今昔夢想   作:薬丸

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改稿済み。



27.英傑の誕生

 その後張昭は涙を拭い、皆を集めてくると言って出て行った。

 その際剣は返された、先生が頼まれた事だからと。

 張昭が出て行った後、一人の若い兵士がやってきた。将への用事が終わって持ち場に帰る途中にたまたま張昭と出会い、客間への案内を頼まれたらしい。

 大人しく着いて行くと、そこそこ豪華な部屋に通された。

 ここでしばしお待ちを、という言葉を残し兵士くんは出て行った。気配は離れていないから、扉の脇で警護だか見張りだかをしてくれるようだ。

 うーん、しかしこのままでは暇過ぎる。

 外に行った兵士くんをどうにかこうにか言い包めて部屋に入れ、かばんから自作のボードゲームを取り出して彼と時間を潰した。

 

 二三時間後、扉が叩かれた。

 慌てて立ち上がった兵士君が扉を開ける。

 そこにはとても良いオーラを発する美しい女性が息を切らせながら立っていた。

 全速力で走ってきたらしい女性は程普と名乗り、今から自分が案内すると言う。

 程普さんを見た兵士くんの顔色が青くなったり赤くなったりしているのを見るに、結構な立場にある人なのだろう。

 俺は固まった兵士くんに手を振って別れを告げ、程普さんの後に従うのだった。

 

 

 しばらく歩き、そこそこ大きな扉の前までやってくた。

 ここに皆が集まっているそうだが、その前に荷物を全て預かりたいと言われる。

 当然の対応だ。むしろ知り合いとはいえ、張昭が頓着しなかったのがおかしい。若い兵士くんは張昭が荷物の検めを済ませているものと勘違いしたのだろう。

 

 俺は素直に従い、背負ってきた鞄をおろし、南海覇王を抜き取った後は鞄ごと彼女に渡した。

 張昭から事情は聞かされていたようで南海覇王はスルーされたのだが、背負い鞄に隠すようくくりつけて忍ばせていた愛用の刀を見て彼女は苦笑を零した。きっと後で張昭と兵士くんは小言を言われるに違いない。

 

 彼女は扉を開き、中に先導してくれる。

 いつもは会議室として使っている場所という話だが、大きい長机や椅子は端に寄せられており、かなりの広さを感じさせる。

 そして部屋の中央の奥、八人の人間が待機していた。中には勿論張昭もいた。

 俺を案内してくれた程普さんは扉の鍵を閉め、八人の中央にいた十二歳程の少女の横に移動し、すぐさま荷物を置いて軽く肩を回していた。うん、それすっごい重いよね。

 

 ともかくこれでお膳立ては済んだのだろうと思い、俺は膝をつこうとして止められた。

 

「膝を付くのはやめて頂きたい。私達は太守であった母を除けば無位無官に等しく、尚且つ貴方は孫家の恩人です。むしろこちらが膝を屈さねばならないでしょう」

 

 中央の少女は粛々と言葉を述べた。

 

「此度は孫堅の娘であり、現孫家頭領孫伯符として、感謝よりも先に非礼を詫びなければなりません。恩人を歓待する余裕も権限も現在の私達には無く、この様な急拵えの部屋しか用意が出来ませんでした。平にご容赦下さい」

 

 そう言ってその場にいた全員が頭を下げる。

 

「頭をお上げ下さい。立場が対等というのなら、そこまで謙らないで頂きたい。むしろ自分は謁見など形式ばった堅苦しいやり取りがなくほっとしております」

 

「そう言って頂けると助かります」

 

 皆が顔を上げるのを確認して、俺は切り出した。

 

「では私、謙信がこちらに伺った訳を話させて頂きます。

 張昭様からお聞きだとは思うので私の余計な情報は抜かせていただきますが、襄陽での戦いの後、私は孫堅様にお会いしました。

 その際、この南海覇王を孫策様に、また韓当殿と黄蓋殿に言付けをと頼まれました」

 

