闇夜行   作:b blanche

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出仕と事始

戸口にて、八幡を見送る綾寧が胸の前で小さく手を振る。

 

健気にも見える姿に足が躊躇した。

暫し逡巡した後、男も手を振り歩み出す。

 

 

仕事の時間まで、余裕がある。

女が、気を遣い早めの時間に送りだしてくれた事もあり足取りは軽い。

駅までの道中、女に頼まれた“土産”の事を考え歩く。

 

 

八幡の仕事場は、官庁街を抜けた先にあった。

‟旭清掃”と若干古惚けた看板が掛る建物に入る。

 

 

靴の踵が、階段を叩く。

音が響き上へあがる。

階段を上がりきり建物と同じ様な具合の扉を開け中に入った。

 

毎回、出勤時に名を記入する帳面を開く

自身の名を記入し時間を横に添える。

部屋を見渡す

‟始業”の時間まで、余裕があるので出社している若しくは席に着く人間は少ない。

 

 

八幡は、自身の席に向かう

本人の意向もあり若干、他の人間・部署の人員から席が離れている。

昨日、退社時に見なかった紙が目に入った。

 

(朝から‟呼出し”か……)

 

面倒な事に為らなければ、良い

単純に手間は、厄介だなと考えて紙を片付ける。

 

始業の後、‟面談”かと思い席を立つ。

日課になっている珈琲を呑むため、給湯室に向かう

床の暫く歩くと、前から大き目の影が伸びる。

 

影から声が、掛った。

 

「お、比企谷。おはようさん」 

「……おはよう、……ござい…ます」

 

声を掛けた相手の顔を見て、八幡は憂鬱になる。

厄介事を持ち込む常連の顔を朝から見る羽目になったのだから無理は無い。

 

「おい、おい。んな、嫌そうな顔をすんなよ」

「……いえ。して…ません…よ……」

 

八幡は、男……唐須の言葉にそう返す。

隠し切れていないのは、明白だが……

 

「そう言やよ。旦那が、お前ぇさんを探してたぜ?」

「…あー、知ってます。唐須さんは、部長に会われたんですね……」

 

強面で、背広を着てるがどう見てもその筋の人間にしか見えない。

背広も着ているのでは無く、着られている様に見える。

 

何故か、強面の上司に好かれている八幡は“呼出”の内容を男が知る事を訝しむ

少し考え、理解をした。

 

(そういや、この人……)

 

唐須が、上役と関係が深い事を思い出し内容を共有していても不思議は無いと思い至る。

どこまで話題に上ったか気に掛るが、変に突いて思わぬ災難を蒙るのは御免だと考え八幡は追及をしなかった。

 

「そういやよ。前の飲み屋の姉ちゃんは、結局どうしたんだよ?」

「は?」

「おいおい。は?じゃねーよ」

 

話を変えると人の悪い嗤いを浮かべ、男は八幡の肩に手を廻す

八幡は、露骨に怪訝な声を上げる。

しかし、上下関係が大事なのは、自身の経験から良く理解していた。

 

面倒は、感じながらも質に応える。

 

「…何も無いですよ。……俺の家庭事情知ってますよね?」

「お前ぇさん。…遊ぶって、感覚は無ぇのかい?」

 

真面目な表情で、不貞を唆す。

朝の空気と真逆な話をし

一部で、生真面目過ぎる部下を気に掛けるそぶりも見せるが八幡は、気付かない。

 

「はぁ。…確かに綺麗な人ですけど……俺は、他の人達と同じ様に気を廻せないですよ」

「真面目だねぇ」

「……褒め言葉として受取っておきますよ」

 

少し疲れた顔をしながら男は、告げる。

唐須は、相手の言葉に少し思案すると返す。

 

「お前、来ると女の反応良いからよ…。また、頼むわ」

「たまにでしたら」

「おぅ、よろしくな」

 

男は、八幡の肩を叩くと自身の部署へ消えて行った。

威圧する存在感と逆に男は、非常に部下からの信用が篤い。

八幡も面倒事以外に“身内”からの‟攻撃”から助けられた事もあった。

感謝と警戒……相反する感情を持っている。

それが、現状だった。

 

 

男の姿を見送り、零す。

 

「はぁ、朝からだりぃ」

 

気を抜き愚痴る。

仕事には、なれた……だが、未だ人間の相手=人間関係を上手く熟せない。

適度に気を抜く事も要領良く事を進める事も覚えた。

曾ては、嫌悪すらしていた他人を利用する事も平気で出来る。

表面上は、繕えても本質的な所では一部の例外を除いて‟関係”を嫌う

 

(先が、思いやられる…)

 

