俺の敬愛する英雄の語りは終わった。
次いで気になった点を聞いていく。
「何故単于が戦争を仕掛けたのか理由は分かっていますか?」
「捕えた韓王信が裏切った単于から聞いた話では、漢が怖くなったのだと言う」
「怖くなったとは?」
「匈奴が金銭的にも食料的にも豊かになり、文化は華やかになり、人は綺羅びやかになった。
初めは良いとどんどん受け入れていたが、その変化があまりに早く、恐ろしくなったのだと話していたそうだ」
「もしや私の政策が戦争へと繋がったのですか?!」
「……新たに単于となった男の切っ掛けとなったのは間違いない。だが変わらん。
殺された冒頓単于は強く聡い男だった、
その強さ故、もし私達が協調の路線を取らなければ直ぐ様戦争に突入していただろう。
その敏さ故、融和政策がもたらす富が匈奴を豊かにすると理解し、政策を前倒しし、無理押して周囲との軋轢を生んだ。
どう転んだとしても戦争には突入していた。
それにお前の政策があったからこそ、冒頓単于は漢に殺されたという偽報は疑われ、敵戦力は十全に集まらず短期間での戦争終結がなされた」
どう転んでも戦争に突入していた、この言葉に俺はいつか感じた恐怖がせり上がってくるのを感じた。
歴史の強制力に打ち拉がれ、無力感に苛まれた鴻門の会を思い出す。
もしや、いやしかし、それではあまりに救われない。
「お前がそこまで悩み抜き、苦しみ抜く表情を見るのは鴻門の会以来だな」
「……さすが灯華様です。正しく鴻門の会について思い出していました。そしてあの時よりも運命を深く恨んでいます」
「気に病むな、とは言えないな。私が蒔いた種だ。
ともかく、これで匈奴との話は終わりだ、次いで白に聞きたい事がある」
「なんでしょうか?」
「国と家族についてだ」
「はい」
「白、私が死んだ後、国はどうなると思う?」
「このまま灯華様の訃報を流せば国は間違いなく荒れます。
項羽という大英雄を降した英傑だからこそ国の頂点に立つ事を許され、そして人心を数々の政策をもって安寧に導いた名君だからこそ全土の民に認められ、受け入れられました。
旗頭としての功績、王としての功績、この両方を兼ね揃えていたからこそ、反乱もない順風満帆の治世を行えていたのです。
ですが次期皇帝である劉盈様には現在何の実績もありません」
「この場合の最善はなんだ?」
「まずは灯華様の死を徹底的に隠蔽します。
次いで劉盈様には後見人となる人物をつけます。光琳さんの協力は必須で、周勃さん、夏侯嬰、ハンカイさん等の軍部に強い影響力を持つ人物達の協力も必要です。文官は武力を背景にすれば黙さざるを得ず、一先ずそれで宮中はまとまるでしょう。
そして死を隠せるであろう数年の内に分かり易い大功、内政面では難しいので戦功を立てさせれば劉盈様に対する期待が得られます。
匈奴か南の他民族を大々的に討伐するのがよろしいでしょう。
そして期待感が高まる中で死を公表し、何事も無かったように内政を厚く整えれば、灯華様の死を乗り越えておられるのだと劉盈様の評価は上がり、人心もすぐさま落ち着くでしょう。
細かい部分は光琳さんと詰めなければいけませんが、大まかな指針としてはこんなものでしょう」
「ならば劉盈様にもそう話をしよう。聞きたい事は終わった、次は言いたい事だ」
「はい、お聞きしましょう」
「私が死んだら、我が家族には一度見切りをつけてくれ」
「……それは何故ですか?」
「呂雉はお前を嫌っている。娘も息子もその影響でお前を毛嫌いしているのは知っている。是正したかったが、私は政務もあって家族と接する時間が足りず、どうしても呂雉の教育方針を挫く事が出来なかった。
自らを嫌っている人間に仕えるのは難しいだろう、だから一度互いに冷静になる期間を設けて欲しいんだ。
そして冷静になった上で、我が家族に見所があるならば、どうかあの子達を頼む」
「…てっきりお前に託したと言われると思っていました」
「約束を違えた上、勝手に無理して勝手に死にそうになって、それで家族を頼むなど、今際の際とはいえ許されないだろう。
本来ならば、私はお前を縛り過ぎた、だからもう私の家族など見捨てて自由に生きろと言うべきなんだ、分かってるんだよ。
