今昔夢想   作:薬丸

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改稿済み。


17.彼女が死に至る経緯

 太陽が頂点に燦然と輝く頃に長安へと着いた俺は、活気が最高潮となっている長安を走り抜けていた。

 行き交う人々は戦勝ムードに沸き立ち、口々に劉邦様万歳、漢万歳とそこかしこから灯華様を称える声が聞こえてきた。

 

 だが俺の不安は増すばかりである。

 

 城の門番に許可証を投げ渡し、戦功の自慢が交錯する城内を駆け抜け、厳重に守られた悲壮感漂う後宮へ足を踏み入れ、灯火が消えたように薄暗い灯華様の部屋にノックも無しに侵入し、俺は生きてきた中で最大の後悔に苛まれた。

 

 

「おいおい、久しぶりにあったのに、何て酷い顔をしているんだ」

 

「馬鹿な事を言わないで下さい。貴女の方が……ああ、こんなにも窶れてしまって、どうしてこんな……」

 

「ははっ、お前がそこまで取り乱す姿は初めてみたなぁ」

 

「貴女の事以外なら、私はここまで取り乱しはしなかったでしょう」

 

 力なく横たわり、酷く窶れた灯華様の姿を見て、俺はその場で崩れ落ちてしまった。

 一目見ただけで、彼女の命がそう長くない事が見て取れてしまう。

 気脈は滅茶苦茶で、淀みは全身に及んでいる。

 

 這いずるように灯華様に近寄り、無駄だと分かっている触診をして、絶望は更に深くなった。

 これはもうどうしようもなく手遅れだ。

 俺が打ち拉がれていると、部屋の外が騒がしくなってきた。

 

「我が君の元に賊の侵入を許すとは!何かあれば衛兵共の首を全て晒してやる!ええい、急げ急げ!!」

 

「しかし呂雉様、相手は張良様だったという報告も」

 

「知った事か!大事な時にこそおらん奴など切り捨ててしまえ!」

 

 呂雉の言い放った言葉が胸に深く突き刺さった。

 バタンと扉が開け放たれ、ドタドタと数人の男女が入ってきた。

 

「やはり張良様であられましたか!」

 

「張良!ここは後宮ぞ、大戦の英雄であろうと許可無く立ち入って良い場所ではない!」

 

 微かに喜色を見せるかつての部下達と、顔を真っ赤に染めて怒る呂雉。

 そして俺の悲嘆に暮れた姿に全てを察した張術がいた。

 

「呂雉様、劉邦様のお身体は大声すら途轍もない苦痛となるのです。どうか気を静めてくださいませ」

 

「ぐっ、わかった。…ごめんなぁ我が君、身体は大丈夫か?痛くないか?苦しくないか?欲しい物があったら何でも持ってくるよ、どうだい?」

 

 怒髪天から一転して涙目になって灯華様を心配する呂雉。

 急転直下の態度だが、灯華様至上主義の彼にとってはこれが常だった。

 

「大丈夫だよ、私はそこまでやわじゃないさ。だけどそうだな、お前の淹れた茶が飲みたいな」

 

「分かった、すぐに最高のものを持ってくるよ」

 

 灯華様からの頼みには全力を尽くす男である。

 呂雉は後ろに控えていた近衛兵達を押しのけ、厨房へと走っていった。

 

「……これでしばらく時間が稼げるな。おい、お前達も戻って良い。私は張良と話がある」

 

「はっ、失礼します」

 

 近衛兵達は頼みますという目で俺を見、部屋を退出していった。

 だが、その信頼には応えられそうにないのだ。

 

「ふぅ、これで大分静かになった。白、すまんが話の前に準備がある。お前も少しだけ部屋を出てくれないか?」

 

「分かりました。ですがその前に」

 

 俺は灯華様の肩に手をやり、全力で気を操り、灯華様の気と同調させていく。

 そして痛みを感じない範囲で気脈を広げ、細胞を活性化させる。

 

「これが私の出来る精一杯です」

 

「おお、大分楽になった。さすが白だな」

 

「ふふっ、やっぱり師匠の腕にはまだまだ追いつけませんね。では私は灯華様のお手伝いをします。その間に師匠は顔でも洗ってきて下さい」

 

