改稿済み。
程なくして襄陽についた俺は、十年の誤差を埋める為に情報収集に勤しもうとしたのだが、どうにも街の中が慌ただしい。
何だろう?とそこらへんに居た商人の首根っこを掴んで事情を聞いてみた。
どうやら現在袁家の領地拡大政策に乗って、孫堅という将が率いる軍隊が襄陽に迫っているらしいとの事。
袁家の領地拡大政策ねぇ、袁隗ががっつり関わってそうだな。
その後も耳聡そうな商人を捕まえては様々な情報を聞く。
国はもう駄目、収穫物の尽くが不作、税が上がった、盗賊が増えている、州や都市間での争いが頻発している等等、気の滅入るニュースばかり。
以前はこれほど酷くはなかったはずだが……世界が統合された結果だろうか。
聞くことは聞いて買うものも買ったので、金をたんまりと渡して商人に別れを告る。
さて、どうしよう。
さっさと呉の本拠地に向かって地盤を固めるべきか、出張ってきた孫家をここで待つべきか。
楽なのは間違いなく待ちだ。だがすぐさま戦闘に入るだろうから、殺生を禁じられた現状では戦場への介入は難しい。
……とりあえず何が起こっても眺めるに留めてれば怒られないかな。
数日後、商人の言っていた通り襄陽は戦場となった。
襄陽を守るは黄祖、攻めるは孫堅。
終始孫堅が優勢に攻め立てていたが、とある計が上手くはまり、一気に形勢が逆転した。
弓手のごく少数が気配を殺して潜み、岩落としの策発動時に孫堅を狙ったのだ。だが岩が落ちる振動の中にあって狙いは逸れ、孫堅の傍らに控えていた少女の方へ矢は飛んだ。気配を読んだのか直感が働いたのかわからないが、矢に気付いた孫堅は少女の身代わりとなって矢を受け落馬。そこに岩が落ちてきて孫堅は押しつぶされた。
そこからは敗戦ルートまっしぐらだ。孫家の兵の指示系統は乱れ、撤退を余儀なくされる。
黄祖の兵が軍馬を駆って近寄ってこようと岩の傍から離れようとしない庇われた少女。それを眼鏡を掛けた同い年ぐらいの女の子が引っぱたいて無理矢理に連れていった。
黄祖の軍勢は撤退する孫家に更なる追い打ちをと彼らの背を追っていった。
がらんとした戦場に降り、無数に落ちている岩石の中からお目当ての岩に近寄る。
そこには右半身を押し潰された女性がいた。
「強欲で胡乱な黄祖の兵隊にも、目敏い奴ってのはいるもんだねぇ」
痛みで意識も朦朧として弱っている筈なのに、彼女は異常な威圧感放っていた。
「血反吐を吐き、分かりやすく死にかけの状態になってもそんな威勢の良い事を言えるのか」
「最期ぐらいは格好良く威勢よく、さ。あんたも女なら分かるだろ、この気概」
「女じゃないが、そういう粋は嫌いじゃない。
しかし人を庇って完全に態勢を崩してたってのに、あそこから良く動けたな。正直生きているとは思わなかったよ。
さすが江東の虎だ」
「称賛は受け取るが、何にしろこの通りさ。反射的に動いて右半身を犠牲にしてどうにか即死は免れたが、ここが私の最期だよ。
まあ粋が分かる奴に看取られるのなら多少は向こうに逝き易くなる。
良かったな小娘、私の首は高いぞ」
言い募られる悪態を聞き流し、俺は傍らにしゃがみ込んで彼女の身体に触った。
あのドサクサで少しでも自身の生存確率を上げる為に行動していたとは、やはり英傑というのはどこかぶっ飛んでいる。
押し潰されている為か外から見るに出血は酷くないが……なんにしろ普通ならショック死してるし、助かった今も激痛が走り続けて会話どころじゃないだろうに。
俺は気を巡らせて彼女の身体を精査する。
右手足はもう駄目、右肺にも骨が刺さってる、その他の臓器も損傷している、出血も致死量間近。
これはさすがに打つ手が無い。どうしようもないが、痛みだけでもマシにしてやろう。
「小娘、一体何してるん……痛みが消えていく?」
「俺は流しの医者なんだがね、力不足で申し訳ない。多少血流を操作して失血死を遅くして、痛覚を弄って痛みを和らげるのが精一杯だ」
「……そりゃ有難いね、はぁ、強がってたが結構限界だったんだよ。なあお前さん、黄祖の関係者じゃあないんだろう?」
