少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
といっても、今回はプロローグ程度の内容ですが。
秋といえば読書である。文化の秋、スポーツの秋などとも言われているが、今年だけはそんな言葉を聞きたくない。ここしばらく、文化祭に体育祭と、柄にも無く社蓄のごとく働かされていたため、読みたい本がたまっているのだ。まさに社蓄の秋。秋だけでも心底疲れたのに、これが一年続くとかほんと社会に出たくないなと思いました。
とはいえ、相模の件が片付いて以降は依頼の来ない日が続いていて、放課後の奉仕部部室は読書に適した空間になっている。時折発生する由比ヶ浜と雪ノ下の百合イベント以外は静かなもので、雪ノ下の淹れた紅茶の香りは程よく集中力を上昇させてくれる。ページをめくる音や携帯を操作する音も、慣れてしまえば無音よりもむしろ心地よいとすら言える。
そうして読書に勤しむ俺の意識が、ドアをノックする音によってさえぎられた。
「どうぞ」
雪ノ下は落ち着いた声で言うと、手に持っていた本を閉じた。
また依頼だろうか。俺も中断するべく栞を手に取った。
…材木座だけは来ないで欲しいな。ただでさえ読んでいない本が積んであるというのに、どこぞのラノベをパクった設定資料集もどきを読まされるなど耐えられん。よし、もし原稿を持ってきたら目の前でシュレッダーにかけてやろう。その悔しさをバネに頑張り、良い原稿が書けるようになった人がいたと、漫画家コンビを描いた漫画で言っていた気がする。あいつの場合は心が折れるだけだろうけど。
他に来そうな人というと…戸塚か。戸塚だったらいいな。むしろ戸塚以外は全て拒否するまである。テニス部関係の依頼も大歓迎である。戸塚と二人、コートで汗を流すのもいい。秋といえば、やっぱりスポーツの秋だよね!
「えっと、奉仕部ってここであってますか?」
俺の期待を裏切り、ドアを開ける音と一緒に聞こえてきた声は戸塚のものではなかった。再び本に戻ろうと目線を下げたが、声にどうにも聞き覚えがある。どこで聞いたのかが思い出せず顔を上げると、見たことのある顔がそこにあった。ただし、実際に会ったことがあるわけではない。
「はじめまして、2年の天海春香です。平塚先生の紹介で相談に来まわわ!」
どんがらがっしゃーん
テレビの向こうの住人が、たった数メートル先で、お辞儀の勢いあまって盛大にすっころんだ。
彼女、天海春香はアイドルである。
基本的にアニメと夕食時くらいしかテレビを見ない俺でも、彼女の所属する765プロのアイドルを見かけない日の方が少ない。この一年ほどで爆発的に人気が上がり、今ではCM・雑誌・ポスターなどいたるところに彼女達の姿を確認できる。総勢12名のアイドルの顔と名前は、アイドルに興味が無い人でも覚えてしまっているのではないだろうか。かくいう俺も、真王子、ひいては765プロのファンである小町によって、全員の名前を覚えさせられた。
それくらいの、有名人である。アイドルである。それがなんだって千葉の公立高校に来て、あまつさえ俺が見慣れた制服を見に纏い、挙句の果てに床に寝転んでいるというのか。
「わーっ、春香ちゃん大丈夫!?ていうか、春香ちゃんだよね?すっごい、こけるとこ初めて生で見た!あ、じゃなくて、いやでもまさか来てくれるとは思ってなかったよー!ほらこっち来て、座って、えーと、そうだ、紅茶飲む?」
言いながら、由比ヶ浜は慌ただしく椅子を用意しようとする。
「由比ヶ浜さん、落ち着いて。まずは起こしてあげるべきだと思うわ」
「あそっか、ごめん!」
「いたた…ごめんね、ありがとう」
由比ヶ浜の差し出した手を借りて立ち上がった彼女は、おそらくそっくりさんなどではなく、本物の天海春香である。あの、わざとではないと噂のわざとらしい転びっぷり(小町曰く、あれは本当にわざとではないらしい。根拠は勘だと言っていたが)は、ついこの間テレビで見たものだ。
だからこそ、二人の反応はどうにも引っかかる。雪ノ下は俺よりも芸能に疎そうだから、彼女を知らないとしても納得できるかもしれない。一方の由比ヶ浜が、驚いてはいるものの、どこかずれている気がするのだ。
「…なんかお前ら、リアクション薄くねえか?」