「顔を?」

 

「準備は丁度それぐらいに終わるでしょうし、何より師匠の顔、かなり酷いですよ?大事なお話があるんですから、ちゃんと身奇麗にして、気持ちを引き締めて来てください」

 

「そんなにか……分かった、行ってくる」

 

 俺は動揺していたのだろう。だから彼女達が浮かべる微笑の意味に気付かなかった。

 透き通るほどに綺麗な笑顔など、不自然以外の何物でもないのに。

 

 

 

 一番近くに備えられている井戸に向かいながら、気持ちと情報の整理を行っていた。

 灯華様が匈奴との戦が原因で亡くなると俺は知っていたのに、それを防ぐ事が出来なかったという後悔。そして何故止めれなかったのかという疑問。

 この二つが頭と心の中をぐちゃぐちゃに掻き乱している。

 確かにこんな状態じゃあ冷静に話を聞ける筈もない、落ち着くためにも急いで整理をして、頭を冷やさなければ。

 

 

 今一度考えるに、俺は俺の出来る範囲で匈奴の脅威には全ての手を打っていた。

 宥和政策よりも深く彼らを仲間につけておきたかった俺は、融和政策の案を練りに練って光琳さんに渡していた。政策に反発された際の対応、最悪戦争状態に突入した際の戦略も多分に添えてだ。

 

 万が一に備えて軍備の縮小はせず、しかし兵力が威圧にならないようにと、上手く各地に散らして治安に当たらせ、兵力のカモフラージュを行う指示を出していた。

 五胡との交易を活発化させ、漢人と彼らを積極的に交わらせて、親五胡、親漢の人間を増やす流れも作っていた。

 他にも細々とした策も幾重に巡らし、万全を期したとはっきり言える。

 

 逆に南の対策が薄くなってしまったので、俺が直接巡る事になった。

 とはいえ早めに南側を安定させ、本題の北側には長期間居残って対応に当たろうという魂胆があったので、この時点では南を巡る事に躊躇いはなかったのだ。

 

 

 だがそれが裏目に出てしまった。

 この時代について概略だけ覚えていて、詳しい年表を覚えていなかった俺は、匈奴の融和政策が上手く行っているという報告に完全に油断をしてしまった。

 そしてまんまと油断を突かれ、凄まじい速度で戦端は開かれて終結した。

 ……俺だけが匈奴の侵攻を予想出来る立場にあったのに。どれだけ事を上手く運ぼうが、歴史の強制力は全てをご破産にすると知っていたのに。

 俺はそれに直接介入する事すら出来なかった。

 

 

 井戸の前に着き、釣瓶を落とそうとして、手が開かない事に気づいた。

 どうやら悔しさのあまり手を強く握り締めすぎ、硬直してしまったようだ。

 俺は手を解しながら、深く深く深呼吸をする。煮詰まった頭が少しだけ冷えた気がした。

 後悔の内容は確認できた。今は明確になった後悔を押し殺し、灯華様の事だけを考えねば。

 

 

 

 顔を洗い、部屋に戻ったのなら、中では美しい衣装を纏い、品のある化粧を施した灯華様が待っていた。

 その姿に愕然とする。あれだけ窶れ果てていたのに、今では昔見たままの灯華様がいる。

 明らかにおかしいと意識を集中して気を読めば、彼女の丹田から眩いまでの気力が感じ取れた。

 馬鹿な、彼女にもうそんな力は……俺ははっとして、喜和を見る。

 

「喜和、灯華様に何をした!」

 

「師匠にはやっぱり気付かれてしまいますよね。正直に告白しますと、灯華様には私の家に代々伝わる秘伝の薬を処方しました。

 気力を爆発的に高める秘薬です。ですが恐ろしく体力を消耗し、常人であれば効果が切れる四時間後に指一本動かせなくなってしまいます。それ以外に副作用と呼べる物がないのがこの薬の凄まじい所なのですが……今の灯華様にとってみれば、効果が切れれば死に至る劇薬です」

 

「なっ」

 

「白、喜和を責めないでやってくれ。彼女には私から無理を言ったのだ」

 

「しかし!」

 

「白、最後の我侭だ、聞いてくれ」

 

 俺は小さく呻く他なかった。それを言われると、最早何も言えない。

 