それでも、こうやって無様を晒して頼るほど、家族というものは大切なんだ」
「……分かりました。灯華様が亡くなられた後、ご家族がどう行動するかを見させてもらいます。現状維持がなされるようなら、私は影に日向に彼らを支えましょう。一応死の公表に至るまで計画も光琳さんと一緒に考えます。それぐらいは致しましょう」
「白には助けられてばかりで、その上私からは何も返せなかった。すまない、本当にすまない」
「お世辞でも何でも無く、私も貴女には助けられていました。それに何かを返す必要もありません。
貴女といる時間はずっと楽しかった。貴女が英雄として育っていき、王となって国を作り上げる様を誰よりも近くで見れました。
一緒になって作り上げた国が、誰からも歓迎され、喜ばれるのを身近で感じる事も出来ました。
こんな経験が出来た人物など、歴史を見てもそうはいないでしょう。
だからはっきりと言えますよ。私は貴女と出会えて、貴女の下に仕える事が出来て幸せでした」
「……有難う。私も幸せだった。最期にこそ悔いはあったが、この生涯は史上最高の人生だったと胸を張って言える」
「お別れですね」
「お別れだ」
「また次の来世でお会いましょう」
「来世というものがあるのなら、是非またお前と会いたい。今度は最後すら悔いのない人生にしてみせる」
……もう語る事は何もなかった。
俺は静かに立ち上がり、部屋を出ようとして、不意に手を掴まれた。
なんだ?と思って振り返ると、既に灯華様が眼前に迫っていて、唇に柔らかい感触があった。
感触はすぐに離れ、悪戯っぽい表情をした灯華様の顔があった。
「人にうつる物でも、少量では大した毒でもないらしいから安心しろ。へへっ、どうだったよ?」
「そりゃ驚きましたよ。初めての接吻だったので尚の事」
「また白の初めて貰っちまったな。いやー最後ぐらいはと正直になって良かった。これでもう何も怖くないな!」
「……ええ、自由奔放で豪放磊落な貴女は、最強です」
「そうだろう?それじゃあ本当にさようならだ、元気でな、白!」
無邪気な笑顔に涙がこぼれそうになる。けれどここは俺も笑顔でいるべきだろう。
俺は深く深く礼をして、部屋を出た。
少し離れた所に喜和が控えていて、出てきた俺に近寄ってきた。
申し訳無さそうな表情に、彼女が何を言おうとしているか察した。
「白様、今回は私の」
「お前が責任を感じる事は何もない。
俺が傍にいたとしても灯華様は治せなかった。秘薬にしても、俺が持っていたなら灯華様のわがままに応えて使っていただろう」
「…お気遣い痛み入ります」
「気遣ってなどいない。本当の事だ」
俺は光琳さんと草案を考えようと、彼の執務室へ歩を進める。
喜和はさっさと歩く俺の三歩後ろから付いてくる。
途中、呂雉とすれ違った。歩くこちらを一瞬睨むが、すぐに興味を失ったように灯華様の部屋に駆けて行った。
心の底から憎む俺に構うより、手元に持つお茶を灯華様に届けて褒められたいのだろう。
相も変わらず極端な男である。
「……この後、師匠はどう動かれますか?」
「俺は直接動かん。灯華様には、家族を見極め、見所があるようなら助けてやってくれと言われたからな。彼らがどう動くかを静観する」
「灯華様の死後は国に関わらないという事ですか?」
「そうなるな。宮中が荒れようが俺は介入しない。
そして灯華様には悪いが、呂雉がいる限り、見所も何もないんだ。呂雉は間違いなく国を駄目にする」
「この国はどうなると言うのですか?」
「灯華様の後は劉盈様が跡を継ぐ事が確定している。他の人間よりも治世に向いている人格だから一番国を安定させるだろう。
けれどもさっき言った通り、呂雉によって宮中は荒れに荒れる。心優しいあの子がその状況を打破する、または耐え忍べるとは思えない。逆に言えば、折れなければ芽はあるという事だがな。
なんにしろ奴が実権を握り、灯華様が亡くなられたと発表でもされれば、国は急速に求心力を失って現状の惰性で国は運営される事になるだろう」
「先程から呂雉様に対して辛辣ではありませんか?優秀な方ですし、家族思いの良い方だと思いますよ?」
「その言葉は何も間違っていない。だが付け加える点がある。