痛みが引き、血臭の混じった吐息が少しだけマシになった途端、目をギラつかせてこっちを見てくる孫堅。
黄祖の兵だよ、と言おうものなら喉に噛み付かれかねない迫力がそこにはあった。
「ん、そうだな、無関係だよ」
「無関係な奴が何故戦場を呑気に闊歩しているのかは分からないが、頼みがある」
「娘を頼むとかは聞かないぞ」
「さすがに出会ったばかりのお前さんに娘を頼むとは言わないさ。
この岩の下に剣が挟まっちまってる。私達の一族の大事な得物でね、それをどうしても娘に届けたい。今から死力を尽くして岩に隙間を作るからさ、取って娘に届けてくれないかね」
「虎さんよ、この岩がどんだけ重いと思ってるんだ?あんたが幾ら死力を尽くしても僅かにさえ動かんし、剣なんて粉々になってるに決まってるだろ」
「馬鹿を言うな、私達の魂が決して折れないように、剣だって折れていないに決まっている」
「いやいや、あんたの方こそ馬鹿を言うなという感じなんだが……まあいい、もし剣が折れていなかったら、あんたの望みは叶えてやるかね」
目の前の岩は凡そ二メートル弱の丸みを帯びた大岩である、重さにしたら十トンはあるだろう。
言葉にしたように、半死半生の人間が底力を絞っても微動だにしないだろうし、それに押し潰された剣が無事であろう筈がない。
俺は気合を入れて、本気で力を込める。そしてどりゃ!と一気呵成に岩を退かせる。
久々の全力に肩が上下する。下を見れば、こちらを驚いた表情で見ている孫堅がいた。
ふふ、してやったぜ。
しかし今度は俺が驚く番だ、彼女の潰れた右腕の先、そこにはどこか見覚えのある剣があった。
鞘と柄はボロボロになっていたが、真っすぐの状態を維持している事から刀身は無事のようだ。正直ありえん。
俺はそれを手に取り、これでいいのかと尋ねる。
「ああ、それこそ我らが至高の宝剣、南海覇王だ」
南海覇王……どこか見覚えのある剣で、どうにも聞いた事のあるイントネーション。
「確認の為、抜かしてもらっても良いか?」
「ああ、どこにも傷なんてありはしないと、その目で確認すると良い」
自信満々で言い切る孫権を横目に、するりと剣を抜き、刀身に傷一つない事を確認する。
そしてその刀身を見て確信した。
面白い、本当に面白い。何故俺がハンカイさんに贈った剣がここにあるのだろうか。
入手の詳しい経緯を聞きたいが、彼女に残された時間も少ない。他に聞くべき事がある。
「刀身に傷一つないと確認したよ。それじゃあ約束通り、あんたの最期の頼みは聞き届けよう。
だが先にどうしても聞きたいことがある。
あんたなんで最後に他人を庇ったんだ?
正直指揮官としては愚かなことをしたと思う。身を庇うほど大事な少女、恐らく娘なのだろうが、彼女を見殺しにしていたのなら大勢は覆らなかった。黄祖は劉表配下の江夏太守でかなり上質な手柄だ、孫家の更なる躍進に一役買っただろう」
「確かにこの戦場の指揮官としては愚かな判断だったと認める。けれど孫家の頭領としてなら決して間違った判断じゃなかったと胸を張って言える。
言っとくが情なんかじゃあないよ、あの娘が私以下の素養しか持たないなら、私は娘だろうと見殺しにしていただろうさ。
けどあの娘は私を超える傑物になる。ここで大きな負債を抱えようと、それを飛び越して飛躍する才と魂を持っている。
だから生かした、それが答えさ」
「……答えは受け取った、誰かに何か伝える事はあるか?」
「娘と娘を支える親友には伝える事は伝えた。後はそうだねぇ、黄蓋と韓当の奴に謝っといておくれ、あいつらだけはまだ娘にゃ戦場は早いと反対していたからさ。あんたらの言う通りだった、娘達を頼むと伝えておくれ。
それじゃあ……孫家頭領孫文台、真名を炎蓮がお頼み申す。我が宝剣と伝言、しかと我が娘、我が友に託して頂きたい」
「名はないが、真名を白と言う。その頼みしかと承った。安心して任されよ。
ふぅ、それじゃあ最後に、あんたはどうする?連れて行けなくもないぞ」
「呉の土に還りたいのは山々だけど、私の首が無くなっちまってたら、背が見える娘を黄祖の兵は延々と追いかけるだろう?
