる歌とか、テレビで流れたのでもなんでも気に入ったら歌えばいいんですって。下手にマイナーな歌よりハズレがないし……てか桐条先輩の歌唱力なら一度おぼえればだいたい歌えるんじゃないですか?」
「なら、俺はどうだ? 岳羽」
「真田先輩は……う~ん……歌唱力アップとかそんなの意識してカラオケやってないしなぁ……」
「歌唱力より向いた歌……真田先輩なら、大声を出す歌、とか?」
「あっ、岩崎さんそれいいかも!」
「そういう歌ならミヤが得意だよね」
「音程とかよくわかんねーからな」
「得意な歌が五、六曲あれば大丈夫だと思います」
「カラオケって基本的に一人がずっと歌うものじゃないしね~」
高城さんと島田さんの言葉もあり、真田は光が見えてきたようだ。
「とりあえず、みんなの歌を聞いてみたらどうでしょう?」
山岸さんの意見で、普通のカラオケになる。
「あ、先輩。他人の歌も聞くのがマナーですよ。曲選びはほどほどに、事前に歌える歌を用意して、本では番号を見つけるだけにしておくといいです」
「なるほど」
「やはり準備が大切か」
途中で軽くマナーも伝えつつ交代で歌い、やがて順番は一巡り。
「次は誰?」
「最後は山岸さんだな」
「あれ? 曲入ってなくない?」
「ごめんね、ちょっと待って……実は私もカラオケ初めてで……」
「おや、そうだったのか」
「はい……えっと、だれでも知ってる歌がいいんだよね……これなら!」
曲本を手にして悩んでいた彼女は、何か見つけたようで、すばやく機械で入力をすませる。
機械の扱いは流石というべきか、そこだけ見たらとても初めてとは思えない動きだった……
で、肝心の選曲は?
モニターに移っていたのは。
“どんぐりころころ”
「まさかの童謡!?」
「えっ!? ダメだった?」
「あ、いや、ダメじゃないね」
なんだろう? 何かが引っかかるような……
「まぁ珍しいけど、気にすることないんじゃね? それよか始まるぞ」
「あっ」
友近に言われてあわててマイクを持つ山岸さん。
そして彼女の声が、室内に響く。
「お。おお……」
「なんだこの声は……」
「下手じゃないけど、てかむしろ上手いけど……」
怖っ!?
皆の心が一つになった。
独特のウィスパーボイスが童謡のゆったりとした曲調に合わさり、謎の恐怖を演出している……
真剣に歌っている彼女はこちらに気づいていないようで、最後まできっちりと歌い上げた。
「えっと、どうかな?」
「良かっ、たんじゃないかな? ねぇ、友近」
「お、おう!? 理緒の言うとおりだ」
「……本当に? なにか無理してるような……?」
嘘のつけなさそうな岩崎さんと友近の態度に違和感を覚えたらしい。
「いやいや、上手かったよ! 透き通った綺麗な声で、綺麗過ぎてこの世のものじゃない雰囲気が……ね」
「そうそう! 引き込まれる感じがしたよね!」
「え、ええっ!?」
渾身のフォローに島田さんが乗っかってくれた。
嘘は言わず、ほかの皆も同意を示すと、とりあえず落ち込ませないことに成功。
そのまま波風を立てずにその場はやり過ごした。……が。
それから山岸さんは、自分の番がくるたびに童謡を選んで歌うようになっていた。
影虎はThe 麺道を読んだ!
麺の知識を得た!
影虎はパスタ麺がうてるようになった!
影虎はカラオケに行った!
真田は少しずつ前に進もうとしているようだ…