今俺は宮中にて、勝利の宴に興じていた。
国を挙げての大々的な催しは既にやり終え、今は身内だけを呼んだ少人数のパーティを楽しんでいる。
劉邦様、沛県から付き従ってた仲間、陳平や項伯といったこれまでの戦いにて多大な貢献を上げた者達、その家族。
三十に満たない人数でのささやかな宴だったが、国を挙げて行った祭りよりもよほど楽しい。
楽しい、というよりは楽なのか。
俺は祭りの最中、韓信と張良の立場を入れ替わり立ち代りこなさなければいけなかった。衣装の早着替え、二人分の演説、キャラを演じ分けながら民衆へパフォーマンスはひたすらに面倒だった。
英雄という偶像は必要とは分かっていても、二度はやりたくないお仕事だった。
一応蕭何も英雄に数えられていはいるのだが、綺羅びやかな活躍がないのでいまいち人気も無く、引きこもり設定なので祭りには参加しなかったという設定。
まあそんなこんなで、項籍殿との一騎打ちから休む事無く仕事をしていた反動と、八年頑張った達成感と、しかしどうしてもちらつく鬱屈とした気持ちを跳ね除けようと、俺は無茶苦茶に羽目を外して宴を楽しむのだった。
自身の活躍、今後の展望を大声で歌い、それを肴に酒を呑んで楽しんでいた宴会も、時が経つにつれて段々と落ち着いていく。今までの苦労を語り合い、互いを労い合う、とても穏やかな空気が流れ出していた。
そんな和やかな流れの中、劉邦様が顔を赤らめながらこちらにやってきた。
「よー白ー呑んでるかー。ってなんだ、杯が空じゃねぇか。のめのめー今日は無礼講だぜー」
なんとも見事な絡み酒である
「白よーついにここまで来たなぁ、全部、とは言わんけどお前のおかげだよぉ。
あーくそ、でもなんで、お前、いなくなっちゃうんだよぉ」
けらけら笑っていたのに、一瞬で泣きが入った。
その一言で、周囲がピシリと固まった。
前々から話していた事だ、俺は後事を全て済ませれば国の中枢から退こうと思っている。
「分かってるんだ、お前が話してくれた通りだ、お前がいなくなった方が国の為には都合いいんだって。けど私はぁ」
「約束を違えてすみません。涙の温かさも覚えているのに貴方の傍を離れる私をどうかお許しください」
俺はうなだれかかってくる劉邦様を抱きしめて介抱しつつ、謝った。それぐらいしか俺に出来る事は無い。
「白さん、本当に行ってしまうのですか?」
曹参さんが遠慮がちに尋ねて来た。
「ええ、全て以前話した通りです」
俺は功を積み過ぎ、顔が売れ過ぎた。
三人に分割しているとはいえ、一人三役なんて真似、戦中のごたごたがあったからこそ通じたわけで、平和な世になれば化けの皮はすぐに剥がれるだろう。
だから論功行賞が終わった後に、彼らはそれぞれ反乱を企てたとかで討伐されるか、引きこもらせる予定である。
そしてその後は韓信の役割を曹参さん、ハンカイさん、夏侯嬰に、張良の役割を陳平さんに、蕭何の役割を周勃さんとロワンさんに引き継いでもらう。
一応三人の中でも、顔出しをしていた張良としては生きる道がある。
だが張良はやり過ぎていた。
何をと言えば、項籍殿に勝つ為にありとあらゆる手段を用いた事だ。
勝てば官軍とはいえ、彼が正史と違って名が残るレベルで名君だったのが致命的。
張良が被る負の汚泥は膨大になる事は間違いなく、それは確実に今後の統治の邪魔になる。
だから張良も段階を踏みながら仕事を引き継がせていき、遠くない将来隠居する運びとなっている。
表向きの理由としてはそんな所。
実はこれにあと二、三の理由が加わる。
一つ、俺が男だと劉邦様に知られるとまずいから。
実は俺が男だと知っているのは数人のみで、その中に劉邦様は含まれていない。
これは故意にそう仕向けられた事である。
俺が男と知れたら劉邦様は確実に俺を娶るだろう。
呂雉と争う結果になろうと、彼女はそれを躊躇う性分ではない。
もしそうなれば宮中は荒れに荒れる。
帝位継承の問題で荒れるし、呂雉という男の嫉妬にも用心しなくてはならなくなる。
呂雉は妻である劉邦様を支えると言う面では能力的にも人格的にも素晴らしいと言わざるを得ない。
俺が実務面で、彼が家庭面で劉邦様を支えたからこそ偉業は成し得たと言っていい。
だけれどもその長所は短所でもある。
彼の家族に対しての情の深さは異常であり、度を越している。
他人に対しての線引きが明確にされていて、家族至上主義を名乗って憚らない。
皆はそんな様を苦笑しながら受け入れているが、劉邦様没後の歴史を少し知っている俺は全然笑えない。
だから俺大好きの劉邦様、嫉妬狂いの呂雉、あと劉邦様と同日に生まれた女性である所の親友ロワンさんは劉邦様寄りなので、この三人には決してばれないように必死で画策した。曹参さん、周勃さん、ハンカイさん、夏侯嬰、陳平、項伯さんに協力してもらい、なんとか今日まで秘密を隠し通す事に成功した。
……いや、隠し通す必要すら無かったのかも知れない。