 そう言って俺は南海覇王を孫策に差し出す。

 彼女はそれを躊躇うように手を伸ばしては、触れそうになると引っ込めるのを繰り返す。

 母の剣を自分が手に取って良いのか判断が付かないのか、剣と母が巨岩に押し潰された様を思い出したのか、押し潰された剣が無事である筈がないと思っているのか。彼女の内心は読めない。

 周囲はその様子をじっと見守っている。

 しかし中々手に取らない彼女に俺はやきもきとしてしまった。

 この精彩さを欠いた表情の少女が、あの剛毅な英傑の剣と跡を継ぐに相応しいのかね。

 そんな疑問から、俺は彼女にちょっとした発破をかけてみた。

 

「頼み事を託される条件として自分と孫堅様は一つ賭けをしました」

 

 唐突に話し始めた俺に少女の手がビクッと引かれた。

 

「貴方は剣を届けてくれと言うが、大人の身の丈を超す巨岩に押し潰された剣が無事である筈がない。と私は言いました。孫策様もあの巨岩を見ましたよね?」

 

 こくりと頷き、顔を俯かせる孫策。

 

「私が自明の理を言うと、孫堅様はこう仰られました。

『馬鹿を言うな、私達の魂が決して折れぬように、剣も決して折れていない』と。

 一抹の不安も無く、そう快活に言い切られてしまった私は面白くなってしまいまして、ならばもし剣が無事であるなら、貴方の最後の頼みを聞き入れて彼女達を追いかけましょうと約束をしたのです」

 

 俺は彼女に改めて剣を差し出す。

 

「そして約束は守られ、剣はここにあります。その上で一つ孫策様にお聞きします。

 貴方の魂は折れてしまっていますか?」

 

 彼女は数度呼吸を整えて、小さく呟いた。

 

「私達の魂は…」

 

 手の震えは止まり、彼女は顔を上げてこちらを睨みつけ、しかと剣を取った。

 

「私の魂が折れる?馬鹿を言わないで」

 

 彼女はボロボロの鞘からするりと剣を抜き、白刃を掲げた。

 

「我らが宝剣が折れていないというのに、どうして私の魂が折れようか!!」

 

 掲げた刀身は折れるどころか傷一つ、曇り一つ無い。それを確認した彼女の目からつーっと一筋の涙がこぼれた。

 そして涙で濡れるその瞳と表情に、強い色が芽生えたのを俺は確かに見た。

 

 彼女は剣を鞘にしまい、深くお礼をしてくれた。

 

「母の思いと我らが宝剣、しかと受け取りました。

 そしてこの剣が戻ってきた事で孫家としての面目も保たれます。本当にありがとうございました」

 

「私も孫家頭領にお渡しする事が出来て嬉しく思います」

 

 俺がそう言うと、彼女は顔を赤くしながらも、にっと笑顔を見せてくれた。

 うん、良かった良かった。では、

 

「次いで伝言なのですが、韓当殿と黄蓋殿は…」

 

 二人の女性が一歩前に歩み出てくれた。

 

「お二方にはただ一言、すまない。と」

 

 それを聞いた二人は目を閉じ、深い深い吐息をついた。

 

「そして皆様には、娘を頼むと仰られていました」

 

 その言葉を聞いて皆は顔を上げ、

 

「「「任された!!」」」

 

 天まで届けと言わんばかりの大声で孫堅殿の遺志に応えた。

 

 

「一応こちらに伺った用事は全て終わりました」

 

「そうなのですか、あの、代官がやってきた後でしたら自分達も自由に動けるようになります。ですのでもう少しここに残って頂ければ多少のお礼は出来ると思うのです」

 

「のう姫様、何時までしおらしい子猫」

 

「黄蓋?黄蓋はこの忙しい時期に休暇が欲しいのかしら?」

 

「ぐぬ、以前より闘気が研ぎ澄まされておる……大殿、姫様は成長しておられますぞ」

 

 黄蓋と呼ばれた女性は変な所で少女の成長を喜んでいる。

 他の面子も笑顔がちらほら見える。どうやら皆何がしかの一区切りをつける事が出来たみたいだ。

 

