後書きに注意があるので、読んでいただけると幸い。
改稿済み。
木の密度が薄くなり始めるあたりで馬を止め、盗賊が話していた監視の相方の動向を探りに行く。
俺だけ馬を降り、木に隠れて慎重に移動しながら、森の外周部へ到達。
森の中特有の薄暗さから一転、夕日の眩い赤さに視界が焼かれる。ゆっくりと瞬かせ、目を慣らす。
そして目が慣れるのを確認し、外を見渡し、気を巡らして監視を探す。
……
うん、どうやら既にいないようだ。
隠れている可能性もあるが、馬を連れている状態で俺のチートスペックから隠れ果せるのは難しいし、あの盗賊から引き出した情報に、日が暮れる前に撤収する指示を受けていたとの事なので、もう一人は帰還したと判断してしまって良いだろう。
俺は待たせていた劉邦様の所まで戻り、その旨を告げる。
「そうか、ありがとう」
とても綺麗な笑顔でお礼を言われました。
思わず見惚れてしまう。
「ん?どうかしたか?」
声を掛けられて、ようやく手が伸ばされている事に気付く。
「あっ、すみません」
慌てて手を取り、引き上げてもらい、再び馬上の人へ。
「では沛県へ向かいましょう。ああ、忘れない内に聞いておきたい事があります。内通者がいると思わしき門は避けて別口から戻りたいのですが、何か心当たり等はありませんか?」
「ふむ、ならば北門から入ろうか。あそこは私が県令になる前から使っている場所で信用の置ける顔見知りも多い」
「それは素晴らしい。人が使えるならば、ちょっとした小細工も可能ですね」
「またその知略を見せてくれるのか。楽しみだ」
「知略と言う程の物ではないのですが……ともかく急ぎましょう、時はあればあるだけ利になります」
「おうよ、はいやぁ!」
号と共に勢い良く走り出す馬。急発進によるGでおっぽいに埋没する俺。
突然やってきた幸せに、仕える主に欲情しちゃ駄目だろ!と奮起し、凄まじい精神力を発揮させて身体の体勢を持ち直す。
「ふぅ」
劉邦様に気付かれないように、小さく息を吐いて、空を仰いだ。
心を落ち着ける為に見上げた空には、一番星が煌いていた。
「あっ」
心が震え、身体が震えた。
「どうした?震えているぞ、寒いのか?」
思わず零れた言葉を劉邦様が拾ってしまう。
「あ、いえ、何でもないです。大丈夫です」
慌てて言い募る。さっきから慌てすぎである。
「?? そうか。
慣れない馬上、血塗れた衣、色々辛いかもしれないが、あと三十分はこのままだ。我慢してくれ」
「はい、お気遣いありがとうございます」
お礼の言葉を返し、俺は再び空を見上げる。
空は雲に映える赤色と、星が瞬く夜色で割れていた。
その有様があまりに美しすぎて心が震える。
そして、
『俺は夕方を越えた』
小川に引き戻される事なく、夕方の時間を無事に越えることが出来た。
その実感がやってきて、心身共に震えたのだ。
『やっぱりこの人が俺にとっての鍵』
劉邦様の顔をちらりと見やる。
軽く盗み見ようとしたら、ばっちり視線が合った。
にっこりと微笑まれたので、俺もにっこりと微笑んでおく。
なんか劉邦様のガードがすげー下がってる気がします。
……
ともかく、劉邦様が俺にとってのキーパーソンという事は確定した。
この人が皇帝になるまで付き添い、この人の血筋を守る。そういう要所を押さえつつ、その他も史実の道を極端に外れなければ時が巻き戻される事もないだろう。
「なあ、白」
考え事がまとまった所で、劉邦様に話しかけられた。
「なんですか?」
後ろを振り向こうとして、止められる。
「そのままで聞いて欲しい」
なにやら真剣なご様子。
「わかりました」
「私は白を見誤り続けていた」
ふむ、見誤るときましたか。
まあ無理もない、こんなアンバランスな存在はそういないからね。
「曹参から、お前が記憶を失っている事、ある一定以上の教養を身につけている事、曹参の母の心を救った人間である事は事前に聞いていた。その情報を得た上で、会って、あまりの華奢さに不安を抱いた。
この時点でお前の事を守るべき存在だと、勝手に認識してしまった。
そして先ほど、白は私を救ってくれた。ぼんやりとしか覚えていないが、並大抵の武力、度胸、知恵ではあの絶望的な状況をひっくり返すのは不可能だったと理解している。
さらにお前は盗賊を見事に捕らえ、情報をするすると引き出した。
そこで白へ評価が引っ繰り返り、楽毅や呉起に劣らぬ人物を見出したのだと、舞い上がってしまった。
こうして私はお前を完全に見誤った。
人を殺す策を出させ、精神が磨耗する尋問をさせ、人を手ずから殺させたのに、それがあたかも正しかったと思ってしまった。
そしてそれが間違いだったと、白の能面のような顔を見て、震え続けるお前に触れて、ようやく気付けた。
ああくそっ!お前の心根が真っ直ぐで真っ白な娘なんだと、直接言葉を交わして理解していた筈なのにだ!」
ぐっ、すげー大事な話だったのに、最後の娘っこ発言で俺の中の雰囲気が台無しになっちゃたよ!