振り返ってみても、俺が男だと言おうとした所で不思議と邪魔が入っていた。それは恐らく歴史が望む強制力がそれをさせなかったのでは、と今になって考える。
まあ、今それをどうこう考えた所で意味はなく、時機でもない。
二つ、俺が一向に年を取らないから。
初めての出会いから九年、劉邦様の美貌にも僅かながら陰りが見え始めた昨今だが、俺には一向に老化と言う現象がやってこない。
気を操る人は老化が遅くなるらしいが、それにしたって成長は元より、皺、しみそばかす、関節の不調とも一切無縁と言うのは些か奇異に映る。
これは『外史に縛り続けられる』と神さまっぽいのが言っていた事に関係するのではないかと睨んでいる。
そうなるとだ、俺の使命がいつ果たされた事になるのかが重要になってくる。
項籍殿を切った瞬間から始まり、今まさに老化が始まろうとしているのなら良い。
だが劉邦様が大往生するまで老化が止まりっぱなし、となると色々と不都合が出てくる。
こういった理由があり、俺は宮中から出なきゃならん訳なのだ。
性急になりすぎないよう最低限の法制度を整えて、以後必要になるだろう色々な指南書を書き残したなら、国中を周って世直し的な旅でもしようかと思っている。
謙信が水戸の黄門様をする、なかなか面白いじゃないか。
「白ぅ、行っちゃ嫌だーぁ」
「三十を越しても甘えん坊ですね。大丈夫です、皆が支えてくれますよ」
「その皆の中にお前がいないのが嫌なんだよぉ」
あの、そろそろ、まじで呂雉の目が釣り上がってきてるので勘弁してください。
あの人女性だろうが構わず嫉妬して、特に俺に対する嫉妬ってかなりやばいから。
俺が隠居すると宣言するまではかなり本気で粗探してきて、身内相手にガチの防諜しなきゃならんかったんですよ。
「貴方が良き王、良き夫婦、良き母であるなら。
貴方が私の言葉を覚えてくれているなら。
私はいつでも駆けつけますから」
「うぅぅ、約束だぞ、絶対の絶対に守らなきゃだぞ!」
「はい、絶対に守ります」
「なら安心だな!白の言う事は絶対だ!」
酔っ払い特有の急転直下からの急上昇である。
劉邦様はあははと快活に笑ってみせた。
そしてふと思い出したかのように言葉をつなげた。
「ああそうだ白、少し酔いが醒めて思い出した。忘れてしまわない内に言っとこう。
お前が今まとめている最初の発布内容に二つ付け加えておいてくれ」
「なんでしょう?他項目との調整と民への認知が難しいものでなければ大丈夫ですが」
「難しいものじゃないさ。色と名前に関するものだ。
私の家は火徳を尊重する家でな、赤色が好まれていたからその色を国の色としたい。
様々な行事にも赤を使っていきたいのだが、祝いの場ではそこに白を含めた紅白を使う事を推奨したい」
「色の推奨ですか、うん、理由も分かり易いし、色という身近な物で浸透しやすい。国として色を統一する事で団結も生まれやすい。良い案かと思われます。
白を入れてくれるのは私の色だからですか?」
「うむ、祝いの場にあれば、お前の偉業を知らずとも白は尊いと思うだろう?」
「それはなんとも嬉しい計らいですね」
「ふふ、皆で考えたのだ。良い案だろ?
ついで名に関するものでな、真名という制度だ」
「ふむ、まな、ですか?」
「真なる名前と書いて真名よ。字よりも重要な、大事な人にだけ呼ばれる名前として広めようと思う」
「はぁ、認知は難しくなさそうですね。名前に関するものですから調整は難しそうですが」
「何、戸籍に乗るものではなく、親しい間柄で呼ぶものだから法的な拘束はないとすればいい」
「そうなんですか?ですが何の為に?」
「白、お前は国中を旅して回ると言っていたな、その際には三役のように偽名を使うと」
「ええ、その方が都合が良いですしね」
「そう言った偽りの名前とは対照的となる物があっても良いのでは、と考えた。
…というのは建前だな。これは私のわがままだ。
偽名を使っている内に白という名前を忘れないで欲しいとか、私達だけが英雄の本当の名前を知っている優越感とか、秘密の名前で呼び合うのは親近感増すし楽しいとか。祝いの白と真名の白で真実に気付く奴がいたら面白いとか。
まあそんなあれやこれやをさ、皆と分ち合いたいんだわ」
劉邦様はもどかしそうにしながら、必死に何かを伝えようとしている。
名前に関するもので何かあったろうか、名前、名前ねぇ。
ん?あー、一つだけ思い当たった。
劉邦様は俺の名前の由来を知っている。白い着物を着ていたから白と適当につけたと。
俺の名前が白と知っているのはここにいるメンバーと、後は曹参さんの故郷にいる数人ぐらい。
そして俺は偽名とはいえ名前をころころと使い分け、そして上げた名声を一切惜しまず、更には効率の為に落とせと言う人間だ。
だから劉邦様は、白という名前もいつか捨ててしまうのでは?と危惧したのではなかろうか?