 

 弛緩した空気の中、張昭が真面目な表情をしたままこちらに寄ってきた。

 

「確か先生は医者として現在雇われているのでしたよね?」

 

「うぉ、ここにも子猫がおるぞ!」

 

「黙っとれ黄蓋!私は真面目な話をしておる!」

 

 弛緩していた空気に楔を打ち込む張昭。これは何かあると思った俺は素直に答える。

 

「確か契約では七日間の従事だった筈です」

 

「ほ、本当ですか?!毎日怪我して会いに行きますね!」

 

 空気を読んで下さいお願いします。

 

「孫策様、どうかお身体は大事に。それでどうしました?」

 

「お金を積みますゆえ、医者の契約を一年伸ばして頂き、それと平行して是非ともここにいる全員に教育を施して欲しいのです」

 

「えっ、なにそれ?!私やるよ!周瑜も一緒に学ばせてもらおう!」

 

「ひ、姫様が進んで勉学を?!成長が著し過ぎてむしろ怖い!」

 

 冷静そうな程普さんが慄いている。姫さん、あんた普段はどんなキャラなのよ。

 

「でも今の状況で勉強って……そんな余裕もないし、そもそも必要あるの?」

 

 韓当が疑問を呈する。

 

「そうじゃの、状況はかなり逼迫しておる」

 

 頷く黄蓋。まあ、ここに来て教育を、と言われても受け入れ難いよな。

 

「それでもこれは必要な事なのじゃ、私の私財全てを投げ打ってでもやる価値がある」

 

「金などいりません。私は今まで教育を金目的でやった事なんて一度もないのですから。しかし一年でいいのですか?」

 

「はい、一年しか猶予がありません」

 

「そうなのですか、とりあえずちゃんと説明して頂けますか?」

 

「勿論です、先生には全てを曝け出して本気で頼む所存です」

 

「ここまで来たらなんでも引き受けさせてもらいますけど」

 

「ふふっ、先生の弱点全開ですね」

 

「……反論の余地もございませんね」

 

 

 そして張昭は現在の孫家の事情について話し始めた。

 現在孫家はものすごく苦境な立場にある。

 袁家の領地拡大計画の一環に応える形で襄陽を攻めた。一応それなりの大義名分は与えられはしたが、侵略行為である事に変わりない。黄祖は劉表配下、劉表は皇帝の配下。攻めた後は当然釈明等々をしなければならないが、そこは表向き何も関わっていない事になっている袁家からの取りなしが図られ、無罪放免となる手筈だった。

 勝っていれば、そうなっていた。

 

 だが蓋を開ければまさかの敗戦。

 こうなると袁家の取りなしが期待できない。勿論裏の事情を知るその他味方の目もあるので完全に切り捨てる訳にはいかず、ある程度のフォローは入れるだろう。

 だが決して厚くはない。臣は許されるが孫家は断絶、なんて可能性は低くないのだ。

 だから張昭は袁家本流となった袁隗に昔の誼を使って直接連絡を取り、取りなしを頼んだ。

 

 頼みは受け入れられたが、条件として二つが突き付けられた。

 一つ、張昭と孫家次女を袁隗の元へ送る事。

 二つ、孫家とその臣は袁隗に仕える事。

 本当は三つ目に南海覇王の献上があったのだが、剣は失われたと内外に知れ渡っているので取り消された。

 これが受け入れられれば、孫堅の名誉もある程度守った上で孫家存続も取り計らおうと袁隗は言ってきた。

 

 これだけ見ると随分緩い条件なのだと思うが、飲みやすい二つの条件で孫堅が固めた南部の地盤と育った人員が反発も無く丸々取り込めるのだから、実は練られた条件なのだと感心する。

 次女が人質になるのは、長女は実動隊として操り、まだ6歳と幼い次女を洗脳していつか旗頭につかせて傀儡にする為と張昭は読んでいる。

 ……裏では際どい事もするし、悪巧みも上手な子だったけど、そこまでするのかは謎だなぁ。

 

