今昔夢想   作:薬丸

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改稿済み。


26.遠くの豪族より近くの平民

 久しぶりに再会した生徒としばし歓談に耽る。

 こんな事している場合ではないのだが、神経質なこの娘っ子は話を聞かねば気になって仕事が手につかないと言う。

 本当にそういう質の娘なので、積まれた竹簡を減らす作業を問題のない範囲で手伝いながら話を続ける。

 

「いやー張昭が変わってなくて先生嬉しかったわ、見てすぐ分かったしな」

 

「十を過ぎた時から見た目が変わっていないと喜ばれるこの苛立ち……」

 

「怒るな怒るな、どうせすぐに成長する。先生が保証するよ」

 

「……先生がそう言われるなら、信じます」

 

「俺を信じずとも、成長も老化も止められん、生物としての必定だよ」

 

「にしては先生のお姿は十年で一切変わっていないように見受けられます」

 

「まあ、俺は神仙の類だから」

 

「またそのような冗談を……いやしかし、先生は十年もの間見事な雲隠れの術を披露してくださいましたし、あながち嘘ではないのかも?」

 

「皮肉たっぷりな返しだな。まあ、あれだ、いつものように旅に出てたんだよ」

 

「嘘なのが透けて見えるかのよう。ですがまあいいです、それで助かった面もありますから」

 

「助かった?」

 

「実はあの後ですね、皆が故郷に急いで帰り、それぞれの子が持つ後ろ盾に先生を売り込み、家や陣営から引き出せる最大の贈答品を持って再び先生の庵を訪れたのですよ。一人を除いてほとんど同時に皆が集合したのは思わず笑ってしまいました。

 とはいえ皆が戻ってきた背景を考えれば素直に笑っていられる筈はなく、すぐさま先生を迎える条件を言い合う討論会が始まりました。

 先生が庵に帰ってくるまでの間に片を付けようと、出し惜しみ一切無しの議論が行われ、それはそれは白熱したのです。ですが遅れてやってきた袁隗に全て持って行かれました。

 登用の願いに千の兵を持ち出してくるなんてあの性悪は何を考えているのか!是が非でも欲しい人なのは分かります、ですがやって良い事と悪い事があるでしょうに!ああ、今思い出しても腹立たしい!」

 

「はぁ、そんな事があったとはな」

 

「はい、ですが先生は一向に帰ってこず、そのまま解散と相成りました。もし帰ってこられていたらあの性悪が連れ去っていたでしょうし、私の腹の虫は多少治まりましたが」

 

「お前ら、卒業の時は泣いて別れを惜しんでたのに……」

 

「あんなのその場の雰囲気です。ええ、何かの間違いだったのです」

 

「女性の切り替えって怖い」

 

「それで先生、今日はどういったご用件でこちらに来られたのです?ただ医者を開業する為だけではないですよね?」

 

「んー今言うべきか否か、多分言ったらそれどころじゃなくなるしな。という訳で診療所が落ち着いてから言おう、死者の頼みより生者の救いだ」

 

「落ち着いてからと言われましても、現在診療所は最大稼働しても患者の対応が間に合っていません」

 

「大丈夫、俺がいる」

 

「……さすがに先生が医学に詳しいとはいえ、お一人では焼け石に水でしょう」

 

「お前らは里から離れた庵で勉強させてたから、俺が実際に治療している所をあまり見せていなかったな。

 まあ、見てろって」

 

 竹簡の山も平地になったし、話も頃合いだろうし、そろそろ表の手伝いをしに行こう。

 

「そういや張昭、俺の薬を使っていいか?」

 

「先生謹製の薬なら私が用意した物より余程上等でしょうし、構いませんよ。一応問わせていただきますが、先生は我らに害意を持ってここに来ましたか?」

 

「んな馬鹿な、ある訳ないだろ。って俺が言っても信憑性はないか」

 

「信じますよ。

 未だ先生には遠く及ばない私ですが、先生の弱点は既に見抜いているのです。

 先生は本気で頼まれると弱くて、嘘が本当に下手なんですよ」

 

「そんな訳ないと思うが……。ああそうだ、表に行くにあたってなんだが、政務を任されてるって事はそれなりに出世してるんだろ?周囲が混乱するからこういうやり取りはやめておこう」

 

「それもそうですね、ん、んんっ、それじゃあ先生、頼めるかの。って、先生と呼びながらでは不自然じゃないですか?私、というか私塾の皆にも名前は教えませんでしたよね」

 

「んーまあ先生は俺以外にいないから呼び名って必要なかったしな。んじゃとりあえず謙信と呼んでくれ」

 