そこまで思い至って、俺が名前に関して無頓着すぎた事に気付いた。
名付けの事情を知らない人間からしたら俺は白以外の何者でもない。
けれど適当につけたと知っている劉邦様や曹参さんからしたら、白という名前は酷く不安定で、宙に浮いたように見えた事だろう。
白という名前にはすごく愛着がある。九年も呼び続けられてすっかり馴染んでいる。
けれどそれは、別の名を十年呼び続けられたら白という名前を忘れてしまう可能性もあるって事だ。
「真名という制度、どうだろうか?」
そんな可能性に気付いたから、劉邦様は今ここで名前を決定付けする機会をくれた訳か。
「良いですね、その案まとめさせてもらいます」
「良かった。これは皆に話を通してなかったけど、どうしても付け加えたい条文だったんだ」
「親しい間柄で呼び合う名前っすか?なんか面白そうっすね!」
間近で聞いていた夏侯嬰がノリ良くその話題に飛び乗った。
すると周りで聞き耳を立てていた人物が一斉に話しだす。
「確かに面白いな、うん、自分で決めるのもいいし、人につけてもらうのも良さそうだ」
「俺は……妻の好きな蓮の字でも貰おうか」
「お、奥さん思いの周勃さんらしい選択っすね。俺は…季節とかいいっすね!
俺達が出会った秋……いや初陣を飾った春の字も捨てがたいっす」
「私は琳の字を貰おうかな、あの字と響きがとても好きなんです」
俺がいなくなるという話題で場が暗くなってしまったが、和気藹々としだしてとてもほっとした。
「私は皆のお陰で大華を咲かす事ができた、だから華という字を貰う。
なあ白、華を使った名前を何かつけてくれ」
「私が名付けていいので?」
呂雉の目がもう殺人光線を放っていると言われたら信じるレベルに目つき悪いんだけど。
「お前が良いんだ」
ぐっ、そう言われたらしょうがない。
名前には無頓着な俺だが、しばし考えよう。
華を入れて考えてくれって事は二文字か三文字で、できれば火徳の赤をイメージさせる字を入れた方がいいよな。
なら赤、朱、紅、火、日、緋、灯、夕辺りか?
読み方もちょっと工夫しないとな。色系は”か”に繋がる読みが難しい。なら夕の字は使いやすい…ってダメか、建国の祖として見ると夕は終わりをイメージさせて良くないな。
なら、
「灯る華と書いてとうか、ではどうでしょう?
始まりは貴方を起点とした灯火でしたが、いつしか大火として国を滅ぼし、最後は新たな国を作り上げ大華となった。といった意味合いで」
「とうか、灯華、うん、とても良い名だな。白、お前はこれから私を灯華と呼べ」
「はっ、その名誉有り難く授からせていただきます」
ほっと一息である。
真面目に名前をつけるなんて体験初めてだよ。
「なら私も白さんにつけてもらいましょうか」
「曹参さんも?ええ、構いませんが、本当によろしいので?」
「勿論です、お願いします」
「あっ、白からの名付けは私だけの特権にしようと思ってたのに!!」
「ふふ、そう言うだろうと思って先手を打ちました」
「お前は本当に要領の良い奴だな!曹参だけな、曹参で終わりだから!」
「劉邦様横暴っす!俺も一緒に考えてもらおうと思ったのに!!」
「何を子供のように……。
ええと、曹参さんは琳の字を入れるんですよね?」
「ええ、劉邦様のように名の意味も考えてくれると嬉しいですね」
ぐぅ、プレッシャーをかけてきたぞ。
えっと、琳って綺麗とか、澄んだ音って意味だったよな。
これも二文字ぐらいにするとして……あーなんか一つしか思いつかん。りんって響きが女の子っぽいから、男のりんって言ったら。
「光る琳でこうりんではどうでしょう?
光臨、光輪と意味を被らせて、曹参さんは劉邦様を見出し、照らした第一の人物だと言う意味を含めました」
「気恥ずかしいですが、中々良いと思います。これからはその意に恥じぬよう努めます」
そう胸を張りつつ、夏侯嬰やハンカイさんに若干のドヤ顔を見せる曹参さん。
なんとも子供っぽい仕草に、笑いが溢れる。
「白さん白さん、後でこっそり名前考えてくださいっす」
こっそり頼みに来る夏侯嬰に気付き、劉邦様が首根っこを掴んで絡みだした。
その様もまた面白く、皆が笑顔を浮かべている。
こうして宴は名付け名乗り合戦のていをなしていくのだが、それもまたとても楽しい。
俺は皆の笑顔を脳に焼付け、この瞬間を絶対に忘れないと心に固く誓うのだった。
分かりやすい伏線。