ま、まあ娘っこ発言は横に置いといて、大事な話なんだからしっかり答えよう。
「そこまで私を慮っていただいて嬉しいのですが、私も覚悟があってついて来ました。人を殺した事に一切の後悔はありませんし、この責任は私が取るものです」
罪悪感や嫌悪感で潰れそうにはなった、けれど後悔はしていない。
これはちゃんと言っておかないと。
「お前の言葉には一切の嘘も強がりもないのだと、震えの止まった声と背中から伝わった。
だからこそお前の人の死を悼む優しい弱さを挫いた私は、謝らなければいけない。
白、本当にすまない。贖えるならば、私はなんだってしてみせよう」
背中に熱い物を感じる。
えっ、まじ?これどうすればいいの?
ちょ、ちょっと冷静に考えてみようぜ。
……さっきの会話、要約すると
拾い物が予想以上だったから喜び浮かれてしまった。
俺がヴァージンと知っていたのに無茶をさせてしまって申し訳ない。
これだけの事だよな。
一つ目の要素は為政者として当然の事だ。優秀な者を引き入れたのなら、あれやこれや考えて浮かれてしまうのはある程度致し方ない。
しかし二つ目の要素こそが問題だ。
部下を見誤り、筋の通らない事をさせてしまったという後悔と、見た目詐欺の俺に辛い役割を背負わせてしまったという罪悪感を抱いてしまった。
物事に他者への感情が絡む、これはとても面倒になる典型的なパターンだ。
さて、どうしよう。
さっきも言ったとおり、人を殺した精神的動揺は拭いきれていない。
けれど劉邦様に気持ちを落ち着かせてもらい、今も傍にいてくれているおかげで、ゆっくりとではあるが命の重さを飲み込めている。
だからここは、俺の気持ちの整理はついています、本当に気にしないでください。と言うのが状況的にも俺の心情的にも正しい。
けれどその言い分はきっと通らない。劉邦様は後悔と罪悪感を混濁化させてしまっている。
一つ一つでも厄介なのに、混ざってしまえば更に手がつけられない。こうなると気にするなと伝えた所で、ただ気休めに言っているのだと曲解してしまうのは簡単に想像がつく。
今更ではあるが、人殺しを後悔していないと伝えたのは悪手だったな。劉邦様の負い目を実感させ、結果泣かせるまで追い詰めてしまった。
とりあえずこういう場合は、
「劉邦様、私は強いです」
感情に理性で勝った試しがない、なのでこうなったら雰囲気で曖昧にそれらしい事を言うのが一番だ。
後で思い返したときにあーっ!となる程度の被害で済む事が多い。
だから強めに切り出す。
「それは私も大いに認めるが・・・」
「大軍に対して単騎駆けして生還して見せます、軍を指揮して寡兵で大軍を蹴散らして見せます、内政を任せていただけるなら食糧難を十年以内に無くして見せます、あらゆる犯罪を大いに減らして見せます。
戦いにあっては呉起、楽毅となり、支えるにあっては管仲、太公望となりましょう」
「ふふ、記憶喪失の娘が、そこまで豪語するか。と、すまん、これは嘲笑ではないのだ。
なんだかお前は、それを本当にやってしまいそうでな」
「わかっていますよ。ただの民が吐いて良い言葉ではないですし。
けれど私のものは決して大言壮語ではありません。私にはそれを成せる力がある。
だからここでそれを証明して見せます」
「自身は秦の英雄と周の偉人に比類する。そんな虚言、誰が言おうと信じるに値しないだろう。
けれども証明など見るまでもなく、私は白を信じるよ」
「いいえ、その信頼の言葉は受け取れません。
そこには私に対する罪悪感が多分に含まれていますから。
だから、ここで私の力を正面から信じてもらいます。
力は程ほどには見せたので、今度は知を言って聞かせましょう」
「罪悪感から出た言葉か。お前は心の中すら見通すのだな。
音も無く疾く走り、目に見えぬを察し、私を軽々と抱いて跳び、軽い跳躍で馬を越し、拳大の石を腕の力だけで投げて木を圧し折る。
百を超える賊を手玉に取り、気の使い方を知り、人から痛みを取り払い、盗賊の心を慰撫して見せた。
何から何まで私には成せぬ事だ。それでもなお、程ほどと言うのか?」
「程々です。先ほどの戦いで私は自分の身体を理解しました、上限は見せたよりもっと高いですよ。