「珍しい姓なのですね。しかし、ふふ、私塾の中で先生の名前を手に入れたのは私だけですよね、やったわ、性悪に勝った!」

 

「名前を手に入れただけでそんなに喜ぶ物かね、それじゃあ行くか」

 

「ええ、先生の実践での腕前、見せて頂きます」

 

 二人で部屋を出て、いざ戦場へ。

 

 

 

 野戦病院の様相を呈している広間の片隅、俺は鞄から薬と医療器具を並べていく。

 

「それでは張昭様、申し訳ないのですが、私の補助をお願いしたい」

 

「ああ、構わんよ。ああそれに様でなくとも構わん。現状私は無冠であるからな」

 

「わかりました。では張昭殿、この並べた薬と器具、それぞれを右から一番とし、私が言った番号を指示通り下さい」

 

「ふむ、任されよう。しかしあれじゃな、授業を思い出すの」

 

「ですね。では施術を開始します」

 

 俺は長く細い鍼と短く太い鍼、傷薬の軟膏が入れられた小壺、アルコールの入った霧吹き、清潔な端切れ数枚だけ持って、長椅子の端に座った、左ふくらはぎから血を流している患者に近寄った。

 

「まずはお前さんからだ、ん?縫合された箇所から血を流してるのか?お前さん一度治療されたすぐ後に無茶したな。張昭様、五番の針と二番の糸をお願いします」

 

「これじゃな」「はい、ありがとうございます」

 

「あの、わざわざもう一回縫合するんですか?もう血も止まりかけてるし、正直もう行こうかなーと思ってたんですけど……」

 

「馬鹿言うな、そのまま放置して化膿したら最悪足を切り落とさなきゃならんぞ。とりあえず気で身体を見るから、楽にしろ」

 

「いや、悪いのは足だけで」

 

「いいから、お前さんの身体をお前さん以上に分かってやるっつってんだから、大人しく言う事を聞け」

 

「美人なのになんて言い草だよ……分かりましたよお願いします」

 

 俺は彼の心臓に手を当て、気を同調させ、整調させる。また筋肉を弛緩させるために鍼を使って触覚を少し鈍らせる。

 

「うぉ、なんだ、痛みが引いた?」

 

「ふむ、特に異常ないみたいだな。左足を庇って右足に疲労が溜まってるぐらいか。んじゃちょっと痛いが我慢しろよ」

 

 端切れで彼の傷口を拭ってから血で濡れた糸を抜き、再び傷口を端切れで拭って傷薬を塗り、素早く再縫合する。縫合が終わったら弄った触覚を元に戻しておく。

 

「傷口は終了、二日間は無理せず、傷口には絶対触んなよ。三度目は傷口が荒れるから治療が困難になる、次は無いと思え。汚れたら清潔な水で洗い流すか、清潔な布で拭えばいい。んじゃ後は右足を真っ直ぐ伸ばせ」

 

「あっ、はい、気をつけます。しかし先生凄腕ですね、前は叫ぶほど痛かった縫い合わせが全く痛くなかったです」

 

「そうかそうか、それじゃあ褒めてくれたおまけをやろう」

 

 素直に足を伸ばした彼のふとももに気を込めた張り手を一発。

 パァンと小気味よい音と同時に彼の痛ぇ!という声が周囲に響く。うん、感覚もちゃんと戻ってるな。

 

「何すんだアンタっ?!」

 

 思わずといった感じで叫ぶ彼に、

 

「とりあえず立ってみろ」

 

 むっとした表情で従う彼の表情がすぐに変わる。

 

「はぁ?ん、あれ?」

 

「右足も大分楽になっただろう?左ふくらはぎも薬がカサブタ代わりになってるから出血の心配はない。それじゃあ走らず無茶せずゆっくり帰れよ」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 彼はとてもよい笑顔で治療所を出て行った。

 うん、良いパフォーマンスになってくれてありがとう。

 大きな音を立てて注目されたのは、次からの患者を素直に従わせる為にわざと行った。

 突然の登場に胡散臭げな目を向けていた人間がいなくなったのを確認して、俺は治療の速度を上げたのだった。

 

 

「薬三番三匙、八番一匙、十二番五匙、薬研で混合」

 

「承った」

 

 薬の処方を張昭に任せ、俺は患者を見る。

 話を聞き、気を使いながらの視診、触診、聴診を行えば九割五分患者の様態が分かる。

 その時点で漢方の混ぜあわせを指示する。

 そして気の正調を手や鍼を使って行い、目に見える傷は軟膏を塗る。

 器具を使った診察や外科手術が必要になるレベルの患者は既に治療済みらしく、効率化すれば一人三分もかからないで治療が可能だった。

 