朝から調子が、良いとは言えない状況に気が滅入る

この後、会う人間が居た事を思い出し溜息を吐いた。

 

席を外した用事を今更、続けようと思えなくなり自身の席に戻り

始業前ではあるが僅かでも業務を軽くする為、端末を操作し情報の整理・対応中の案件について対策

問題点の整理に取り掛る。

作業を始めて、暫く経ち

始業時間を超えた頃、人の近づいて来る気配に気づいた。

 

(ん?誰だ)

 

気配に気付き、顔を向ける。

八幡の行動に気配の主は、動作を止めた。

 

「何か用です……か?」

「っえ…あ、あの……」

 

主は、八幡の“後輩”にあたる女だった。

手に持つ盆には、湯気を立てる飲み物がある。

自身に対する認識が、未だ改善傾向に無い男は怪訝な空気を纏い問いかけた。

 

「で、何…か?そこ、ずっと立ってんの?」

「比企谷…さん、えっと。これ……を」

 

八幡は、訝しむ目を向けた。

冷えた刃に似た視線

人に向けて良い視線では、無い

女は、視線を受けても動じなかった。

 

「ご迷惑で、無かったらど…うぞ…」

「は?珈琲?俺に…です……か?」

 

自分への善意に驚き女に聞き返す。

不安な表情を浮かべる相手を前に男の残された微かな善意が、湧き

己の責で、女の表情が曇ったと思い呵責に苛まれる。

 

(何だ…?何が、目的……だ)

 

女に対する疑念も同時に生じ困惑する。

自身へ他人の目が向くのは、好ましくない

 

大多数の意見が、結果的に“正論”になり少数を‟悪”と断じる。

自身の人格形成に大きく影響を与えた事象が脳裏に浮かぶ

 

(今の光景を人に見られて…は、何を言われる……か)

 

不確かな事で、困惑の度合は深まる。

態々、場での立場を崩したく無い……

 

仕事に支障が出る…自身の生活に悪影響が出る……

 

この事のみを判断の基準にし場を切り抜けると決めた。

余人の目に留まる前に行動を起こす。

 

「あ、その…ありがとう……ございま…す」

 

八幡は、女にぎこちないながらも感謝を述べる。

女の表情が、喜びを隠せないのか花が咲く様に微笑んだ。

 

「いえ、その……。いつも、珈琲を飲まれていて…

今日は…御手元に無い様でした。それで、良ければ……私が淹れた物で…宜しければど……うぞ」

 

 

女は、恥かしさからか口籠り自身の感情を述べると足早に去って行った。

相手が、癇癪や嫌悪に基づき行動せずに済み

八幡の杞憂は、和らぐ

 

(俺を…‟常時”……見ている)

 

先程、女の口から出た言葉の端々に気が向く

自身の意識、している以上に見られていた事に危惧を持った。

 

(面倒だな…。また、他人の目を気にするのか」

 

心中の吐露した内容が、口から出たのに気付き苦笑いする。

今回は、凌いだが次はどうするか……

 

悩みは、尽きない。

 

 

「美菜~。見てたよ。比企谷さん、受取ってくれたね」

「うん、やった~。でも、緊張し~た~」

「で、で。どうだった。」

「すっっっごい、格好良かった。あんっ、御礼とか言われちゃった」

「無口な印象だけど、礼儀正しいんだ~」

「うん、うん。他の奴とか、『当たり前だ』見たいな顔してるのにね~」

「で、どうすんの休みの日とか聞いて誘うの?」

 

女の会話に色の話は、付きもの

ここでも変わらない。

 

八幡の考えとは、裏腹に彼の女達からの評価は良好だった。

人が、胸中に持つ感情と行動の原理……

全てを理解できる者は、少ない

 

 

(忘れそうになっていたが……)

 

朝から気を使う事が多く、最初に確認した“用件”を忘れかけていた。

一息つき、用向に赴く

 

職員の多く在籍する大部屋を抜け朝でも仄暗い廊下を進む

廊下の突き当たり、場の空気にそぐわない瀟洒な細工の扉に着く。

 

(始業したばかりだし…大丈夫……だよな?)

 

若干、要求の紙面にある時間とあっていないが急な用に応えているのは、こちらである。

自身の責を若干、感じないでは無いが入室の伺いの為

扉を叩いた。

 

「比企谷です。呼出しの件で伺いました」

 

何度か扉を叩いた後、用事を告げる。

少しして、中から間の抜けた声が返ってくる。

 

「は~い、ど~ぞ。」

 

女の様にも聞こえる、良く知る上司の声が聞こえ

八幡は、ゆっくりと扉を開け中に入った。

 

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