娘の背が見えなくなるぐらい撤退が早けりゃ良かったんだが、あの馬鹿娘はギリギリまで私に構いっぱなしでさ。
まあそういう訳で、私はここに残らなきゃいけないのさ」
「そうか、ならばこれでお別れだな」
「そうなるね。
ああしかし、一つ減ったとはいえ、やっぱり後悔だねぇ、まだまだ戦いたかったし、最後まで育て上げ、将来を見たかった」
「……もし次があるなら、後悔無きよう達者に生きろ」
「次があるなら、絶対にやられはしないさ、それじゃあもう、限界だわ。
じゃあね、みんな」
そう言って目を瞑った彼女。
俺はもう一度彼女に触れ、生きながらえるために操っていた血流と気の操作をやめ、それに必要だった痛覚と触覚を完全に消した。
不快げに寄っていた眉間は柔らかになり、安らかな表情になる。
すぐに吐息は小さくなり、一人の英傑が世を去った。
顔以外も綺麗に整えてやりたがったが、足音が近付いて来るのを感じて急いでその場を離れる。
娘さん達の元に急ごう。
と、頑張ってしばらく走ってはみたのだが、足はすぐに止まってしまう。
そこら中に負傷兵が放置されていたのだ。
さすがに見捨てるのは後味が悪すぎるので、息がある者には治療を施して近くの村に連れて行く。何度も往復して生きた兵を全員回収し終えたら、村の人間に金を渡し、村人の無償治療をして兵の後を頼んだ。
孫軍黄祖軍関係なく治療したので、そのままでは争いに発展する可能性があった。なので兵達の治療中に村と敵には決して悪さをしないようにと釘刺しを行う。
村から村へ移動する度にそんな事をしていたら、途中ではたと気付いた。これは注意されてた事に該当するのか?という疑問に。
人は殺生していないし、主要人物に該当しそうな人物を直接殺したり生かしたりもしていない筈。うん、そんなオーラを持った奴は治療してないから多分きっと恐らくセーフ。
……というか目の前で死にそうな奴が居て、そいつが誰だから助けないとか絶対できん。
孫堅も助かりそうなら助けてしまっていただろう。
回収効率は何をどう行動するとどれだけ変化して、何をどこまで回収できなかったら演目失敗と見なされるのか、情報が多すぎて処理しきれないからと、その辺りの詳細を詰めなかった俺の完全なる落ち度である。
演目が失敗してしまえば外史が消失するのだから、本当に注意しなければいけないのは分かっている。
けれど四百年で培った価値観や経験というのはそう容易く変えられない。戦場に入るまでは駄目だと認識していたはずなのに、怪我人を前にするともはや反射行動のように治療していた。
これは今の内にしっかりと決めてかからなければ、後を引く。
長沙に向かいながら、あーだこーだと悩み抜いた俺は、あと数日で目的地に着くという段階になってようやく線引を決めた。
戦士としても戦医としても戦場には一切近付かない。その代わり村や町、俺の周囲の治療には全力を尽くす。
どこまでが戦場だとか、俺の周囲とはどこまでを指すのだとか、詳しくを一切決めていない何とも中途半端な制約ではあるが、現状俺の精一杯である。
「今度管理者にあった時、もう少し具体的な話を聞いて優先順位の確認をしないとなぁ」
一言呟いて、俺は歩を進めるのだった。
結局孫堅が太守をしていた長沙に着くのに一ヶ月が経っていた。
孫家本隊が帰還してから二週間と少し、大分間が空いてしまった。
俺は面会の手順をどうしようかと頭を悩ませながら、街を歩いて行く。
昼時という一番人が賑わう時間の筈なのだが、城に続く大通りは不穏な雰囲気に包まれていた。
敗戦の報は足が早い、既に孫堅死亡のニュースが知れ渡っているのだろう。
商業の活気は失われ、道行く人には荷物をまとめた人もおり、そこら中で交わされている会話は明日への不安で一杯だ。
劉邦様が亡くなったあの頃を思い出す。
鬱屈しかけた気持ちを、南海覇王を撫ぜて落ち着かせる。
今はとにかく城に向かおう。
城下町は沈鬱な雰囲気で音も死んでいたが、城門前はバタバタと非常に慌ただしい。
太守が死んだのだ、慌ただしくない方がおかしいか。