「……分かりました、拝聴しましょう」

 

「まずはお前の信頼を裏切った事を謝りたい。何かあったら呼んでくれというお前の約束を無碍にしてしまった、本当にすまない」

 

「許しませんけど、許します。本当に、何があったと言うのですか」

 

「それについても私の口から話さなければいけないな、けじめだ」

 

 そうして灯華様は匈奴との戦争が如何にして始まったのかを話し始めた。

 

 

 始まりは唐突な裏切りだったと言う。

 

 融和政策は功を奏し、互いに友好的な関係を築けていたのだが、単于が変わった事で全てがご破算になった。

 それまで単于の右腕として融和政策を匈奴にとって受け入れ易い形に調整していた男が突如裏切ったのだ。

 

 融和政策を主導していた単于を殺し、その罪を漢の人間に着せ、漢討つべしと匈奴の民を煽動した。

 そんな凶行を知らぬ漢の使節団は無事を重ねた十数度の来訪に油断し切っており、一人を残して皆殺しにされたそうだ。

 

 その唯一の生き残りである韓王信に使者の首を王宮まで届けさせ、匈奴からの宣戦布告はなされた。

 猛烈な勢いで進軍する匈奴の兵だったが、万が一と各地に散らせていた兵を即座に集結させて対応。

 容易な進軍が出来なくなった匈奴はあっさりと引き、漢と匈奴の緩衝地帯にてしばしの睨み合いが続いた。

 最初の宣戦布告で俺に手紙が来ていたなら、ここで戦線に加われただろう。

 しかし灯華様はあえてそれをせず、自ら陣頭に立って戦ったという。

 

「何故貴女がそんな無茶を!」

 

「お前や皆が鍛えた兵と、お前が残した策があれば難なく行けると思った。

 ならば私が前に出ないでどうする。それぐらいしなくちゃあ白と対等になれないじゃないか。

 お前と離れている間にさ、そんな他人任せの自信と、心底くだらない自尊心が生まれていたんだ」

 

「そのような事はありません、灯華様は白様が離れていても安心できるように頑張るんだと常々おっしゃって」

 

「喜和!」

 

「灯華様、最後の最後で悪者ぶらなくて良いのです。甘えて下さい、その方が互いの為になるのですから。

 と、そろそろ秘薬の効果も安定したようですし、お役御免ですね。お邪魔な私は退出します。灯華様に頼まれた事もありますしね」

 

 今更気付いたが、灯華様と喜和は真名で呼び合っている。やり取りを見ている限りかなり親密なようだ。

 喜和はおほほと笑って部屋から出て行った。

 その様子に俺も灯華様も毒気が抜けたように笑みをこぼした。

 

「喜和の忠告通り、格好付けるのはやめよう。白に認めて欲しいとか、やれる自信があったとか、そういう感情もあった。けどなにより、一緒にいられないお前に安心してもらいたかったんだ。

 だけど上手く行かなかった」

 

 

 睨み合いが続く中、漢軍は灯華様という旗頭が立つ事で士気を向上させ、攻め込むきっかけを得た。

 それからは怒涛の快進撃、とはならなかった。

 匈奴と漢の折衝地に住んでいた家族を人質にされていた韓王信が裏切り、灯華様に暗殺を試みたのだ。

 その場で生命を取られる事こそなかったが、襲撃の際に毒を盛られてしまったそうだ。

 それは戦医として付き従っていた喜和ですら正体が掴めない猛毒だった。恐らく蟲毒などの類で完全な解毒は不可能なものだったのだろう。

 

 薬草を煎じ、気を操り、喜和の持つ秘薬も用いて何とか死は免れた。

 しかし後遺症は酷く、立つ事さえままならぬ状態に陥ってしまった。にも関わらず、彼女は病を隠して先陣に立ち続け、裏切りの単于を討ち取るまでは膝を屈さなかったという。

 

 単于を討ち取った灯華様は、これ以上の争いは無意味だと宣言し、都に凱旋。

 凱旋パレードを行い、後宮にたどり着いた所で限界を迎えた彼女は、寝たきりのまま今を迎えたのだった。

 

 

 彼女は本物の英雄だった、最後まで俺の敬愛する英傑だったのだ。





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