 

 凡そ一時間、他の医者達の分も合わせて百人程を治療し、患者は目に見えて減った。

 昼休憩を終えて戻ってきた医者もいたりして、治療所は完全に落ち着いたと言える。

 

「謙信殿、先ほどの患者で今日の分は終いじゃ」

 

「しかし、まだ数十人程残っていますが」

 

「そちらは精神疾患の者になるのでな、謙信殿よりもウチの連中に任せてやりたい」

 

 立ち振舞いに問題もなく、目立つ箇所に傷が無いのでどうしたのだろう?と思っていたが…彼らはあの撤退戦の生き残りなのか。確かに余所者の俺が出る幕はなさそうだ。

 

「分かりました、では荷を片付けます。それで張昭殿にお願いなのですが、孫策様、黄蓋殿、韓当殿と私を引き合わせて頂けないでしょうか?」

 

「ふむ、元より紹介するつもりではあったが、何故かの?」

 

「とある方からお渡しする物と言付けを頼まれていまして」

 

「……ここでは話しにくい事なのか。では竹簡を届ける必要もあったしの、今から城に向かってしまおうか。

 皆、私はこのまま抜けるが大丈夫か?」

 

 はい、と近くにいたスタッフ達が答える。

 

「すまんな、では謙信殿、竹簡を運ぶのを手伝ってもらえるかの?」

 

「喜んで」

 

 

 俺は竹簡の山を抱え、張昭と彼女の十年間の話などしながら歩を進める。

 城内に入ると一気に慌ただしさが増す。邪魔にならないようにと通路の脇を歩きながら、一つ褒めたい事があるのを思い出した。

 

「しかし張昭殿、精神疾患を良く上に認めさせる事が出来ましたね」

 

 この時代にはPTSDという概念はなく、また蔓延する下地も出来上がっていないので、患者の数自体が少ない。だが少ないだけで確実に存在はしている。

 決して放置されて良い問題ではないのだが、精神疾患を認めさせるのは非常に困難だ。

 精神疾患ってなんだ?ただの軟弱者だろ?と切り捨てられて終わりだろう。

 

「我が君である孫堅様が戦場に立たれる方であり、兵卒に対しても気を掛けていらしたからこそじゃの。

 最前線を知らず、苦い敗戦も経験せぬ者が最上位者であったり、戦終了後の事まで理解して人材と予算を割ける宰相がおらぬ場所では叶わぬ上奏だったろう。

 そして認められてからは兵の戦線復帰率は他所とは比べ物にならぬ程高くなり、また愛国心も大いに培えた。今では精神疾患の存在と治療の有効性を否定する将はおらぬ。全ては謙信殿の教えの賜物じゃな」

 

「いえ、張昭殿の尽力のおかげでしょう、本当に良くやったな、張昭」

 

「えっ、あっ、その…ちょっと先生!それ反則です!」

 

「周りに誰もいなくなったからな、先生ぶってみた」

 

「全くもう……でもここから先は一定階級以上の将しか立ち入れない場所なので、もう少し先生ぶっても構いませんよ」

 

「そうなのか、それじゃあお言葉に甘えよう。早速先生からの助言というか客観的な感想なんだが、お前のその口調、なんとも似合わんね」

 

「ぐっ、こんなナリですから、口調だけでも尊大にしなければ誰も私を大人として見ないんですよ。

 我が君が私の才を見出し、重用してくれなければ、見た目によって侮られ続ける最低の人生であったかも知れません」

 

「人を見た目で判断せず、柔軟な発想で兵を労る。孫堅様は素晴らしい傑物だったんだな」

 

「ええ、日輪の如き暖かさと空を翔る大翼の持ち主で在らせられました、本当に、惜しい人を亡くしました」

 

「……これからどうする?って聞くのはさすがに駄目か」

 

「そうですね、仲間として迎え入れなければ出来ない話です。ですが先生がウチに来てくれると言うなら、すぐに手を回して高官として迎え入れると約束しますよ。

 と、私の執務室に着きましたね。竹簡を運んでもらってありがとうございます」

 

 執務室の戸を開け、中に入る。きちんと整理整頓された部屋とは対照的に、机に置かれた竹簡が雑然と山をなしているのが印象的だった。

 

「また増えてる……それじゃあ先生、竹簡はそこらへんに置いてもらって構いませんので」 

 

 そう言いながら張昭は戸と窓の戸締まりをしっかり確認して、俺に向き直った。

 