人を支えるのは優秀だが、人の上に立つ器ではない。家族思いというより灯華様至上主義であり、息子も娘も彼女の付属品だと思っている節がある」
「さすがにそんな事は……」
「皆そう言うが、まあ今に分かるさ」
「……そうですか」
「喜和はこれからどうする?」
「灯華様が亡くなられたら、勅命も効力を失いますし、都にいる意味はもう無いんですよね。
医学校ももう私がいなくても大丈夫でしょうし」
「お前は教育に対する天禀がある、そのまま身を引くのは勿体無い気もするな」
「人に物を教えるのは楽しいです。ですが人を育てる楽しさと忙しさにかまけていたから、灯華様を毒からお救いする事が出来なかったのでは?と夜毎に思うのです。
ですから私は故郷に戻り、そこであらゆる医学を極めようと思います。人材育成も平行して行おうとは思いますが、片手間になるでしょうね」
「そうか…」
「あの、もし宜しければ、灯華様の頼みが終わったなら、私の故郷に来ませんか?」
「そうだな、俺も灯華様を治せなかった事には忸怩たる思いがある。
長安での顛末を見届けたら、喜和の故郷に行ってみるかな」
「では私はすぐにでも漢中に戻り、準備を始めましょう」
「そんな急に戻っても良いのか?この長安での生活も二年余りあったんだろう?」
「殆ど教師としての生活と、灯華様との話し相手に従事してましたから、実は長安という都市自体には愛着が無いんです。
医学校は灯華様の一件から主治医として城に詰めるようになった時に引き継ぎを終えてます。
……後、正直ですね、私も灯華様と真名を交わし合った仲ですから、事の顛末を見守るべきとは思うのです。ですが、灯華様の死はちょっと私には重すぎるんです。勝手な推測なんですけど、沛県でお婆さんが亡くなった時の白様と同じ気持ちと言えば分かって頂けますか?」
「思い出がありすぎるから処理できないんだな。ああ、分かるよ」
「ですので灯華様の最後の演説を聞いたら、今日中に荷物をまとめて、明日明後日にはここを出ようと思います」
「演説?」
「ええ、実は白様が顔を洗いに行かれた後、衣装を整えている最中に申し付けられたのです。
最後の大演説をするから、王宮と長安の人間を広い場所に集めれるだけ集めるよう指示を出してくれ、と。
部屋を退出した後はそれを近衛の方や行きがかる武官文官の方に言って回ったんですよ」
「ああ、そこまで見越していたのか、あの人は。長安の人間を集めに集めての大演説、あの人が本気で語りかければ人心は大いに沸き立つ。そうすれば発覚の時間も大いに稼げるな。
なんだ、俺の献策なんていらなかったか」
「あーいえ、白様が思うような策謀の為とかじゃなく、ご自分の為に演説なさるのだと思いますよ。
灯華様は生粋の寂しがり屋の目立ちたがり屋ですから、人の記憶に残りたいとか、皆に最後は格好いい姿を見せたいとか、そういう単純な理由でやられるんじゃないですかね」
「なんか随分あけすけな言い方だな」
「私と灯華様は真名を交換した親友です。白様よりあの人の心の内を理解しているやも知れませんよ?」
「ほう、大きく出たな。これでも灯華様とは十年以上の付き合いなんだが?」
「白様は男で、私は女ですからね。心の内までとなると致し方ないですよ」
「ぐっ、そう言われると弱い」
「ふふ、師匠から一本取っちゃいました。では私は演説の位置取りに行ってきます」
「そうか、俺は曹参さんの部屋に寄ってからそちらに向かおう」
「はい、お待ちしてます」
俺は光琳さんの部屋に赴き、灯華様との会話の内容を話し、またしばらく一緒に働く事を伝えた。
その後、俺達は灯華様の演説を聞くため皇城の広場に向かい、舞台袖になる位置を確保していた喜和に合流した。
灯華様の演説の内容については伏せる。
彼女の言葉を短い言葉でまとめる事が今の俺には出来ない、胸に満ちる万感の思いを裏切る事になりそうだから。
とりあえず彼女の言葉の効力だけ語るなら、もしかしてあの演説で、彼女の家族も良い方向に向かい、運命を打破してくれるのでは?なんて諦観に死んでいた心が期待してしまう程の演説だったと言っておこう。
押し掛けた万人の心を尽く打ち抜き、彼女は最後の大仕事を見事にやってのけた。
しかして大演説の数日後、歴史は俺の知る所と一切変わること無く流れ始めるのだった。