椅子を運ぶ由比ヶ浜と、紅茶の用意を始めた雪ノ下に声をかける。
「そうかな?我ながら、結構騒いじゃったなって反省してるんだけど。ごめんね、春香ちゃん。はいこれ椅子っ」
「そもそも、一言も発さなかったあなたには言われたくないのだけれど」
「俺の話はいい。何で突っ込むところが転んだことに対してなんだよ。アイドルが総武高校に来てるんだぞ?撮影があるとかそういうの、俺聞いてないんだけど」
びっくりしすぎて何も言えなかっただけです!というのは黙っておこう。なんなら口も半開きだった気がするが、見られずに済んだようで何よりだ。
そう、言うならば今の由比ヶ浜のような表情をしてしまっていたのだ……あれガハマさん?どうしてお口が半開きになっていらっしゃるの?ちょっとかわいいからやめてくれませんかね。
「え、ヒッキーそれマジで言ってるの?しんじらんない!」
「あなたに常識があると思ったことは無いけれど、ここまでだとは思わなかったわ、疎ヶ谷くん」
「いやなんで俺が罵倒されるんだよ。なんなの?どっきり?テレビの企画?俺だけ知らされないとか同窓会じゃないんだから」
再び数秒固まった後、由比ヶ浜は深いため息を吐いた。
「ヒッキー、春香ちゃんはうちに通ってるの。うちの生徒ならみんな知ってるよ」
「はぁ?何言ってんのお前。そりゃ確かに千葉に住みたくなる気持ちはわかるが、アイドルなんだから都内に住んでないと不都合あるだろ。タレント事務所なら寮なんかもあるだろうし、千葉にいるデメリットの方がでかい」
詳しくは知らないが、タレントやアイドルといった人々は、都内の私立高校に行くものだろう。いくつかの私立高校は、彼らの仕事に対して寛容であるどころかむしろ歓迎しており、早退や欠席、ひいては単位取得の融通を利かせてくれるらしい。そういったことを除いても、放課後に仕事場と往復する時間を考えれば、都内に住んでいないと大変だろう。
半分あきれて雪ノ下に目をやると、完全にあきれた目つきが帰ってきた。
「確かに彼女は働いているけれど、未成年の女の子よ。私の言えたことではないけれど、家に居て欲しいとご両親が思うのも当然でしょう。大体、千葉県はベッドタウンとして栄えている面もあるの。北西部なら一時間足らず、そうでなくても二時間ほどで都心に到着できるわ」
「ばっかお前、それくらい俺が知らないわけないだろ。ただ言わせて貰うなら、千葉の魅力は東京に近いことよりも、むしろこの半島だけで産業・娯楽全てが揃っているという」
「ヒッキー、話それてる。春香ちゃんひいてるから」
「あはは…先生の言ってた通り、仲いいんだね」
先生とは平塚先生のことだろうか。入ってくる際にも名前が出ていたし、ある程度関わりがあるのだろう。
「仲が良いというのは聞き捨てならないけれど…ともかく、天海さんの話くらい、普通に暮らしていれば嫌でも耳に入ってくるでしょう」
由比ヶ浜に続いて、雪ノ下からも深いため息を頂いてしまった。
「まあでも、無知ヶ谷くんは普通ではなかったわね、ごめんなさい。目だけではなく耳も腐っていたことに、もっと早く気付いてあげるべきだったわ」
この罵倒パターンはよくあるものだが、この場合雪ノ下は優しげに笑みを浮かべるのが常であり、むしろ楽しそうなまでに笑顔になることもある。
それが今回は、心の底からの呆れ顔である。この表情が意味するのは、この場において非常識なのは俺の方だということだろう。ぼっちだからこそ周囲の会話は聞こえている(「聞いている」ではないので盗聴ではない)つもりだったが、これはどうやら俺の聞き耳スキルの熟練度が足りなかったと認めるしかないようだ。
手持ち無沙汰に後ろ手を組むアイドルに視線を戻すと、一瞬目が合ってしまった。反射的に目線をそらしてしまったが、彼女は不快そうな様子は見せず、まぶしい笑顔を作った。
「改めまして。明るく元気に遠距離通勤、2年A組、天海春香!職業はアイドル兼、総武高校生です!」
「総勢12名」に関しては、泣く泣くりっちゃんを亡き者にしました。
八幡が知っているのも不自然な気がしたので...
お詫びがてら、いつか律子を登場させたいです。好きなので。
春香の地元はアニメ的に神奈川っぽいですが、八幡の千葉愛によって千葉県に引っ越しました。
少しでも楽しんで頂けるよう精進したい。