 ともかく飲みやすいとこの二つすぐさま受け入れれば、袁家の飛躍と孫家の飼い殺しは確定する。

 袁家に足りていなかった武の駒を手中に収め、内政のトップである張昭もカリスマ孫家の次女も良いように使役できる、没落する家に温情をかけたと更に高まる汝南袁氏の評判、孫堅の固めた地盤を取っ掛かりに揚州への影響力は増しに増す。

 いやー策略家としてのあの子の力が存分に発揮されてるね。

 

 俺が何とかするように一筆書いてみる?と聞くと張昭は大きく首を横に振った。

 

「そんな事をして私が先生を隠していたとでも思われたら全員の首が飛びます」

 

「放蕩者の私が一所に留まって匿われるとか信じないでしょうに」

 

「何にしても、張昭は私よりも長く先生と過ごしていたんですね、極刑。等と言われますのでご勘弁を」

 

 ……そこだけ聞くとヤンデレ発言っぽいけど、多分知識量に差が出るのを嫌ってる感じだろう。

 

 

 今現在は前頭首孫堅の喪に服したいから時間をくれという奏上が功を奏し、引き継ぎ資料作成と代官としての勤めを果たすならば、一年を猶予として与えると袁隗に約束を取り付けた。

 袁家で誰を長沙太守にするか決める猶予が欲しかっただろうから間違いなく通る奏上だったとは張昭談。

 

 そうして得たこの一年で個々人のポテンシャルを上げ、もし散り散りになったとしても埋没して気概を殺されぬよう鍛えて欲しいとの事だ。

 埋没して気概を殺されると言った所で各人から否定の声が入るが、まあ一人の恐怖を知らないとそう思うだろう。

 何処か知らない集団の中に放り込まれ、その中で一人になるというのは恐ろしい精神的苦痛がある。短期中期で見ればずっと一人きりでいるよりも余程精神的苦痛を受ける。

 そしてその精神的苦痛を取り除く方法は簡単である、相容れぬとしても集団に迎合してしまえば良いのだ。

 

「今まで気の合う仲間で望みのままに高みを目指していた自分達に、一人きりになる苦痛は耐えられるのか?安易な救いを求めずにいられるのか?袁隗は私達をより扱い易い駒とする為、それぐらいの策謀を数多張ってくるぞ?」

 

 そう張昭が問いかけると、否定の声は先程よりも小さくなった。苦境や困難を知っていても、張昭の言う真の孤独について自分達は知らないと気付いたのだ。

 

 そう言う張昭は孤独を知っている。才能があるからと幼いのに寮付きの私塾にやられ、袁家などもいる生徒達とどう付き合っていいのかわからず、やった事もない土いじりや家畜の世話等をやらされる日々。子供からすればただの地獄だっただろう。

 ……こう言うと俺がとても酷い事をしていると思われるけど、ちゃんとフォローしたよ。一番扱いづらいであろう袁隗には厳しく接して平等をアピールしたし、学ぶ楽しさをまず教えた。二ヶ月もすれば皆ちゃんと笑顔だったから!

 

 しかし、と張昭は続ける。

 

「今こそ強き信念を持って個性と力量を磨き上げ、策謀による孤独を跳ね除けるどころか周囲の環境を自分の色に染めて取り込む程の魅力に昇華させれば良いのだ。

 私達にはそれが出来る才能と資質があり、先生には私達を磨く腕がある。

 きっと出来る、だからやろう」

 

 そう自信を持って言い切った様は、見た目12歳の張昭をとても大きく見せた。

 その様子に周囲は飲み込まれ、全員にやってやるぞという気概が生まれていた。

 

 

 こうして俺の今後一年の方針が決まった。

 後の呉の柱石達を育てる日々が始まったのである。




プロットでは張昭は既に一年の猶予を稼ぐ為袁隗の元に向かった事になっていました。なので英雄譚のページを見なければ前話はありませんでした。

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