俺は門前に控えていた兵に、流しの医者なのだが雇ってはくれないか?と話しかける。
帰還してしばらく経っているとはいえ、怪我人はまだまだ適切な処置をされていない者も多いだろうし、怪我はなくとも疲労から体調を崩した者もいるだろう。
俺の目論見は当たり、兵は大助かりだと言わんばかりに城内へと連絡員をすぐさま送り、採用するかどうかを聞いてくれた。
程なくして、雇う際の金額と期間の提示と、こちらが用意した薬を使用する事、監視役に兵を一人つける事に納得してくれれば採用するとの旨を聞かされる。俺は二つ返事で条件を飲んだ。
案内役の人がすぐさま飛んできて、荷物もそのままに治療所へ連れて行かれる。正門の反対側、裏門近くに臨時の治療所はあった。
そこそこ大きな治療所には、道に長蛇の列が出来る程に患者が詰めかけていた。
中に入ってみれば野戦病院のような有り様だ。
長椅子が各所に置かれ、患者がズラリと並ばされている。それを数人の医者と看護師が具合を聞き、薬を処方しては次の患者に、と忙しなく周囲を駆けずり回っていた。
帰還から十日以上過ぎているのに、まだ処置しきれていないのか。
眉を顰める様子みた案内役が「大丈夫そうですか?」と声をかけてきた。「ええ、仕事のしがいがありそうです」と答えると、案内役はほっとした表情になった。
「ではこの治療所の責任者に一度面通しをしてもらいます」と案内役は更に奥へと入っていく。
大人しくついていった先には部屋があり、案内役が扉をノックする。
しかし一切の反応がなかったので、案内役は失礼しますと部屋に入っていった。
中には一人の少女がおり、机に向かって何やら書類を作っていた。案内役が失礼しますと声をかけると、少女は俺達の存在にようやく気付いたようで、
「次の精神疾患患者か?すまん、もう少しで指示書が書き上がる、そうしたら対応するゆえ、しばし待ってくれ」
と書類に顔を向けたまま対応してきた。
隣に居た案内役が「すみません、かなり忙しい人なので、少し待っていてくれますか?」と言ってきた。
俺は頷いて答える。
なるほど、確かに彼女程の優秀さであれば、仕事をいくつも掛け持ちしているに違いなく、その証拠に机には竹簡が山のように積まれていた。
「すまん、待たせたな。ああ君、これを程普に……」
顔を上げ、資料を持ち上げた状態で彼女が固まる。俺に気付いたようだ。
「こちらを程普様にですね、承りました。ですがその前に少し失礼します、実は流れの医者という人物が来ていまして、彼女がどれ程の腕前なのか確認する為に面接をお願いしたいのですが」
「せ、せ、先生!何故こちらに?!」
「先生?もしかして張昭様のお知り合いでしたか?」
「あ、ああそうだ。とにかく君はその資料を頼むよ、大事な資料だ、早急に届けてくれたまえ!」
「は、はっ、では失礼します!」
案内役の人は張昭の剣幕に押され、慌てて行ってしまった。うーん、なんか悪い事をしてしまった。
「それで先生、どうしてここに、というか今までどこに…ああ、聞きたい事が多すぎる!」
「落ち着け張昭、逃げたりする訳でもないんだからさ」
「そういって十年間も姿を眩ませたのは何処の誰ですか?!」
「あーすまん、ちょっと諸事情あってな。とりあえず、落ち着こう、な?」
「そ、それもそうですね。すぅ、ふぅ、すぅ、ふぅ」
目の前で落ち着くために深呼吸をしているのは俺の最後の生徒の一人、張昭である。
政治に特化していたが、一芸は道に通じるを地で行く優秀さで必修科目であった農学も医学も優秀な成績を収めていた彼女なら、勤め先で医者を任されていたとしても不思議ではない。
「ふぅ、落ち着いた。では先生、色々とお聞きしたい事がありますので、どうか逃げないで頂きたい」
こうして俺からしたら二ヶ月弱ぶり、彼女からしたら十年ぶりの再会と相成ったのである。
生徒は出て来ないといったな、あれは嘘だ。
修正ファイルの確認にホームページに行った際、英雄譚という物に気付いて紹介ページを見ていたら、孫堅と張昭が素晴らしすぎて登場させてしまいました。