「それでは、先生の真意を伺っても宜しいですか?」

 

 鋭く、探るような瞳。会話の端々で見せた冷静な瞳をここで露骨に見せる。

 

「俺の真意は探れなかったか?」

 

「はい、十年間について、私塾について粉をかけても、問題ない範囲で国の内情を見せても、何も反応してくださいませんでした。私ごときではまだまだ先生の真意を読み解く事は出来ませんね。

 ですのでここで切り込みます」

 

 懐を容易く見せるのだなーと思っていたら、そういう意図があったわけだ。生徒がちゃんと成長していると確認できて非常に嬉しい。

 

「何だ、実は信用されてなかったわけか」

 

「信用も信頼もしているからこそ、私一人で対応しているのです」

 

「そうか、もうお前は一人前の政務官なんだなぁ。

 よし、それじゃあ俺がここに来た理由を答えよう。

 一ヶ月半前、俺は旅の途中にたまたま襄陽へ立ち寄っていたんだ。美味いものでも食べようって感覚だったんだが、そこが急に戦場になった訳だ。

 逃げ出そうと思ったら戦闘が突如終わってな、どうしたんだろう?もしかしたら怪我人とかいるかも?という好奇心と使命感で最後に一番騒がしかった所に赴いたのさ。

 そしてそこで岩に押し潰された孫堅様に出会った訳だ」

 

「……嘘は仰られてないようですね」

 

「俺って表情に出やすいのかな……ともかく、右半身を押し潰された状態だったが孫堅様は生きておられた」

 

「孫策様との話と合致しますね」

 

「そしてその時に二つ頼まれ事をされた、剣と伝言を届けてくれと」

 

 そこまで話して張昭の表情が驚きに染まる。

 

「頼み事とは孫堅様からだったのですか?!ちょっと先生、なんでそんな重要な事をすぐに話してくれなかったのですか?!」

 

「すまんな、先に話すと面倒だと思って話さなかった。あの場では患者の治療が最優先だったんでな」

 

「長沙太守に関わる案件ですよ?!私としてはそちらの情報を優先して頂きたかった!」

 

「だが治療をあれ以上遅れさせる訳には行かなかっただろう、俺が診た一人目の患者は処置されぬまま帰ろうとしていた」

 

「それはそうですが、優先順位というものが!」

 

「死者よりも生者、遠くにいる人よりも近くにいる人、他人よりも知り合い、俺の中での優先順位に従ったまでだ。先に頼まれた事であるとはいえ、頼まれた本人の事情と心情を優先するのは悪い事か?」

 

「それは…」

 

「それにお前が治療所に顔を出している時点で差し迫った危急はないと分かっていた、だったら治療に必要な一二時間など誤差だろう?」

 

「そうとも言えますが……しかし太守と将に関わる事より、兵を優先するなんて常識に欠けます」

 

「確かに影響力を持った将を優先するのは組織の中にあっては正しい考え方だ。だが今現在俺はその外にいる」

 

「……先生は本当に振れない人ですね。袁隗に拳骨を落としていたから分かってはいましたが、良くも悪くも権力を一切気にされない」

 

「権力に擦り寄る意味がないからな。

 しかし説得を放棄したのはかなり質が悪かった、すまない」

 

「…こちらも話の腰を折った上に勝手な事情を押し付けてしまいました、申し訳ありません。

 あの、続きをお願いしても構いませんか?」

 

「ああ、孫策様に剣を、黄蓋様と韓当様には言付けを頼まれたという所からだな」

 

「言付けは分かります。しかし、南海覇王は巨岩に押し潰されてしまったと孫策様が……」

 

「それはだな、頼み事を託した直後に孫堅様は亡くなられ、また黄祖軍に戻ってきたので俺は見つからぬよう隠れてやり過ごした。ご遺体は黄祖軍が持っていったが、岩の処理等は日が暮れ始めたので後日に回された。

 俺はその隙をついてすぐさま岩の下を掘り進め、なんとか剣を回収したわけだ。

 これが託された剣になる」

 

 俺は鞄にしまい込まれたボロボロの剣を取り出し、張昭に渡す。

 張昭は震える手で剣を受け取り、抜いた。

 装飾は剥げ、柄もガタガタだが、その白刃には些かの傷も曇りもない。

 剣をボロボロの鞘に戻し、張昭は剣を抱きしめ、

 

「お帰りなさいませ、我が君よ」

 

 万感の思いを抱いて涙と言葉をこぼした。




次回でようやく呉ルートの恋姫ヒロイン達が登場します。

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