確かもう三十分もすれば沛県に着くのですよね?」
「ああ、それぐらいだな」
「でしたらその間に、曹参殿から聞いたこの国の現状等元に、私が思い付いた策略、政策を語りましょう」
「思い付き、か。それで私に知と言う物を知らしめてくれるのならば、喜んで聞かせてもらおう」
「ええ、では、まずは戦事から語りましょう」
「……と、城壁が見え始めましたね。劉邦様、あれが沛県ですよね?そろそろ馬の速度を落とさないと、門兵にいらぬ警戒心を抱かせてしまうと思うのですが」
「……」
「あの、劉邦様?」
「……私は、夢を見ていた」
馬の速度をゆっくりと落としながら、少しぼぅとした声で劉邦様は答えた。
「大軍を寡兵で打ち破る私、白、曹参、ロワンがいた。
見渡す限り豊穣の畑の中を呂雉と我が子供達が大いに笑いあって作業をしていた。
栄えに栄えた沛県には民と商人が活気に溢れたやりとりをしていた。
白よ、お前は私に知をみせると言ったのに、夢を見させてしまったぞ?」
「それは決して夢幻ではありませんよ」
「ああ、私は今はっきりと理解した。お前の言は全てが本当だったと。
けれど私には分からない事がある。
これ程の力と知識があるならば、お前が王になれば良いのではないか?
私は力を惜しまんぞ?」
そうなりかねないと思っていたので、一応返答は考えてある。
「それは出来ません」
「何故だ?私にあって白にないものなど……地位か?ああいや、そうか、記憶か」
「そうです、私にないものは記憶ですよ。
私の記憶にない過去は、他者にとっておぞましい物であるかも知れません。
記憶が突如として戻り、記憶を優先して何処かへ行ってしまうかも知れません。
記憶が戻った私は人格も才覚も変容してしまうかも知れません。
何かの病気で記憶が失われたのならば、再発して全てを忘れてしまうかも知れません。
そんな私が人の上に立ってはいけない。
誰かを支えるなどと言ってさえ良いのかすら分からないのですよ」
「白があまりに活躍するから、大した事じゃないと勘違いしてしまいそうになるが、そうだったな。
人の上に立てないのは理解した。
けれど人を支える事など出来ないとは言わないで欲しい。
白の過去が凄惨な物であったとしても、何処かへ言ってしまう宿命を背負っていたとしても、私の事を忘れてしまったとしても、人が変わってしまったとしても、才を失ったとしても。
命の恩人で、優しさを殺してしまった相手で、夢を見させてくれた人よ。私はお前を人としてどうしようもなく好いてしまった。
だから白、改めて頼む。傍にいて私の事を支えてはくれないか?」
「……嬉しい言葉です。
ならば貴方が私を好いてくれている間、私が貴方の涙の温かさを覚えている間、私は貴方をしかと支えてみせます」
「そうか、支えてくれると約束してくれるのか。
白とならば、どこまでも行けそうだし、何でも出来そうだ」
「劉邦様は出会った時のように、豪放磊落、泰然自若とさえしていてくだされば……そうですね、この国の王にして差し上げますよ」
「ふっ、調子の良い事を言う。
では我が太公望よ、まずは裏切り者と盗賊の処断を任せる。やれるか?」
「愚問ですね。策はもう用意しております」
劉邦様の気遣いに、強く答える。
「そうか。では行くぞ!」
応えた劉邦様の言葉には覇気が満ち溢れていた。
どうやら、気を持ち直してくれたようだ。
こうして精一杯のお芝居を終えた俺は、劉邦様に気付かれぬよう手の汗を服で拭う。
あーうん、調子に乗りすぎたわ。
これ今日の夜に思い出して恥ずか死ぬパターンだ。
注意とネタバレ。
白が覚悟を決めた。白の理不尽スペック。歴史には大きな流れがあり、それは強制力を伴う。この三つが書けたので、話が大きく飛びます。どれくらい飛ぶのかといえば、四面楚歌ぐらいまで。
劉邦時代はあくまで設定の紹介を想定しています。漢建国まで道のりはやりません。
漢建国を丁寧に描写しつつ、恋姫三国志に伏線を張り、意味を持たせる事が最善なのでしょうが、今の力量では蛇足の域を出ず、混乱ばかりを生みそうなので手を出さないでおくのが無難という結論です。
なので劉邦時代はあと三、四話で終わりとなります。
漢建国恋姫無双を期待された方には本当に申し訳ないです。